はじめてのおしごと
ゴーストタウンと化した住宅街を、一台の車が走っていく。
その車はフロントガラスに張り付く雨をワイパーで弾きながら、ブレーキをかけることもなく狭い道路を行く。
「どうかなされましたか」
運転手の女性が言った。
アクセルを踏む足は常に一定の力をかけており、ハンドルを持つ手は一切ぶれる事が無い。
「いや……結局、車は空を飛ばなかったんだなって」
窓の外へと目を向けたまま、助手席の男が言った。
タイヤで大地を踏みしめて走る自動車は、男の知っているものと殆ど変わらない。
違う点は、車体が防弾仕様だということくらいだった。
「アキラ様が何を期待されていたのかは分かりませんが、車は地を走る物を指す言葉です。
空を行くものは一般的に飛行機と呼ばれます」
アキラと呼ばれた男は、女性の淡々とした説明に苦笑した。
「俺が小さい頃は、車は空を飛ぶように進化するって想像されてたんだよ。
空を自由に飛びまわるのか、パイプみたいな道路が空中を走ってるのかみたいな違いはあったけど」
「それは、地上の面積が不足すると予想されていた為でしょうか。
道路を作る余裕が無いほど建築物を乱立させるのならば、空中も上方へと伸びた建築物に遮られる範囲が大きくなると考えられますが」
「いや、そんな実用的な理由じゃないんだ。
ただ、想像する「未来像」って言うのがそういうものだったってだけで。
それこそ、オゾンさんみたいな人型ロボットもそう言う「未来像」の一つだったよ」
運転手の女性――オゾンは、運転する車の前を野良犬が横切ったにも関わらず、眉一つ動かさずに会話を続ける。
「何かが作られるのは、それが必要と判断された為です。
アキラ様の言う「未来像」の中では、必要だったものが私たちのような物で、不要だったものが空飛ぶ車だったのでしょう」
「そうかな……そうなのかもしれない」
アキラは窓の外からバックミラーへと視線を移す。
乗っている車が道路に残したタイヤの跡は、綺麗な直線を描いている。
「空を飛べたら渋滞とは無縁だなんて考えてたけれど、今はそもそも車が殆ど使われてないのかな」
「一般的な移動手段は地下鉄です。
ですが、多くの人間は徒歩で移動できる範囲でのみ生活しています」
「地上を走る鉄道は?」
「最も有力であった鉄道会社が線路の管理を放棄したため、現在はほぼ全てが廃線となっております」
「まあ、ずっと雨が降ってるなら線路の整備も大変だろうしね。タバコ、吸っていいかい」
「どうぞ」
オゾンからの許可を得たアキラは、コートのポケットからタバコを取り出し、火を点けた。
それとほぼ同時に、オゾンは車内の空調スイッチを操作する。
車内に積まれた空気清浄機が作動し、タバコの煙だけを車外へと吐き出す。
「そういえば、オゾンさんには味覚ってあるのかい」
「私たちに味覚は存在しません。同様に嗅覚も存在しません」
「そりゃ寂しいね。いや、便利なのかな」
「危険物を判断できるセンサーが積んでありますので、それが人間の嗅覚や味覚の代わりとなりますね」
再び、アキラは苦笑した。
こうして会話をしていると、オゾンは人間とほぼ変わらないように感じる。だが、決定的にどこかが違う。
価値観が違うとでも言うのだろうか。
そもそも、食事が必要無い以上は味覚についての認識が異なるのは当然なのかもしれないが。
「目的地まで後三分です。準備を」
オゾンの言葉に、アキラは身支度を開始する。
膝の上に乗せていたハットを被り、精密作業用手袋を嵌める。
ズボンのポケットに入れていた端末を取り出し、電源を入れる。
「結局、俺は何をすれば?」
「申し訳ありませんが、私は存じ上げません」
「あ、そうなんだ……」
端末の画面に表示されているアイコンをタッチすると、一瞬の読み込みの後、地図のようなものが表示された。
稼動停止した発電所と、それを管理していた事務所の内部。
その内のフロアの一つがマーキングされている。ここに行けということなのだろうか。
トウは「見れば分かる」とだけ言っていた。その言葉を信じるしかない。
いつの間にか住宅街を抜けていた車は、ぽつんと建っている発電所へと近付いていく。
周囲を高いフェンスに囲まれ、所々に立ち入り禁止のマークが貼られている。
「車で入れるのはここまでです」
「了解。行ってくるよ」
フェンスの前で車を止めたオゾンは、軽く一礼をした。
身につけた装備品を確かめ、アキラは車を降りる。
