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序章 半人狼の少女



 人がいた。獣がいた。虫と魚と木々が栄えた。

 そして闇には、亜人と魔物と妖精が隠れ潜んでいた。

 道具があって武器があり、言葉があって魔法があった。


 革命があり、蒸気は昇り、油田が暴かれ、世は鉄と物で溢れた。

 剣と弓矢は銃へと変わり、盾と鎧は骨董となり、服と靴にて身を包んだ。

 馬は車に役を奪われ、鳥は飛行機に追いやられ、亜人は人と溶け込んだ。


 飢えは減り、戦は無くなり、しかし商いは栄え、森は消えていく。

 人は増え、亜人は隠忍を忘れ、慈悲と絆は野望に変わり……


 ……そして現代。魔法も例外とはならず、世界から失われつつある。


 だが。

 だが、見よ。







 見よ。あれは人に非ず。


 すがたかたちを同じくしても、決して人とは相容れぬ。


 たとえ半ばは人だとしても、その魂は別なのだ。


 日の光には見捨てられ、ただ月だけが慈悲を示す。


 見よ。あれは人ではない。


 人ではなかろう何かであって、きっと我らの敵なのだ。




 † † †




 Dances with Werewolves




 † † †




 月の照らさぬ新月の夜。

 季節はずれの強風が、血と肉と、木の焦げる臭いを運んでいた。


 それに気を取られ、見に行こうなどと考えなければ。

 そして実際に、行ってみたりしなければ。あんなものには出くわさなかっただろう。


「はっ――はっ──は、あッ──」


 少女は深い森を駆ける。

 伸びるに任せた、艶のない灰色の髪を振り乱して。

 命の限りに。気が狂わんばかりの恐怖とともに。


 なぜ。どうして。自分が何をしたというのか。

 答えの出ない自問を繰り返しながら。


 振り返れば、夜の闇の中、爛々と光る獣の瞳が、己を食い殺さんと迫りつつある。

 いや、振り返らずとも、風上からの強風に乗って『この身の半分』を同じくする者たちの、昂りの匂いは届く。


『喰らわせろ。犯させろ。引き裂かせろ』


 少女は恐怖に竦む体であって、しかしヒトならぬ獣の如き速度を誇った。

 背後に受けるは追い風。木の根や枯れ木を飛び越えて、疾風もかくやと走り抜ける。

 それでも、少女の体に流れる『化け物の血』は半分だけの半端者。

 故に、その身を完全なる獣の姿へと変えてはくれない。




 人狼ウェアウルフ

 月見て猛り、人の身を狼へと変貌させる希少種族。




 『変身』すれば、身の丈は2メートル近くにもなる。

 刃物を通さぬ鎧のような硬度を誇る銀色の体毛。

 風を追い抜く健脚と、大地を掴む鋭い爪、そして狼のあぎと

 氏族クランという群れを作り、絶対の上下社会とともに、鉄の掟で生きる者たち。


 その高潔な生き様は、産業、農業、工業と、近代の人間社会において認められ、様々な分野で活躍を見せる。

 数多の亜人・人外の、秩序の象徴たる誇り高き一族。


 それがなぜ、あのように荒ぶり、少女の身を侵そうというのか。


(月さえ……月さえ出ていれば……!)


