親玉と対峙した日
僕が知らなかっただけで、魔法の正当な覚え方は、呪文が空から降って来るのを待つ事らしい。
この世界には無数の神様がいるけれど、自分自身の世界への影響力を増やす為に、適性のある者に力を分け与えるのだそうな。
つまり、どういう理由でか、神様同士が張り合っているらしい。火の神様は火の魔法を広め、医術の神様は医術の魔法を広める。そして、火の魔法が世界に影響を及ぼせば、火の神様が力を得、医術の魔法が世界に影響を与えれば、医術の神様が力を得る。
世界への影響とは、強大な魔物を倒したり、権力を持った者を傷つけたり、逆に助けたりといった具合の事だ。もちろん、そんな大きな事だけではなく、夜道を灯りの魔法で照らすだけでも、小さいとは言え世界への影響となる。
でも、呪文が降って来る可能性は、とても低い。
とても、とても低い。
一説によると、1つの魔法につき、1年に2~3人にしか降って来ないというぐらいに。
だったら簡単な魔法は、いつ降って来るか分からないのを待つより、誰かに習った方が早いという結論になる。
ただ、魔法が降りて来る確率は、簡単な魔法でも高度な魔法でも変わりがないらしい。ただ、簡単な魔法さえ知らない者のところに、難しい魔法が降りて来る事は、ほとんどない。魔法をたくさん覚えている者ほど、高度な魔法が降りて来る可能性が高くなる訳だ。
そういう意味では、ほとんど魔法を知らなかったカゲロウさんに、創造の魔法などという超高度な魔法が降りて来たのは、正に奇跡と言えるらしい。
「じゃあ、法術が使える僕には、もっと高度な法術が降りて来る可能性があるって事ですか?」
「その通りです。アグニさんは、医術神様の社にお参りに行ってみるべきですね」
僕の期待を、力強く肯定してくれるカグラさん。いい人だ。
正式なお参りにはけっこうお金がかかるのだけど、ここはカグラさんの言う通り、お参りに行ってみるべきだろう。必ずしも新しい魔法が覚えられる訳じゃないだろうけど、もし呪文が降って来たら、めっけものである。
問題は、お参りする社だ。
医術神の社は外せないとして、後はどこに行くべきか。
雷神の社も良さそうだ。
けど、記憶の魔法って、何の神様?
ありとあらゆる社を回れればいいんだろうけど、1回のお参りで金貨数枚のお金が飛んで行く事を思えば、訪れる社は慎重に選ばなければならない。
医術所で働いている時に、マモーンさんが暇を見つけてはお参りしていたのを、意味が分からないと思いながら見ていたけど、実は法術の呪文が降って来るのを期待していたんだと気づく。あの人は、あの人なりに法術を身に付ける努力をしていたという訳か。お参りに行く時間があるのなら、ガミア先生の指導を受けた方が賢かったろうと、僕は思うけどね。
夜は順番に見張りを行い、朝食を済ませると、また猿人の追跡を開始。
僕とカゲロウさんが周辺警戒を行う中、ひたすらカグラさんが猿人の痕跡を追う。僕も多少は、ジャスさんから獲物の痕跡を見つけ、追跡をする技術を習いはしたけど、まだまだカグラさんの足元にも及ばない。
どうやったら腕が上がるのか質問したら、慣れるしかないと言われた。ごもっともである。
剣技にしても斥候術にしても、地道な努力を積み重ねていかないと、上手くはなれないという事だ。自分の魔法の習得の仕方が異常なのだと、改めて実感してしまう。
途中、ぽつぽつと現れる猿人を、カゲロウさんが魔剣で叩き斬りながら、僕たちは進んで行く。
言われてみれば、確かに猿人以外の動物がいない。全て、猿人に食われてしまったのだろうか。だとすれば、次に猿人たちが餌として狙うのは、間違いなく人間だ。
そして、正午近くになって、カグラさんが足を止めた。
無言で、前方を指差す。
「!?」
一見、これまでと変わらない木立の隙間に、木の枝を積み上げたような塊が、いくつか鎮座しているのが見える。
「猿人の巣か・・・」
カゲロウさんが独り言ちながら、姿勢を低くする。
慌てて、それに倣ってしゃがむ僕。
「数は分かるか?」
「目視出来るだけで30」
「無闇に斬り込んで行くのは、さすがに危険だな。火でも付けて混乱させたいところだが、燃え広がってしまうと我々も危険だし、後で責任を問われそうだ」
魔鉄冒険者というから、もっと自信に満ち溢れた人なのかと思っていたけど、カゲロウさんは慎重な様子を見せた。
「こういう時に役立つ、何か便利な魔法を覚えておきたいものですね」
カグラさんも、淡々とカゲロウさんに言葉を返す。
このままだと、撤退か特攻かの二択になるのだろうか?
