冒険者登録をした日
冒険者ギルド――――。
薄汚れたスイングドアの前で、僕は小さく溜め息を吐いた。
昨日までは、この場所で依頼を発注する側だったのに、今日からは依頼を受ける立場になるのだ。
まあ、発注する側だったと言っても、依頼を持って来るお使い役なだけで、依頼主だった訳じゃないけどね。
僕――――アグニは、昨日までは、とある医術士の屋敷で下働きをしていた。
その医術士、ガミア先生が亡くなったのは、5日前のこと。
ガミア先生は名の知れた医術士だったせいもあり、葬儀も含めてその後やらないといけない事がいっぱいあった。そして、てんてこ舞いの4日間を過ごしたと思ったら、僕はいきなり解雇されちゃったのである。
ガミア先生の弟子だったマモーンさんの憎たらしい声が、まだ耳の奥に残っているようだ。
意を決して、冒険者ギルドのスイングドアを押す。
建物内に入ると、獣くさい臭いとガラの悪い視線が僕を出迎えてくれる。これが初めて来たんなら、ビビって回れ右していたところだ。8才のときに初めて先生に連れて来られた時は、そりゃ怖かったことを思い出す。ちなみに、今はもう15才になっている。
体温の高そうなオッサンたちをかわしながら、受付カウンターに向かう。
「あら。アグニくん、今回は大変だったわね。でも、もうお仕事再開なの?」
カウンターにいたのは、栗色の長い髪が綺麗なサミーさんだった。依頼を持って来た時に、何度も受付をしてもらったお姉さんだ。
「いえ。今日は、登録に・・・」
「登録? 何かの修行?」
「うーん、なんて言うか、転職?」
「は?」
事情を説明すると、途端に悲しげな表情になるサミーさん。「あのブタ野郎」なんて小さな声が聞こえて来る。マモーンさんは貴族の出なせいか、やたら偉そうなので、ギルド職員たちに評判が悪い。
「とにかく、冒険者登録だけお願いします」
下働きの間に貯めた小銭があるとはいえ、僕には早急に生活費を稼ぐ手段を手に入れる必要があるのだ。
「アグニくんて、読み書きも算術もできるでしょ? ガミア先生の取り引き先とかで雇ってくれそうなものだけど」
「あー、それも全滅で・・・」
昨日、全ての取り引き先から、僕は下働きのお願いを断られていた。
「まさか、それもマモーンのブタ野郎が手を回して?」
「多分・・・」
「あの野郎・・・!」
サミーさんの表情が怖い。
「まあ、分かったわ。でもアグニくん、腕に覚えは?」
「ありません」
「そうよね・・・」
身長ばかり高い華奢な僕の身体を見ながら、サミーさんが失礼な相づちを打つ。
農家の生まれなのに読み書きができた僕は、小さな頃から屋内での下働きばかりやっていて、ロクに農作業もしたことがない。おかげで、かなり筋肉が足りない人間になってしまったのだ。
「でも、薬草関係の採集なら、自信がありますから」
「そうね。ブタ野郎がガミア先生の後を継いだんなら、医術所が1軒潰れたも同然だものね。ギルドでも薬剤の準備だけでもしておかなきゃ」
サミーさんは納得すると、やっと登録の準備を進めてくれた。
必要な事を書類に記入すると、30分ほど待たされてから、僕の名前が彫られた銅のプレートができあがる。プレートには紐が通されていて、首から下げられるようになっていた。
「まずは、銅級からの出発よ。そのプレートを見せたら、冒険者ギルドのある街なら、入場税なしで街に入れるわ。ギルドの依頼をこなしたり、ギルドとの売買をして、貢献値が上がれば等級も上がるけど、これは簡単なことじゃないから、説明は追々してあげる」
言いながら、サミーさんが僕に依頼書を渡す。
「じゃ、各種薬草の採集をお願いするわ。それでいいのね?」
「はい。しばらくは薬草採集で、地道にお金を貯めようと思いますから」
「それがいいわ。でも、街の近くでも魔物が出ることはあるから、早めに武器は買っておきなさいね」
「分かりました。では、とりあえず行ってきます」
そして、僕の冒険者生活は始まった。
僕の住むウェイカーンという街は、とても田舎にある小さな城塞都市だ。
街から目と鼻の先には、黒い森と呼ばれる大森林があって、そのまま魔境に繋がっているという。