 本当ならば、頑丈な顎を、しなやかな獣の足を与えられているはずの『変身』も、少女は実に中途半端だ。

 顎は得られず、足も変わらない。体すべてを覆うはずの銀色の体毛も、背中やうなじしか包まない。

 大事なところ──喉笛、胸、腹は、ヒトの肌がむき出しだ。あとは服のみ。

 しかし、およそ3年、着の身着のまま。この襤褸切れのような服など何の意味もない。

 獣のソレをした耳と尻尾は力なく垂れ下がり、嗅ぎたくもないベルセルクの臭いを探る、嗅覚ばかりが活性化する。


 今宵は新月。月の女神の誘惑も、今日はまったく届かない。

 これが満月であるなら、あの狂い様も、百歩譲って疑わぬでもない。


 しかし、現代の人狼は、月に狂うことを恥とする。

 己を獣として誇りつつ、なお、畜生道に堕ちるべからずと、自らを戒めて1000年を数える種族なのだ。

 満月の夜を人狼達は、年齢にもよるが、唯一神教の《戒めの銀鎖》と、国際魔導連盟の《魔獣の眠り酒》によってやりすごす。

 これは、世界すべての人狼氏族と、人間社会によって、国際条例として定められた絶対の法律である。


 それを守らぬ『はぐれ人狼』は、国際刑事警察機構から指名手配され、唯一神教の武装神官によって誅殺される。


 とはいえ、今この時の少女にとって、そんな常識はなんの意味もない。

 足を止めればその瞬間に、4人の狂える人狼に食い殺されるのだ。

 今はとにかく逃げること。恐怖で麻痺した思考でも、それだけは本能によって理解できる。


 悪寒。右後ろ。


 近すぎる。飛び掛られて押し倒され──


「ひ、ぃッ?!?!」


 後ろ髪を数本持っていった何か。危機一髪の文字通りに行った跳躍は、すんでのところで少女を生かした。

 身を投げ出すような緊急回避はしかし、着地のことなど考えもしないもので。


「つぅ……!」


 土と礫を散らしながらごろごろと無様に転がる。

 纏った襤褸は所々破れ、下の素肌に無数の傷が刻まれていく。

 体毛で覆われぬ顔や下腹は、土で汚れた擦り傷がじんじんと痺れるような痛みで激しく自己主張を繰り返す。


 転がりながら一瞬見えた獣の顔は──


(ひ……ッッッ!?)


 ──裂けた顎に並んだ牙から、血と唾液の筋と、髪の毛が何本も垂れ下がって。


 背筋と言わず、全身に走りぬけたのは、生理的嫌悪を含める死の予感。

 牙で裂かれて奥歯で潰され、舌で喉の奥に流し込まれる。

 生きたまま食われるという、生物が知る原初の恐怖。


 少女は考えることをやめ、脳髄が神経を経由して筋肉へと要求する、生存行動に身を任せた。

 組み付きそこねて地べたに転がった仲間に、後続の者が足を取られて転倒する。

 これをこそ千載一遇の好機とし、少女は狼ではなく、脱兎と化して。


 明かりが見える。炎の明かり。少女は震える体に鞭打って、そこを目指して走る。

 狼神の末裔たる人狼も、知恵をなくして狂い荒ぶる今ならば、獣の本能で火には近づかないかも知れない。


(でも、あそこは)


 少女には躊躇いがある。

 燃えているのがなんなのか、確信に近い予感で想像がついている。


(だけど、それでも、それなら、なおさら)


 そして少女は辿り着いた。

 そこは、そこでは、予想通りの建物が燃えていて。


(あ──)


 自分を拾ってくれた(捨てられた)

 自分を育ててくれた(追い出した)

 勉強を教えてくれた(石を投げられた)

 いっしょにあそんだ(怖がられた)


(あ、ああ、あぁあああ──)


 義理とは付くが、思い出深き元家族が──




「 いやぁあああああああああ !! 」




 ──幾人もの、知っている人たちが、変わり果てた骸となっていた。


 そこは少女を拾い、育ててくれた孤児院。

 無残に食い殺された子供たち。

 優しい、母代わりの女性。年老いた、木こりの爺や。

 血の海の中、一人の例外もなく、引き裂かれ、打ち捨てられていた。


 背後に獣臭い呼気を吐く、四つの気配。

 ただの獣と成り果てた人狼たちは、やはり火の傍で躊躇したのか、ゆっくりと迫ってくる。




 追い出されておよそ3年、少女は野で生き抜いた。

 川で身を清め、山で獣と木の実を狩り、孤独とともに生きてきた。

 もっともそれが、その孤児院の裏の山であったことは、少女の幼さと、寂しさのせいであろう。


 そして見つけた、炎の明かり。それは懐かしい、在りし日の家が、焼けていく光景。




(もう、イヤだ)


