表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

第3話 朧な予感



 3月9日 昼




 10分ほどたっぷりと昏倒していたアルバートがようやく復調したのち。

 今度はしっかり日傘を差させて、一行は、徒歩で一軒のカフェレストランに向かった。


「へぇ、素敵な雰囲気のお店ですね。」


「ふふん。最近見つけた俺のお気に入りよ。テーブル取っといてくれ。ちと用を足してくらぁ」


 その店は大通りからひとつ曲がった道の脇にひっそりとあり、ビルの陰になってはいるものの、優しいイメージと温かい雰囲気のハーフログハウスで、少しも暗さを感じさせない。

 入り口には、ヒイラギの葉と、フェアリーを象った木製のレリーフで飾られ、青銅作りのドアカウベルの音色も心地いい。

 ログコテージ風の店内は、テーブルにひとつずつ、色とりどりのグラスキャンドルの小さな火で彩られ、まさに穴場といった表現のあてはまる、小洒落た店であった。


「わぁ……」


 テーブルを取ると言っても、店内に客の姿は一人もなかった。

 店内を見渡すメアリは、ついつい目元を緩ませて笑みが零れてしまう。

 なんといっても15歳の少女。他人の視線がないと、ついついはしゃいでしまいたくなる年頃である。

 自分が使用人の格好であることを思い出したメアリは、奥のバーカウンターの前へと進み、席を引いてアルバートを促す。


「どうぞ、旦那様」


「おや、ありがとう、使用人さん」


 ちょっと気取って使用人の真似事をするメアリに、アルバートも笑顔で付き合った。

 エプロンドレスにフリルのカチューシャと、紛う事なき使用人の格好をした少女。

 そして、ステッキがわりに閉じた日傘を片手に歩む、スーツ姿の若い紳士。

 二人の構図は主従のそれ。ちょっとしたごっこ遊びである。


「やぁ、いらっしゃい」


 そこへ、奥から店主と思しき恰幅のいい男性が現れ、メアリを目にして微笑んだ。

 しかし、次の瞬間。アルバートの姿を認めた店主は、怪訝な顔をしたあと、何かに気付いて憮然とした表情へと変えた。

 つかつかと無遠慮に足音を鳴らし、肩を怒らせながら近づいきて、冷たい声で言い放つ。




「出て行きな、化け物男爵」




 メアリは、つい今しがた優しい笑顔を見せてくれた、人の良さそうな店主の豹変に驚愕した。

 慌ててアルバートを見れば、彼はため息をついて顔を伏せたところであった。

 その顔には、以前にも見た、諦観のような苦い笑み。伏せられた目の奥で、とび色の瞳が寂しげに揺れている。


「その顔、灰色の髪、そして日傘……あんた、オークウッドの化け物屋敷に住んでる、噂の化け物モドキだろう。

 主は決してお前みたいな化け物をお認めにならない。さっさと自分の巣に帰れ」


 なおも店主は、化け物、化け物と連呼して、アルバートの背中に言葉の刃を突き立てる。


 ここでメアリは思い出すことがあった。

 昨日、唯一神教の教会でヘルメス神官長と一緒に出会った、ある武装神官のシスターである。

 あの時、シスター・イーリスも、同じように態度を豹変させ、冷たい言葉と憤怒の目を向けていた。

 もうひとつ言えば、今アルバートが浮かべている寂しそうな表情も、あの時とまったく同じである。


 ここにきてメアリは、ようやっと思い至った。


 人里から離れたところに豪邸を構え、住人には亜人と妖精しかおらず、魔術師で、陶芸家で、父親がウェアウルフ・ハーフ。

 この歳若い不思議な青年には、自分と同じか、あるいはそれ以上に複雑な事情があるのだ。


 アルバートはついに席を立った。店を出ようというのだろう。複雑な気持ちでメアリもそれに続く。

