010_020 ※注) パンツは食べ物ではありません。
それが俺たち【召集兵】が、この【根の世界】に呼ばれた理由だ。
だから懐疑的ではあるもの、カシスも一応と言った感じで、調べることに異論はなかった。
この街の建物の多くは、木の柱や梁を建て、レンガを積み上げて壁を作る、半木半石だ。
服屋の倉庫兼作業場も同じ作りで、その一画分の壁が崩れている。
もっとも壊れてるのは、服屋だけではない。昨夜の不意の襲撃は激しかったから、破られた防壁に近い建物は、少なからず被害に遭っていた。
「ふぅん……なるほど。確かに被害に遭ったにしては、変に綺麗ね」
壁の穴から入って、カシスが中の様子に唸る。
見かけの豪快さからは想像もつかない、小綺麗に片付いた倉庫内には、ガトーのおっさんの几帳面さがよく表れている。
異変といえば、外から崩されたレンガが床に散らばってるのと。
棚の一角に詰まれていただろう、一部の商品だけがゴッソリ消えていること。
昨夜の戦いで、流れ弾が命中したにしては、綺麗すぎる。
「やっぱり【魔物】か?」
素人考えでも変だというのはわかるが、それ以上は理解できない。
そもそもこの世界とこの状況が、俺にとっては非常識だ。非常識なことは【魔物】のせいと考える風潮があるが、そう決め付けてよいものか。
しかも俺の常識じゃ、こういう捜査は警察がやるもので、一般人がノウハウを持ってるわけじゃない。
「カシスの魔法でなにかわからないのか?」
「あのね、前にも言った気がするけど、コタローは魔術のこと誤解してない? 神の奇跡とか超能力とか、そういうのと同系統と考えてるでしょ? 魔術は理論体系と法則に従って使ってる、ただの技術なのよ」
「要するに?」
「痕跡を魔法で調べることはできても、ここで起こった過去を見るとか、そういう事はできないから」
ふむ。確かに前にカシスに訊いたかもしれない。俺が思うほど、魔法というのは便利じゃないという話は。
となると。
「この事件は迷宮入りとなってしまう……」
「投げ出すの早過ぎでしょうが!?」
いやいや、カシスさんはそうおっしゃいますが、反論させてもらいますがな。
「こんな取っ掛かりのない事件、素人にどうやって調べろと?」
「まずは痕跡採取に決まってるでしょう? ひとまず雑貨屋に帰って、鑑識用具一式持ってくるわよ」
「魔女が科学捜査……」
「あたしの世界、指紋とかDNAなんて、概念すらないのよ? それに魔術って科学技術に比べたら、ものすごく大雑把なことしかできないの。指の模様が移った脂の跡なんて、科学でしか調べられないわ」
「そもそも鑑識機材なんてあったのか」
「【殉職】した【召集兵】の遺品よ。雑貨屋の倉庫にあるわ」
そんなことを話しながら、また壊れた壁の穴から外に出て、そんで雑貨屋に戻る用水路沿いの裏道を歩いていて。
「……ねぇ、コタロー。あれ」
「あぁ……調べるまでもなく、容疑者を通り越して、犯人としか思えないのがいたな」
カシスが顔を引きつらせて指差す理由もわかる。
通りすがりのお宅で、見つけてしまった。
裏庭に干されている、まだ朝の涼しいそよ風に揺れる洗濯物。
その下着に手を伸ばす不届きモノがいた。
「…………カシス。念のために訊くけど」
九九パーセントそうじゃないのは理解している。三年近くもここで生活しているんだ。
だけど人外他民族なこの街の場合だと、ほんのわずかでも疑念を抱いてしまう。
「アレ、【召集兵】じゃないよな?」
「違うわよ……」
うん。やっぱり違うんだな。呆れ気味にカシスに返されると、聞くまでもないって思うんだが。
「アイツ、パンツはいてないしな」
「コタロー? 目、ついてる?」
「すまん。恥ずかしいことに、たった二個しか装備していないんだ」
「個数は恥ずかしくないけど、使ってないのは恥ずかしいわよ? 他に見るところあるでしょ?」
「そうだな。パンツはかずに被ってるのが問題なんだな」
