野良犬の暮らし 二
このビルの出口は一階。階段は一箇所のみ。窓から飛び降りるにはクッションとなる物が無い。
つまり、階段で待ち伏せていれば獲物は自分からやってくる。
待ち伏せほど堅実で、対策の取りにくい作戦は無い。
動き回り物音を立てながら探す必要も無く、ただ相手が近付いてくるのを待てばいい。
適した場所を見つけ、後はそこで待ち続ける。狩りの基本だ。
だが、それではつまらない。
逃げる獲物を追い、自らの爪を、牙を、存分に振るう。
それは、強者にのみ許された娯楽。
弱者を虐げることに愉悦を感じるのは、ある程度知能のある生き物ならば全てに備わった本能だろう。
トウは階段の踊り場に棒状のジャンクと弾薬を置き、ハンドガンを手にする。
先ほどのドローンへの試射を見る限り、適当に撃っても必要以上の威力を発揮してしまう恐れがある。
一撃で仕留めるような事は避けたい。折角見つけた的だ。大事に使わなければならない。
意図的に足音を目立たせながら、階段をゆっくりと上がる。
ドアを叩く音が階段まで届く。ロックがかかったドアを、必死に開けようとしている音。
ドローンを破壊した様子を見ていたのならば、こちらが武器を持っている事は知っているだろう。
待ち伏せて迎撃するか、隙を突いて逃げるか、説得を試みるか。
この場で相手が取れる選択肢はそう多くない。
階段を上りきったところで視界に映ったのは、フロアへ転がり込む人影と、勢い良く閉じるドア。
運良くロックされていないフロアを見つけたらしい。
隠れる場所を見つけられたのならば、事が過ぎるまでそこで閉じこもる事を考えるだろう。
相手の行動とそれに対する対応を考えつつ、トウは獲物の逃げ込んだドアへと手をかける。
旧式のナンバーロック。安物のドローンといい、セキュリティにかける予算は無いらしい。
内側からロックをかけたのか、ビクともしない。勢い良く蹴り飛ばしてみるものの、やはり開きそうに無い。
その程度で影響があるほど脆くは無いと分かっているものの、義足へのダメージを考えてトウは蹴破る案を捨てた。
ハンドガンのマガジンを取り出し、残弾を確認する。残り十五発。
多すぎるくらいだ。少し減らしてちょうどいい。
ドアのロック解除用コンソールへと二発、立て続けに撃ち込む。
耳障りな金属音を立てながら、アラームを鳴らす間も無くコンソールは沈黙した。
無理やり開けようとして通報されては面倒だ。もちろん、対応されるまでに終わらせる事はできるだろうが。
続いて、切り取り線を引くようにドアへと銃弾を打ち込み続ける。
一発一発が空ける穴が、フロア内の光を廊下へと漏らす。
計十発の銃弾によって、そのドアは役目を果たす術を失った。
放っておいても倒れそうにグラついているドアを、勢い良く蹴り飛ばす。
「ひっ!」
ドアの転がる音に混ざる悲鳴。それも、女の声。
「うご、動くなぁっ!」
そして、叫びなれていない、気の弱そうな男の裏返った声。
ドアの向こうにいたのは、後ろからナイフを首に付きつけられた女と、震える手でナイフを持つ男だった。
人質。策としては悪くない。
ロックがかかっていなかったのも、あの女が居たからか。つくづく運の良い男だ。
ハンドガンを持った手を男へと向けながら、トウは小さく笑った。
「そこから、どうする気だ?」
「で、出て行け!俺の邪魔をするな!早く出て行かないと、この女がどうなってもしらないぞ!」
女に付きつけられたナイフは震え、幾度か刃が触れたのか既に首筋には血が滲んでいる。
恐怖で失禁したのだろう。グレーのビジネススーツは股間部分が濡れ、足下へと液体が伝っていた。
口をぱくぱくさせるばかりで、女は言葉を発しない。
ただ、耳元で聞こえる男の叫びに時折身をすくませている。
「動くなと言われた以上、俺はここから動かないぞ?」
「ふざっ、ふざけたことを、言うな!
そのままゆっくり下がれ!下がって、出て行け!」
「出て行かないと、どうなる?」
「言っただろ!この女を、殺……刺す!本気だぞ!俺は本気だぞ!ニヤニヤするな!俺を笑うな!」
必死の叫びを、鼻で笑う。言葉とは裏腹に、とても本気には見えない。
自分のやっている事に、思考が追いついていないのだろう。
逃げ込んだ先に人が居た。だから人質を取った。
そこから先、どうするかは考えていない。
「その女を殺して、俺に損害があると思うか?」
「へ……?」
だから、予想外の展開になってしまえば思考は完全に停止する。
間抜けな顔で口をぽかんと開けたまま、男は次の言葉を待つ。
「俺はお前を殺すために来た。そして、その女は俺とは一切関係が無い。
死んだところで俺には何の被害も無い」
「何言ってんだ!おま、ひと、人が死ぬんだぞ!お前のせいで人が死ぬんだぞ!
