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第7話 暴かれた隠者

 3月16日 朝

 オークウッド家




「おはよう、みんな」


「ふわ……おーす」


「おはようございます」


「───……」


「……オハヨウサン……ムニャ」


「ワゥ」


 朝のミーティングを済ませ、使用人たちが食堂に集まった頃、アルバートはアーネストを伴ってやってくる。

 本来主人と使用人は食卓を共にはしないものだが、アルバートがそれを嫌うため、朝食はいつも全員が揃って取っていた。


 グレゴリー、オリビア、メアリは、入ってきた二人にまず一礼する。

 オリビアがモーニングティーを淹れる合間に、グレゴリーは主人の一日の予定を確認。

 妖精犬クー・シーのホリンは、アルバートの座る席の下で、巨体を横にし、寝そべっている。


 ちなみにランタンは夜型生活で日中は邸内で寝っぱなしだが、寝ぼけながらもきっちり出席する。

 もっとも、アルバートの頭の上でふわふわ浮かんで寝ているだけなのだが。


「大いなる父の慈しみに、日々感謝を。

 我らが主の与え給うた祝福と糧が、我らの心身を支えんことを。───Amenエーメン


「「「 Amenエーメン 」」」


 アルバートの食前の祈りの言葉に、メアリ、グレゴリー、アーネストの唱和が続く。

 メアリがこの家で目覚め、一日をオークウッド家の住人とすごすようになってから、馴染みとなった朝の風景である。


 食卓にはサンドイッチと紅茶。生野菜に、旬のフルーツ、りんごとオレンジ。

 ここの住人は、朝は軽めの食事を好む。


 食事を取らず、喋ることができないオリビアは、終始アルバートの背後に控えている。

 アルバートは綺麗にカットされたりんごを一つ取ると、足元のホリンに差し出す。

 ホリンが待っていたように口を開け、旨そうに食べると、そっと頭をひと撫で。


 行儀のよろしくない行為に、オリビアが責めるような視線をアルバートに寄越す。

 彼は苦笑で応えた後、卓上の手巾で手を拭くと、ハーブティーの香りを楽しんでから一口飲む。

 これも毎朝恒例の風景である。


 少し前まではそんな様子に微笑んでいたメアリだったが、昨日、今朝と少々沈んでいた。

 先日グレゴリーから聞かされたアルバートの過去。

 それから生まれた素朴な疑問を、メアリはずっと考えていたのである。




 恋人同士だった妖精を殺したという唯一神教。

 そして、そこに身を置くヘルメス神官長。

 大事な人を奪った相手と同種の存在と、彼は何故ああも親しく付き合えるのだろう?


