牙と首輪
「よいっしょおー!」
ビルの空き部屋に、威勢の良い掛け声が響く。
背負っていた布団をそのまま床に叩きつけたアキラは、懐から取り出したタバコに火を点ける。
「……相変わらず不味いな」
一度だけ口をつけたそのタバコを、そのまま携帯灰皿へと放り込んだ。
タバコが恋しくなるのは、何かに苛立っている時だ。
余裕がある訳では無いが、それほど苛立ってもいない今は必要ない。
それよりも、飯だ。朝からタバコしか口にしていないが、煙で腹は膨れない。
金に困る事は無いようなので、ちょっと贅沢をさせてもらおう。
十数時間続いていたプレッシャーから解放された始めたアキラは、ある種のトリップ状態に陥っていた。
開き直りとも言える前向きさで、物事を考える。
最近は固形食糧ばかりだった。たまには焼き魚でも食おうか。肉も良いかもしれない。
紐で丸められたままの布団に倒れこむように体を沈め、アキラはぼんやりと思考を続ける。
時計も買ってこないといけない。
結局どんな仕事をやらされるのか。
コートも新調しよう。
手術時に持っていかれた昔の荷物も取り返せるだろうか。
仕事で使う書類も入っていたが、会社はどうなってるだろうか。
「まあいいか」
過去は過去、今は今。
どうせ戻ったところでクビだろう。再就職先はその時に探せばいい。
そう結論付け、アキラは布団から起き上がり再び外へと向かった。
ビルの表口は鍵がかかっており、通ることができない。
しょうがなく裏口から出入りすることになるが、布団を抱えたまま狭い路地裏を通るのは何とも窮屈だった。
崩れかけたビル壁を見ながら、アキラは表通りへ向かう。
何かあったらあのビルへ逃げ込めばいいのだろうか。だが、トウが庇ってくれるとは思えない。
自分でどうにかすべきか。身を守る術を用意すべきか。
幸いにもこの時代に職質なんて物は存在しないらしい。荷物検査で引っ張られる事は無いだろう。
アキラは無意識の内に飯屋へ向かっていた足を止め、記憶を辿り始める。
確か、さっき布団を買いに出た際にいくつかめぼしい店があったはず。
曖昧な記憶を頼りに、通りを歩く。
目立たぬよう、しかし見落とさぬよう、人波に流されながら露店を含め全ての店を慎重に観察する。
雨避けのためか、シャッターが閉まった店先に座り込んでいる老人。
薄汚れた上着で、俯いたまま動かない。
その前に広げられたジャンク品と思しき物の数々。あれだ。
人の流れからするりと抜け、その露店の前に立つ。
客が来たことに気付いてもいないのか、老人は俯いたままだった。
アキラはしゃがみこみ、並べられた品々を一つ一つ確かめる。
電化製品のパーツ。錆び付いたナイフ。大型バッテリー。千切れかけたLANケーブル。
そして、汚れた黒い銃のようなもの。
大きさは拳銃ほどで、どことなくおもちゃの様なそれにアキラは見覚えがあった
「これ、貰えるか」
声をかけられ、ようやく老人は顔を上げた。落ち窪んだ目が、商品を指差したアキラへと向けられる。
「……金はいい。食い物と交換だ」
雑踏にかき消されそうな程小さいしゃがれ声。呆けている様子は無い。
もしかしたら見た目よりも若いのかもしれない。そんな事すら考えさせられる。
「食い物か。今から買ってくる。何が良い?」
「……」
「……適当に買ってくるぞ。良いんだな?」
老人は小さく頷き、再び俯いた。痛んだ白髪が顔を覆い隠す。
アキラは立ち上がり、辺りを見回す。通りの反対側、人波の向こうにいくつか並んだ自動販売機が見えた。
「あれでいいか……」
こちらに来てからの経験上、自動販売機がいくつか並んでいるときはそれぞれ違う商品を扱っているとアキラは知っていた。
「すいません、ちょっと失礼」
流れる人々の波に対して垂直に通り抜け、自動販売機へ向かう。
予想通り、飲み物と食料、そしてタバコの自動販売機が並んでいた。
ポケットからカードを取り出し、自動販売機に読み取らせる。
栄養補給用の固形食糧と、ホットドッグを購入し、その隣で緑茶を買う。
「熱っ!」
吐き出されたホットドッグの想像以上の熱さに取り落としそうになりながらも、アキラはそれらを抱えて老人のもとへと戻る。
