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星詠みの巫女と幸運の星  作者: 青柳朔
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Episode2: 双子の星

 生まれてからずっと一緒だった。性格はまるで違うと言われ続けてきたけれど、俺にとってリゲルは、それこそもう一人の自分で、たぶんリゲルにとっての俺も、そうであったに違いない。生まれてからずっと一緒に生き、これから一緒に成長するのが当たり前だった。その当たり前がいつか崩れるなんて――そんなこと思ったことはなかった。

 その男は、突然やってきた。


「これがリゲル君の星です」


 リゲルが死んだ日の、夜のことだった。こっちはリゲルの死に頭がついてきていない。呆けていた俺の隣で、母さんはわざわざありがとうございます、などとお礼を言っているようだった。夜の闇に溶けてしまいそうな藍色のマントを着ている男が星拾い人だというのはすぐに分かる。その無骨な手のひらには柔らかな布に包まれたひとつの石ころがあった。まだ光を淡く残して、ぼぅっと輝いている。

 涙を落としながらその石ころを受けとろうとした母さんの腕を引き、男との間に割って入る。

「帰ってくれ。そんなもの受け取らない」

 きっぱりと言い切ると、男は予想もしていなかったかのように目を丸くした。その隙に玄関を閉める。

「リギル、あんたなんてことを……!」

 母さんが慌てたように玄関を開けようとするけど、背を押しつけて邪魔をする。内からも外からも開けられないように。

「あんな石ころがリゲルかよ! そんなわけないだろ! リゲルは死んでなんかない、死んでなんかないんだ! だからあんな石っころもいらない!」

 リゲルは奥の部屋のベッドの上で眠っている。そうだ、寝ているだけなんだ。そうに決まっている。だってそうだろう? 昨日までは元気だったのに、今日になったら動かなくなっているなんて。いつも繋いでいた手が氷みたいに冷たくなっているなんて。

「……嘘に決まっている」

 ずるずるとその場に座り込んで、俺は小さく声を漏らした。母さんが何か言っているけど、何も聞きたくない。誰かの嗚咽が聞こえて、それが耳障りだった。誰だよ、人のすぐ傍で泣いているのは。うるさい。うるさいんだよ。黙れよ、泣くなら余所に行ってくれ。耳を塞ぐようにしてそう願っても、嗚咽は止まらなかった。



 リゲルが静だとしたら、リギルは動だね。まるで違うのに、顔はそっくりだから不思議だよ。そんなことばかり言われてきた。確かにリゲルは読書とか好きだったし、毎晩日記を書くのを忘れなかった。勉強もできて、しっかり者の相棒。俺は本を読んでいると眠くなるし、三日坊主だし、勉強なんて大嫌い。外で駆けまわって泥だらけになって帰ってきた。忘れ物なんてしょっちゅうだったから、いつもリゲルに注意されてばかりだった。

「リギル、母さんに言われたもの買ってきたの?」

 夕暮れになって家に帰ってくると、庭先で本を読んでいたリゲルが声をかけてきた。

「あ」

 しまった、と俺は口をあける。はぁ、とリゲルがため息を吐き出した。外に遊びに行くって言ったときに、母さんに頼まれたことをすっかり忘れていた。

「おまえはうっかり者すぎるよ、リギル。メモをとる癖くらいつけたら?」

「ええー、いいよめんどくさい。おまえが覚えているからいいじゃん。俺たちいっつも一緒だし」

 そう笑うと、リゲルは決まって仕方ないなぁ、と言った。

「そうだね、僕が覚えているからいいよバカリギル」

 ほら、今から買いに行こう。そう言ってリゲルが立ち上がる。こうしてリゲルが呆れたように笑って折れるのも、いつものこと。

「リゲルはまめだよなぁ。日記も欠かさず書いているじゃん。何年続いているんだっけ?」

「六歳からだから、今年で七年目かな」

 ひゅう、と口笛を吹いた。確か六歳の誕生日に、色違いの日記帳をもらったのは俺も覚えている。俺の日記帳はほとんど使われないまま、机の奥にしまってある。

「すごいよなぁ。そんなに書くことある? 毎日同じようなものじゃん」

「たくさんあるよ。今日はリギルが寝坊したとか、隣のおじさんに怒られたとか」

「おつかい忘れていて二人で買いに行ったとか?」

「そう」

「ほとんど俺のことじゃん!」

 笑って指摘すると、リゲルは頷いた。リギルって見ていて飽きないよね、と自分ばっかり大人みたいなことを言う。そんなとこがむかつくこともあったけど、子どもっぽい俺と、大人っぽいリゲルで、ちょうど良かった。


