ゲート・クラッシュ
近未来のSF小説
1. 会社員と非日常
リアム、30歳。彼の生活は「人間界」の標準、つまり、満員電車、納期、そして上司の愚痴で構成されていた。彼は大企業の営業職だったが、営業成績はパッとしない。唯一の非日常は、会社の地下にある極秘研究施設の一室に置かれた「ゲート・マシン」だった。人間と人間化した動物が暮らす二つの世界を行き来するための、巨大なリング状の機械だ。動物界は資源が豊かで環境も美しかったが、なぜか人間界の者しか向こう側へ行けない。
その日も、リアムは気分転換にゲートの見学に来ていた。防護服を着た研究員が点検を終え、ゲートのリングが青白く輝き始めたその瞬間、背後にいたはずのリアムは、強烈な引力によって吸い込まれた。
2. 動物界での大波乱
気がつくと、リアムは熱帯雨林のような場所の泥の中に倒れていた。彼の目の前には、人間と変わらない知性と技術を持つ、直立したカピバラが立っていた。リアムは、動物界の部族の一つ、「オッター族」の縄張りに迷い込んだことを知る。
大波乱は、すぐに始まった。
動物界は現在、深刻な「水質汚染」に見舞われていた。オッター族は知恵と技術でそれに対抗していたが、強大な隣国「クロコダイル連邦」が水源の支配権を巡って侵略を開始。リアムは、オッター族の科学者であるカピバラの「コペル」に保護されたものの、すぐに戦闘に巻き込まれた。
リアムは、人間界では全く使えなかった彼の「才能」を開花させる。
それは、営業資料を作るために身につけた、「複雑なデータや状況を一瞬で図式化する能力」だった。戦闘の最中、彼は敵の移動速度、地形の起伏、オッター族の弾薬の残量を、脳内で瞬時に分析し、コペルに「このルートで逃げろ!」「待ち伏せはあと3秒後だ!」と指示を出し続けた。
そして、クロコダイル連邦が水源に仕掛けた「汚染を加速させる装置」を発見した際、リアムは自身の知識を使った。彼は、その装置の動作原理が、人間界で使われていた旧式の「化学プラントの緊急停止プロトコル」に酷似していることに気づく。
「コペル!逆の手順だ!ポンプのバルブを、1秒ごとに 3.14 秒間だけ開放しろ!この数値は人間の単位だ!」
リアムの根拠不明な指示を信じたコペルは、見事装置を停止させることに成功。水源は守られたが、リアムはクロコダイル兵の追跡を受け、深手を負ってしまう。コペルはリアムをゲートの出現場所まで運び、「お前は、この世界で初めて、動物界の危機を救った人間だ」と告げた。そして、コペルの必死の操作により、リアムは再び引力に吸い込まれ、人間界へ帰還する。
3. 帰還後の対比
病院のベッドで目覚めたリアムは、上司に「勝手に休暇を取りやがって!」と罵倒される。彼の腕には、動物の鋭い爪痕が残っていたが、医者は単なる重度の切り傷だと診断した。
彼の人間界での生活は元に戻ったかに見えた。しかし、リアムは変わっていた。
会社では、彼の所属する営業チームが、他社との「大型合併交渉」を抱えていた。交渉は暗礁に乗り上げ、社内の雰囲気は最悪。誰もが相手の出方を探り合い、情報戦で疲弊していた。
リアムは、その状況を見た瞬間、脳裏に動物界での戦闘の光景がフラッシュバックする。
「ああ……これは、クロコダイル連邦の戦術と同じだ」
相手の出方を待って膠着する状況は、オッター族が水源を攻められていた時の「思考停止」と同じだった。
4. クライマックス
翌日、リアムは会議室で、役員たちが並ぶ重苦しいテーブルについた。彼は、おどおどしていた以前の彼ではなかった。
「皆さん、膠着しているのは、相手が『餌』を待っているからです」リアムは、会議の資料ではなく、テーブルの上の水差しを指さした。「動物界で、オッター族は水が汚染された時、その水が『罠』だと知らずに飲み続けた。我々も、相手の提示する情報に『飲み込まれすぎている』」
リアムは、動物界での戦闘を乗り切ったのと同じように、交渉の参加者それぞれの思惑、資金の流れ、市場の動きを、脳内で単純な図式へと落とし込んだ。
「相手が本当に欲しがっているのは、我々の持つ『製品技術』ではない。彼らは、我々の『倉庫の在庫』を現金化次し、自社の事業に投資したいだけです。つまり、彼らの『時間』の方が、我々の『技術』よりも価値がある」
リアムは、オッター族とコペルが示した「非言語的な協力」を応用し、会議で初めて部署間の壁を無視した大胆な情報共有を提案。役員たちは、彼のまるで軍師のような鋭い分析と、図らずも社内の問題を解決に導く提案に、静かに耳を傾けた。
最終的に、リアムの提案した「在庫を担保にした譲歩」という奇策が、交渉を劇的に前進させた。
リアムは、動物界で命がけで手に入れたものは、「特別の知識」ではなく、人間社会が忘れ去っていた「生き残るための本能的な知恵」であったと悟る。彼はもう、ただの冴えない会社員ではない。彼は、二つの世界を知る「生存のプロトコル」を持っていた。
彼は、時折腕に残る爪痕を見つめながら、「あの世界は、俺を成長させたか? それとも、俺の人間らしい部分を削ぎ落としたか?」と自問する。
彼は知っていた。いつか、あのゲートは再び自分を吸い込むかもしれない。そしてその時、彼はもう逃げないだろう。
完結