「氷結と雷縄の紋様なら、ありますよ?」
策も弄さないまま特攻をかけるなんて事態になっても嫌なので、僕は協力を申し出た。30体を超える猿人との乱戦に巻き込まれて、無事に切り抜けられる自信は、さすがにない。少しでも、生き延びる算段を上げておいた方がいいに決まっている。
「まだ紋様を持っていたのか? いいだろう。その分は報酬に上乗せする。氷結をもらえるか? 雷縄は、自分の身を守るのに持っておくといい」
「分かりました」
僕は、氷結の紋様をカゲロウさんに手渡した。
「では、行く!」
姿勢を低くしたまま、するすると前に出るカゲロウさん。
その後ろに、カグラさんも続く。
2人の動きに、迷う気配はない。何の打ち合わせもしていない筈なのに、見事に連携が取れている。
キィン――――!!
金属的な澄んだ音とともに、白い冷気が猿人の巣を包む。
「ぎぇあっ!」
木の枝を積んだ巣の1つ1つから、1体ないし2体の猿人が飛び出して来る。
つまり、いきなり40体前後の猿人が姿を現したのだ。
しかし、猿人たちの黒い体毛は霜に覆われており、動きはひどく鈍い。氷結の魔法が利いているのである。
そこに、カゲロウさんが踊り込んだ。
いつの間にか、その右手には真っ赤な魔剣。創造魔法で作り出した物だ。
「ひゅっ!」
鋭い呼気音とともに、長大な刃が旋回。
猿人たちの首が、3つ同時に斬り飛ばされる。
何度見ても、現実離れした腕前だ。その域を目指そうとか、手本にしようとか、そんな気持ちがこれっぽっちも起きないぐらいである。
僕が参考にするのなら、まだカグラさんの方だろう。
繰り出される攻撃を、金属盾で受け止め、いなし、長剣での鋭い一撃を送り込み、確実に猿人の数を減らしていく。
盾を使う気のない僕だけど、カグラさんの安定した戦いぶりは、当面の目標にしたいぐらいだ。
そして、2人がそんな調子なので、僕にはやる事がない。
仕方がないという訳ではないけど、接近感知の魔法をかけて、他の方向から猿人が来ないか気にしておく事にする。
「レーヨン・マリチャギ・ンギ・ンギ・ド・マリチャギ・・・」
やはり、呪文を詠唱して使える攻撃魔法が欲しい。
雷球の魔法があるのはあるけど、それを使うのに、僕の魔力量はまだ足りていない。
「・・・イマーナャ・レブ・レブ・スウィンガー」
魔法が発動され、周囲の状態が読み取れる様になる。
樹木。
樹木。
カグラさん。
猿人。
カゲロウさん。
魔剣。
接近感知の魔法を通して見ると、カゲロウさんの魔剣の放つ魔力の強さがよく分かる。
その強さは、カゲロウさん自身の強さだ。
さすがは魔鉄級冒険者というべきか。
樹木。
樹木。
猿人。
猿人。
樹木。
えんじ・・・ん・・・?
何だ? 猿人みたいだけど、それ以上の何かがいるぞ?