分かった!お前マシーナリーだろ!その声と格好!人じゃないんだろ!」
「どうでもいい」
男の言葉を一蹴し、トウは男の顔めがけてトリガーを引いた。
女の背後から覗き込むように出ていた男の顔は、的としては大きすぎる。一発で吹き飛ばす事も十分可能。
だが、そうはしない。
銃弾に耳を削られた男が、狂ったような悲鳴を上げる。血の噴き出す傷口を押さえてその場へ崩れ落ちる。
解放された女も恐怖が閾値に達し、放心状態でその場へとへたり込んだ。
足下にできていた水溜りが、ぺしゃり、と間の抜けた音を立てる。
必要な試し撃ちではない。
もはやトウが求めるのは、己の嗜虐心を満たす手段だけだった。
男の悲鳴を聞きながら、トウはマガジンを取り出し、中身を確認する。
残弾は二発。あと一発は、遊べる。
「立て。人質が逃げるぞ?」
「痛い……痛いぃ……医者を呼んでくれよぉ……」
耳を押さえて涙を流す男に、もはや抵抗する意志は無い。
床に増えていく血痕を見ては、情けない嗚咽を漏らしている。
「……立てよ」
今度は膝へと銃弾を撃ち込む。
骨を、神経を破壊し、開いた穴から血が零れだす。
「ぎぃっ、やああああ!」
座り込んでいた男が姿勢を崩し、横倒しになる。
耳が吹き飛んだ傷口を床へとぶつけ、上下から襲い来る激痛に男の脳は限界を迎えようとしていた。
痛みと悲鳴で呼吸は乱れ、混乱した体が男の意思とは関係なく動き始める。
「あひっ、うっ、がっ、ううっ、おえええっ!」
背を丸めて息も絶え絶えになっていた男が、おもむろに嘔吐する。
胃液ばかりで、固形物の殆ど入っていない吐瀉物が、床へと流れる。
血と汗と吐瀉物にまみれて痙攣するその姿に、トウは顔をしかめた。
「……汚ぇな」
足で男の体を転がし、仰向けにする。
喉に詰まった吐瀉物が、咳によって噴水のように吐き出される。
意識を失いかけているのか、呼吸もまともにできないらしい。
放置しておけば窒息するだろう。
「俺は優しいからな。楽にしてやろう」
砕けた膝を踏み、痛みによって男の意識を覚醒させる。
もはや男は悲鳴すら出せない。口と目を大きく開くだけ。
「助けを呼ばなくていいのか?言い残した事は?」
男が喋れない事を分かった上での問いかけ。
見下ろす銃口と目が合い、男は必死に頭を振る。
死にたくない、と口にする事もできず、声にならない悲鳴をあげる。
「特に無いのか。謙虚だな」
銃口の向こう。銀色の髪をした男の吊り上がった口元が、男が最期に見たものとなった。
びくん、と一度だけ大きく体を震わせ、男は動かなくなった。
薄ら笑いから無表情へと戻ったトウは、空になったハンドガンをコートのホルダーへ戻す。
「おい」
放心状態の女へと声をかけるが、反応は無い。
男から漏れ出た体液が足を濡らしているが、立ち上がろうともしない。
最初の発砲から動いていない所から、男が死んだことに気付いていない可能性すらある。
「……」
急速に思考が冷めていく。少しはしゃぎすぎたか。
ここで起こった事を記録している物は無い。ただ、この女が記憶しているだけ。
おそらく放っておいても危険は無い。
嫌な記憶は忘れたいものだ。わざわざ思い出して詳細に話す事は無いだろう。
だが、禍根を断つに越した事は無い。
トウは、男が落としたナイフを拾い、刃を確かめる。
安物だが、裂くには十分。
逆手に持ったナイフに光を反射させながら、女へと近付く。
その目は、冷静な心境を映し出すように落ち着いた光を宿していた。
置き去りにしていた弾薬と棒状のジャンクを回収し、トウはビルを後にする。
割れた窓から路地裏へと抜け出し、壊れたドローンを一瞥した。
もはや使い物にならないドローンだが、金に困った浮浪者によってジャンク屋へと投げられて僅かな金にされるだろう。
もしドローンが映像を記録していたとしても、その最後は自分が破壊される瞬間であり、その先は無い。
トウは、義手の指先に付いていた返り血をコートで拭った。
そして、まるで何事もなかったかのように、人ごみへと紛れていった。




