野良犬の暮らし
人の体は、発達した技術に取り残されている。
この体にしてもそうだ。
定期的に手入れをして抗生物質を飲まなければ、僅かに残った生身の部分が拒絶反応を起こし、使い物にならなくなる。
壊れても替えが効くとは言っても、そのために一々繋ぎなおす手術を受けなければならない。
面倒だ。
無駄な手間をかけてまで体を維持する必要性について考えた事も、一度や二度ではない。
だが、それは同時に、リスクと手間を覚悟すれば人の体では出来ない事も出来るということ。
背後から聞こえる足音。人気の多い路地裏にまで無警戒に付いてきている。距離は約十歩ほど。
ナイフで切り落とした義手を持っていくだけで高値で売れる時代、義肢装着者を無差別に襲う者は少なくない。
この追跡者も、その類だろう。
こちらが一歩踏み出す度に、それより少し大きな歩幅で相手も踏み出す。
少しずつ、少しずつ距離が詰められる。
一際高い足音。一気に距離を詰めるために、跳躍したのだろう。
それに合わせて振り向く。反転する視界の端に、刃を煌かせるナイフが映った。
右手でナイフを掴み、力ずくで刃を折る。振り向いた勢いをそのままに、左足で回し蹴りを放つ。
飛び込んだ勢いで刺すつもりだったのか、両足が浮いていた相手のわき腹に蹴り足が刺さる。
蹴りを受けてくの字に折れ曲がった体が、ビル壁へと叩き付けられた。
長年の雨で脆くなっていた壁材がはがれ、まだらな跡を残す。
「ぐえっ!?」
情けない声を上げながら、追跡者は崩れ落ちた。
折ったナイフの刃を持ち直しながら、トウはその追跡者を観察する。
苦しげに背を丸めてわき腹を押さえている。まだ若い、どちらかと言えば子どもと呼ばれるような青年。
「げほっ、うぇっ……」
胴体に強い衝撃を受けたためか、延々と咽ている追跡者の傍にしゃがみこみ、首筋にナイフの刃を当てる。
「おい」
焦点が合わないのか、追跡者の視線が中空を彷徨う。荒い呼吸が、地面に出来た水溜りに波紋を作っている。
軽く刃を立て皮膚に切れ込みを入れたところで、ようやくその視線がこちらの目を捉えた。
「ひっ……わ、悪かった……頼む……殺さないで……」
「何故、俺を襲った?」
「その、その腕……高そうだったから……」
「今まで何度、こうして人を襲った?」
追跡者が視線を逸らし、必死に記憶を辿る。
突きつけられたナイフに怯えながら、相手を刺激しないような選択肢を探している。
「三……いや、二!二回だけだ!本当だ!」
「俺を含めて二回か?」
「そう!そうだ!喧嘩で殴り倒した奴の腕が高く売れたから、また同じように売れるんじゃないかって思ったんだよ!」
「そうか。腕を切り落としたんだな?」
「向こうから吹っかけてきたんだよ!だから返り討ちにしたら、たまたま腕が千切れて、高く売れるって聞いたことがあったから、本当だ!信じてくれ!」
端末への通信。バイブレーションによりそれを感知したトウは、追跡者の側頭部を蹴り飛ばした。
骨の折れる音と共に、追跡者の意識が失われる。
傍聴する者が居なくなった事を確認してから、端末の応答スイッチを押した。
『OZN-0385です。アキラ様が目的地への侵入を成功しました』
「それで?」
『その後に、男性二名が目的地へと侵入しました。
一名は腹部を負傷していますが武装は無し、内容不明のアタッシュケースを所持。一名はハンドガンを装備しています』
前者は問題無い。負傷しているのならば万一奪い合いになってもアキラが半端な情を発揮しない限り処理できるだろう。
問題は後者。本物の運び屋だろうが、到着が予定よりも遥かに早い。
荒事にも慣れている。単発のテイザーなどで対応できる相手では無い。