 と、そこへ、トイレからデビッドが戻った。おおよその話は聞こえていたのだろう、その顔には渋面。

 ここでデビット警部補は、おもむろに懐から何かを取り出すと、無造作に店主の両手を取った。


 ガチャリと、鍵をかけたような金属音。

 店主の両手には、なんと『手錠』がかけられていた。


「なっ!?」


「人種差別による迫害行為と認定。現行犯逮捕だ。営業も一時停止だな」


 驚いて振り向いた店主の鼻先には、警察手帳。

 それを見た店主の顔に驚愕と動揺が広がり絶句した。目を大きく見開いて、デビッドとアルバートの顔を交互に見つめる。


「ち、違うんだよ刑事さん。おれぁ、ただ……」


 そこでデビッドはコロリと表情を笑顔に変えた。

 慣れた手つきで鍵を外し、店主の目の前で手錠をぶら下げ、おどけるように言った。


「な~んてね。冗談だよ御主人。あ、クリームティー二つ。あと俺はいつものな」


「あ……え? は、ハイ。ただいま……」


 間の抜けた顔になった店主は、毒気を抜かれ、そそくさと店の奥に引っ込んだ。

 それを確認し、メアリとアルバートに向き直ったデビッドは『べー』と舌を出して、おどけて見せる。

 それを見たアルバートは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたが、とうとう吹き出して笑い始めた。


「人が悪いんだから」


「ほっとけやい」


 ようやくほっと一息ついたメアリは、改めて二人を見た。

 警察署から気になっていたが、この二人、どうも立場を抜きにしての友好関係であるらしい。


 この警部補は、メアリの知らないアルバートの事情を知っているようであり、しかし彼に対して距離が近く、遠慮がない。

 何か気心が知れた間柄であることは、人と触れ合う経験が不足しているメアリにもわかった。


 メアリは、ちら、と、笑うアルバートの横顔を覗き見る。

 さっきまでの愁いを帯びた顔はすっかり消えて、いつもの人の良さそうな笑顔があった。


(なんか……ミステリアスな人だなぁ)


 会ったばかりの頃からおぼろげに感じていたことだが、今更ながらメアリはこの不思議な青年のことが気になり始めていた。

 後から思い起こせば、メアリがアルバート・セス・オークウッドという人間を意識し始めたのは、この時からだった。




 † † †




 運ばれてきたのは二人分のクリームティーと単品のコーヒー。

 小さなバスケットにのせられた、手のひら大のスコーンは3個、3人分の小皿にストロベリージャムとバター。

 牛乳を少量塗ってこんがりと焼かれた表面。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 紅茶の赤とスコーンの狐色が目にも優しい、ティータイムの定番である。


 一人だけコーヒーを頼んだデビッドはポイポイと角砂糖を二つ放り込むと、かき混ぜながらスコーンをひとつ取る。

 小皿のジャムとバターをたっぷりと取り、バターナイフでこれでもかと塗りつけ、大きな口でかぶりつく。


「うめえ。が、ジャムが足りないな、このスコーン」


「糖分取りすぎですよ」


 うまそうに食べながらも文句をつける中年刑事に、顔をしかめたアルバートが自分の小皿からジャムを移す。

 それに喜色を浮かべたデビッドがさらに塗りたくってもう一口。

 ご機嫌でもぐもぐと口を動かし、コーヒーをすすった。


 そんな様子のデビッドを見て、メアリはようやく一息つくことができた。

 正直まだ先程の一件が頭から離れていないが、この人懐っこい不良刑事を見ていると、それもなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。