 亜麻色の髪も、こげ茶の瞳も同じ。身長も体重も同じ。日に焼けていて騒がしいのがリギルで、静かでいつも本を持っているのがリゲル。皆はそうやって見分けていた。それくらいしか見分ける術がなかった。

 もし神様というものが本当に存在するのなら、どうして俺とリゲルを同時にこの世に誕生させたんだよ。かけがえのない存在として生まれさせておいて、どうしてどちらかの命を途中で奪うんだよ。遺された俺はどうすればいい。

 支え合って、補い合って生きてきたのに。

 母さんや父さんの視線を感じた。親ですら俺をどうすればいいのか分からず、腫れ物に触るように遠目で見ているだけだ。リゲルを亡くして辛いのは俺と変わらないのに。

 いや、違うのかもしれない。父さんと母さんにとって亡くしたものは「息子」で、俺にとっては「半身」だ。半身に代わりはないが、息子はまだここにいるんだから。そんなことを考えてしまう俺は明らかにおかしい。頭のどこかでは分かっているけど、溢れだす思考は止まることを知らない。

 いろんなことを考えているのに、頭は動いていないみたいな感覚だった。身体は蹲ったまま動かず、冷たい床から体温は奪われていく。そのままどれくらい固まっていたか分からない。ふと意識が戻った時にはベッドの上にいた。いつの間にか眠ってしまって、父さんが運んでくれたんだろう。自分のベッドではなく父さんのベッドだった。

 一度眠ったせいだろうか、頭は少しだけすっきりしていた。本当に、ほんの少しだけ。

「ごめんください」

 ぼんやりとしていたところに、女の子の声がした。可愛いらしい声だった。

 母さんか父さんが出るだろうなと無視していると、また「ごめんください」と声が聞こえる。

「……父さん? 母さん?」

 ベッドからするりと出て親を呼んでみるが、返事がない。出かけたんだろうか。……葬儀の、準備だろうか。

「あの、誰かいらっしゃいませんか?」

 玄関の向こうからは困ったような声がして、俺は仕方なく小走りで玄関に駆け寄った。勢いのままに玄関を開けると、藍色のマントが目に入る。

「こんばんは」

 笑顔で挨拶する少女は、たぶん俺と同じくらいの年齢だ。銀色の長い髪がマントから零れていて、まるで夜空みたいだ。少女の後ろには同じように藍色のマントを着た青年がいる。目が合うと、青年は柔らかく微笑んだ。

「……星拾い人が、何の用」

 藍色のマント――それは誰が見ても分かる、星拾い人の特徴だ。昨夜追い返した男を思い出して胸がむかむかする。

「大切な星を、届けに来ました」

 俺の態度も気にせずに、少女は両手で包み込むように持ってきた石ころを差し出す。昨夜と同じく、布に丁寧にくるまれていた。石ころは布から顔を出すようにしてまだ淡く光っている。けれどその光は、昨夜よりも弱い。

「……いらないよ、そんなもの」

 断る声が昨日より小さくなった。少女は悲しそうに笑う。その顔がまるで俺を無言で責めているみたいに思えて、苛立ちが募った。なんだよ、受け取らない俺が悪いのかよ。

「星詠みの巫女がなんだ。死ぬって分かっても、星が落ちるって分かっても、助けてくれないくせに。見知らぬ奴が石ころを持ってきて『これがリゲル君の星です』なんて信じられるわけないだろ? リゲルはそんな石じゃない! いらないんだよそんなもの!」