「狙撃は?」
『準備済みです』
「危険だと判断したら即座に撃て。狙撃できる位置で待機を続けろ」
『了解しました』
通信終了。マシーナリー相手は無駄な会話が減り、楽で良い。
追跡者の懐を漁り、財布を探す。ジャケットのポケットに入っていたその財布は分厚い。
義肢を奪ったのが二回だけと言うのは嘘だったのか。あるいは金に余裕のある馬鹿が遊びで襲撃をやっていたのか。
中身を奪い、空になった財布を横たわる死体の上に放り投げる。
その内誰かに発見されるだろうが、どうせ喧嘩によって死んだと処理されて終わりだ。
目撃者も居ない。放置でいいだろう。
奪った金をポケットに突っ込み、トウはその場を後にする。
襲われやすいように手袋を着けずに外出する事は多々ある。こうして金を奪える上に、憂さ晴らしも兼ねた通り魔的犯行。
幸か不幸か、トウの容姿を気にする者はほとんど居ない。それこそ義肢を狙う者くらいだ。
義肢も眼帯も、この時代ではそれほど珍しいものでは無い。
髪も、銀一色よりずっと目立つ髪色をしている者も少なくない。
うつろな目で歩く人々の波に混ざり、ついさっき人を殺したばかりの男が何食わぬ顔で歩き続ける。
目立たぬ容姿であれば、当然気にされる事は無い。逆に目立つ容姿であっても、それはそれで関わり合いを避けられる。
何よりも、他者への余計な接触を避ける風潮こそが、トウのような者が腹黒いものを抱えていられる状況を作り出している。
ある日突然全ての人間の意識が変化するような事でもなければ、この風潮は永遠に続く。
人を殺すための道具が平然と売られている事もそうだ。
自衛のためと言って売られている銃器が、どれほど自衛に使われているのだろう。
「いらっしゃい……へへっ、また兄ちゃんかい」
「ハンドガン。弾とマガジンもだ」
「オーケーオーケー。いつも通り現金で頼むぜ……」
食い物や服を売っている店と並んで、銃砲店が店を構えている。
鉄柵と強化ガラスで仕切られたカウンターの向こうに並ぶ無数の銃器を持ち出せば、誰かに止められるまでに数十人は殺せる。
危ういバランスと、無気力に近い自制心がこの世を成立させている。
少なくとも、奪う側で居たつもりの人間が一瞬で奪われる側に回る程度には、不安定なバランス。
「弾はこれくらいでいいかい」
「足りん。倍だ」
「あいよ……そんな腕で兄ちゃんも大変だろ?いい医者紹介してやろうか?」
「不要だ」
弾薬とマガジンを包装紙で包みながら、店主はにやにやと薄ら笑いを浮かべる。
好奇心に従い無駄に突っ込んだ事を聞いて上客を失うよりも、これからも利用してもらえる事を優先する。
商売人としての基本を忘れない店主は、後ろ暗い所のあるトウにとっても都合が良かった。
「ほらよ。既に入ってる弾とマガジンはおまけだ」
「良し」
仕切りに付いた小窓から渡されたハンドガンを、コートの内側に取り付けられたホルダーへと押し込む。
追跡者から奪った金を全てポケットから取り出し、カウンターへと乱雑に置く。
その量を見て、店主は目を丸くした。
「お、おい、こんなにいいのか?」
「世話になってるからな。礼も兼ねてだ」
「兄ちゃん……世渡り上手だな、あんた。ちょっと待ってな」
店の奥へと消えていった店主に気付かれないよう、トウは内心ほくそ笑んだ。
予定していた予算を使う必要が無くなり、その上に感謝までされる。今日は運が良い。
そんな事情も知らず、戻ってきた店主が抱えていたのは、布に覆われた細長い物体だった。
「これ、持っていきな。ジャンクだけどな」
「……ゴミを押し付ける気か?」
「直せば使える。最悪、適当な所に売っちまっても結構な金になるはずだぜ」