 アルバートといい、デビッド警部補といい、どうもこの二人には雰囲気を和ませてしまうところがあり、いろいろと対照的な二人の数少ない共通点であった。


「まったく……あなたはいつもそれだ。紅茶おちゃじゃなくてコーヒーばっかり」


「いいだろ別に。俺は紳士ジェントルマンってガラじゃないからな」


 メアリとアルバートも苦笑しながらではあったが、目の前でうまそうに舌鼓を打つ中年につられてスコーンを口にする。

 隣に座り、背筋を伸ばして上品に口へ運ぶアルバートを真似しながら、メアリも紅茶とスコーンの味を楽しんだ。


「で、進捗状況はどうでしょう」


 ひとしきり味わった後、おもむろに口を開いたアルバートがデビッドに尋ねる。

 コーヒーを一口含んでひとつため息をついたデビッドは、背もたれに体を預けて話し出した。


「いつもの調査は大体終わり。あとは揃ったネタで掘り返していくだけだ。とりあえずお前さんも現場を見てきな。まだ行ってねえだろう」


「おっしゃるとおり。この後そうしましょう。携帯は……もうすぐ電池切れか」


 恐らく迎えに来る予定のアーネストに連絡を取ろうとしたのだろう。

 ポケットから携帯電話を取り出したアルバートは、液晶表示を見てそう言った。

 すると、彼は袖口から、腕輪のように巻いて束ねた金属製のワイヤーを出すと、聞き取れない言葉で何かをつぶやく。


「 SL CT AT 」


 変化はすぐだった。

 束ねられたワイヤーがひとりでに動き出し、テーブルの上でみるみるうちに猫の姿を形作った。

 アルバートはメモと万年筆を取り出すと、サラサラと何かを書き込む。メモには『単3電池・二つ』と書かれていた。


「表のドラッグストア。頼んだよ、キティ」


 針金細工の銀猫『キティ』は、そのメモと紙幣一枚を口にくわえると、本物の猫さながらの動きでぴょんと飛び降り、店の外へ走っていく。

 そのメルヘンな光景に笑顔を浮かべながら、うきうきとした表情のメアリがアルバートに尋ねた。


「わあ、凄い! あの、今のは」


「即席の使い魔です。もっとも、メッセンジャーとネズミ獲りくらいしかできませんがね」


 ほどなくして戻ってきた使い魔のキティは、猫よろしく椅子の下でアルバートにお使いの品を差し出す。

 芸が細かいことに、前足を毛づくろいする仕草を見せ、音のないあくびひとつをするとシュルシュルとほどけていき、テーブルの上でワイヤーの束に戻る。

 その束の真ん中には、お釣りの硬貨と紙幣があった。


 アルバートは無邪気にはしゃぐメアリに微笑んでから、自前の充電器に電池を差し込み、携帯電話に繋げて懐にしまう。


「便利なもんだ。魔術師様は」


 以前アルバートが語った中で、魔法の無断使用は罪になるとあったが、それもいくつか例外があるようだ。

 今のような無生物使い魔によるお使い程度のものや、正当防衛の場合などがそれにあたるらしい。


「……魔法って便利なのに、お役人さんはどうしてもっと、魔法の使用を広く許可しないんでしょう」


「だよなあ。知ってるかい、お嬢ちゃん。大昔では一般家庭にすら魔法が浸透していたらしいぜ」


 さっきまで猫の姿だったワイヤーの束を撫でながら、メアリが不思議そうに呟く。

 すると、意外にもデビットが口を開き、アルバートもそれに続いた。


「確かに昔はそうでした。ところが、時代の流れとともに、魔法の力はどんどん弱まっていってしまったんです。

 一説には、本来『秘するもの』である魔法が、広まってしまうことで神秘性を失い、世界が存在を拒否しはじめたのだとか。

 そして一時期、魔法はほとんど失われてしまったそうですよ」


 居住まいを正したアルバートを見て、メアリは「あ、始まった」と心中でこぼした。

 どうやらこれは、何かを教える際のアルバートの癖らしい。


「しかし、月日は流れ、一部の天才たちの手によって少しずつ魔法は復活しだした。

 でもね、時の指導者たちは、また再び魔法が失われてしまうのではと危惧したんです。

 そこで彼らは、魔法を使ってもいいという『資格』と、それなしの使用を禁じる『法律』を作ることにしました。

 有象無象の輩よりも、一部の優れた人材にのみ魔法を伝えることで、魔法の質と神秘性を維持しようとしたんですね」


 ふんふんと頷くメアリ。

 3年前から知識の吸収が停滞しているメアリには、こんな小さなうんちくでも嬉しいものである。