魔境というのは、ゴブリンやオークといった魔物たちが無尽蔵に湧いて出て来る世にも恐ろしい場所だ。僕なんかは、興味半分でも近づく訳にはいかない。粋がって森の奥に踏み込んで行って、2度と帰って来なかった人を、何人も知っているんだ。
でも、腕の立つ冒険者にとっては、話は別。
魔物が身に着けているアクセサリーや武器は未知の素材が使われていることがあって、いいお金で売れるらしい。
おかげで、ウェイカーンには多くの冒険者が集まっている。
皮肉なことに、恐ろしい魔境が近くにあるおかげで、ウェイカーンという街は生きていくことができているんだ。
僕が向かうのは、黒い森とは反対の方向にある小さな森。
名前は、はぐれの森という。
黒い森とは繋がっていないので、魔物に出会う心配はほとんどない。ウェイカーンの住人が薬草や木の実を集めたり、薪を拾いに行くような所だ。
森の中に入ると、一気に視界が暗くなる。足元も、僕の膝ぐらいまでの草が生い茂っていて、とても歩きにくい。
そんな中で役に立つ植物を見分け、一定量を集めるのは、実はかなり難しいことなんだ。薬草採集で儲けられる人間なんて、ほんの一握りである。
医術所で下働きをしていたせいで、定期的に薬草採集をやっていた僕は、かなり例外的な人間だと思う。
藪の中に分け入ると、早速エイダソウが見つかった。
エイダソウは、葉っぱからの抽出液が、傷の治りを早める塗り薬になる。
そして、解熱効果のあるタミルソウ。化膿止めになるサグエルダケ。痛み止めが作れるガマンソウとアブラナソウ。次々と見つけては、腰から下げた袋に放り込んでいく。
でも、できるなら、もっと高額で取り引きされる薬草を見つけたいところだ。魔力増加を促進させるスノウダケとか、心臓の働きを高めるチョコフグリの実とか。
医術所にいたときは、どれだけ希少な薬草を採集しても、先生にホメられてお終いだったけど、今は違う。スノウダケを1個見つければ、短剣を買えるぐらいのお金にはなるはずだ。
思い切って、森の奥に入って行くことにする。
今の僕は、武器1つ持っていない。服こそ厚手な麻の上下なので、森に入るのは問題ないけど、獣や魔物と戦うなら、革の装備ぐらい欲しいのだ。
そして僕は、薬草採集に慣れているということ以外に、高価な薬草を見つけ出す手段を持っている。
僕は、ガミア先生の所へ下働きに出るまでは、村に住む魔女の婆さんの手伝いをしていたんだ。
婆さんの村での役割は、産婆と薬士と失せ物探しだった。
そんな訳で、僕の薬草採集の経験は5才のころに始まるんだけど、そのとき婆さんに探し物を見つける魔法を教えてもらったのである。
探し物魔法。婆さんは、そう呼んでいた。
魔法は、大きく3つの種類に分けられる。
魔術、法術、紋様魔術の3つだ。
呪文を唱えて、様々な現象を起こすのが魔術。
やはり呪文を唱えて、人を癒やすのが法術。
呪文の代わりに紋様を使うのが、紋様魔術。
探し物魔法は、魔術ということになる。
周囲を見回して誰もいないことを確認し直すと、僕は呪文を唱え始める。
「リグ・リグ・ヴェルダ・タラヒム・ガイユーサ・リグ・・・」
意味など分からない。
ただ、呪文を正確に唱えると、その効果はもたらされる。それをもたらしてくれるのは、神様だ。
僕を中心に魔力の網が広がって行き、“何か”を探し出そうとする。
その“何か”を、“スノウダケ”に設定。
薄く広がった魔力の捉えた光景に、僕は“目”を凝らす。
現実の“目”じゃない。
自分で広げた魔力の網を見るためだけの魔法の“目”だ。
このとき、現実の光景と魔法的な光景は重なって視える。
頭と目がきりきりする痛みに堪えながら、視線を凝らし続ける。そして、探す。探す。探す。
僕の探し物魔法が届く範囲は、おおよそ20メートル。
その中に2ヶ所、反応があった。
これは、運がいい。経験的にスノウダケが生えていそうな植生だとは思ったんだけど、1回目の魔法で2個のスノウダケが見つかるなんて、そうそうあることじゃない。
慎重に場所を見定めると、魔法を解除し、僕はスノウダケの回収に向かった。
結局、スノウダケは6個も採れた。
