雲と太陽
プリンタは大して進化していないんだな。
ゆっくりと印刷物を吐き出すそれを見ながら、床に座り込んだアキラはそんな事を考えていた。
この部屋には既にトウは居ない。ひとしきり話終えた後、出て行ってしまった。
「俺が戻ってくるまでに答えを出しておけ。
俺に従うか、死ぬか。どちらかだ」
去り際にトウが残していった言葉が脳内を駆け巡る。
コートのポケットに入れた手が、無意識にタバコを探していた。
「そうか……タバコ、置いてきたんだっけ……」
金も持ってきていない。以前引き受けた仕事の報酬は、今日の夜受け取れる予定だった。
連絡手段を失い、自分の部屋へ戻ることもできない以上、もう報酬を受け取ることはできない。
ポケットに入った硬貨一枚は、もはやただのお守りと化していた。
小さな窓から外を見れば、降り止むことの無い雨が世界を濡らしている。
そう。この雨は降り止まない。
雨が止んだら洗濯物を干そう、などと考えていたのは大きな間違いだった。
「この雨は、俺が産まれる前から降り続いている」
悠々とオフィスチェアに腰かけたトウは、座る場所を探してオフィス内を見回していたアキラにそう言った。
「それは驚きだな。どっかで雨雲でも作ってるのか?」
床に座るか立っているか迷ったアキラは仕方なく壁に寄りかかった。
トウの言葉と己の常識を天秤にかけ、半ば馬鹿にしたような口調でその疑問は放たれた。
「ああ、それに近い」
「何でそんなことを?雨を延々と降らせるなんてデメリットも大きいだろ?
野菜だって太陽が無ければ育たないだろう」
「資源の枯渇が声高に叫ばれていた時代を、お前は知っているか?」
トウはオフィスチェアに座りなおし、肘掛けに頬杖を付いた。
「地球上に存在するいずれかの資源が底を突いた時が、人類の滅亡の始まりである」
「まるでフィクションだな」
「残念だがノンフィクションだ。
そんな事が世界中で言われるようになり、特に電力不足による不安は、戦争を引き起こす一歩手前まで行った」
「……一歩手前って事は、回避できたんだな」
「そうだ。いわゆる「永久機関」の発明により、人類は光を失うことは無くなった」
「その「永久機関」って奴が」
「珍しく察しが良いな。それがこの雨の原因だ」
座ったまま、窓の外を指す。
少し前まで落ち着いていたトウの語り口は、徐々に熱を含み始めていた。
「それ自体が破壊されない限り無限に電気を生み出し続ける「永久機関」は、確かに外部からのエネルギーの供給を必要としない。
事実、「永久機関」によって解決したエネルギー問題は多い。
あらゆる物を電気で動かせるようになれば他の資源は必要ないんだからな。
発電に使われることの無くなった資源は、代わりに他の物を生産するために使われるようになった。
今度は無から有を生み出す技術でも発明されない限りは、資源問題が完全に解決することは無いだろう。
だが、少なくとも目の前に迫っていた危機は回避され、人類が文化を営んでいられる時間は大幅に伸びた」
トウはそこまで話すと、防水コートの内ポケットから取り出したピルケース内の錠剤をいくつか掴み、水も無しに飲み込んだ。
固く目を閉じ、小さなうめき声を上げる。
「お、おい大丈夫か?」
近寄ろうとしたアキラを制止し、トウは顔を上げた。
「続きだ。あたかも全ての問題が解決したかのように言われたが、その「永久機関」が生み出す雨雲はまともな物じゃなかった。
有害物質を含んだ雨水が空から降り注ぎ、蒸発すれば純粋な水分ではなく有毒なガスになる。
それは大した毒じゃない。健常な人間なら無視できる程度だ。
だが、全ての人間がその毒に耐えられるわけじゃなかった」
「……まさか」
トウは初めて声に出して笑った。くくっ、という低い笑い声は、人よりも獣の鳴き声に近かった。
「産まれてからしばらくして、病院から出された赤ん坊の俺はまず喉が壊れた。
次に、体の末端から中心へと向かって、徐々に腐っていった。こんな事は初めてだと、大騒ぎだったらしい。
俺は人口声帯を取り付けられ、腐った手足の変わりに義肢を繋がれた。
そして、両親は俺の扱いに細心の注意を払うようになった。
当然だ。呼吸ですら死に至るかもしれないんだからな」
トウの目は赤く充血していた。
興奮によるものなのか、先ほど飲んでいた薬のせいなのか、アキラには察しがつかない。
「まあ、幸いにも俺は今もこうして生きている。薬と機械に頼ってな。
だが俺は、俺だけは、あの「永久機関」の危険性を知っているんだよ。あれは本来あっちゃならない物だ。
戦争が起きようと、人類が滅びようと、あれは消えるべき存在だ」
逆恨みか。
そんな言葉がアキラの言葉に浮かんだ。
だが、それを言ってしまえば恐らく自分にも敵意が向く。それは避けなければいけない。
「俺はな、調べ続けたんだよ。本当に「永久機関」が必要なのか。
そうしたら驚いたぜ。そんなもの必要無いってあまりにも簡単に分かったんだからな。
俺は産まれてから一度も太陽って物を見たことがねえ。
それでも調べれば調べるほど、それがとんでもない物だって分かるんだよ」
オフィスチェアを蹴り倒して立ち上がったトウは、殆ど叫ぶようにして続ける。
「そこにあるだけで熱を、光を放つ。人が手を加える必要なんてどこにも無い。
何でそれを使わないのか、俺は他の奴等の頭を疑ったぜ!