「でも、これには別の狙いもあった」


 アルバートもまた楽しそうに語っていたが、少しだけ複雑な表情を浮かべて付け加える。

 メアリもつられて顔に疑問を浮かべ、続きを促すと、改めてアルバートは口を開いた。


「指導者たちはよみがえった魔法を見て、その力の恐ろしさを再認識したんです。

 なにせ一人の人間が、城壁ほどもある炎の柱を操ったり、風を巻いて竜巻を作ったりするんです。

 魔法使いは一人で一軍に匹敵するという、正しく一騎当千の『兵士』であり、凶悪な『広域兵器』でもあった。

 権力者たちは、その力が自分たちの管理できない者に渡ることを許すわけにはいかなくなったんですね」


 ここで言う魔法とは、以前に教わった『古代魔法』のことであろう。

 絵本や物語に出てくる、炎や氷を操り、荒唐無稽な現象を生み出すいにしえの秘術。


「時代を遡ってみれば、人が『革命』と称して権力者たちを排斥し、新しい時代を迎えようとした戦いのなんと多いことか。

 権力者は、魔法がその力に利用されることを恐れ、独占することにした、ってわけです」


 考えてみれば、それは自然な話だ。人はとかく大きな力を個人が持つことを恐れる。

 ましてやそれが凶悪な効果をもたらす『古代魔法』であれば、人の上で国という大きな組織を動かす指導者・権力者たちにとって、脅威以外の何物でもないだろう。

 人の世はメルヘンを忘れ、可能性にメリットデメリットを計算し、危機管理という名目で取り締まるものである。


「世の中はおつむの出来がよくて、カネとコネを持ってる奴が一番エラいってこったな」


「世知辛いものですねえ」


 少々沈んだ雰囲気を吹き飛ばすようにデビッドがからかうと、アルバートも小さく笑って紅茶をすする。


 メアリはむしろ感心していた。

 見た目は20代前半の若者が国家の宝、魔術師であり、あんな豪邸を維持して、一癖も二癖もある人外の使用人達を抱え、自立している。

 現在家なしで、年齢だけで言えば義務教育課程の修了も終えていないメアリから見れば、アルバートの姿は眩しくも映ろう。


「でもまだお若いのに、アルバート様、凄いですよ」


 メアリのその言葉に、アルバートとデビッドははたと目を見合わせ、急に二人で笑い出した。

 自分の言葉のどこがおかしいのかわからないメアリは不思議そうな顔をするしかない。

 やがて、困った笑顔のアルバートが、申し訳なさそうに言った。


「僕、来年で40歳になります」


「え……ええええええええええぇ~ッ!!??」


 店内にメアリの大声が響き渡った。


「ま、おまえさんは夜闇の民──人狼の血が流れてるからなあ。そのツラ、俺と同い年とは思いたくねえぜ」


 デビッドは笑顔ながらも、ふて腐れたようにスコーンの残りを口に放り込んだ。


「さ、こっからはちょいと、おまわりさんに仕事をさせてくれ。いくつか話しておくことと、聞きたいことがあるんでな」




 † † †




 最初にメアリが聞かされたのは、これからの身の振り方である。


 通常、身寄りが無い未成年の『亜人混血児』は、唯一神教の預かりとなる。

 事件が落ち着いた後は、ヘルメス神官長が預かる、ゲイルニッジ修道院に入ることになるとのこと。

 そのまま神教学校の生徒となり、一般社会に適応するための勉学に励む運びとなるらしい。

 アルバートはその間、メアリにつけられた護衛役、兼、監視役といったところか。


 一般的に、人間社会では、50%人間であれば、人間と称することができる。

 これは、混ざった亜人の側からは同族とは見なされないため、大昔から人の側が受け入れている故の処置である。


 今でこそ数多の亜人が人間社会に溶け込んでいるが、歴史を紐解いてみれば、争いの記録で溢れている。

 双方が歩み寄りを見せ、秩序が築かれるまでには、多くの血が流されたという現実は消せない。

 種族間には、今も尚その過去からくる差別問題が存在し、時代の影でひっそりと息づいているのである。


 混血児は、それらの排斥の対象となる代表的なものであり、これは世界的な問題ともなっている。

 その中で手を差し伸べるのが、唯一神教であった。




「で、あんたは気になって行ってみた。すると4人のウェアウルフと出くわしたと……神官様たちの証言とも一致するな」


