000_000 ある夜、ある兵役
ここは、俺の知っている世界とは違う。
多少の木造家屋はあるにはあるが、コンクリート造りの建物は一軒もない。ほとんどは石造りの建物が建ち並んでいる。
道はアスファルトで舗装されていない。砂利道という意味ではなく、日本では滅多にお目にかかれない石畳だ。
今は離れていく方角に建っている巨大な塔は、電波塔でも展望台でもない。もっと別の機能を持っている。
常夜灯はあるが、それは水銀灯でも蛍光灯でもLEDでもない。ただの松明か、油を使ったランプだ。
二四時間営業のコンビニなんて建っていない。ファストフードもスーパーも映画館もない。一応雑貨屋はあるけど、俺の知っている店とはかなり違う。
物語でしか知らない世界の、暗い夜の町を、俺は走っている。
いや、今は『俺たち』と言うべきか。
「先に行くわよ!」
「おい! 突っ走るな!」
言葉を発した本人が先頭に立つ。俺だって人並み程度の脚は持っている。なのに彼女は軽々と追い抜かしていく。
車並みの速度で、マントと彼女の紫の髪がなびかせた女の子が、だ。毎度のこととはいえ、少々自信をなくす。こっちの世界でもこんな非常識な人間ばかりではないのが、せめてもの救いだが。
それはそうと、一人で行かせてしまうわけにはいかない。
「アル! ティア! 頼む!」
一緒に走る二人に声をかけ、手を伸ばす。
「うんっ」
右を走る小さな女の子の手が触れると、鍵がかかっていたなにかが解除された。
「主! 手を!」
左を走る髪の長い女性の手を掴むと、それが重く、硬く、鋭く、力強いものになる。
それで足に力を込めて駆け出す。荷物が増えたが、それでも速さは今までとは比べものにならない。
「先に行くぞ!」
「あ! ちょっと!」
先ほど追い抜いたマントの女の子を、今度は逆に俺が追い抜き、地面を蹴ってジャンプする。
真夜中の警鐘と戦闘音で起こされて、俺たち四人は急いで門まで駆けつけたつもりだ。
でも、ギリギリだった。石造りの建物の屋根からなら見える。畑やため池がある内地のそこかしこで、既に戦闘が始まっていた。
暗くて遠くからではよく見えないが、防衛戦のためにそこかしこで焚かれたり発生した炎で、多少はわかる。
街を襲撃してきたのは、二本の足で立っている奇妙な生き物だ。テナガザルを等身大くらいに拡大すれば、あんな感じになるだろう。
そして一際、巨大な影があった。
動く巨大な岩の塊に見えるもの。それは人型に近く、直立すれば、身長は七メートルくらいだろうか。だけどデフォルメされたアメコミキャラみたいに、下半身に比べて異様に上半身は発達し、地面に手をつきながら歩いているから、実際には頭の位置は低い。
岩のゴリラ。俺の知識では、そんな風に表現できる生物だ。岩に見えるのは分厚い殻で、中身にはちゃんと血肉が通っている。
戦っているみんなは、他の敵に手一杯なんだろう。そいつは誰にも邪魔されず悠々と、防壁の崩れた箇所から内に入り、街へと辿り着こうとしていた。
『今回の侵攻、数が異常ですね』
「あぁ! 俺たちはあの大物を担当するぞ!」
建物の上を走りながら、伝わってくる声に応え、石造りの建物から跳ぶ。
それも俺の常識では考えられない大ジャンプ。オリンピックの記録として採用できるなら、向こう百年は確実に破られない自信がある。しかも俺の背丈より長い『鉄の塊』を持ったままだ。
毎度毎度、物理法則を無視していると自分でも思う。ここにはここの、俺の知っているのとは違う法則があるんだが。
「ここで倒すぞ!」
空中で岩ゴリラの頭部分に『彼女』を叩きつけた。
だけど硬質な鈍い音を立てて、刃が跳ね返される。
「相変わらず硬ッ……!」
『簡単に切り裂ければ、誰も苦労していませんよ』
俺が与えた衝撃に、岩ゴリラの体が傾いたが、転がすには不十分。体を捻って更に力をかけようとしても、空中では踏ん張りが利かない。
だけどヤツの足音で爆発が起きれば、話は変わる。
「一人で突っ込んだら危ないよ?」
声の方を見ると、背中に翼を生やした女の子が、いつの間にか追いついていた。
その子が発した爆音と熱気と共に、俺が与えたのとは逆のベクトルが発生し、バランスが崩れる。
更に。
「どっせーい!」
マントをなびかせた高空ドロップキックが、俺が叩いた岩ゴリラの頭に炸裂した。
バランスが崩れかけた状態で、新たな力を加えられて、自重を支えきれるわけない。巨体が地響きを立てて横に転がる。
