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魔鉄級と知り合った日

 突然、視界が明るくなった。

 森を抜けたのだ。

「止まるな! 走れ、走れ!!」

 ムラサキたちが足を止めてしまわないように、言葉でその背中を押す。猿人たちが森から出て来ないなんて勝手に期待していたら、手酷い痛手を食らうことになるだろう。

 

 4人が素直に街に向かって走り続けているのを見た僕は、聴雷の魔法を使う。

 全力疾走をしながら呪文を正確に唱えるのは、本当なら難しいことだ。だけど、筋強化の魔法が利いているせいか、呼吸が安定しており、問題なく魔法は発動してくれた。

 僕の背中から発した弱い雷が、後方から迫る猿人たちの動きを捉える。やはり、猿人たちは躊躇なく森から出て来ているようだ。

 と言うより、もう僕に追いつきそうな奴がいる。

 伸ばした手が、すぐそこまで――――。

 

 振り向いた僕の右手が閃く。

 すっ飛んで行く、猿人の片腕。

 走りながら無理やり振り返ったせいで、僕は大きく体勢を崩した。地面に身体を打ちつけ、激しく転がる。

 回転の勢いを利用して立ち上がると、目の前には猿人の顔が大写し。

 雷縄の羊皮紙を投げ、左に横っ飛び。

 視界の隅で激しい光の明滅。

 雷の索条に身を灼かれた猿人が、悲鳴を上げる。


 しかし、それとは別の猿人が、転がった僕に掴みかかって来た。

 転がったまま短剣を振るう僕。

 手のひらを裂かれた猿人が、怒りに顔を歪めながら飛び退く。

 僕は慌てて起き上がると、目の前の猿人に短剣を向けて威嚇しながら、周囲の様子を窺った。

「5体か・・・」

 どうやら、片腕を斬り落とした奴を含めて、5体の猿人が森を出て来ているらしい。


 まだ、森からそう離れている訳ではない。

 森の中から様子を見ている猿人が、何体もいるかも知れないのだ。迎え撃つと決めはしたけど、森から少しでも離れた方が良さそうである。

 僕の背筋を冷たい汗が流れた。

 こうなったら、猿人に手傷を負わせながら、少しずつ街に近づいていくしかない。

 もう、氷結のような攻撃魔法の紋様が残っていないのが辛い。

 

 さっき雷縄を食らわした奴は、毛皮が焼け焦げになって、後ろに下がった。そいつが元気を回復するまでに、もっと攻撃を仕掛けたい。

「ボルス・ブロイス・リグラ・リグラテ・・・」

 猿人たちの動きが止まっている間に、僕は着火の呪文を唱える。

 手のひらを傷つけた猿人の頭部の体毛が、燃え上がった。


「ぎげっ!?」

 自分の頭の炎を、大慌てで消そうとする猿人。頭を激しく振りながら、飛び跳ね回る。

 僕は一気にそいつに駆け寄ると、脇腹に短剣を滑らせた。

 斬撃強化の効果が残っている短剣は、猿人の毛皮を易々と切り裂いてくれる。

 (ほとばし)る鮮血。

 猿人は頭を燃やしながら、その場に膝をついた。


 1体は、確実に戦闘不能だ。

 ホッと息を吐きかけた時、2体の猿人が飛びかかって来るのを、聴雷の魔法が感知。

 よけ切れない!