 ティータイムは終わりを告げ、デビッドはメアリの事情聴取を行った。

 本来はこのような場所ですることではないが、メアリは特殊な生い立ちで、そのうえ未成年という立場である。

 故に、署の少年課と防犯課のくくりが曖昧で、本人の精神状態も考慮され、例外的にこんな形での取調べとなっているらしい。


「警察犬による捜索はどうです?」


「相手が人狼じゃ、犬がビビって役に立ちやしねえ。こういう時に人狼の氏族クランに協力してもらえりゃなぁ」


 人狼は人間社会に溶け込んでいる亜人のひとつだが、その在り方は閉鎖的である。

 人間には手を出さず、また、人狼の問題は人狼で解決する、というのが大昔からの彼らの主張であり、氏族クランの管理する土地は一種の治外法権と言っても過言ではない。

 かといって、今回のように人間の一般市民が被害者の場合、人狼と人間の取り決めや、捜査上の問題で支障が出てしまう。

 ある意味、外国領事館よりやっかいな存在でもあるのだ。


「被害者の状態は……どうでした?」


「まあ酷いもんだ。老若男女、手当たり次第に食い殺してる。現場は一面トマトソースでな、羊たちも沈黙するぜ。ホプキンスもびっくりだ」


「またそんな外国映画の話を。不謹慎ですよ」


 会話の中でビクリと身を震わせたメアリに「すまん」と一言謝ってから、デビッドは続けた。


「で、だ。とりあえず、調査の結果、一応ホシらしき奴らは浮かび上がった。現場に残された連中の体毛でな、鑑定の結果は昨日出た」


 デビッドは懐から手帳を取り出すと、テーブルの上に敷いたレポート用紙にボールペンで書き込んでいく。


「ノーマン・アシュレイ、23歳、男、建設会社の新入社員。

 スティーブ・カーティス、18歳、男、学生。

 ジーン・リットン、21歳、女、飲み屋勤務のフリーター。

 シャーロット・ミルトン、16歳、女、学生。

 この4人、老ヴィシャスの氏族クランのウェアウルフで、全員同じ日に行方不明になってる」


「若いですね……行方不明というのは、確かですか?」


「ああ。調べたところ、ノーマンとジーンは恋人同士。

 スティーブとシャーロットも最近交際を始めたばかりの彼氏彼女。

 カップル同士の付き合いはせいぜい近所付き合い程度。つるんでブラつくような関係でもなし」


 老ヴィシャスの氏族クラン。メアリは以前聞いた話を思い出した。

 確か、この国の人狼の取り纏めである、ギルバート・ヴィシャスという人物が治める氏族クランであったはずだ。


「ただな、このジーン・リットン、ノーマンと付き合う前は、結構な遊び人で、こっちのスティーブ少年とも関係を持ってたらしい。

 んで、その後別れたらしく、今の関係になったのは、どっちのカップルも一月ちょい前。

 これはピシチャウカの野郎に金払って探らせた情報だ。信頼は置ける」


「あの情報屋の彼ですか。それなら確かに……」


 今の会話から臭う、男と女の複雑な関係を読み取ったメアリは、少々苦々しい気分であった。

 メアリは12歳で知識が停滞しているものの、孤児院時代に何人も年上の兄・姉がおり、とくに美しい者たちが、下卑た金持ちに引き取られていくのを目にしている。

 そんなことが幼い頃から続いていたせいで、メアリは男女間の肉体的なハゥ・トゥについては知っていた。


「一応、これから現場に行ってみます」


「そうしな。荒れ放題だから気をつけろよ。特に建物の方は半壊してるからな」


 建物が半壊。それを聞いた時、アルバートの雰囲気が変わった。

 いつも優しさを湛えていた目を細め、そこから覗くとび色の瞳は別人のように冷たくなっている。


「解せません」


「あん?」


 メアリは驚いていた。

 いつでも優しい雰囲気を崩さず、人外の使用人たちとも笑顔で接する彼。

 他人から罵詈雑言を浴びせられても寂しそうな表情を浮かべるだけのお人よし。


 そんな印象を少なからず持っていたアルバートだが、この表情はどうだ。

 仮面のような無表情。氷よりもなお冷たい極寒の凍土を思わせる眼。

 視線を伏せて考えにふける彼の顔はまるで別人のようではないか。


「人狼は亜人の中でも、秩序ある種族です。その掟は実に厳しく、個体もとても理性的だ。

 この4人が比較的若い人狼だということを差し引いても、この凶暴な所業はおかしい。

 加えて事件当時、犯行時刻は確かに魔の力が昂ぶる真夜中ですが、この日は新月。