「私はここで待っています。どうかご無事で」
「ありがとう」
地面を数度叩いて安全靴の履き心地を確かめたアキラは、オゾンへと背を向けたままひらひらと手を振った。
「さて、と」
まるで迎えるように穴の開いたフェンスを潜り抜け、端末に表示された地図を確認する。
地上二階、地下一階の三層。目的のフロアは地上二階にある。
入ってすぐのエレベーターを使えば、あっという間だ。
もっとも、そう上手く行けることは無さそうだが。
明らかに人の手によって破壊されたドアを見ながら、懐へと手を入れる。
ガンホルダーに差していたテイザーガンを抜き、即座に撃てるように両手で構える。
身を屈め、誰も居ないことを確認してから、足音を立てない様に発電所の中へと進入する。
まるでスパイ映画だ。
緊張感の無い感想が浮かび、思わず自嘲してしまう。
建物の中で人が動いている気配は無い。
あちらこちらが破損しており、雨水が垂れる音が反響して響く。
正面にはカウンター、左手側には通路、右手側にはエレベーター。
エレベーターのボタンを押すが、反応は無い。何一つ明かりが無いのを見るに、通電していないのだろう。
仕方なく階段を探す。地図によれば、通路の中ほどに上下への階段が通っているらしい。
カウンターの前を通り、通路へと向かう。
壁に背を付け、そっと行く先を覗き込む。誰も居ない。
「……バカらしい」
そもそも、こんな所に誰が居るというのだ。
警戒を解き、大手を振って歩き出す。
安全靴で足音を立てないようにするのにも気を遣うのだ。そんな調子で歩き続けるなどとてもじゃないがやってられない。
通路の途中にあるドアは全て破壊されており、そこから覗き込めば、散々荒らされた室内が見える。
「凄いなこりゃ」
元々は休憩室だったらしい一室は、砕けたテーブル意外何一つとして残っていない。
壁に貼られた「休憩室」の札が酷く空しく見えた。
砕けた湯飲みが散乱する給湯室。
倒れた棚だけが残る資料室。
そして、手すりの落ちた階段。
廃墟散策を好む人の心情が、今なら少し分かる気がした。
子どものような冒険心に胸を躍らせながら、階段を上がる。
手すり代わりに壁に手を付くと、埃の張り付いた壁に手形が残った。
テイザーガンをホルダーに戻し、手に付いた埃を払う。新品の黒い手袋は、あっという間に埃で白くなってしまっていた。
二階は通路がロの字状になっている。
マーキングされた部屋は現在地である階段からちょうど反対側。
「……さっさと帰るか」
端末を手に持ったまま通路を歩く。
一階とは異なり、どの部屋もドアは閉まったまま。好奇心を刺激されるが、触らぬ神に祟りなしという言葉もある。
窓の外を見れば、巨大な発電施設が見えた。形状からして、火力発電を行っていたのだろうか。
崩れた天井から落ちてくる雨水が、通路の端を流れていく。
数箇所にできている水溜りを安全靴で踏むと、その音は予想よりも大きく響いた。
そして、その音に反応するかのように、たった今通り過ぎたドアの向こうから音が聞こえた。
がたん、と、何かを動かしたような、落ちたような音。
足を止め、そのドアを見る。
蝶番を見る限り、ドアは外開き。ちょうど開いたドアで死角になるように、壁に背中を付ける。
心拍数が上がり、呼吸が乱れる。さすがに警戒心が薄れすぎたかと、心中で後悔する。
取り出したテイザーガンをお守りのように両手でしっかりと握る。
自分でも気付かない内に、口を開けて荒い呼吸をしていた。
口から心臓が出そうと言うのはこういうことだろうか。
雨音と呼吸音ばかりが耳に入る。ドアの向こうから物音は聞こえない。
気のせいか。
肺の底から安堵のため息がもれた。
テイザーガンを握ったまま、再び歩みを進める。
今度は足音を立てないようにゆっくりと。水溜りを踏まないように足下にも気をつける。
「……ここか」
地図でマーキングされていた部屋の前で立ち止まった。
他の部屋と同じように、ドアは閉まったまま。
部屋の中から物音が聞こえる事も無い。
テイザーガンを右手に、左手で少しだけドアを開ける。
隙間から中を覗き込むが、暗く、何も見えない。
何が起こるか分からないなら、先手を打たれる前にこちらから仕掛けるべきだ。
意を決し、勢い良くドアを開けた。
ガチャンと言う音と共に、劣化した蝶番が外れ、支えを失ったドアが通路に転がった。
「動くな!」