「……どうした、お嬢ちゃん。具合でも悪いのかい? 元気がねぇみてえだが」


「え? ……あ、い、いえ、なんでもありません!」


 メアリは孤児院を襲ったウェアウルフを『家族の仇』と見ている。


 気の良い人物とわかったアーネストは、狂った人狼などではないと、わかってはいる。

 わかってはいるが、ウェアウルフという存在に、言い様のない敵意が滲んでしまう。

 さらに言えば、自分の体にも憎むべき仇と同じ血が流れているという事実から、己にすら嫌悪を感じ始めている。


 メアリはアルバートを見た。

 今日は思い切って相談してみよう。この疑問をぶつけてみよう。そう考えて。


 彼はすでに食べ終わり、2杯目の紅茶を飲みながら、グレゴリーと話し込んでいた。

 メアリはそこではじめて、自分が考え込んでいた時間は思ったより長かったと気づいた。

 慌ててサンドイッチを平らげるメアリを、アーネストとオリビアは不思議そうに見つめていた。




「捜査の方はいかがですか?」


「状況証拠は十分に集まった。今なら、僕の権限を使えばすぐにでも令状を要求できると思う。

 でも、今回は相手が相手だからね。僕としては物的証拠か、あとひとつ、何か決め手が欲しい。

 この辺りは一昨日に警部補とも話したんだけど……これ、というのがなくてね」


 そのとき、アルバートの懐から携帯電話の着信音が鳴った。

 二つ折りの携帯電話を開いて液晶画面を確認したのち、アルバートは通話ボタンを押し、もしもし、と電話を受ける。


『もしもし、セス?』


 メアリはこういうときも人狼の血が恨めしくなる。

 普通の人間なら、テーブルの向こう側の電話の声など聞こえないのだろうが、メアリの耳にははっきりと聞き取れてしまうのだ。

 結果として盗み聞きになってしまう。しかも、電話の声は女性。少しハスキーで、恐らくメアリよりも年上と思われた。


『頼まれた件、済んだよ。今からこっちに来られる?』


「随分早かったね? たった二日とは恐れ入ったよ、ベリンダ」


『別に。たまたま早く見つかっただけ。で、どう?』


「時間からしたら君はもうすぐ寝る時間だね。わかった。今から行くよ」


『ん。待ってる』


 アルバートは電話を切ると、席を立った。

 会話の内容からすると、どうやらすぐに出かけるようである。

 メアリは、間が悪いな、と思わずにはいられなかった。

 しかし、メアリが今夜でいいかと思い直したところで、思いがけずアルバートから声をかけられた。


「メアリ、いいかい?」


「え? あ、はい」


「伝え忘れていたけど、今日の夕方、ヘルメス神官長がお見えになる。

 あいにく僕は同席できないけど、君の『今後』が主な話だから、悩みや不安があれば打ち明けてごらん。

 あの方なら、きっと相談に乗って下さるだろうから、ね」


 アルバートはそう言って食堂を後にする。

 出掛けにグレゴリーとオリビアに声をかけ、いつものようにアーネストを伴って、玄関へ向かった。


 メアリは何も言えずその背中を見送りながら、様々な気持ちが渦巻く心を持て余す。


 何も言わなかったのに、悩んでいたのを見抜かれていたこと。

 アルバートのさりげない気遣いと抜け目のなさに、感謝と少しの警戒心が湧いたこと。

 そして、自分の『今後』に何が待ち受けているのか、ということ。


 メアリはテーブルを見つめながら、なかなか立つことができなかった。




 † † †




 同日 昼

 首都近郊 貧民区




 首都ロンデニオンに限らず、この国の都市や街は、貧富の差が激しい。


 富裕層と貧民層は生活区からして違う。

 富める者は中心部のニュータウンや、ビジネス区のメインストリートに近いマンションやアパートメントに居を構える。

 対して、貧しい者は、再開発計画が頓挫したスラムのようなストリートや、打ち捨てられた廃ビルなどを住処としている。


 アルバートが向かったのは、首都のはずれのはずれ、貧民区。

 首都を南北に分かつ大河川イシス川に面した、小さなストリート。

 人口は300人に満たず、娯楽施設や会社のひとつもない、さびれた町である。


 車を近くの有料駐車場に停めたアルバートは、いつものように日傘を差し、アーネストとともに、徒歩でその区画に入る。

 そもそもこの小さな区域に入るのは、徒歩が原則となっている。

 そうでなくても、これ見よがしな高級車であるオークウッド家の私用車では、色々と問題があるのだが。


「あら日傘の君、ご無沙汰じゃない。それにいつものオオカミさんも」


「やぁ、ドロシー。久しぶり」


「おう、ちょっくら邪魔するぜ」


 歩を進める二人に、町の入り口に立つ女が声をかけた。

 起伏に富んだ抜群のスタイルをレザーの上下で包み、大胆に胸元を晒した短髪の女は、濃い色の毛と薄い色の毛が混じった縞模様。

 グリーンの瞳は猫のように細長い、ウェアタイガーの女だった。


 ここでアルバートとアーネストは別行動を取った。

 理由は後述するが、この界隈では大きな面倒ごとは起きないため、ボディガードであるアーネストも馴染みの顔に挨拶しに行ったのである。




 町へ入ると、そこには女しかいなかった。


 白人、黒人、黄色人種に、亜人や人外、そのハーフ。

 街角には何人かの人影はあるものの、どこを見ても女、女。

 まだ朝といっても差し支えない時間。だが、街には女しかいない。

 そして、誰もが挑発的な服に身を包む、見目のいい若い女だけである。


 しかしこのストリートでは、それは珍しいことでもおかしいことでもない。

 ここに住むのはすべて同じ職種の女だけ。

 そう。この町は『娼婦の町』なのだから。


 娼婦街。通称、マグダラ・ストリート。


 この国では犯罪者扱いである娼婦を自立、また武装させ、独自のルールを敷いている。

 様々な人種・種族を豊富に抱え、無法者の集まりでありながら無法地帯ではなく、古株のウェアタイガーの女を中心にした自警団のような娼婦が隅々まで目を光らせ、狼藉物を許さない。