 もっとも理性を御しやすい日です。満月の高揚期とはワケが違う」


 そこまで一息に喋ったアルバートは、氷の仮面を外さずに問いかけた。


「警部補、特魔の鑑識課の報告では、何かありましたか?」


 科学警察研究所の魔学課。通称、特捜魔課。

 通常の捜査で動く埒外、すなわち、魔術的見地から捜査を行う警察の特務課である。


「一応な。どうも採取された血液と体毛から、ごく微量、人間の魔力が検知されたそうだ」


「……人間の、魔力? 魔力鑑定の結果は?」


「出たよ。一致率91.34%で、本人にも確認は取れてる。

 魔術師で、国立大学病院の教授も兼ねている、スチュワート・パターソン氏だ。

 48歳、独身。ここ5年、老ヴィシャスの氏族クランの健康診断を担当している」


「スチュワート・パターソン教授……ただの担当医師ですか」


 ふっと無関心になったアルバートだったが、すぐに首を振り、再び深く考え込んだ。


「いや、重要参考人であることには違いない。ここ最近、氏はヴィシャス氏族クランと接触を持ったんですか?」


「被疑者4人が行方不明になった前後から調べた。

 ちょうど行方不明の時期と、連中の若衆の定期健康診断の日がぴったり重なる。

 まず間違いなく診断中の魔導機器の残りカスだろうよ。

 ついでに言えば、アリバイもあった。事件当夜も、大学の研究室で助手3人と篭りきりだったよ」


「……」


 変わらないアルバートの雰囲気。

 すっかり喋れなくなってしまったメアリの対面で、変わらないデビッドが手帳のページをめくった。


「まあそれはいいとして、次が本題だ。今な、俺らはこっちのネタを中心に動いてる。

 さっき名前を挙げた4人の若衆なんだがな……失礼、吸っても?」


 気分を変えるのか、胸ポケットからタバコを一本取り出してみせるデビッド。

 ちらりと視線を寄越したアルバートは、メアリが無言でうなずいたのを確認すると、懐からオイルライターを取り出して火をつけ、デビッドに差し出した。

 サンキュ、と、火をつけて、胸いっぱいに煙を吸い込み、天井に向け、ふぅーっと一服。

 右手に紫煙を燻らせながら、デビッドは続けた。




「────この4人な、HIVの陽性反応が出たんだと。

 パターソン氏の健康診断で再検査になってな、検査を大学病院で受けて、それで判明した。

 で、だ。4人はその後帰宅せず、もう10日間、職場にも学校にも、街中での目撃証言もなし」




 HIV。これもメアリは、孤児院で習ったことがあった。


 ヒト免疫不全ウイルス。人間の免疫機能を壊すウイルス。

 HIVウィルス自体は弱く、生活環境で皮膚からは感染しない。かわりに、体液から粘膜を通して感染する。


 この状況に近づく頻度が高いのが、性行為。

 感染し、病気が進行すると人間の免疫機能は失われ、やがてひとつの恐ろしい病気を引き起こす。


 AIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome)、後天性免疫不全症候群。


 普段なら発症しない病気になったり、発症してもすぐに治る病気が治りにくくなるといった症状と記憶している。

 発症の仕方は人によって様々だが、問題は発症すると3年以内で75%が死亡するという非常に死亡率が高い病気ということ。

 現在も完全な治療法が見つからず、世界でもっとも恐ろしい病気であると教わった。




 これは、人間ほどではないにしろ、人狼であっても同じである。


 つまりこの場合、ジーン・リットンという女性が無症候性キャリアであったということ。

 そして関係を持ったスティーブ・カーティスという学生と、別れてから付き合い始めたノーマン・アシュレイが感染。

 そして、スティーブ・カーティスと関係を持ったシャーロット・ミルトンが感染。


 感染経路はこんなところだろうか。




「上の方では、自暴自棄になった若者の暴走、家出、薬物に手を出して凶暴化、ってな線で調べを進めてる。

 でも、薬物中毒ってのは、多少疑問が残る。まぁ、別の犯罪に巻き込まれ、一気にキメさせられたって可能性だって無いことも無いが……」


 そこで一度区切り、もう一度、煙草をすぅぅと美味そうに吸い込み、天井に吐いてから続ける。


「だがよ……こいつらは人狼だ。人間なら犯罪に無力だろうが、連中は『変身』すりゃあ、熊だって屁でもねえ連中なんだ」


