序
狂気の沙汰ではない
彼はそうつぶやいた
それは他者に対してではなく
己に対してのつぶやき
彼は自分自身の行動を
狂気の沙汰ではないと言う
それはなぜ?
彼は狂気に呑まれていたから?
彼はまたつぶやいた
「ああ、狂気の沙汰ではない」
生温かい雨が彼を濡らしていく
そこで彼に何があったのだろうか
それは彼にしかわからない
「ああ・・・綺麗・・・」
そう彼女は呟いた
防波堤の上
水平線に浮かぶ夕陽に照らされて
彼女、美しかった
「ねえ、○○(←私の名前)」
「なに、○○○○」
私はこの時、なんと答えられていただろうか
「私ね。後悔はしてないんだ」
「そう」
「だってね。最後に○○を見れるんだ」
おそらくこの時、僕は照れて何も言えなかっただろう
「人ってね。何十年って生きて最後まで大切なものを知らずに死んでいく人が多いんだよ。」
彼女の瞳に少しずつ陰りが見え始めた
「でもね、私は大切な物が見つかって死ねるんだ。」
夕陽に照らされた彼女は美しい
「それはよかったね」
僕は・・・・いったい・・・・
気のきいた言葉を言ってやればよかった
もっといろいろと言いたいことはあった
でも
気のきいた言葉なんて言えるはずもなかった
だって彼女は・・・・
「だから泣かないでね。私は幸せでした」
満面の笑みを浮かべていたから
きっと彼女はもう助からないだろう
今から病院に行っても・・・・。
もう助からない
「そんな暗い顔しないでよ。○○」
どんな顔をしていただろうか
この時、鏡であって自分の顔を見て見たかった
どんな滑稽な顔をしていただろうか
「でも・・・・」
僕がなにか言う前に彼女の白魚のような手が僕の口を押さえた
「まさか○○がそんな顔をするなんてね」
前滲んでがよく見えない
何かが目からあふれている
これはなんだ
前がよく見えない
彼女の顔が見られないじゃないか
邪魔だ
どけ
しかしそれは治ることはなかった
口に触れていた手がゆっくりと下に落ちていく
「あはは。もう動かないや」
どこか清々しそうに彼女は虚空を見つめた
澄んだ瞳には少し赤みがかっている空が映る
「じゃあね。○○」
そう言って彼女はゆっくりと目を閉じた
「うん。○○○」
まだ温かい彼女の額にキス
「おやすみ。」
夕陽に照らされる世界を見る
潮風は少し熱気を帯びていた
彼女の力が抜けていく
まるで人形のようにだらりとなった
ウミネコが空を舞う
そして・・・・彼女を海に落とした
流れていく彼女
ゆっくりと波が彼女を運ぶ
ゆっくりゆっくりと
そして残った僕
さて・・・・なにをしようか
なにをするべきだろうか
彼女がいないこの世界で
彼女を失った痛みを負い続けて
誰か教えてくれ
誰でもいい
水平線を見つめる
そして訪れる闇
誰も答えることはなかった