 また、首都圏では珍しい、レズビアンをも客にする娼婦がいることも、このストリートの希少性を高めている。


 さらに、この町を取り仕切る長、今年84歳の、通称『マザー』は、もと武装神官のシスターであったウェアタイガー・ハーフである。

 何らかの理由でその身を娼婦に落とした後、この異種族間氏族とも言えるストリートを作ったという。

 神霊術は失ったが、数々の夜闇の民を屠ったその戦闘力は健在。

 その為この街は、マフィア・警察も介入出来なくなっている。


「セス、こっち」


 馴染みの顔に手を振りながら歩いていたアルバートに、一人の女が声をかけた。

 それに気づいたアルバートは、彼女が待つ壊れた街灯の下に歩み寄る。


「待ったかい、ベリンダ」


 ソバージュ気味の赤毛はミディアムヘアで、緩い縦巻きウェーブの毛先は軽くカールしている。

 左目の横に、黒く染めた前髪を一筋長く垂らして、泣きぼくろを隠していた。

 ミドルスリーブの、グレーのジャケットの下は、ワンサイズ小さいのだろう、窮屈そうに肌にフィットした白いTシャツ。それに、黒のホットパンツ。

 白く細い脚線美が眩しく、どことなく優雅で、スレンダーな美女だった。


 23歳の若さでありながら、この町ではそれなりに顔が利く娼婦の一人。

 副業に情報屋を勤め、アルバートの『事情』も知っている、彼の馴染みの娼婦であった。


 待っていたベリンダは微笑を浮かべていたが、左頬に青いあざがあった。

 それに気づいたアルバートは、その頬にそっと触れながら尋ねる。


「ベリンダ、その顔は……?」


「この前、ね。客に殴られた。もちろん『虎送り』にしたけど……心配ありがと。でもその話は置いといて」


 頬に添えられたアルバートの手を両手で包み、ぴったりと寄り添ったベリンダは、声のトーンを落とした。

 傍目には、客と戯れる娼婦に見える。不自然な様子はないだろう。




 マグダラ・ストリートに身を置く娼婦たちは、マザーの名の下に、義理の姉妹、義理の家族としての契りを交わす。

 客が不届きな行いをすれば、すぐさまファミリー全体に報せが行き渡り、自警団として機能しているウェアタイガーの女たちによって制裁が加えられ、場合によっては殺されることもある。