渋々と言った様子で、細長いジャンク品を受け取る。重く、ごつごつとしているそれは、感触だけでは中身は分からない。
「中身は見てのお楽しみだ」
「……また来る」
「へへっ、毎度あり」
ジャンク品を肩に担ぎ、トウは店を後にする。
ドアを足で開けたことに店主が顔をしかめていたが、気にすることではない。
目立つように細長いジャンクを揺らしながら、路地裏を歩く。
動作確認は必要だ、何事も。試し撃ちをしておきたい。
もう一人くらい絡んでくる相手を探す必要がある。
義手をチラつかせ、荷物で両手が埋まった隙だらけの状態をアピールする。
腕と荷物と、エサは豊富だが、獲物がかかる気配は無い。
いっそ、その辺りにうずくまっている適当なものに撃つべきか。
そう考え始めた頃、頭上でガラスの割れる音が響いた。
ビルの二階からガラスを割って降って来たそれは、けたたましい音を立てて地面を転がった。
「……セキュリティドローンか」
衝撃でアームが外れ、ビープ音を鳴らし続ける丸いマシーナリー。
警備の為に決められたルートの自動巡回を行う、広く普及しているタイプだが、決して質は良くない。
起動中はカメラが捉えた物へ警告を行い、それでもドローンの視界から外れなければ攻撃を行う。
個人の認識すら出来ないそれは、気休め程度のセキュリティにしかならない。
「警告。この場所への立ち入りは禁止されています。ただちに退去してください」
ビープ音が鳴り止み、代わりに警告音声が再生される。幾度と無く聞いたその音声には、もはや親しみすら覚える。
「警告。この場所への立ち入りは禁止されています。ただちに退去してください」
警告は三度まで行われる。三度目の警告の後、攻撃開始の音声と共に内部に仕込まれた機銃が展開される。
即座に攻撃を行う事で関係者までも傷つける可能性を配慮したのかもしれないが、そのシステムは警備には向いていない。
警告を行っている間に破壊するだけの時間は十分にある。
ハンドガンを取り出し、転がったままのセキュリティドローンへと照準を合わせる。
「警告。この場所への立ち入りは禁止されています。ただちに退去してください」
トリガーを引く。サイレンサーが仕込まれた銃身が、発砲音を極小さなものに押さえ込む。
放たれた銃弾は鉄製のボディを貫通し、内部の機構も貫いて真後ろへと抜けて、アスファルトの地面に弾かれた。
一直線に穿たれたドローンは、バチン、と言う電撃音を最後に沈黙した。
トリガーを引いた右手を見つめる。
力のある義手のおかげで押さえられたものの、ハンドガンにしては反動が大きい。
訓練していない生身の人間が扱うには少々不便なほど。
大方、義手と慣れでどうにかなるだろうと判断し、店主はこの銃を選んだのだろう。
しかし、この銃を扱う予定があるのは生身の人間だ。それを言っておくべきだった。
まあいいだろう。これは自分で使い、アイツには今まで使っていたものでも渡しておけばいい。
マガジンを取り出し、中身を確認する。残りは十五発。
セキュリティドローンが降って来たのだから、それなりの事が起こったのだろう。
トウは割れた窓を見上げる。
身を乗り出して見下ろしていた人影が、ビルの中へと消えた。
ドローンの破壊程度で何かを言われる事は無い。
だが、まだ試し撃ちが足りない。自分が使うことになったのだからなおさらだ。
担いでいた棒状のジャンクで横の窓を叩き割り、ビルへと侵入する。
計画的か突発的かは知らないが、ドローンを投げ捨てるようなアホができる事などたかが知れている。
何よりも、空き巣が相手なら何をしようと良心が咎める事は無い。
薄ら笑いを浮かべ、トウは獲物を探してビルの徘徊を開始した。