 八つ当たりながら叫ぶと、少女は俺の言葉に傷ついたように顔を歪めた。一歩少女が下がり、ずっと黙って後ろにいた青年が支えるように寄り添う。先程まで微笑んでいた青年が、ちらりと俺を睨んだ。

「……シャート」

 気遣うように青年が呟いた。少女の名前だろう。その響きはとてもやさしく、青年がどれほど彼女を大切にしているのかわかる。少女は――シャートは、何も言わずに石ころを見下ろしていた。俺がどれだけ突き放しても、その石ころを包み込む手はやさしい。

「……ごめんね。そうだよね、そう思うよね。でもね、巫女にはそんな力はないんだよ。死ぬと予知しているわけじゃないの。ただ落ちた時に感じるの」

 それはまるで巫女のことを分かっているような口ぶりだった。俯いたシャートの表情は窺い知れない。ただ銀色の髪がきらきらときれいだった。

「星がね、帰りたいって、傍にいたいって、そう訴える声が聞こえるだけなの。……帰りたがっているの、いちばん大切な人のところに。だから私は帰してあげたい。その手助けをしてあげたい」

 俺は何も言えなくなった。何を言えばいいのか分からなかった。シャートの握り締める石ころが、ぼんやりと淡い光を放つ。まるでここにいる、と主張しているようだった。

「……大切な人の死を、受け止めろとは言わない。そんなこと言う権利は私にはない。けれどお願い、この星は受け取って」

 懇願するシャートが手を伸ばし、俺にその石ころを差し出す。淡い光は明滅して、何かを訴えてきた。

「この人は、あなたのもとに帰りたいって言っているの」

 その言葉は反則だった。

 大切な相棒の死を認めたくないと突っぱねて、現実から目をそらしていた自分にとっては痛い攻撃だ。だって俺は、リゲルが死ぬまで星拾い人も巫女のことも当たり前のこととして受け入れてきたんだから。

 動けずにいる俺の前までゆっくりと歩み寄って、シャートは俺の手に星を握らせる。暖かいその星のぬくもりは、間違いなく覚えのあるものだった。いちばん俺の傍にあって、いちばん分かりあっていた人の手のひらと同じぬくもりだ。

「……リゲル」

 名前を呼ぶと、ぼぅっと星は光った。俺の声に応えるように。バカリギル。リゲルにそう言われた気がした。呆れたように、笑って。

 認めてしまうと、もう限界だった。堤防が決壊したように涙は溢れて、ただ抱きしめるように胸に星を押しつけた。リゲル、と何度も呼ぼうとするけれど、泣いているせいか声は声にならない。情けない嗚咽ばかりが耳に届いて、ああ昨日のあの鬱陶しい泣き声は自分のものだったのかと知る。

 ごめん。ごめんリゲル。おまえは帰りたがっていたのに、俺が弱虫だったせいで一日おまえを一人にさせて。もう一人になんてしないから。ずっとずっと一緒だから。

 泣きながらそんなことを言った気がするけど、言葉になっていたかどうかは分からない。けれどリゲルにはちゃんと伝わっているはずだ。だってリゲルは俺のことをいちばんに分かってくれていたから。喧嘩した時に、いつもリゲルが折れてくれたように、きっとリゲルは許してくれる。いいよ、リギルはバカだから、俺の方が譲歩してやらなくちゃ。だって、一応は俺の方がお兄ちゃんだからさ。そんな風に言って、リゲルは笑ってくれる。最後の最後まで俺はリゲルに甘えていたんだ。


 涙が乾いて顔をあげた頃には、星拾い人の二人はいなくなっていた。




 リゲルの星を握りしめたまま、俺は部屋に戻った。そして机の中にしまったまま、もう何年も使われずにいる日記帳を取り出す。六歳の誕生日にもらった、リゲルと色違いのものだ。

 開いてみると、きっちり三日分で止まっていた。三日坊主もここまでくると笑えてくる。

 四日目のページを開いて、俺はペンを握りしめた。

 なぁリゲル。俺、日記を書こうと思う。おまえが今まで書いていたみたいに、なんてことない毎日のことを書いていこうと思う。

 記念すべき一文は決まっていた。


 リゲルの星が、帰ってきたよ。




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