「ほら、これでいいか」
胡坐をかいている老人の膝の上に食料を置き、しばらく様子を見る。
反応が無い。
「……足りないのか?」
もしかして、死んでいるのではないか。
そんな考えが頭をよぎるが、肩が上下しているのを見るに、呼吸はしている。
「もう知らん。これ貰ってくぞ」
アキラは意思の疎通を諦め、黒い銃をズボンの腰部分へと差す。
上着のお陰でそう簡単にはその銃は見えない。
一度だけ老人の方を振り返り、再び自動販売機へと向かう。
今度は自分用の食料を購入し、通りを歩き始める。
固形食糧と、コーヒー。歩きながらそれらを胃に納める。
「不味い……」
無理やり甘みをつけたような固形食糧は、一口噛むごとに不快感が胃の底から込み上げた。
苦味ばかりのコーヒーで無理やり口内の食糧を流し込む。その作業を何度か繰り返し、ようやく全てを食べ終えた所で、固形燃料の包装をコーヒーの缶へ詰め込み、道端へ投げ捨てた。
水溜りに入り、波紋を生じさせたそれを見て、僅かに残ったモラル意識がその行為を咎めた。
思考を他の方向へ向けることでその罪悪感を振り払った。
今までの価値観は捨てる。そう決めたのだ。
帽子を買った方がいいのかもしれない。トウのようなフードを被るのは性に合わない。
出歩くたびに頭を濡らして帰るのも良くないだろう。
やるべき事をいくつも思い浮かべ、アキラは人波へと紛れていった。
自室へと戻ったアキラは、茶色いハットを脱ぎ、手に持った袋と一緒に布団の上へと放り投げた。
部屋の隅に座り込み、ズボンに挟んでいた銃を取り出す。
黒いボディに黄色い装飾が入ったそれをシャツで拭き、買ってきた工具で分解する。
グリップ部分に入れられたバッテリーと、銃身部分に詰められたカートリッジ。
「当たりだ」
テイザーガン。
電極を射出し、相手を感電させることで無力化させる特殊な銃。
そんな説明をテレビでやっているのを見たことがある。
本来は警官が暴徒鎮圧などに使うものらしいが、何故そんなものが露店へ流されていたかは知らない。
廻り廻った偶然が良い方向へ動いてくれた幸運を喜ぶだけだ。
アキラは分解されたテイザーガンを元に戻し、手に持って構える。
片目を閉じ、照準機で壁の染みに狙いを付ける。
映画やドラマの見よう見まねだが、即座に構えられるようにしておくに越したことは無いだろう。
「……使えるのかなこれ」
トリガーを引いても反応が無い可能性は十分にある。
しかし、壁に向かって撃つにしても恐らくこの電極付きのカートリッジは使い捨てだ。一つしかないそれを無駄はできない。
少々頼りなく思えるテイザーガンを、工具セットと一緒に部屋の隅へと押しやった。
今度は、布団に投げた袋の中からガンホルダーを取り出す。
ホルダーを脇から吊るし、サイズを合わせる。
ホルダーにテイザーを入れると少々膨らみが生じたが、コートによって十分誤魔化せるだろう。
鏡で確認できないことに若干の不安を感じながらも、アキラはホルダーを外し、テイザーごとハットの中へ放り込んだ。
とりあえず、準備としてはこれで良いだろう。
一発限りでも、身を守る術は手に入れた。
紐で丸められたままの布団によりかかったアキラは、トウの言っていた事を思い出す。
ここでは全ての人間にチップが入っており、そこから発する信号で固体識別を行っている。
その信号が無いという事は、余計なセキュリティにかかることが無いということらしい。
信号を発していなくても人間が居るだけで反応するセキュリティが基本ではないのかと思いつつも、それを言い出す勇気はアキラには無かった。
アキラは考える。
何故、こんなところに来たのか。そして、どうやって帰ればいいのか。
前者は分からずじまいでも構わない。
ただ、帰る手段だけは見つけなければならない。
間違いなく今居るここは、技術レベルが高い。自分の常識を越えていく物はいくつもあるだろう。
厄介なことに巻き込まれたことには間違いないが、逆に言えばそれは色々と知る機会でもある。
きっと、必要とする物もどこかにある。
覚悟を胸に、背を預けた布団の心地よさに包まれたアキラは、静かに眠りへと落ちていった。