 とっさに僕は、そのうちの1体に向けて短剣を突き出した。反対側には、目潰しの紋様を投げる。

 右手の短剣が、猿人の身体に潜り込む感触。

 同時に目潰しの光が弾けたと思ったら、左肩の辺りをぶん殴られた。衝撃とともに、軽々と吹っ飛ぶ僕。


「がはっ!!」

 自分の身体の中で聞こえたボキッという音。折れた。確実にどこかの骨が折れた。

 目潰しをかけた猿人の振り回した腕に、殴り飛ばされたらしい。

 痛みは、遅れてやって来た。2体の猿人の様子を確かめようとした瞬間、呼吸が止まるような激痛が襲いかかって来たのだ。

 もう、唸ることしか出来ない。


 地面に臥したまま、なんとか視線だけを動かして、猿人の動きを見る。

 短剣を刺した方は、僕と同じように地面に倒れ、苦しんでいた。狙いも付けずに突き出した短剣が、運良く奴の喉を(えぐ)ったらしい。

 そしてもう1体は、一時的に視力を失って、無闇矢鱈に両腕を振り回している。こいつの視力が戻るまでに、なんとか片を付けないといけない。


 僕はもがきながら、懐から紋様の羊皮紙を掴み出した。

 傷を治す法術の紋様――――。

 レイアーナさんが緊急用に持っていたのを写した分だ。しかし、1枚きりしかない。自分自身が法術を使えるので、特に必要がないと思い、1枚しか描かなかったのだ。

 でも怪我をした状態では、呪文もまともに唱えられなくなるのだから、もっと沢山用意しておくべきだった。宿に帰ったら、さっそく複写にかからないといけない。


 紋様の効果が出ると、再び身体の中でポキポキと骨の鳴る音が聞こえたと思ったら、急に呼吸が楽になった。痛みも薄まった。

 僕は、音を立てないように、そっと起き上がる。

 身体が重い。

 ダメージを受けたせいか、それとも時間切れなのかは分からないけど、筋強化の魔法が切れたようだ。知覚強化と斬撃強化も切れてしまっている。

 それでも、やるしかない。視力を失っている奴の背後から近づいて、首筋に短剣を刺すぐらいは、強化魔法抜きでもやれるだろう。


 猿人がこちらに背中を向けた瞬間、僕は一気に駆け出して、逆手に持った短剣を首筋目掛けて振り下ろした。

 ガツンという手応え。

 短剣の刃が、首の骨に食い込んで、止まる。力いっぱい突き込んだ刃が硬い骨にぶつかった反動で、短剣から両手が離れてしまう。

 よろめく猿人。

 その首の短剣を回収しようとした僕は、両手が痺れていることに気づいた。

 ひとまず、猿人と距離を取る。


 首を骨まで届くほどに刺されたのだ。放っておいても、猿人は倒れるはずである。て言うか、そうでないと困る。法術で傷は癒やしたものの、身体の芯が異常に重い。これ以上戦うのは無理そうだ。

 攻撃用の紋様は残っていない。短剣も手から離れている。身体もガタガタ。これだけは枚数が残っている目潰しの紋様を握りしめながら、僕は着火の詠唱を始める。

 雷球の魔法が使えたら心強いのだけど、やはり魔力が足りていないようだ。魔物を倒したら魔力が増えると聞くけど、僕がこれまで倒したゴブリンやオークでは、まだ数が足りていないらしい。


 首筋に短剣を突き立てた猿人が、がっくりと崩れ落ちた。

 膝を折り、地面に手を付き、ぶるぶると身を震わせる。

 どうやら、とどめは必要なさそうだ。そう思った僕が、着火の詠唱をやめた瞬間、横手から巨大な影が覆い被さって来た。

 もちろん猿人だ。

 片腕を斬り落とした方の奴である。

「しまった!」


 とっさに背後に跳ぼうとした僕は、太ももの辺りに衝撃を受け、大きく吹き飛んだ。

 上下左右が分からなくなった後、僕の身体は激しく地面に打ちつけられる。

「うっ!」

 それでも逃げようとする僕の足を、猿人の残された腕ががっしりと掴む。


 やばい!

 なんとか猿人の腕を振り解こうとしても、人間とは比べものにならない握力は弛む気配がない。逆に強まった握力が、僕の足を握り潰そうとする。

 痛い! 痛い痛い! 掴まれた足が千切られそうだ。いや、それどころか、猿人が噛みついて来ようとしている。

 目潰しの紋様!