魔法の効果範囲より外側にいるせいで、そいつが「いる」としか感じられない。
でも、魔法の効果範囲外にいながら、そいつの存在がはっきり視える。
「カグラさん! カゲロウさん! 奥に、強そうなのがいます!!」
「――――!?」
2人からは何の反応も返って来ない。しかし、2人の放つ魔力が瞬間的に膨らんだ。猿人を屠る速度が、一段と上がる。ちゃんと聞こえたと見て、間違いない。
やたら存在感を主張している猿人は、2人に任せて大丈夫だろう。
僕は引き続き、接近感知の魔法にて周辺警戒を行う。
しかし、こうなるのだったら、もっと攻撃用の紋様を用意しておきたかった。正直、雷縄1枚だけでは、かなり心許ない。全身が異常な緊張感に捕らわれて、ガチガチになっている。
「くそっ、吐きそうだ」
猿人1体ぐらいならともかく、この数は怖い。カグラさんとカゲロウさんの連携が崩れて、5~6体の猿人がこちらに漏れて来ただけで、僕はお陀仏である。
そして、それより怖いのは、じっとカグラさんたちの戦いを窺っている存在感の強い猿人だ。
怖い。
本当に怖い。
自分が怖がっている事に気づいた今、震えが止まらない。
これ以上、数が増えてくれるなよ。
頼むから、このままカグラさんたちに掃討されてしまってくれ。
お願いだか・・・。
僕たちの背後から、3体の猿人が突っ込んで来るのが視えた。
反射的に、雷縄の紋様を投擲。
羊皮紙から発した紫電の索条が、3体の猿人に絡みつく。
「ぎぇああああっ!!」
3体の動きが止まる。
やれるか? 雷縄に縛られているとはいえ、相手は3体。僕に、なんとかできるのか?
カグラさんたちに一瞬視線を向けると、向こうは向こうで、陰から存在感を発揮していた奴に襲いかかられたところだった。
でかい。おまけに腕が4本あって、全ての腕に武器を持っている。明らかに、ヤバそうな手合いだ。あれとやり合うぐらいなら、猿人3体を相手にした方が、はるかにマシだと思えるぐらいに。
心の中でカグラさんたちに声援を送りながら、僕は一番近い猿人の首に短剣を突き刺した。
硬い筋肉を突き破り、刃が猿人の身体に潜り込んでいく。
強化系の魔法がかかっていないせいで、その感触がひどく生々しい。
刺した短剣を乱暴に引き抜くと、傷口から血を噴き出させながら、猿人が倒れ込んだ。
まずは、1体。
雷縄の光が薄まり始める。
急いで2体目に近づく。
しゃがみ込んでいる背中。ちょうど、いい。短剣を振り下ろす。
ブツッという音とともに、短剣が深々と猿人の背に突き立った。刃が根元まで埋まっている。致命傷だ。
猿人が崩れ落ちる。
これで、2体。
が。
2体目の身体が痙攣を起こした途端に、僕の手から短剣が離れてしまう。
まずい!
雷縄から解き放たれた3体目が、僕目掛けて片手を振った。
風が唸る。
しかし、ただの牽制だ。
でも、そう気づいた時には、僕は後方に飛び下がった後だった。短剣を2体目の背中に残して。
完全に雷縄の光が途絶える。
武器はない。
攻撃用の紋様もない。
使える手段は、魔法だけ。
と言っても、何を使えばいい?
雷球なら猿人を倒せるだろうけど、僕では魔力が足りない。
着火は、猿人の体毛に火を付けるだけだ。そのまま向かって来られたら、お終いだ。
通雷は、雷縄より弱い雷を出すだけ。瞬間的に猿人の動きを止めるぐらいは出来るかも知れないけど、とどめが刺せない。
あれ? お手上げ?
雷縄のダメージが残っているうちに何とかしないと、本当に僕の生命が危険だ。
カグラさんたちに、期待は出来ない。
背後から、猿人の恐ろしい唸り声と、肉を打つ音や木々がへし折られる音が、盛大に聞こえて来るのだ。例の猿人が、暴れまくっているらしい。
そちらの戦いが気になるのは確かだけど、僕は目の前の1体の猿人から目を離せない。
何か、何か打つ手はないか?
あ。こいつ、そろそろ動ける様になってきたみたいだぞ。
仕方ない。時間がかかりそうだけど、通雷の魔法を連発して少しずつ体力を削っていくしかないか。その間、1発も殴られる訳にいかないけど。
通雷の呪文を唱えようとして。
思い出した。
カゲロウさんの創造の魔法を。
まだ一度も試してないけど、猿人を倒せる可能性があるとしたら、これしかない。
「ゥル・ヴリル・サル・サヒリ・トム・カジャルヴ・・・」
あんな魔剣が作り出せたら、猿人の1体ぐらい簡単に倒せてしまうだろう。
でも、この魔法を使うところをカゲロウさん自身に見られるのは、まずい気がする。思い切り詮索されそうだ。
「ボーサゥ・ドゥリーバ・ナルシーヒミダス・マジ・マジ・ルム!」
呪文を唱え終わった瞬間、ごっそりと魔力が持って行かれる。
そして自分の右手が、ここではない場所と繋がったのが分かった。
何だ、この感覚?