「魔女があんなデカブツ蹴り飛ばすなよ!?」
「こっちの方が手っ取り早いのよ!」
俺と同じように防壁を飛び越えたマントの女の子と、同時に地面に降り立つ。
「それより早く!」
「おうっ!」
女の子に言われるまでもない。起き上がろうとする岩ゴリラに飛び乗る。その際、鍔を握って切っ先を下にして。
そうやって体重と落下の勢いを込めて切っ先を突き刺そうとしたが、岩ゴリラに数ミリめりこむのがやっと。見たまま岩のように固い殻は、簡単には破壊できない。
でも、これで十分。
『主!』
頭の中で言われるまでもない。
柄を腹に押し付け、全身で『彼女』に体重をかけて固定させて、鍔の位置にある、俺の知らない言語で『一』と彫られたグリップの引き金を引く。
すると爆発。拳銃のように大剣の機構が動き、削岩機のように切っ先が固い殻に更に食い込む。
『まだ!』
もう一度。
機構の隙間から爆発の熱気が吹き出て、殻の広範囲に罅を走らせて、強引に大剣の切っ先が五センチほど体内に入った。
『あと一発!』
もう一度。
それで厚い殻が砕けて抵抗がなくなり、一気に刃は根元まで突き刺さった。
『次!』
柄には『二』と彫られている。普通に大剣として使う時には、邪魔にならない位置にある引き金を引くと、更に大きな爆発。岩ゴリラの体内に入ったから見えはしないが、その爆発の力で強引に、刃が二つに割れて展開したのがわかった。
「ラスト!」
先ほどとは逆の鍔、『三』のグリップの引き金を引く。
直後、開いたに内蔵されていた砲身から火弾が発射。直後に大爆発。
さすがに固い殻といえど、罅が入った状態で、しかも内側から衝撃をかけられれば弱い。体液と肉と共に殻が爆散する。
「とどめを!」
爆発の反動と、岩ゴリラがのたうち回る勢いに任せて、飛び離れながら残る二人に後を頼む。
「任せなさい!」
マントの女の子が宙で叫ぶ。手の平を向けると眼の前に光る幾何学模様が出現し、そこから淡い緑色の槍が出現して発射される。
「うんっ」
小さな女の子が宙で応える。手を振ると熱の塊が周囲に浮かび、揺らぎの尾を曳いて発射される。
むき出しになった岩ゴリラの体内に、魔法の槍とプラズマが同時に命中する。
一拍置いて、この日一番の大爆発が発生する。岩ゴリラの体を内側から焼いて膨張させ、四散した。
だけどバラバラになった塊は、黒い靄になって消えていく。そんな生物などいなかった事にするように消滅していく。
「これは明日から大変よ……」
破壊された石造りの防壁を見て、マントの女の子が額に手を当てる。
「ティアたちも修理に駆り出されるね」
なにが楽しいのか、小さな女の子はニコニコと笑いながら言う。
「面倒だな……」
俺も思わずこぼして、手にした大剣を地面に突き刺すと、入れ替わるように髪の長い女性が現れる。
そして彼女は俺たちに言う。
「それにしても、その格好で外に出るの、なんとかならなかったのですか?」
あぁ、わかってるさ。自分でもこの姿で出るのはどうかと思う。
だけど言いたい。言わせてくれ。
「さっきまで寝てたんだぞ!? 鐘の音で起されて着替えるヒマがどこにある!?」
俺は上半身裸、下着代わりの麻の半パンのみ。しかも裸足というスタイルだ。海辺ではなにも問題ないが、街中でコレはアウトに判断されるだろう。さすがに元の世界で夜のコンビニでも、この格好で買い物に行く勇気はない。
しかし、だ。
「お前らだって似たようなもんだろ!?」
「仕方ないじゃない……!」
俺が指摘すると、マントの女の子が、恥ずかしそう合わせ目をかき抱く。
その下はスリップしか着ていない。更に下はどうなってるか不明だが、この様子では多分つけていない。
「私一人、普段着でいてもよかったですけどね」
髪の長い女性は、キャラからは意外にもフリフリのネグリジュを着ている。こっちは恥ずかしがる様子もなく平然としている。
「【魔物】はこっちのつごーなんて、考えてくれないし」
小さな子が着ているのは、ざっくりとした男物のシャツ一枚だけ。ブカブカの胸元から平たい胸が拝めそうで危険だった。
全員寝る時の格好まま、外に飛び出して、戦闘してたのだ。
一応はこの街と――もしかすれば世界を救ったってのに、締まらない事この上ない。
「ほら! まだ終わってないわよ!」
しかも壁の外では、まだ戦闘は終わっていない。
どこか情けない格好のまま、俺たちはもう一度、駆け出した。