「ぎゃっ!!」

 光をまともに受け、大きく仰け反る猿人。

 が、それだけだ。僕の足を掴んだ手を離そうとはしない。

「ボルス・ブロイス・リグラ・リグラテ・・・」

 着火の呪文。

 もう、他にやれることは残っていない。これが通用しないと――――。

 掴んだ足を振り回された。

 呪文が途切れる。使われようとしていた魔力が、意味を与えられずに霧散して行く。


 駄目だ。

 掴まれた足が、ぶちぶちと音を立てる。

 激痛。

 迫る死の予感。

 目が見えないまま、猿人が僕の身体を引きずり寄せた。

 猿人の牙が光る。

 生臭い息。


 突然、その猿人の首が落ちた。

「え?」

 ボタリと地面に横たわった猿人の顔が、そんな表情になっている。そして、僕も同じ表情を浮かべていたはずだ。

 首を失った猿人の胴体が、ゆっくりと横倒しになって行く。

 その向こうに見えたのは。

 青いコートをまとった、凛とした風貌の少女だ。

 その手にあるのは、真っ赤な剣身が美しい長剣。刃からは、ゆらゆらと陽炎が立ち上っている。


「生きていますか?」

「お、おかげさまで・・・」

「そのまま、待っていなさい」

 僕と年齢の変わらない少女だが、他人に命令することに慣れた毅然とした物言いだ。青銀色の髪に青い瞳。エルフのレイアーナさんとは、また違う雰囲気の美しさを持つ少女である。


 少女は、自然な足取りでまだ息のある猿人に近寄ると、真っ赤な長剣を閃かせた。

 何の抵抗もなく斬り落とされていく猿人の首。

 いくら猿人たちが動きを止めているとは言え、そんな簡単に斬り落とせるものじゃないはずだ。嘘のような光景である。

 とりあえず、少女に気づかれないうちに、法術で足の治療をしておく。


 少女が5体の猿人の首を落としたところに、また1人の人間が追いついて来た。

 全身鎧姿の衛兵だ。

 見覚えがある。カグラ・ゼノビア。マモーンさんがらみの事件の時に関わった衛兵の少女だ。

「カゲロウ、大丈夫ですか?」

「問題ありません。それより、その少年をお願いします」

 少女の名は、カゲロウというらしい。森に向け、鋭い視線を送り続けている。


「あ。貴方は・・・」

 僕に近づいて来たカグラさんが驚きの声を上げる。

「こんにちは、カグラさん。また、助けられちゃいましたね」

 座り込んだまま、僕はカグラさんに頭を下げた。

「アグニさんでしたか。ちょうど、こちらに向かっている時に子どもたちに出会いまして」

「じゃあ、ムラサキたちは、無事に逃げられたんですね」

「きっと、まだ途中で待ってるわ。送りますから、一緒に戻りましょう」


「1人で帰れるから大丈夫ですよ。何か用事があるんでしょう?」

「いや。今日の用事は終わった。一緒に街に帰ろう」

 そう言って、カゲロウさんが近寄って来た。

 なぜか、その手に赤い長剣がない。腰に吊られているのは、全然サイズの違う小剣だ。どこへやった?

 僕が疑問の目を向けても、カゲロウさんはまるで気にした様子を見せない。


「さあ。ここにいて、あの猿どもが出て来ても面倒だ。さっさと行こう」

「は、はい」

 カゲロウさんの問答無用な言葉に押されて、僕は立ち上がった。

 やはり身体は重いけど、歩くだけなら問題なさそうだ。

 猿人の死体から短剣を回収すると、カグラさんとカゲロウさんに守られながら、僕は街に向かう。情けない有り様だけど、2人がいてくれて、安心してしまっているのも事実だ。


「アグニくんと言ったか? あの5体の猿どもは、君が1人で?」

「はい。結局、勝てませんでしたが・・・」

「君、私たちに雇われないか?」

「え? どういうことですか? カゲロウさんの腕があれば、僕なんて必要ないと思いますけど」

「普段、はぐれの森で薬草採集をしているのだろう? 森の中の案内をお願いしたいのだ」


 いきなり、カゲロウさんが予想外のことを言い出した。

「あの、薬草採集を始めたのも最近ですから、そんなに森に詳しい訳ではないですよ?」

「その最近の情報が欲しい。猿人が出るようになって以来、はぐれの森に入る人は、ほとんどいなくなってしまったのだ」

「ええっ、そうなんですか!? 全然知りませんでした・・・」

 驚きの事実を聞かされて、僕は絶句してしまう。

 

 カゲロウさんが言うには、数ヶ月前からはぐれの森で猿人が出没するようになって、さらわれたり、襲われて死ぬ者まで出て来たため、この1ヶ月ほどは薬草採集はロクに行われていなかったという。

