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decode  作者: みなと
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追憶と現実

「たっだいまー!兄ちゃん!今日のご飯は!?」

帰宅早々声高らかにそう言ったジャージ姿の妹に、思わずため息が出た。

部活の後に着替えずに帰宅する妹は、いつも制服を詰め込んだスクールバッグを抱えて帰ってくる。

教科書やノートもちゃんと入っているのか疑問に思うこともあるが、成績表を見た限りでは最低限の勉強はしているらしい。

「……お前、今日は友達と食べて帰るって言ってたよな?」

「だって思ったよりみんな食べないからさー。私もちょっと控えめにしようかなーって思ってさー。

そうしたら帰ってくる途中でお腹空いちゃったんだもーん」

「……昨日の残りのシチュー。自分で温めて食え」

「はーい」

ソファにスクールバッグを投げ出し、キッチンへと軽快な足取りで消えていく。

同じメニューが二日続く事も多いのに文句を言わないのは、彼女なりの気遣いなのだろうかと、最近では思うようになった。

「兄ちゃんは食わないの?もう食った?」

「外で食ってきた」

「えっ、なにそれずるい!私も行きたかった!」

「お前が家で食わないって言うから外で済ませたんだよ。

しかも安い牛丼だぞ、別に羨むような物じゃないだろ」

キッチンから聞こえてきた抗議の声に、呆れたように返す。

シチューとご飯を持ってリビングへと戻ってきた妹は、頬を膨らませてこちらを見た。

「美味しい美味しくないじゃなくて、何となく外で食べるって特別じゃん?」

「外で友達と食ってきたんだろ?」

「……家族と食べるのは別だもん」

そう言って、スプーンに乗せたご飯をシチューに浸して頬張る。

ついさっきまでの元気な笑顔では無い、寂しげな表情を見て返答に詰まった。

逃げるようにテレビを点けると、毒にも薬にもならないバラエティ番組の、安っぽい合成の様な笑い声が響いた。

「兄ちゃん、来年から一人暮らしするんだよね」

「ああ。転勤が決まっちゃったからな」

「そうしたら私、あの人と二人で暮らすことになるんだよね」

「……自分の母親をそんな呼び方するのは良くないぞ」

「私、あの人嫌い。何考えてるか分からないし」

嫌いと言うのは、反抗期だからなんて理由だけではないだろう。

夜明け前に帰ってきては悲しそうに謝る母の姿が、脳裏によぎる。

「ねえ、兄ちゃんが一人暮らしするなら、私も付いてっていい?」

「いい訳無いだろう。母さんを一人にする気か?」

「……今も、変わらないじゃん」

スプーンを持ったまま、妹は俯いた。

今にも泣きそうな声で、続ける。

「家出てったり、家に居ても全然顔見なかったり、一人暮らしと変わらないじゃん」

「……」

シチューの中に、涙が落ちた。白い表面に、ぽたりぽたりと雫の跡が残る。

「兄ちゃんも出てったら、私まで一人になるじゃん……学校の話も、誰とすればいいの……?」

「……今度、母さんも一緒に、三人で飯食いに行くか」

「……三人で?」

「ああ。どこか、美味いものをゆっくり食えるところに行こう。

母さんには俺から言っておく。たまには、家族団らんもいいだろう?」




「……あれ?」

灰色の天井。薄い布団。殺風景な部屋。

ドアの横には金髪の女性が立っており、じっとこちらを見つめている。

さっきまで見えていた視界と、今認識している現実の差異に、アキラは混乱した。

「ああ、そうか」

夢。それほど前ではない、つい最近と言ってもいい記憶。

結局、食事の約束が果たされる事はなかった。予定を決める前に、こんな所へ来てしまったためだ。

何も言わずに消えてしまったが、妹と母は上手くやれているだろうか。

「おはようございますアキラ様。所有者がお呼びです」

「ああ。分かった……少しだけ、待っててくれ」

この環境にも慣れてきたつもりだったが、それはどうやら以前の環境を忘れつつあっただけらしい。

アキラは目元を押さえながら、ドアの横で待機するオゾンに、外に出て欲しいとジェスチャーで伝えた。

オゾンが部屋を出た事を確認してから、少し滲んだ涙を拭う。

寝巻き代わりのよれたシャツから、まだ少し血の跡が残っている穴の開いたシャツに着替え、コートを纏う。

あれほど邪魔に感じていたスーツとネクタイが恋しい。

面倒だと言いながらアイロンをかけていたシャツの清潔感が懐かしい。

左肩は動かすたびに痛み、わき腹も血が包帯に滲んでいる。後で交換しなければならないだろう。