これなら、短剣どころか小剣だって買えるだろう。そして、安い宿にしばらく泊まれるはずだ。
ただ、小剣なんて買ったって、使える気がしないけど。
でも、どうせ冒険者をやるからには、剣の1つも振れるようになりたいものだと思う。
ギルドに着くと、納品所に薬草を持って行く。
納品所と冒険者登録をした事務所とは、別々の建物になっている。
獣や魔物の素材を持ち込む納品所は、とても獣臭いので、事務所とは一緒にはできない。
なお、事務所の隣には居酒屋があり、その隣には武器と防具屋、そのまた隣には薬や雑貨を扱う道具屋がある。納品所は、解体所と一緒になって、それらの裏手に、背中合わせに建てられている。
全て、冒険者ギルドの運営だ。中でそれぞれの建物が繋がっているらしい。
納品所のカウンターに採集品を並べると、受付のおばさんが「おやっ?」ていう表情を浮かべた。スノウダケの価値が分かる人のようだ。
「ちょっと待ってね。鑑定するから」
僕が採ってきた物は奥に運ばれて行き、しばらく待つと、1枚の書類になって戻って来た。
「アグニくんだっけ? あなた、薬草には詳しいの?」
「はい。今朝までガミア先生の所で下働きをしていましたから」
「あ、そういうことね」
それだけで、おばさんは僕の事情を察してくれたようだった。マモーンさんの悪評は、冒険者ギルドに浸透しているみたいだ。
「じゃあ、これからアグニくんが薬草を集めてくれるのね?」
「しばらくは、薬草でお金を貯める気です」
「本当? 期待してるわね」
期待されてしまった。
冒険者の中にも薬草採集専門の人がいるだそうだけど、どうしても知識が足りないそうだ。見分けの付く薬草の種類が少ないので、偏った種類の物しか採ってきてくれないという。
特に必要な薬草があるときは、その薬草の詳細な絵を添えて、依頼をかけるんだそうだ。
おばさんから渡された書類には、僕が採って来た薬草の名前とそれぞれの数、そして引き取り値段が書かれていた。
悪くない金額である。
その書類を持って、今度は事務所に向かう。
事務所のカウンターに、書類と依頼書を提出。これで、薬草の引き取り料と依頼の達成料がもらえるんだ。
なんと、金貨1枚以上になった。
僕みたいな貧乏人なら、これで1ヶ月は生活できるぐらいの金額だ。
「ご苦労様。初日にしては、上出来ね。急に大金が入ったからって、無駄遣いしちゃ駄目よ」
サミーさんに釘を刺されながら、僕は冒険者ギルドを出た。
宿を取る前に、武器を仕入れなければならない。獣や魔物の討伐をする気はまだないけど、護身用に武器ぐらい持っておくべきだ。武器も持っていない冒険者なんて、舐められても仕方ないからね。
そう、こんな具合に――――。
ギルドを出た途端に、柄の悪い男たちが、僕の行く手を阻んだ。
まあ、冒険者の9割方は、柄が悪いんだけど。
「坊主、なんだか楽しそうじゃねぇか」
素肌の上に革の防具を着けた髭モジャが、前に出て来る。すごく暑苦しい筋肉だ。頭はツルツルで、腰の両側に斧を吊っている。
「すいません。急ぎますので」
髭モジャをかわそうとすると、今度はカマキリそっくりの優男が立ち塞がった。
「おらおら、愛想のないことを言ってんじゃねぇよ」
ギルドに戻ろうかと思えば、そちらには子豚みたいな男がすでに立っている。
実に慣れた様子だ。普段から、こんなことばかりやっているに違いない。
「何か用があるなら、はっきり言ってもらっていいですか?」
「なんだ、見かけによらず鼻っ柱が強いじゃねぇか。いいだろう。お前、懐に金貨を持ってるだろ? そいつを、俺たちに寄越せよ」
勝手なことを言う髭モジャ。
もちろん、せっかく稼いだお金を、こんな連中に寄付していい訳がない。
「お断りします。では――――」
無理矢理カマキリ男の横を抜けようとすると、目の前に短剣が突き出された。
錆の浮いた不潔そうな刃が、視界いっぱいに広がる。
「うわっ!」
慌てて、飛び下がる僕。
まさか、ギルドの真ん前で刃物を抜くとは思っていなかなったのだ。
「な、あんたら、非常識すぎるだろっ!」
「何を甘ぇこと言ってるんだよ?」