 もう走れない。もう疲れた。膝をついて、うつむく。

 少女はそこで、生きることをあきらめた。




 迫る人狼のあぎと。五つの鋭い爪。


 ごう、という、風を切る音。


 それはたぶん、あの太い腕と爪が振るわれた音で──







 ぎゃひん、という悲鳴をあげて、一匹の人狼がふっ飛んだ。







 少女は目を開けて、後を振り返った。


 炎に照らされて、白絹のヴェールと、金色の髪が輝く。

 肩までの長さで切り揃えられた金髪は少し不ぞろい。

 氷のような青い瞳は、炎より烈しく燃えて。


 身に纏うのは、唯一神教の女性用法衣、黒を基調としたカソック。

 カソックの正面部分に、首元から裾まで縦一列に並ぶ、銀のボタン。

 そしてその手には、十字架を模した、身の丈を超える大銀槌。


 唯一神教の武装神官。しかも、若い女──シスターだった。


 その向こう、残る人狼のうち1匹に、5人の男が飛び掛る。


 男たちも同じく黒。袖口と裾だけを白としたカソック姿。

 シスターの持つ大銀槌と同じものを振りかざし、列を成して順番に襲い掛かる。


 上から飛び掛り。

 地を這うように滑り込み。

 左右から回り込んで。

 最後に真正面から全速力で。


 時間差を以って繰り出される、大銀槌の5連撃。

 頭頂・両肩・股間と連続して殴打され、狂った人狼の巨体が浮き上げられた。

 そして落下を待たず、胸の中央へ叩き込まれた最後の一撃で、ボールのように飛んでいく。


 その光景に、少女は、安堵より更なる恐怖を覚えた。

 さっきまで死神そのものであった恐怖の対象が、苦も無くねじ伏せられていく。

 しかし、残る2匹の人狼も、理性を失っているせいか、ひるむ素振りも見せずに襲い掛かる。


 武装神官の男たちは気づくのがやや遅れた。

 三人は地面を転がり、攻撃を免れた。しかし、一人は爪を避けきれず、血飛沫をあげる。

 残る一人は、唾液をこぼしながら迫った大きな顎に肩口から噛みつかれ、そのまま高く、顎によって持ち上げられた。


 武装神官の男も抗う。人狼の常識外れの顎の力で噛み切られないよう、己へ神霊術による防護を付加。

 唯一神教の奇跡──神霊術のひとつ、祝福ブレスが、神官の体を包み膜となる。


 だが、思った以上に硬い手ごたえ、もとい噛みごたえに苛ついたのか。

 噛み付いて浮きあげたまま、ぶんぶんと首を振って力任せに噛み切ろうとする。


 人間が噛み付かれたまま振り回される。そのショッキングな光景に少女が小さなうめきを上げた時。


 彼女の目の前のシスターが、弾けた。

 その速度は、引き絞られ、弓から放たれた矢のソレを思わせる。

 最短距離をまっすぐに、いまだ仲間に噛み付いたままの人狼へ向かって。


 弓矢の速度で襲い掛かったシスターは、突進中に全身を螺旋状にひねる。

 右腰に構えられた大銀槌とともに一回転。

 突進力と回転力を破壊力へ変えて、人狼の右わき腹──肝臓へ痛烈に叩きつけた。


 人狼とはいえ、人間と臓器の位置はほぼ同じである。

 げは、と、漏れた呼気とともに、口から男の神官が落ちた。


 狂った人狼も、これにはたまらず、たたらを踏んで振り返り、全速力で逃げ出した。

 残る1匹もようやく不利を悟ったか、人外の速度でその後を追うのだった。




 命の危険が去ったと理解した少女は、心身の疲労から倒れ伏した。

 その時、閉じかけた目の端で、もう一人の人影を見つける。


「逃がしたか。だが、深追いはやめたまえ。すでに警官隊が付近を固め始めている」