部屋に踏み込み、テイザーガンを両手で構え、前方へ突き出す。可能な限り威圧感のある声を作り、足で地面を叩きつける。
しかし、気合を入れたホールドアップは、自分以外の誰の耳にも届かなかった。
「……はい」
窓の無い無人の部屋は、ドアが吹っ飛んでも相変わらず暗いままだった。
端末を起動し、バックライトで部屋を照らす。
青白い光りが埃の舞う部屋を走る。何も無い。
砕けた湯飲みも、倒れた棚も無い、ただの箱と化した部屋。
「どういうことだ……?」
もっと良く探したほうがいいのだろうか。
端末で照らしながら、埃まみれの壁を手で撫でて観察するが、部屋を一周しても、やはり何も無い。
「あんたが……運び屋か……?」
「うわっ!?」
背後からかけられた声に、間抜けな悲鳴をあげてしまった。
テイザーガンを向けることも忘れて振り向く。
その男は、いつの間にか部屋の入り口に立っていた。
帽子を目深に被り、目元を隠している。手には重厚なジュラルミンケース。
「……違うのか?」
視線からも声からも、その男の感情を読み取る事は出来ない。
「あ、ああ……いや、そうだ。俺が運び屋だ。
いきなり声をかけられたから少し驚いたんだ」
出任せで時間を稼ぎ、様子を見る。
「運び屋」ということは、ここは何かのやり取りを行う場所に使われているらしい。
この男も、トウが雇った男なのだろうか。
「そうか……後は……任せたぞ……」
帽子の男はそう言って、ジュラルミンケースをその場に置いた。
「さっき……変な男を見た……気をつけろよ……」
そう言って、帽子の男は立ち去った。何かを引きずるような音が、徐々に遠ざかっていく。
残されたジュラルミンケースを拾い上げ、帽子の男が歩いていった方向を見る。
赤黒い、濡れた物を引きずったような跡。
「……忘れよう」
気にならないと言えば嘘になる。だが、今はこれを持って帰る事が優先だ。
何も知らない内に運び屋として利用されることとなったのは少し癪だが、こうなってしまった以上は仕方ない。
「おい、お前」
「うわっ!?」
またもや背後から声をかけられ、同じような悲鳴をあげた。
「それ……どこへ持っていくつもりだ?」
新たに現れた男は、ジュラルミンケースを見ながら言った。
帽子の男の言っていた「変な男」という言葉を思い出す。
この男が、きっとそうなのだろう。
「それを置け。中身を見せてみろ」
男が足に着けたホルスターから銃を抜く。ゆっくりとした動作で、その銃をこちらへと向けた。
「盗人か?そういや向こうはこっちの顔を知らないんだったな」
そこまで言われ、ようやく状況を掴めた。
この男が本来の「運び屋」だ。帽子の男は本来この男と会う予定だった。
「早くしろ。ケースを置いて、開けて、こちらへ向けろ」
言われるがままに、ジュラルミンケースを床へ置く。
「悪いが、俺はこれを開ける手段を知らん。鍵がかかってるんだ」
言い終わるかどうかと言うタイミングで、発砲音が響いた。
耳をつんざくような音に怯み、目を閉じる。
そして、漂う火薬の匂いが鼻につき、理解が追いついた。
威嚇射撃。業を煮やした男が引き金を引いたのだ。
「ならそのまま下がれ。背を向けず、ゆっくりとそのケースから離れろ。
ああ、両手は上げておけ。そのおもちゃを使おうなんて考えるな」
その言葉で、右手に持ったままのテイザーガンの存在を思い出した。
使えるかどうかも分からない制圧用の銃と、使い慣れているであろう殺傷用の銃。
撃ち合いなどできるはずがない。
素直に両手を上げ、ゆっくり後退する。
五歩ほど後退したところで、崩れた壁の破片に躓き、転びそうになった。
「動くな。俺の姿が見えなくなるまでそのままだ」
銃を向けたまましゃがみ、男はジュラルミンケースを拾った。
目を合わせたまま、ゆっくり立ち上がる。
一歩毎にぶれる銃口に、目線が吸い寄せられる。
動けばアレで撃たれる。
間違いなく、痛い。
痛い。痛いだろうが、このまま持っていかれていいのか?
あれを持ち帰るのは、俺の仕事だ。
アイツが本物の運び屋だろうと、あれの所有者は俺だ。
気に入らない。脅されるままに動くのは、気に入らない。
トウの顔が頭をちらつく。
そうだ。いつかアイツにも目に物見せてやる。こんなところでビビっていられるか。
感覚が鈍化する。全ての動きがゆっくりに見える。
テイザーガンを持った右腕を水平に下ろし、前方へと飛び込んでいたのは、殆ど無意識だった。