髭モジャが顎をしゃくると、子豚男が後ろから僕を羽交い締めにする。
「ちょっ!」
「さあ、刺されねぇうちに金貨を出しな」
カマキリ男が、いやらしく笑いながら近づいて来る。
助けを求めて左右を見回すが、冒険者らしき男たちは、ニヤニヤしながら様子を見ているだけだ。冒険者たる者、これぐらい自力でなんとかしろということだろうか。
いや、本日が登録初日のいたいけな少年なんだから、助けてよ。
むう、仕方ない・・・。
「ボルス・ブロイス・リグラ・リグラテ・・・」
「ああん? 何をぶつぶつ言ってやがんでぇ!? 金貨、出すのか出さねぇのか!?」
「・・・ビブロイ・リグ・リグ・マイカート」
小声で呪文を唱え終わると同時に、髭モジャの髭が燃え上がった。そして、カマキリ男と子豚男の髪の毛も。
「うわっ! あつっ!!」
3人が大慌てで自分の髭や髪を叩く。
が、悪いけど、炎の勢いは強い。そう簡単には、消えやしない。
男たちが踊り回っているうちに、僕は走り出す。
武器を買うのは、別の日にしよう。それとも、別の店を探すか。なんにせよ、ギルドの武器屋に入れない。
なんて考えてる場合ではなかった。
いきなり足を払われ、僕は勢いよく地面を転がってしまう。
しまった。もう1人、仲間がいたのか。
回転が止まったと同時に起き上がろうとするが、左足の脛に激痛が走る。
「うがっ・・・!」
「魔法とはねぇ。油断も隙もない坊やだよ」
見上げると、色気過剰なおばさんが、僕を見下ろしていた。悪趣味な紫のローブ姿で、その手には身長ほどの魔法杖。その杖で足を払われたらしい。
「ボルス・ブロイス・・・」
「させないよ!」
魔法を唱えようとした僕の顔面に、魔法杖が打ちつけられる。
「ぶふっ!」
口の中に血の味が広がった。
やばい。
おばさんの向こうには、火を消し終えた3人が、こちらを睨む姿。
3人とも、髭と髪がボロボロだ。
意味不明なことを喚き散らしているが、とんでもなく怒っていることだけは伝わって来る。
「くそガキゃあっ!!」
髭モジャが斧を振りかざした。
完全に殺す気らしい。
こんなことなら、髭を燃やすなんて生温い真似をせずに、もっとひどい目に遭わしておくんだったのに。
そんな魔法、知らないけど。
しかし、おばさんが髭モジャを止める。
「どうせなら、着火なんて幼稚な魔法じゃなくて、本当の魔法を味わわせてあげるわ」
許してくれるのかと思ったら、そうじゃないようだ。自分の魔法を見せつけるつもりらしい。
「レーゼ・リグ・ラライマン・エケ・エケ・マリポ・・・」
聞こえよがしに、おばさんが呪文を唱え出す。僕を怖がらせたいのだろう。
「・・・スル・スル・ラライマン・ダルサーシュ・・・」
長い呪文だ。そして、韻律が複雑だ。
魔術や法術は、呪文が長ければ長いほど、韻律が複雑であれば複雑であるほど、その効果が大きくなる。
こんな強盗紛いのおばさんが、どこでそんな高度な魔法を習ったというのだろう。
「・・・スル・スル・リグ・レーゼ・ブロイマン!」
呪文を唱え終わったと同時に、おばさんが両手を頭上に差し上げた。
その両手の先に現れた光の玉。その玉から、バチバチと小さな稲妻が弾ける。
驚いた。雷系の魔術だ。もしかしたら、おばさんはけっこう名の知れた魔法使いなのかも知れない。
「さあ、覚悟しな!」
そんな雷の玉をぶつけられたら、金貨もどうにかなっちゃうんじゃないの? そんな僕の心の声は、おばさんに届きそうにない。
僕は懐から1枚の羊皮紙を取り出すと、おばさんの足元に滑らせた。
「!?」
おばさん、そして3人の男たちが、その羊皮紙を見た瞬間。
羊皮紙から強烈な光が迸った。
目潰しの紋様魔術。
その羊皮紙は、薬草採集の際に獣なんかに出くわすことに備えて持っていた虎の子の1枚だ。おばさんたちの目は、数時間役に立たないはずである。
まさか、こんな形で使うとは思わなかったけど。
金貨1枚以上かかってるけど。
とりあえず。
僕は、逃げ出した。
あちこち痛みはあるけど、今は全力疾走だ。
しかし。
冒険者って、思ったより過酷そうだなあ。
『冒険者デビューには遅すぎる?』も、よろしくお願いします。