 これはいつからか『虎送り』と呼ばれていた。


 それでなくとも、この町の娼婦たちは全員、自衛手段として武器を持っている。

 ナイフや拳銃といった比較的小型のものばかりだが、女たちはみな扱いに慣れており、町には訓練場のような場所すらあるらしい。


 普通に考えれば、こんな物騒な娼婦たちに客が取れるはずもない。

 だが、それでもここへ、夜な夜な女を買いに来る男は後を絶たない。


 その理由として、このストリートの、信頼と実績があった。

 この娼婦街は、警察の取り締まりやマフィアたちすら手が出せないほどの力と金を持っている。

 また、こういった苦界にしては並外れて治安がいい上に、女たちも上玉揃いで、悪質なペテン師も存在しないときている。


 客は一度必ずストリートの仲介人を通し、それから初めて、町の娼婦を買えるようになる。

 その際、ストリートが客にきな臭いものを感じれば、情報収集に長けた娼婦の一団が密かに探りを入れ、とことん調査する。

 この一団が持つ情報網は、マグダラ・ストリート独自のネットワークであり、娼婦たちが客から仕入れた情報も管理している。


 ベリンダはそこに所属する娼婦の一員であり、その中でもやり手のエージェントであった。

 中にはベリンダのように、姉妹たちとストリートに害がない限り、副業として情報屋をやっている娼婦も少なくなかった。

 こういった存在もまた、このストリートの生存戦略の一つでもある。




「隣の市だから少し面倒だったけど、どうにかなったよ。

 この前、ええと……21日の深夜、この顔写真の子、シャーロットって子の方、見たって娼婦がいた。

 馴染みの客が大学の研究員でさ、こっそり呼ばれて出張したらしいんだけど、その時にカレッジの裏手で見かけたんだって」


「裏手? よく見つけられたものだね」


「その研究員、ちょっと変態っぽいらしくてさ、外で相手したんだって。二人でドキドキしたってさ」


「おやおや……で、彼女の様子については何か言っていたかい?」


「何も。病院貸し出しの患者服を着てて、フラフラしてからいなくなったって。

 別の職員にも何人か客がいてさ、ナースに化けて調べたら、この子っぽいの見たって証言が二人分手に入った」


「……入院患者に偽装していたか。大胆な真似をする」


 アルバートがベリンダに頼んでいたのは、行方不明中の4人の人狼の、目撃情報の捜索だった。


 事件発生から1週間以上が過ぎ、鍵となる情報はあらかた集め終え、真犯人と思われる人物には目星がついていたものの、アルバートと警察は、決定的な証拠は掴めていなかった。

 しかし、すでに十分な状況証拠は揃っていたので、アルバートは、魔術師である自分の口添えによって、重たい腰の警察を、無理矢理動かす自信はあった。


 だがこの犯人と思われる人物は、国家の重要な人材である魔術師なのだ。


 魔術師を逮捕するということは、高級官僚や有名な芸能人を逮捕するのと同じレベルの話である。

 動くならば確実な決め手が、もしくは有力な手がかりとなる情報が欲しかった。

 犯人も馬鹿ではない。度重なる失態によって、自分が疑われていることくらい、いい加減気づいていると思っていい。

 事を急いて足並みの揃わぬ行動に出るのは、組織においても、世論においても避けたい、という背景がある。


 そこでアルバートは、個人的に繋がりを持っているマグダラの情報網を用いて、有力な目撃情報を持った証人を探していたのだった。

 しかし、マグダラ・ファミリーの娼婦たちはれっきとした犯罪者集団である。

 故にこのことは、警察はもちろん、デビッド・プレストン警部補にも話していなかった。

 もっともデビッドは、このことは薄々勘付いており、あえて見ない振りをしているのだが。


「でもどうするの? 娼婦じゃ証言台には立てないよ?」


「なら、その子を買った研究員に証人に立ってもらおう。

 袖の下を渡しつつ、こちらのことを口止めした上で、警察に名乗り出てもらえるよう手配できるかい?」


「そう来ると思ってた。準備はもう済んでるよ。

 情報料200ロンドに料金追加、その手配も同じく200ロンドでいい?」


 地下鉄の1区間が、約4ロンド。

 ハードカバーの本1冊が、6~8ロンド。

 ランチの軽食、パスタ・サンドイッチ・紅茶一杯として、10~15ロンド。

 シャツやスラックスが、30~40ロンドほどとなっている。


「合わせて400ロンド、OK。いつもありがとうベリンダ。

 迅速ないい仕事だった。色はつけさせてもらうよ」


 そこでベリンダは言葉を途切れさせた。

 そして、抱き合った格好のまま、アルバートの首筋へ顔を埋め、艶っぽい囁きを零す。


「ねえセス。それはいいけど遊んでいってよ。1時間……ううん、2時間100ロンドでいいから」


「……不景気? 満月の夜には、また来るよ?」


 マグダラ・ストリートの相場は、娼婦にもよるが、1時間で200ロンドほどである。

 こうした価格破壊は、娼婦界においてはタブーだが、ここマグダラ・ストリートでは、特定の客、娼婦が気に入った誰か1名であれば、料金変更を密かに認めるというルールがあった。