シャツの上からガンホルダーを着けた所で、枕元に置いておいた拳銃が目に入った。

手に取ると、冷たく重いその存在が背筋を震わせる。

様々な考えが頭をよぎったが、深く考えるのは止め、その銃をガンホルダーへと押し込む。

テイザーガンよりも綺麗に収まった拳銃は、本来は自分がここにあるべき物だと主張しているようだった。

「お待たせ。行こうか」

オゾンと目を合わせないようにしながら、アキラはトウの部屋へと向かう。

今はとにかく、余計な事を考えないで済む仕事が欲しかった。

あえて傷口の痛みに集中する。鎮痛剤は使用せずに、今自分が居る環境を脳に直接叩き込む。

先導していたオゾンがドアを開ける。何も言わなくとも、彼女は人に仕える物としての動作をこなしている。

いつものノイズ混じりの声で、トウは二人を迎えた。

「来たか」

「今回は何だ?まだ肩痛いから、あんまり無茶なのはやめてくれよ?」

「安心しろ。今回はこれを届けるだけだ」

トウは手に持ったフロッピーディスクをひらひらと振り、説明を始める。

「お前が発電所で奪ってきた物の中身だ。今度は、これにかかってるロックを解除させるのがお前の役目だ」

「LANを繋いでダイブじゃダメなのか?」

「俺もこっちが専門と言う訳では無いのでな。無駄なリスクを背負う必要は無い」

「それで、専門家の所に持って行けってことか」

「そうだ。だが、やらせるのはあくまでロック解除のみ。

ロックが外れた時点で仕事は終わり、中身は見るなと強く言っておけ」

そこまで言って、手裏剣でも投げるようにフロッピーを投げた。

弧を描いて飛んできたフロッピーを辛うじてキャッチし、アキラは抗議の視線を向ける。

その視線を無視し、トウは続けた。

「向こうが渋ったら俺の名を出せ。事を運びやすくなるはずだ」

「分かった。今回も移動は車か?」

「いや、車だと都合が悪い。地下鉄だ」

「……マジか」

アキラの脳裏によぎったのは、すし詰めの満員電車の光景。

あれに乗っているのが全員雨に濡れた姿だとしたら、相当な不快感だろう。

そうでなくても、衛生については悪い所ばかり。短時間であっても耐えられるだろうか。

「今回もそいつに案内させる。面倒な事が起こったらそいつに始末させろ」

アキラの背後に待機していたオゾンが、丁寧な動きで一礼した。

それを見て、アキラは苦笑いをこぼす。

「始末、ね」

「分かったら行け。さっさと終わらせて来い」

「了解、それじゃあよろしくオゾンさん」

「よろしくおねがいします。では、案内します」

「ああ、一つ忘れていた」

トウの言葉に、部屋を出ようとしていたアキラは足を止めて振り向く。

その顔に、弾丸の入った弾倉が直撃した。

鼻を押さえてよろめくアキラの足下に、弾倉が二つ三つと乾いた音を立てて転がる。

「物投げるなって、さっき言おうと思ったばっかりなのに、投げるなって……」

「持っていけ。万が一の時のためだ」

「……こんなに必要なのか?」

「撃ち慣れてない内は自分が思う以上に外すものだ。精度が低いなら数撃つしかないだろう」

足下の弾倉をコートのポケットに入れ、ガンホルダー内の拳銃を確かめる。

「昨日も言ったが、それを使うかどうかはお前の好きにしろ。

必要な時に必要な事をできないなら、それはお前が後悔する結果になるだけだからな」

「……肝に銘じておく。行こう、オゾンさん」

アキラはコートを翻し、早足で退出した。トウへと一礼してドアを閉めたオゾンが、その後を追う。

後ろを歩くオゾンへと振り向きもせずに、アキラはビルの廊下を歩く。

ビルを出て、路地裏から通りへと出たところで、オゾンはアキラの隣で歩調を合わせて歩き始めた。

「地下鉄だっけ?駅は?」

「五分ほど歩いた場所にあります。出発駅から到着駅までは緊急停車などが発生しなければ約三十分です」

「近い……いや、遠い?まあいいや、早めに済ませよう」

「はい。では、最短ルートでご案内します」

「しかし電車か……」

満員電車に押し込まれ、移動というよりも輸送に近い感覚で職場と自宅を往復させられていた事を思い出す。

妹の誕生日に買ったケーキを潰さないように大切に抱え、数十分間満員電車に揺られるのは中々にスリリングであった。

潰れこそしなかったが、何度も大きく揺れた拍子に多少崩れてしまっていた。

そんなケーキでも、妹は嬉しそうに食べていた。

「……ケーキ、食いたいな」

「ケーキとは何でしょうか」

独り言に返事が返ってきたことよりも、その内容にアキラは目を丸くした。

形は違えど、全ての物が残っていると思い込んでいたためだろう。

食べ物も全て、そのままに残っていると思っていた。

「……ケーキ知らないの?