「永久機関」で人体をぶっ壊しながら電気を作る必要なんてどこにも無いじゃねえか!」
「太陽光発電か?それなら……」
「それだけじゃねえよ!人間の精神は太陽光によってバランスを取ってるんだってな!
あいつらは人類を救ったつもりだろうが、実際は太陽を覆い隠して全部ぶっ壊してるだけだ!
だから俺が正しい姿に戻してやるんだよ!」
アキラは後悔した。この男についてきてしまった事に。
こいつはとんだ泥舟だ。飛びついた助け舟がこんな物だったとは。
決して刺激しないように、話し終えるまでじっと様子を伺う。
「あの「永久機関」をぶっ壊して、雨雲を全部取っ払う!そうすれば全てが解決するんだよ!
分かるだろ!お前、本当に過去から来たんなら太陽を見たことあるんだろ!?」
「あ、ああ……確かに、太陽は凄いよ」
「なら分かるだろう!この異常さが!
あるべき物が無いんだよこの世界には!」
これは狂人だと、ようやく理解した。
トウは明らかに太陽を神の様に崇め、その力を過信している。
確かに自分が居た時代では、太陽はあって当然のものだった。
だが、今は無いなりにどうにかなっているのだろう。知らないところで、上手いことバランスを取っているに違いない。
言葉を選んでいたアキラに、トウは詰め寄った。
アキラの額を掴み、その目を覗きこむ。
「俺に協力しろ。いや、従え。
お前なら分かるはずだ。お前にしかできないことだ」
「……痛い。手を離してくれ」
「答えは」
有無を言わせない口ぶりに、足が震えそうになる。
即答は危険だ。何をするのか、それはまだ聞けていない。
「……前向きに検討する」
「曖昧な答えだな。お前、自分の立場分かってんのか?」
「俺が何をすればいいのか、それをまだ聞いていない。
アンタに協力するのは構わない。だが、使い捨てられるのは勘弁だ」
「とっくに死んでたはずの奴がよく言うぜ。使い捨てなんかしねえよ。お前は貴重な存在だ」
「……危険性は?」
「失敗すりゃ死ぬ。まあ、それは何やってても同じだろう。
お前に限らずどいつもこいつも一歩間違えりゃ死ぬ世の中だ。
俺がフォローしてやる分、お前一人で動くよりマシだろ?」
「…………少し、時間をくれ」
その瞬間、トウは額を掴んでいた手でアキラを真横へと放り投げた。
停止していたプリンタに突っ込み、豪快な音を立てる。
「痛っ!」
それを見ることも無く、トウはオフィスから去っていった。
「俺が戻ってくるまでに答えを出しておけ。
俺に従うか、死ぬか。どちらかだ」
その言葉だけを残して。
「戻ってくるって、いつ戻って来るんだよ……」
壁にかけられた時計は、トウが出て行ってから既に長針を半周ほどさせていた。
答え自体はあっさりと出た。
しばらくの間は従っておく。自分の身の安全を確保するためだ。
狂人の近くにいるのは怖いが、逆に考えれば早々誰かが寄って来ることも無い。
とりあえず、残ったままの疑問を解消してもらうのが先。
「何で俺なんだ……」
あれだけ頭おかしいことを喋れるのなら、他の人を脅して協力させることも十分可能だろう。
何故、何かに長けているわけでもない一般人を。
「失礼します」
「……あ、はい。お邪魔してます」
頭上からかけられた無機質な声に、間の抜けた返事を返す。
女性だった。腰まで伸ばした金色の髪とは不釣合いな、動きやすそうなジャージに身を包んでいる。
それは、座っているアキラには目もくれずにプリンタが吐き出した印刷物を拾い、まとめ始めた。
「あー……ここで働いてる人ですか?」
きぃ、という小さなモーター音と共に、その顔がアキラへと向けられた。
生身ではない。トウと同じように義肢か。
そう考えていたアキラに、その女性は自己紹介を始めた。
「はい。人型支援機械八型、識別番号はOZN-0385です。
所有者の命令によりこのビルで動いています」
「あ、そうですか……」
そもそも人ではなかった。
まさかアンドロイドが実用化されているなどとは思ってもいなかったアキラは、その姿をしばらく観察していた。
見た目は人とは殆ど変わらない。時折駆動音が漏れる以外は、人間だと言われても頷いてしまうだろう。
いや、サイバネティクスが発展したこの時代なら、その駆動音も誤魔化せるのかもしれない。
「あの、トウがいつ戻ってくるかって分かります?」
「所有者に関する情報は一切の開示を禁止されています」
「あ、はい……」
見た目は綺麗だが、中身は完全に機械だ。感情が感じられない。
てきぱきと働くアンドロイドに対し、そんな評価を付ける。
まとめた印刷物をデスクに置き、そのアンドロイドは去っていった。
「なんなんだ……」
再び、オフィスに一人取り残された。
「……なんなんだよ」
わけの分からないことばかりだ。
ともすれば泣き出しそうになる気持ちを、時計を眺めることで誤魔化す。
「飯……いつ食えるんだろう……」
金が入るから晩飯は良い物を食おう。確か今朝はそんな事を考えていた。
「なんかもう……疲れた……」
ほんの十数時間の内に、色々な事が起きすぎた。心身共に疲れきってしまった。
座り込んだまま独り言を繰り返していたアキラは、いつの間にか、眠りについていた。