 深みのある低い声ともに街道の方から現れたのは、銀縁眼鏡をかけた老人の神官であった。

 顔に刻まれた無数の皺と大小の傷跡。高齢を窺わせながらも、腰は曲がらず、背筋はぴんと伸びている。

 老神官は少女の傍まで近づき、膝を折って上半身を助け起こした。


(神父……様? 私、助か、って…………)


 己を気遣う老神官の瞳に、3年ぶりに人の温もりを感じた少女は、そのまま意識を手放した。


 その老神官の傍に先ほどのシスターが歩み寄り、両手を組んで顔を浅く伏せる、独特の礼を取る。

 先ほどまでの火のような烈しさは嘘のように秘められ、物静かで涼やかな雰囲気が戻っている。


「申し訳ありません、ヘルメス神官長。私を含め、4名は無傷、軽傷が1名、重症は1名です。

 今、治療が済みました。あとは事後処理……消火と弔いに移ります」


「ご苦労だった。シスター・イーリス。人狼とはな……武装神官6名を投入してこれか」


「……面目次第もございません」


「なに、今は追い払っただけでよしとせねば」


 武装神官イーリスは、少女の風貌を見た。

 柳眉に痛ましげな皺を寄せたが、一瞬でそれは消え、冷たい無表情の仮面を被る。


「この娘……」


「ふむ、人狼……ではない。半分は人間。ウェアウルフ・ハーフか」


「奴らの一味、同士討ちという可能性があります。起こして尋問しますか?」


「よしたまえ、シスター・イーリス。君はなにかと過激すぎていかん」


 物騒な物言いをする修道女をたしなめた老神官──ヘルメス神官長は、首だけ動かして背後を見る。

 街道の向こうからサイレンとともに、パトカーの赤色警光灯が近づいてきた。


「ふむ、警察も来たか」


「うすのろめ……今ごろ到着か」


 イーリスの変わらない物言いに目だけで叱責した老ヘルメスは、炎の中の惨劇に目を移した。

 つられて視線を動かしたイーリスも、その凄惨な光景に、美しい顔を悔しさに歪ませる。

 ざっと見たところで、犠牲者は11名。老若男女を問わず、である。


 イーリスは目を覆うことだけはしなかったが、耐えかねたように再び老ヘルメスへ顔を向けて問う。


「この娘、いかが致しましょう」


「アルバート・オークウッドに預ける。こういう時、彼の所がうってつけだ」


「……あの畜生ハーフの魔窟にですか」


「シスター・イーリス、口が過ぎるぞ」


「……は」


 老ヘルメスも今度はやや強く叱責した。

 叱責を受けて一礼したイーリスはしかし、顔を伏せても、その不快そうな表情を改めようとはしなかった。




 † † †




 人里をわずかに離れたところに、豪邸が建っている。

 城壁を思わせる高い壁に囲まれた、芝生と庭木が見事な、噴水のある広々とした庭。

 大きな煙突を備え、高級な魔導炉が眠る、離れの別棟。


 周辺には丘や川。森や農地が臨める自然豊かな場所に、その豪邸はあった。


「へっくしょん!」


 その一室から、盛大なくしゃみがひとつ。


 くしゃみの主は、一人の青年だった。

 地味なスーツと緩めたネクタイ。

 灰色の髪は後へ流し、前髪は垂らさない。

 とび色の瞳は充血しており、いかにも眠そうである。


「う~ん……風邪かなあ?」


 青年は、鼻をすすりながら魔導書のページに再び視線を落とした。

 その時、備え付けの古めかしい電話が、深夜にもかかわらず、けたたましく鳴るのだった。




 - 続 -




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