あの、スポンジとクリームで出来てて、フルーツとか乗ってたりする甘いヤツ」

「……少なくとも、私のメモリ内に該当するデータはありません」

その言葉に、アキラは肩を落として落胆した。

甘いものを好んで食べる事の多かったアキラにとってそれは、この知らない時代に来てから聞いた最も悲しい報せだった。

「そうか、分かった。お陰で意地でも帰らなきゃいけない理由が増えたよ」

オゾンの案内のままに大通りの端を歩き、路地裏を抜け、再び大通りへと出る。

歩いて五分なら相当近いのだろうが、一人でもう一度同じ道を歩けと言われてその通りに出来る自信は、アキラには無かった。

薄暗い階段を下り、言われるがままに電子貨幣の入ったカードをパネルにかざしたところで、ようやくそこが地下鉄の駅であると気が付いた。

ホームには電灯がいたる所に取り付けられ煌々と照らされているが、それがかえって閑散とした様子を際立たせていた。

「結構、乗客少ないのかな」

「先日もお話しましたが、地下鉄を利用して移動する人間はあまり多くありません。

徒歩範囲内のみを移動する人間の方が圧倒的に多いのが現状です」

「満員電車の心配が無いなら、ありがたいな」

閑散としたホームに突如音の割れたブザーが響く。

合成音声による案内が、天井に取り付けられたスピーカーから流された。

「間もなく電車が到着します。危険ですので、白線の内側までお下がりください」

「……変わらないな、この辺は」

床に引かれた消えかけた白線を見ながら、呟く。

違うのは、ドアが来る位置に並ぶ人たちが居ないことくらい。

「間もなく電車が到着します」

聞きなれた言葉を懐かしんでいたアキラの顔が、線路の向こうから聞こえる音を聞き、徐々に険しくなる。

ホームへと滑り込んできた電車を見て、アキラは思わずオゾンへと尋ねていた。

「なんか……全体的に厚くない?これ、乗用?」

車体前面に貼られた分厚い装甲板。目の前を通り過ぎたそれが赤黒く汚れているのを、アキラは見逃していなかった。

目の前で開いたドアもとても分厚い。

窓も見るからに固そうな、小さい嵌め殺し窓が所々に並んでいるだけ。

その電車は、人を運ぶための電車というよりも、戦地に向かう装甲列車と言われたほうが納得できるような見た目をしていた。

「過去幾度となく電車への飛び込み自殺、あるいは襲撃が行われたためにその度に装甲を強化。

結果として、この形になりました」

「……凄い」

適切な言葉を見つけられず、とりあえず浮かんだ言葉を零し、装甲車のような電車へ乗り込む。

仕切りの無いロングシートと、規則正しく取り付けられた吊革。

オゾンの言っていたように、乗客は多くはない。少なくとも、二人が座れるスペースはある。

「そういえば、オゾンさんの乗車賃ってどうなってるの?」

「マシーナリーはタイプに関係なく、二機まで無料で持ち込むことが出来ます。

三機以上の持ち込みは、特別料金となります」

「つまり今は俺の所有物扱いか……そう言われるとしっくり来ないな」

固いシートに背を預け、アキラは電車内を見回す。

乗客のほとんどは帽子をかぶっており、端末を見ていたり目を閉じて眠っていたり、思い思いに過ごしている。

対面に座っていた小さな子どもはシートに登り、窓の外を見ている。

どれだけ走っても壁しか見えない事ですぐに飽きたらしい。

前を向いて座りなおし足をぶらぶらとさせながら、隣に座っている母親らしき女性にいつ着くのか、と尋ねている。

その光景を視界に入れることを拒むように、アキラはそっと目を閉じた。

帽子を忘れてしまった。包帯も変えようと思っていたのに。

電車に揺られながら、ただ、そんな事ばかりを考えていた。

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