 薬物中毒。こちらはメアリの知識にはない。


 大雑把に知っていることと言えば、たしか麻薬だか覚せい剤だかと言う、人に幸せな幻覚や異常な興奮状態を与える禁じられた薬があるという。

 そしてそれには強い依存性と習慣性を引き起こす成分が多くあり、一度摂取すると、一定期間ごとに禁断症状という薬を求める衝動が現れ、徐々にその感覚を短くする。

 しかしその手の薬は人体には毒性が強く、意識障害や呼吸器・循環器系の障害、あるいは腎臓や肝臓などの臓器障害をきたす、であったか。


 他に知っていることといえば、値段が高く、手に入りにくいということ。


 健康診断を受けたのなら、以前から使用していればわかるはず。

 しかし、そちらには異常なしという話。

 たかだか10日かそこらで精神に異常をきたすほどの症状になるとは思えない。


 もちろん犯罪に巻き込まれ、短期間に相当の量を摂取されれば話は別だが、彼らは人狼。

 生まれたときから、自衛手段が──いや、そんな言葉は生ぬるいほどの戦闘能力を持っているのだ。


「確かに。つまり、今回僕に話が来たのは」


 ふうっ、と一息ついたアルバートは、ようやく伏せていた眼をデビッドに向けた。

 それを受けたデビッドも、まっすぐにアルバートの目を見つめ、言った。


「そうよ。つまり『魔術的な何か』が絡んでんじゃあねえかってことさ」




 † † †




 3月10日 夕方




 首都ロンデニオンから北北東へ、車で約2時間の位置にあるカーンブリッジ市に、その国立大学はあった。

 世界的に有名な名門大学で、抱える学部29学科の中に、やはり世界でも珍しい、魔術師になるための学問《隠秘学》もある。

 この大学の存在が、この国の優れた魔術事情を支えていると言っても過言ではない。

 聞けば、アルバートもこの大学の出身とのことであった。


「お待たせしてしまって申し訳ない。近頃久しぶりに研究が進展を見せたので、つい」


 研究室のドアを開けて入室を促してきたのは、ブルネットの短髪を整髪料で乱雑に撫で付けた白衣の男だった。

 ひょろりと細長い痩躯、目の下の隈がやや不健康な雰囲気を漂わせている。

 先の話に出てきた参考人、医学部教授、スチュワート・パターソン教授である。


「やぁ、どうも。お忙しいところ、ご協力感謝しますよ」


 アルバート達はデビッドの車で、特魔鑑識の魔力鑑定で浮かび上がった、彼の研究室を訪れていた。

 一方メアリは、初めての車による長距離移動での疲れから眠りこけてしまったので、使い魔のキティを見張りに置いて、車中に残してきた。

 ちなみにキティはアルバートと約2000メートル圏内ならば、特定の魔力を7種類認識・探知でき、緊急時には誘導役にもなれる。


 警察からあらかじめ連絡を入れていたため、デビッドの取り調べも問題なく進んだ。

 採取された魔力は間違いなくパターソン教授の物であり、事件当夜のアリバイも研究員から確認。

 疑わしいものもなく、ほどなくして、現在行方不明中の若い人狼4人の話となった。


「ええ、そうです。ご家族の方々ともお話しましたが……やはり、たいそうショックを受けておられました。

 もっとも、HIVともなれば、どなたであっても同じ反応なんですがね……

 ですが、4人とも、比較的おとなしい反応ではありましたよ。ひどければその場で暴れ出す方もいらっしゃいますから」


「ふむ、ある程度、理性的であったと。他に、何か気づかれたことなんかは?」


「いえ、特には……」


 言葉を途切れさせ、視線を虚空に向けた時、アルバートとスチュワートの目が合った。


 連絡済だったことと、教授の時間の少なさもあり、デビッドは自己紹介も名乗るだけで大雑把に済まし、すぐに話に入った。

 そのため、ようやくもう一人の来客に目を留めたスチュワートは、ここで初めてアルバートの存在を問うた。


「失礼ですが、こちらの方は? 確かどこかで見かけたことが」


「これは失礼しました。わたくし、アルバート・オークウッドと申します。

 恐らく、魔導院ですれ違ったことでもあるのでしょう。若輩ながら、魔術師の末席を汚しております」


 アルバートは嫌な顔ひとつせず優雅に一礼する。

 その名を聞いたスチュワートは小さく驚いて目を見張った。


「ああ、あなたが噂の……っと、いや、失礼しました」