 このシステムは、女を口説く楽しみも与え、ここを訪れる男たちの楽しみのひとつにもなっている。


「最近、客に恵まれないんだ。外れクジばっかり引いてる。

 今月だけでもう4人も虎送り。ちょっとストレス溜めすぎちゃって。

 それに、さっきから私たちくっつきっ放しだし、このまま帰るとちょっと怪しいよ? ダメ?」


 ベリンダのクールな瞳が童女のようなそれに変わり、上目遣いでアルバートを見つめた。

 アルバートは、やれやれと苦笑しながら、アーネストの携帯電話に「2時間後に入り口で」とメールを送信し、ベリンダの部屋へ向かった。

 文外に『適当』に時間を潰してくれという連絡でもあるのは余談である。




 † † †




 同日 夕方

 オークウッド家




 この日の夕刻、オークウッド家の使用人一行は早めに仕事を切り上げて、ヘルメス神官長の来訪を待っていた。

 日も半分が沈み、暗くなり始めたころ、ようやく見回りに出たばかりのランタンが、全員が寛いでいたサロンにすっ飛んできた。


「オイ、爺サンノ車ガ来タゼ!」


「お見えになりましたか。皆、玄関へ」


 外壁の門をくぐり、オークウッド家の敷地内に入ってきたワンボックスカーが、庭先の来客用駐車スペースで停車する。

 運転席から降りてきたのは、白絹のヴェールにカソック姿のシスター、金髪碧眼の武装神官イーリスであった。


 そのままサイドにまわってスライドドアを開く。

 ゆったりと降りてくる、銀縁眼鏡の老神官。

 顔に刻まれた無数の皺と大小の傷跡。高齢ながら、腰と背筋は曲がらない、自然な佇まい。

 唯一神教、ゲイルニッジ教会を任される、ヘルメス神官長である。


「お待ちしておりました。お久しぶりでございます、神官長」


「──……」


「ヨウ爺サン! 死神ノオ迎エハマダカイ?」


「おお、久しぶりだな、グレゴリー。オリビアも元気かね。あとランタン、お主覚えておれよ」


 迎えに出たオークウッド家の使用人たちを代表し、ホブゴブリンのグレゴリーが一歩前に出て、オリビアとメアリとともに一礼する。

 失礼極まりないランタンの言葉にも、笑顔で応えるヘルメス。


 使用人たちも知り合いだったのかと、メアリが驚いていると、イーリスと目が合った。

 本国から──外国からやってきたばかりの彼女には、顔見知りはメアリだけなのだろう。

 妖精たちはそっちのけで、イーリスはメアリのもとへ歩み寄ってきた。


「イーリスさん……いらっしゃいませ」


「邪魔をする。初めて見たときも思ったが、借り物にしては似合っているな」


「あ、あはは……どうも……」


 今日も変わらず、エプロンドレスにフリルのカチューシャという、使用人の格好のメアリを見て、イーリスの顔に苦笑が浮かんだ。

 気恥ずかしさから頬を朱に染めて照れつつも、笑顔を見せるメアリ。


 そんな二人の娘を見ながらヘルメスは思う。


 資料には、イーリスは夜闇の民によって家族を失ったとあった。その際に、幼い妹を亡くしたらしい。

 普段は仮面のごとき無表情のイーリスだが、教会の裏手にある、神学校の寮に住む親無しの子供たち、そしてメアリと接している時は、わずかながら笑顔を見せる。

 そしてメアリも、また親なし。そんな境遇の年下の少女に、なにか感じるものがあるのだろう。


 ヘルメスと同じように、ランタンもそんな二人に気づいた。


 イーリスは、オークウッド邸に来るのはこれが初めてである。

 もともと好奇心の強い種族であるランタンは、宙をふわふわと進んで、のんきに寄ってきた。


「コッチノ姉チャンハ誰ダ? 新顔カ?」


「気安く話しかけるな悪霊。使用人なら使用人らしく控えていろ」


 無邪気に声をかけたランタンに、イーリスが返した返事は、にべもないものだった。

 その応えに、ランタンはオレンジのカボチャ頭を真っ赤に染めて食って掛かる。


「ナァッ!! テメー、何テ言イグサダコラ!