この得体の知れない場所に、魔剣が隠されているのか?
狼狽えている場合ではない。
こうしてる間にも、猿人が近づいて来ようとしているのだ。
魔剣だ。魔剣が欲しい!
僕の右手が剣の柄を掴む。
これか!
引き抜こうとして。
それは、ビクともしなかった。
僕の魔力が足りないのだ。
愕然とする。
駄目なのか? この不思議な場所から、引き出せる力はないのか?
猿人が迫って来ている。
カゲロウさんの持っている様な、あんな凄い魔剣じゃなくていい。さっきまで僕が手にしていた短剣でいい。
武器を!
「ぐぎゃる!」
何かを感じたのか、猿人が必死な雰囲気で、僕に向かって跳躍した。
両の手の爪が、僕の肩口を狙う。
死地。
僕の右手が、空中から「それ」を抜き放つ。
迸る魔力。
猿人の爪をかいくぐりながら、僕は「それ」を横薙ぎに一閃させた。
肉を裂いた感触は、ない。
猿人の肉弾攻撃をかわした僕は、猿人の次の動きに備えて、身構えた。
右手には、真紅の小さなナイフ。
持っているだけで、どんどん魔力が喰われていく。
もう、数秒しか保たせられないだろう。
最後は、こちらから仕掛けるしかない。
が。
着地したまま動きを止めていた猿人の腹から、ずるりと臓物がこぼれ落ちた。遅れて、猿人も倒れ込む。
刃渡り5~6センチのナイフが、猿人の腹を切り裂いていたのだ。
「やれたのか・・・」
僕の気が弛んだ途端、真紅のナイフは、空気中に溶ける様に、その形を失わせた。恐ろしいまでの切れ味を発揮してくれたナイフだが、創造するのはもちろん、形を保たせるだけでも大量の魔力を消費する様である。僕では、瞬間的にしか使えそうにない。
あんな巨大な剣を作り出して、延々と戦い続けていられるカゲロウさんは、掛け値なしの化け物だ。
しかし、そのカゲロウさんと対等に渡り合っていられるとは、相手の猿人は更なる化け物である。
猿人の死体から短剣を回収しながら僕が見たのは、カグラさんたちと戦う、体長2メートルを軽々と超える異形の猿人だった。
全身の体毛が真っ黒なところは他の猿人と同じだけど、腕が4本付いてるおかげで、全く別の生き物に見えてしまう。
しかも、冒険者から奪い取ったのか、上の腕には斧と戦槌、下の腕には剣と盾を持っているのだ。おまけに、胴当てと籠手さえ身に着けている。
盾で魔剣の攻撃を阻まれ、大上段から斧や戦槌を振り下ろされては、カゲロウさんの化け物ぶりも形無しだ。
カグラさんはその拮抗を崩そうと、死角から攻撃を繰り返しているものの、4つ腕猿人は長い尻尾や足までを腕同様に操って、それを凌いでいる。7つ腕と言ってもいいぐらいだ。
僕が効果的な一撃を入れられれば、その拮抗も崩せるのだろうけど、その手段がない。
通雷の魔法を当てようにも、嵐の様な三者の戦いに近づくのは自殺するのと同じだし、通雷をかけた投げナイフを投げたとしても、あんなに動き回ってる猿人に命中させる自信はない。
間違ってカグラさんたちに当てちゃったら、大変な事になる。
「一体、どうすれば・・・」
カグラさんたちと4つ腕猿人の戦いを気にするあまり、僕は自分に課した役割を忘れてしまっていた。
周辺の警戒である。
気づいた時、そいつは僕のすぐ後ろに立っていた。
「――――!?」
慌てて距離を取る僕。
しかし、そいつは僕の事など、まるで気に留めていない様だ。
面白そうに口元を歪めたまま、カグラさんたちと4つ腕猿人の戦いを眺めている。
「大シタ腕前ダナ。アイツト対等ニ戦ウトハ」
喋った!?
体長2メートル超。4つ腕。両腰に2振りずつの剣を吊った猿人。その体毛は、美しい銀色だ。
膝を震わせながら、僕は呆然とその猿人を眺めるのだった。