「いえ、お気になさらず」


 スチュワートは、その筋では『有名』な若い魔術師に申し訳なさそうに謝罪したが、当のアルバートは爽やかに微笑むだけだった。


「では、今回の事件に?」


「はい。今回の件、僕個人としても、何かひっかかる物がありまして」


「そうですか……いや、お役に立てず、申し訳ありません」


「とんでもない。ただの確認にお時間を取らせてしまってすんませんでした」


 結局大した情報も得られず、デビッドとアルバートは、些か残念な気持ちをぬぐえぬまま、来てから30分と経たずに、カレッジの来客用駐車場に戻るのだった。




 二人が車に戻ると、既に起きていたメアリは針金細工の銀猫、使い魔のキティと戯れていた。


「お二人とも、おかえりなさい」


「はい。ただいま戻りました」


「メアリ嬢、その格好でその台詞は言う時はな……いや、何でもねえ」


 運転席に乗るなり悪戯な表情をしたデビッドに、メアリの隣、後部座席に乗ったアルバートがからかい混じりの視線を飛ばす。

 わけのわからないメアリは不思議そうに小首をかしげた。メアリの頭で、カチューシャのフリルがふわりと揺れる。

 アルバートは、彼にしては珍しく、意地の悪い顔でメアリに向き、人差し指を立て、笑いながら言った。


「警部補の趣味の話です。彼はちょっとフェティッシュですから、お気にせず」


「デタラメぬかすな、コラ」


 不快げに眉をしかめたデビッドがひとつため息をつくと、後部座席から、忍び笑いが漏れた。




 † † †




 帰り道、道を往く車の中で、デビッドとアルバートは今後について話していた。


「結局は持ってるネタの裏が取れただけ。新しいネタはなし、かぁー……」


「焦らずいきたいところですが、事件発生から5日。まだ5日と言うべきか、もう5日と言うべきか」


「あとは人狼氏族の方をあたってみらぁ。あーあ、手続き面倒臭えんだよなあ」


 そんな会話が交わされる中、メアリは不思議に思っていることがあった。

 ごく普通に、事件について刑事と話すアルバート。その話の中には、一般人が知りえない公的機関でのみ扱われる情報もある。

 それでもアルバートは平気で続けるし、デビッドもあたりまえのように受け答えをする。


(アルバート様は民間人のはずなのに、どうして警察の捜査を手伝えるんだろう? 魔術師だからかな……)


 この若作りの40歳について、今更ながら気づいた、というのが、もう何度目であるのか、メアリはすでに覚えていなかった。

 それでも、警察官、デビッドがいる手前、おおっぴらに聞くことが躊躇われたため「そのうち聞いてみよう」と思うだけに留めておいた。

 しかし結果から言えば、これから数日間、その機会がなくなってしまうのであったが。


 警察署に到着した時、いつの間に連絡していたのか、アーネストが駐車場で待っていた。


 アーネストもデビッドと知り合いらしく、言葉こそ交わさなかったものの、お互いに片手を上げて挨拶らしきものをしていた。

 車から降りたアルバートに気づいて、メアリも慌てて車外に出ると、運転席の窓を開けたデビッドが、外に出たアルバートと話している。


「帰る前に、ちょっと現場を見てきます。それと明日以降、僕も老ヴィシャスの氏族クランにお伺いしてみます」


「あいよ。新しいネタが入ったら教えてくれ。暗くなったら気をつけろよ」


「ご心配なく。アーネストがいますから」


「ま、心配無用かい。あの旦那にはお世話になったこともあるからなぁ」


 それだけ言うと、デビッド警部補は、挨拶代わりにひょいと片手を上げると、ゆっくりと車を発進させ、駐車場を出て行った。

 アルバートは手の中の日傘を差していない。気づけば西の山陰に、太陽は隠れつつあった。


(現場に……行くんだ……)


 メアリの気分はたちまち沈んでいく。

 正直なところ、襲われた現場になど、行きたくはない。

 大好きだった家族が、血に飢えた獣の餌食となった場所だ。これを責めるのは酷である。


 理由はもうひとつ。

 山野で生きる内にいつの間にか身に付いた、ある種の勘が、警鐘を鳴らしていたのだ。




 なにか、起こるかもしれない、と。




 - 続 -






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