 ツイデニ言エバおいらハ妖精扱イダ! マルカジリサレテーカ!?」


「むぅ……! 野菜の分際でよく言った。輪切りにして煮込んでやってもいいんだぞ?」


 カボチャをくりぬいた目鼻を怒りの表情に変え、大きな口をパカパカ動かして文句を垂れるランタンに、イーリスは不機嫌そうに言い返した。

 真っ向から睨み睨み合って火花を散らすシスターとカボチャを見かね、ヘルメスとグレゴリーが億劫そうに声をかけた。


「来た早々にやめなさい、シスター・イーリス」


「ランタン、あなたもですよ」


 ランタンは『ケッ!』と不満げに背を向けると、見回りに行ってしまった。

 イーリスも、そんなランタンの後姿を見ながら、フンと鼻を鳴らすのだった。


 はからずも、ヘルメスとグレゴリー、オリビアとメアリの4人は、揃ってため息をついた。

 開きっぱなしの玄関の脇で、番犬ホリンは待ちくたびれて大あくびをつくのだった。




 † † †




「さて、体の調子はどうかね? なんでも最近は、この家の手伝いもしているそうじゃないか」


「あ……は、はい。ちょっと恩返しに……」


 応接間も兼ねたアルバートの執務室に通されたヘルメスとイーリスは、メアリと向かい合ってソファに座っていた。

 グレゴリーは気を利かせて退室している。

 ほどなくして、扉をノックする音が部屋に響く。


「──……」


「……あ、ありがとう」


 手も触れずに開いた扉から入室してきたオリビアが、三人に紅茶を出すと、イーリスは戸惑いながらも礼を言った。

 オリビアは笑顔を見せると、そのまま退室していった。


「……あれが例の妖精シルキーですか。お話は伺っていましたが、邪気はありませんね」


「例の話は滅装神官たちが誇張して吹聴しただけだ。

 彼女は真実、罪無き妖精だよ。彼らの話を信じすぎないようにしたまえ」


 ヘルメスとイーリスの交わす会話に、メアリは戸惑った。

 オリビアは初めて会ったときから邪悪な気配などない。

 ハーフながら、人狼の鋭敏な嗅覚と感覚を持つメアリは、彼女に対してはなんの危険も感じ取れない。


 今の言いようから察するに、彼女も過去に何かがあったのだろうか。

 メアリは先ほど、ヘルメスがここの住人たちと親しそうにしていたのを見ている。

 どうやらこの老神官は、この特殊な家と、思ったよりも深い関係にあるように思えた。


 不審そうなメアリに気づいた二人の神官は、居住まいを正して、その会話を打ち切った。

 ヘルメスは出された紅茶を一口飲むと、改まってメアリに話しかけた。


「今日、私が来たことについて、セス君から何か聞いているかね?」


「私の、今後について、とだけ……」


「ふむ」


 実際は何も聞かされていないに等しい。

 不安げなメアリを前に、ヘルメスは顔を上向け、少し考え込んだ。

 数瞬かけて、脳裏に言葉を組み立てているかのような沈黙。


「今後というのはね、これからの、君の身の振り方だよ。

 今回の件で、君はまた家なしの親なしになってしまった。

 以前にも言ったが、この国では、身寄り無き人外ハーフは皆、我々唯一神教の預かりとなるのだよ」


 悩んだような素振りはほんの数秒。

 老神官は、単刀直入に用件を切り出した。


「まず教会が保護し、役所に届出をし、身柄を預かり、神教学院の学院生となる。

 君は未成年だ。そこで私が君の後見人、保護者になろうと思う。

 君の場合、修道院に入るのがベストとなるだろう」


「え……」


 帰るべき場所を失い、自分はこれからどうすればいいのか。

 よくよく考えればこんなに大事なことを、何故今まで考えなかったのか。


 孤児で、人外ハーフで、犯罪に巻き込まれた未成年。

 並べてみれば、実に面倒な要素が揃っている。

 すべてが始まった日から、数えて10日あまり。

 急な話ではあったが、意外なことではなく、むしろ今更といった話である。


「ヘルメス神官長は現在、アルバート・オークウッドの保護監察官でもある。

 繰り返しになるが、この国で人外ハーフが生きていくには様々な手続きが必要となる。

 あ奴の場合は極めて特殊な例だが、君はただのウェアウルフ・ハーフだ。

 あんな畜生ハーフのもとにいるべきではない。これは、君のためでもあると思う」


 あとに続いたイーリスの物言いは、アルバートへの嫌悪を隠そうともしていない。

 だが、その声音は心からメアリの未来を憂う色が濃く、悪口あっこう交じりとはいえ不快さは感じない。


 そんなに嫌うこともないのでは、と、メアリは思う。

 たしかに彼はミステリアスで、隠し事も多いように見えるし、やけに鋭い所もある。

 色々と怪しいのは自分も認めるが、それでも彼は根本的にお人よしに見えるし、なにより2度目の襲撃の時は、身を挺して助けてくれた。

 いくら人外ハーフとは言え、そこまで悪し様に言うことは──


(──畜生……ハーフ?)