 そんな中、冒険者に成り立ての僕は、何も知らずにはぐれの森に入っては、独占的に薬草を集めていた訳だ。

 そりゃ、薬草採集だけで儲かるはずだよ・・・。


「どうかしたか? 何か落ち込んでいるようだが?」

「いえ。猿人が出て危ないって話、冒険者ギルドで誰もしてくれなかったなと思って・・・」

「そんなことを言っているようでは、すぐに死ぬことになるぞ。自分の身は自分で守りなさい」

「そ、そうですね・・・」

 ギルドでは、受付のサミーさんにしろ、納品所のおばさんにしろ、ずいぶん好意的に接してくれているように感じていただけに、ちょっと傷ついてしまった僕だった。





「それで、森に入って何をする気なんですか?」

「もちろん、猿人退治だ。他の仕事が片付くのに時間がかかったので、着手するのが遅くなってしまったが」

「猿人退治は調薬ギルドから依頼されていた依頼なんですが、カゲロウ以外に受けてくれる人がいなかったのですよ」

 そこで、カグラさんが説明に加わる。

「え、どうしてですか?」

「推測される猿人の数に比べて、調薬ギルドの提示する報酬が少なかったのですよ。まだ、猿人から高価な素材が採れるのなら良かったんですが、それもありませんからね。

 そんな仕事を引き受けてくれるのは、ウェイカーンではカゲロウぐらいなの」


 僕の脳裏にはテュールさんたちの顔が浮かんだけど、普段から黒い森に籠もっているテュールさんたちは、この依頼そのものを知らなかったのかも知れない。

「でも、猿人がどれぐらいいるのか分かりませんけど、お2人だけで大丈夫なんですか?」

 正直、案内に行って生命を失うのは勘弁して欲しい。

 カグラさんには、ブロアー氏の剣から守ってもらった恩があるだけに、協力したいのは山々なのだけど、好き好んで死にたくないというのが本音だ。


「アグニさんは、カゲロウのことを知りませんか? ウェイカーンでただ1人の魔鉄級冒険者であり、創造の魔法の使い手である『紅剣のカゲロウ』と言えば、ちょっとした有名人ですよ?」

「魔鉄級の・・・? ぼ、僕、冒険者になったばかりで、そんなことも知らなくて、ごめんなさい!」

 金級のテュールさんたちより更に1つ上の魔鉄級の登場に、僕は狼狽えてしまう。銅級の僕からしたら、はるかに実力の違う戦士を目の前にして、緊張するなと言う方が無理な話だ。


「アグニくんは、まだ銅級か? 猿人との戦いぶりからしたら、銀は行っていると思ったが」

 そう言って、魔鉄級のカゲロウさんが驚いた表情をしてくれたのは、嬉しかった。でも、紋様魔術を使えば、誰だってあれぐらい戦えるだろう。むしろ、それでも5体ともを倒せなかった自分が恥ずかしいぐらいだ。

「さっきの戦いは、けっこう反則も使いましたから」


「紋様のことを言っているのか?」

「気づいてましたか?」

「目潰しの紋様を使うのは、駆け寄って行く最中に遠目に見えた。では、他にも紋様を使ったと?」

「そういうことです。だから紋様を使わなければ、僕なんて猿人1体も倒せませんよ」

「そうは思わないが、まあいいだろう。

 それより、案内の件は受けてくれるか? 猿人を目撃したような場所があれば、教えて欲しいのだ」


 僕が紋様を使ったということについて、カゲロウさんは突っ込んで来ようとはしなかった。意味深な目で見られたけど、魔鉄級の人間が何を考えているのかは、僕には予想も付かない。

 でも、カゲロウさんが魔鉄級であるなら、案内ぐらいしても良さそうだ。猿人ぐらい簡単に蹴散らしてくれるのだろう。

 見た目は、まるで逞しくもない綺麗な女の子なのに、どんな生き方をしたら、10代半ばで魔鉄級になどなれるのか? カグラさんの言った創造の魔法というのに秘密があるのかも知れない。

 そして、その魔法の呪文を耳にする機会があるのなら、断じてこれを逃すべきではない。


「分かりました。案内役、引き受けます」

 僕はカゲロウさんにそう答えた。

 

 


 

 


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