「確かにそうだけど、ボケはもういいから……」
下着ドロは、人間と呼ぶのはもちろん、この街の住人とも異なっていた。
一応は人型と言っていいのかもしれない。二本の腕と二本の足を持ち、現状では二足歩行をしている。
ただ、どう見ても人面犬だった。普通のと違うのは、手足の先っぽが妙に人間くさく、頭以外犬になっていない不思議生命体なところだろうが。
やたら色黒なんだが、家庭でも会社でも疲れ果てたような冴えないオッサン顔なんだが、体もまぁみすぼらしくて哀れさを誘う。やせ細った黒い体が丸出しで、体毛はチョボチョボとしか生えていない。これが普通の犬だったら、間違いなく病気だってレベルだ。
あと、ご丁寧に唐草模様の風呂敷包みを背負って、なぜか頭にパンツを被っている。女モノではなく、トランクスタイプの男モノを。
「本当に【魔物】がパンツ盗んでやがったとは……」
『……!?』
俺たちが見ていることに、やっと気づいたらしい。人面犬(仮称)が、犬の芸みたいに体を伸ばして、アンバランスな腕をパンツに手を伸ばした姿勢で振り返った。
△▼△▼△▼△▼
異なる世界から、この世界に【召集兵】が【徴兵】される理由。
それは【魔物】と戦うためだ。
初めてカシスからその話を聞いた時。
「……魔王でもいるのか?」
異世界に行って戦うなんて、ゲームとかマンガの世界だ。
だから自分でも呆れながら、魔王の存在を安直に想像そのまま訊いてみたのだが。
「【魔物】を率いてる存在がいるのかって意味なら、違うわ」
カシスは肩をすくめた。
後になって、実際に俺も戦うようになってから、なんとなくわかった。
【魔物】は常識を超えている。
一番わかりやすいところだと、死んでも死体が残らない。タールみたいに液化して、蒸発したみたいに消えてしまう。
ライトノベルなんかだと別に珍しくない現象かもしれないけど、そんな生物は実際にいるはずない。
それに個体差が大きすぎて、『種類』なんて概念が存在するのかも怪しい。形状は一応同じでも、頭の数やら目の数やら違うなんて当たり前。頭の位置とか半裂けになってたりとか、そんなのが一緒に群になってることもある。
どうやら生物としての常識が、当てはまっていないらしい。
「【魔物】の目的だけは、ハッキリしてるけどね」
カシスが言うには、【魔物】の目的は【塔】だ。
あれを壊したいのか、それともあれを登って上のどこかへ行きたいのか知らないけど、【魔物】たちは確かに【塔】を目指して侵攻してくる。
時には愚直に、時には絡め手を使って。
俺たち【招集兵】はその都度、苦労するわけだ。
「ふーん」
初めてカシスから話を聞いた時には、気の抜けた声を返す以上のリアクションはできなかった。
「【魔物】を見てもないのに、あたしの話が飲み込めたの?」
「いや、単に実感がないだけ」
「その割に、かなりマシな反応するわね」
「マシ?」
「【魔物】の話どころか、【徴兵】された経緯からして信じない人の方が多いのよ。今の時点じゃ確証なんて、なにもないでしょ?」
自分の知らない場所に来たのは、誰もが納得する。
しかし、それ以上の話をカシスの口から聞いても、普通は誰も信じないらしい。
だから【徴兵】の役目を無視して大海原に出たり、【塔】に登って確かめようとした【召集兵】も過去にいたとか。
それは関係ない話だからおいといて。
俺の中の言葉で、あえて【魔物】を定義するなら、悪魔だろうか。
映画なんかじゃ、生物らしい生物じゃなくて、そういう風に描かれてるように思う。
この世界は、ゲームで描かれてる空想世界なんかとは違う。
だから単純に『魔王を倒して世界が平和になりました。めでたしめでたし』なんてエンディングは迎えられない。
【魔物】と俺たち【召集兵】の戦いは、誰にも知られないままずっと続いてて、これからもずっと続くんだろう。
△▼△▼△▼△▼
昨夜の戦いも、そういったものだったんだが……
「倒し損ねたのがいたようね」