 そこでメアリは気付いた。彼女はアルバートを『ハーフ』と言っている。

 自分が聞いた話では、父親がウェアウルフ・ハーフということだった。

 つまり、彼の言葉を信じるなら、ウェアウルフ・クォーターと言うのが正しいはずだ。


 しかしイーリスは彼をハーフと言っている。

 加えて、初めて顔を合わせたときの、強烈な敵意と嫌悪。

 同じく、というより、彼よりも血が濃い自分には、イーリスはごく普通に接してくれている。


 人間と、ウェアウルフで、4分の3だ。

 なら、残り4分の1はなんなのか。


「あの……」


「何かな?」


「アルバート様は、その……人外ハーフ、なんですよね」


「……? そうだが、それが?」


「お父様がウェアウルフ・ハーフというのは聞きました。アルバート様はそれで4分の1……もしかして、その……お母様、も?」


「……まだ聞いていなかったか。まあ無理もない。

 彼はあまり自分のことを話そうとしないし、この話に至ってはな」


 ため息をつきながら、何かに思いを馳せるように。

 ヘルメスは手を組んで膝の上に置くと、遠い目で宙に視線を彷徨わせる。

 老神官が背中を預けたソファが、ぎしり、と鳴った。


 その視線がどこを向いているのか。

 その目に秘めた悲しみの色は何なのか。

 寂しさ? いや、違う。


 それは諦観。そう。彼は何かを諦めている。

 そして、己の無力を嘆いている。

 ヘルメスの様子に何かを感じたのか、隣に座るイーリスも、訝しげに彼の横顔を窺う。


(イーリスさんも、知らないみたい……)


 視線の端で戸惑いの表情を見せるイーリスを見ながら、メアリもヘルメスの次の言葉を待つ。

 長い沈黙ののち、ヘルメスはメアリに向き直り、人狼の赤い瞳をまっすぐに見つめて、ようやく言葉を紡いだ。


「君の言うとおりだよ。彼の母君、カミラ・オークウッド夫人は──」


 一度そこで言葉を切り、すう、と小さく息を吸うと、喉の奥から空しさを吐き出すように、その言葉を口にする。




 † † †




 同日 夕方

 ゲイルニッジ市警察署




「随分といいタイミングで目撃者が見つかったもんだ。なあ、男爵バロン?」


「まったくです。きっと警部補の日ごろの行いが、とってもいいせいでしょうね。

 それと何度も言いますが、オークウッド家は既に爵位を剥奪されていますので」


 ゲイルニッジ警察署の捜査本部にて、デビッドとアルバートがわざとらしい会話を交わしていた。

 少し前に、被疑者4人の人狼のうち一人を目撃したと言う情報が入ったのである。

 その人物はカーンブリッジ大学医学部に所属する若い研究員だった。


 捜査本部は最近の慌しさが嘘のように、しかし何かを待っているような、奇妙な静けさに包まれている。

 その中にあって、二人の明るい態度はあからさまに浮いていた。


 やがて、一本の電話が鳴る。


 瞬間、周囲の人間が一斉にそちらを向いた。

 若い刑事が待っていたように受話器を取ったのは、着信のベルが1回鳴り終わる前だった。


 短い返事と「了解」の一言で、その電話は切られた。

 受話器を置くや否や、その様子を見ていたデビッドとアルバートへ、つばを飛ばして大声を張り上げた。




「警部補! メイガス・オークウッド! 来ましたよ! 令状が出ました!」


 アルバートともに、隅のスペースの椅子に座っていたデビッドは、弄んでいたコーヒーの空き缶をボックスに投げ捨てる。

 たちまちざわつく捜査本部に、デビッドの大声が響き渡る。


「わかっちゃいたが早えなオイ!! さすが、魔術師サマが絡むと楽でいいぜ!!」


「さて、大詰めですね」


「おうよ。聞いたなお前ら!! ガサ入れだ!!

 被疑者はスチュワート・パターソン、男性、48歳、独身!

 カーンブリッジ大学医学部教授、兼──擬似生命使役研究魔術師!!」


 事態はついに動き出した。

 アルバートは次々に出て行く刑事たちを背中で送りながら、ただ無言で、捜査本部の窓から夕闇迫る街並みを見渡している。


「ロンデニオン市警はカーンブリッジ市警と組んで大学へ行く!

 俺たちゲイルニッジ市警は、こっちにある奴の自宅だ!

 ガレージから犬小屋まで、徹底的にほじくり返すぞ!」




 翌日の朝刊、ロンデニオンタイムスの一面はこの見出しで決まりだろう。

 すなわち『カーンブリッジ大学教授逮捕』の記事。


 この時点では、この場の誰一人それを疑う者はいなかった。

 だが、それは一部、的中しなかった。




 逮捕せんと大挙して押し寄せた公僕たちは、スチュワート・パターソンの姿を、どこにも見つけられなかったのだから。




 - 続 -





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