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結局、何の手掛かりの無いまま百川を辞した熊五郎と惣介の二人は、唐笠長屋の熊五郎の家に帰って来ました。
「お光、帰ったぞ。」
「お帰り。あら?惣介さん久しぶりだね。」
「お光さんも相変わらずお綺麗で…」
「やだよう、オバサンからかうモンじゃ無いよ。」
「何言ってやがんだお前ぇ達はよ。それより初鰹はどうした?」
熊五郎が責っ付きます。
「それがさあ、お前さん。足りないんだよ。」
「足りない?」
「魚屋さんは後払いでいいって鰹置いて行っちまったけどね。」
「一両渡したじゃねぇか!」
「それが、一両二分だってんだよ。」
「一両二分!?」
「足りない二分、どうするんだよ。」
「あの~」
二人の話しを聞いていた惣介が、恐る恐るといった感じで口を挟みます。
「何でぇ?」
「今の話しって、鰹一本が一両二分するって事?」
「そうだよ。」
「…馬鹿じゃないの?」
「何をぅ!」
「だって、たかが鰹一本に一両二分ってありえない。」
「何ぬかす!去年は二両三分したんだ。それに比べりゃあ安いモンよ。」
「でも足りないんでしょ?」
「…そりゃあ、お前ぇ…」
「目と耳はただだが口は銭がいり。ってね。」
「何でぇそりゃあ?」
「知らない?目に青葉山ほととぎす初鰹ってさあ。」
「ああ、何か聞いた事あるな。」
「山の緑を見るのも、ほととぎすの声を聞くのもただだけど、鰹を食うには金がいるって事だよ。」
「…お前ぇ、上手い事言うなあ。」
「くだらない事言ってる場合ですか…足りない二分、どうするんですよ。」
「どうするったってお前ぇ…」
「じゃあ、僕が出すよ。」
惣介の申し出に、お光の眉間からシワが消え、パッと明るい笑顔になりました。
「何だい?惣介さん、随分と気前がいいねぇ。」
「そのかわり僕も頂きますよ、初鰹。あれ?…表に誰かいるよ。」
惣介の言葉に熊五郎とお光が入口の引き戸に目をやります。
そこに何やらモゾモゾと動く影がございました。
「誰でぇ!」
熊五郎が引き戸を開けると一人の男が顔を上げました。
「熊さん、今晩は…えへへ。」
「何だ!?与太郎じゃあねぇか?どうしたい?」
「あのね熊さん、頼みがあるんだけどね…」
「頼み?何でぇ?…まあ、とりあえず中に入りな。」
と、熊五郎が与太郎を中に引き入れました。
「えへへ…どうも。」
何やらモジモジしております。
「何モジモジしてやがんだよ!頼みってのは何でぇ?」
「あの~…今晩、泊めてくれないかい?」
「泊めてくれだぁ?どうした、何があった?」
「今朝、熊さんと会ったろ?」
「会ったがどうした?」
「あちきが褌代わりに坊さんの袈裟締めてたろ?」
「ああ、間抜けな格好だったな。」
「あの後、お寺に袈裟返しに行ったんだ。」
「それで?」
「そしたら坊さんが、何か臭う、何でこんなに臭いんだって言うからね、褌代わりに締めてたって…」
「言ったのか?」
「言っちゃった…へへ。」
「馬鹿な野郎だね、まったく。適当に誤魔化しときゃいいじゃねぇか。坊さん怒ったろ?」
「うん、怒った。もうカンカンになって、お出入り差し止めだって。」
「大事じゃあねぇか、それでどうした?」
「ウチに帰って、おかみさんに話したら、お前なんか要らないから出てけって、おん出されちゃった。」
「そりゃあ、かみさんも怒るだろうよ。けど、何だって俺ンちに来るんだ?竹ンとこでも行きゃあいいじゃねぇか。」
「うん、竹さんとこ行ったんだけどね。泊めてくれるって言ったんだけど、あちきがお清さんの話しをしたら、こうしちゃいられねぇ、お清に会って来るって出て行っちゃったんだ。」
「何でぇそりゃあ?お清ってのは何だ?」
「浮世小路に百川って料理屋があるだろう?そこに最近入った下働きの女なんだけどね、これが別嬪さんでさぁ、竹さん一目惚れしちゃったんだ。」
「ほう…で?」
「そんで、毎日口説いてたんだけど色良い返事が貰え無くて、気晴らしにお女郎買いにでも行こうってなったのが夕べの事で…そんで、夕べお寺で袈裟借りて竹さん達のとこへ行く途中で、そのお清さんを見かけたんだ。何処へ行くのかと思ったら明神様の参道で男と会ってたんだ。」
「何だ、そのお清って女には男がいたって話しか?」
「うん、蟇の油売り。」
「蟇の油売り?」
「そう。蟇の油売りの男に風呂敷包みを渡してた。唐草模様のヤツ。」
「そんで、竹の野郎は何しに行ったんだ?」
「きっちりと話しをつけるって…」
「馬鹿だねえ。岡惚れした相手に男がいたなら話しをつけるも何もあるかよ。」
「そうだねえ…」
「けど、お前ぇ別に竹がいなくたって寝るだけなら泊まればいいじゃねぇか?」
「うん、竹さんもそう言ったんだけどね。何か一人じゃ心細くって…」
「何、餓鬼みてぇな事言ってんだよ。まあ、一晩くれぇ泊めてもいいが…」
「ちょっと待って。」
二人のやり取りを聞いていた惣介が声を掛けました。
「何でぇ、惣介?」
「今の与太さんの話しだけどさぁ、そのお清さんって人が蟇の油売りに渡した風呂敷包みって、ひょっとして百兵衛さんのかも…」
「何で?」
「だって唐草模様だって…」
「お前ぇなあ、唐草模様の風呂敷が世の中に何枚あると思ってんだ?」
「そうだけどさぁ…夕べだよ。百兵衛さんが殺されたのも夕べの事でしょ?」
「そりゃあそうだが…」
「とりあえず明日、もう一度百川へ行って、そのお清さんに話しを聞こうよ。」
「まあ、そうすりゃあはっきりするわな。」
という訳で翌日、再び百川を訪ねる事になったのでございます。
所変わって、とあるお屋敷でございます。
小振りながらも手入れの行き届いた、見事な庭園でございます。
その庭を眺める形で縁側に胡座をかく、一人のお武家様がございました。
力強い角張った顎を持ち、太い眉毛の下にギョロっとした目があり、鼻も太く、口元にあるか無しかの笑みを浮かべております。
どうやら庭を眺めながら御酒を嗜まれている樣でございます。
「お頭。」
と、一人の若い同心が現れました。
「近藤か、どうした?」
「はい。今しがた成田屋の小僧が、お頭に届け物を頼まれたと、この風呂敷包みを持って参りまして…」
「俺に届け物?」
「男に頼まれたと申しておりましたが…」
「見せな。」
お武家様は、渡された風呂敷包みを解きました。
中には数枚の図面の樣なモノが描かれた紙と男物の着物が数着、それに一通の文が添えられておりました。
お武家様は文に目を通すと、更に鋭い眼光になり、若い同心に目を向けました。
「近藤、その小僧はどうした?」
「駄賃を渡して帰しましたが…」
「お前ぇ、その小僧ンとこ行って、男の風体を詳しく聞いて来い。ついでに詳しい人相書きをこさえるんだ。」
「何かございましたので?」
「いいから早くしな。詳しい事は後だ。」
「はは。」
同心は畏まって、その場を辞しました。
「こりゃあ、面白くなりそうだな。」
お武家様の口元には、はっきりと笑みが浮かんでおりました。