カシスが顔をしかめて言うように、俺たちの生活上、あってはいけないことだ。
同時に昨日の襲撃は久しぶりにものすごかったし、掃討しきれなくても致し方ないとも思ってしまう。
そして幸いと思っていいのか。
「なぜ【塔】に向かわず下着ドロ?」
「【魔物】の考えなんてわからないわよ……」
普通の生物ではないから、俺の常識はもちろん、どの世界の常識でも【魔物】には当てはまらない。何人もの【召集兵】が調べようとしたらしいが、【魔物】は生物の三代欲求とは無縁らしいので、その段階からつまづくのだとか。
ただわかるのは、なぜか連中は【塔】を目指し、それを阻止しようとする【召集兵】たちと戦う。
しかし、それから外れた妙なことをするヤツも、たまにはいるわけで。
目の前の下着ドロしてる人面犬(仮)みたいに。
「まさかパンツがエサ?」
「【魔物】にエサ必要ないわよ」
「じゃあ邪神召喚の生贄」
「どこの世界にパンツで召喚される邪神がいるのよ?」
「地球の二次元には、いても不思議なさそう」
俺が知ってるジャパニーズ・サブカルチャーならば可能性を感じる。
それはさておき。俺がカシスと話していある間に、人面犬(仮)は妙なことをし始めた。
なんと手にしたパンツを、口に入れた。股間の匂いとか嗅ぎたがる犬とか結構いるが、そういうレベルじゃなく、食った。
しかもそれ、男モノの越中フンドシなんですが……
「下着ドロの動機、エサとは違うが食べるためだったらしいな」
「本当にそれが? 関係あるのかしら……?」
「ちなみに俺の世界には、食べられるパンツが本当に存在する」
「なんのために存在してるのよ」
「いやぁ……カシスさんの性格を考えると、知らない方がいいんじゃないかと」
「本気でなんのため!? そう言われると気になるんだけど!?」
異世界カルチャーギャップについて話している俺たちの前で、【魔物】が嫌な音を立てて変形した。
申し訳程度に生えていた毛が全部吹き飛び、やせ細っていた体が膨らんで筋肉の塊になる。中型犬くらいの大きさだったのが、自動車並みの巨体へと膨張する。骨ばった手足も変化し、指先から爪が生える。ただ爪が伸びただけじゃなくて、立派に武器になる鉤爪に。
「GAAAAAAAAAAAAAAA――!!」
哀れさを誘う中年顔が、凶悪な化け物顔になり、耳まで裂けた大口を開いて、サメみたいな牙を覗かせて【魔物】は吼える。
どうやら下着ドロの邪魔をしたことで、俺たちにお怒りらしい。
なんとまぁ非常識な光景だ。地球で普通に生活していた頃の俺なら、『パンツ食って巨大化?』とか笑えなかったし、巨大化後もパンツを被ったままなのを見て、半笑いなんて浮かべていられない。
だけど【召集兵】として三年近くも生活していたら、もう慣れた。物理法則を無視した現象も、自分よりデカい【魔物】を相手するのも、いつものことだ。
「コタロー。今更だけど、戦える?」
指輪をいくつもつけた指を鳴らし、何気ない風情でカシスが訊いて来る。【魔物】は昨日みたいな頑丈な大物でもなし、しかも一体だから、油断はしないが気負う必要もない。
「ティアの『加護』があるから、ある程度は。ただしアルがいないから、期待はするな」
俺も腰を落として、拳を握り締める。子供の頃、少しだけやっていた空手の構えを意識し、素手で【魔物】と戦う構えを作る。
「武器なしよ」
「用意してる暇はない。とっとと倒さないと、大変なことになる」
【魔物】の首周りも太くなったのに、どういう理屈か風呂敷包みを背負ったままだ。
もし万が一、敗北や突破など許すことにでもなったら、身震いがする。
「ヤツがパンツを全部食べてしまったら、俺たちはノーパンで過ごさなければならなくなるんだぞ!?」
「いや、そうだけど……巨大化とパンツ食べるのが関係あるかわからないし、どうせ気にするなら、巨大化した方を気にして……?」
カシスが呆れ声を出した直後、【魔物】が地面を蹴って、襲い掛かってきた。