表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
共有アカウントのログイン通知―“死んだはずのアカウント”が、放課後を生き返らせる。  作者: しげみち みり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/11

第3話 コメント欄の住人

 文芸部の部室は、放課後になると空気の密度が変わる。蛍光灯の光が柔らかく沈み、窓際の埃が金色に浮く。

 詩音は、いつもの席――端っこのパソコンの前に腰を下ろし、ログイン画面を開いた。

 《海までの地図・第5話》が更新されてから、二日。

 コメント欄は、静かに賑わっていた。


 ――待ってました。

 ――また泣かされました。

 ――「雨粒の点字」、やっぱりこの言葉が好き。


 その一行を見つけた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

 詩音は、ディスプレイの前で小さく息をのんだ。


 「雨粒の点字」――それは、鶴見さちが生前よく使った比喩だった。

 “空が言葉を持っていたら、きっと雨粒で書くんだよ”

 その言葉に、どれだけ救われたか。

 だから、詩音はずっと、匿名でコメントを送っていた。

 名前も知られない“読者”として。

 ただのひとりとして。


 初めてコメントを送ったとき、返信が来た。

 〈ありがとう。読んでくれるあなたがいるから、続けられる〉

 それが、たった一度の交流だった。

 でも、それだけで十分だった。

 “生きてていい”と、初めて思えた瞬間だった。


 詩音は、マウスを握る手をゆっくり離した。

 画面の文字が滲んで見えなくなる。

 涙が出ていると気づいたのは、頬に温度を感じたからだった。


 「……さちさん」


 その声は誰にも聞かれない。

 でも、確かにここに残る。

 彼女が消えたあとも、言葉が残るように。


 * * *


 「詩音ちゃん、それ……読んでたの?」


 ふと後ろから声をかけられ、詩音は肩を跳ねさせた。

 朱里がカーディガンの袖をまくりながら、机の向かいに座る。

 その目は、どこか優しい探偵のようだった。


 「え、あ、はい。昨日から、何度も」

 「わたしも。……すごいよね、第5話」

 「“雨粒の点字”って、戻ってきてて」

 朱里の指が軽く動き、画面の該当部分をなぞる。

 「“戻ってきた”って表現、いいね。ほんとにそんな感じする」


 詩音は小さく笑った。

 「朱里先輩……私、ずっと内緒にしてたことがあるんです」

 「うん」

 「“読者コメント”の中で、長文で毎回書いてる人、いるじゃないですか」

 「ああ、“青い港”さん?」

 「それ、私です」


 朱里のまぶたが、ほんの少しだけ揺れた。

 「そうだったんだ」

 「生前のさち先輩が、一度だけ、私のコメントに返信してくれたんです」

 「……本当?」

 「本当です。たぶん、あれが、私の人生の中で一番うれしかった日で」

 詩音は、ゆっくりと笑った。

 でも、その笑みは、すぐ震えた。

 「私は、作者にはなれません。でも、“読む”ことで、だれかを救えるなら、それでいいって思ったんです。

  ……読者でいることも、だれかの命を救えるって、信じたい」


 朱里はしばらく黙っていた。

 そして、小さく呟いた。

 「さちが、最後に言ってた言葉、覚えてる」

 「言葉?」

 「“読者ってね、届くまで読む人のことだよ”って。……つまり、まだ途中なんだよ。届くまで、読む途中」

 朱里の声は、かすかに震えていたけれど、真っすぐだった。

 詩音はその言葉を、胸の奥にしまった。

 届くまで読む――。

 たぶん、今もどこかで誰かが、続きを読んでいる。


 * * *


 その夜。

 詩音はひとり、自室のノートパソコンを開いた。

 《海までの地図》のコメント欄をスクロールしながら、ふと気づく。


 “本文にはまったく触れず、タイトルのことだけ書くコメント”が、ひとつだけある。

 ――第1話「海までの地図」:海ってどっちの海?

 ――第2話「波の声」:波って、まだ聞こえる?

 ――第3話「灯台と手紙」:灯りは消えた?

 ――第4話「沈む足跡」:足跡は誰の?

 ――第5話「雨粒の点字」:読めるようになった?


 詩音は、メモ帳を開いてそれぞれの頭文字を並べてみた。

 海、波、灯、沈、雨――。

 ローマ字にして拾う。U N T A……いや、順番を変えて――SOS。

 ……これは、偶然?


 胸がざわついた。

 投稿者の名前は毎回違う。けれど、どのコメントも同じ時間に書かれている。

 夜九時三分。

 さちが、いつも更新を投稿していた時刻。


 詩音は、ブラウザのアドレスバーに視線をやった。

 URLの末尾に、ふと“/oldboard=1”という古いパラメータを打ち込む。

 前にさちが話していた。

 「昔はね、読者専用の掲示板があったんだよ。でももう閉じちゃった」

 試しにリターンを押す。


 ……ページが開いた。


 古びたUI。灰色の背景。

 タイトルバーに「読者宛て掲示板(非公開)」と表示されている。

 書き込みは、五件。最後の投稿は、半年前の日付。

 そこには、たった一行だけ書かれていた。


 〈合鍵は、放送室〉


 詩音は、喉が鳴る音を聞いた。

 タイピングする手が震える。

 誰が書いたのかは、もう分からない。

 でも、そこに“鍵”があるなら、行くしかない。


 * * *


 夜の校舎は、思っていたより静かだった。

 雨上がりの風が、ガラスを撫でる。

 体育館のほうから、誰かがボールを片づける音。

 詩音は廊下を抜け、放送室の前で立ち止まった。


 ドアは閉まっている。

 けれど、隙間から――“音”が漏れていた。


 カチ、カチ、カチ。


 一定のリズム。

 メトロノームの音。

 音楽室にあるような、古いアナログのやつ。

 まるで、誰かが“拍”を刻んでいるみたいに。


 詩音は、息を詰めた。

 耳をドアに当てると、音の向こうに、かすかな“呼吸”があった。

 細く、掠れて、でも確かに生きている人の音。


 震える指で、ドアノブを押す。

 ……開かない。施錠されている。


 その瞬間、メトロノームの音がぴたりと止まった。

 静寂。

 風が廊下を抜ける。

 詩音の鼓動だけが、校舎の中で大きく響く。


 ――カチ。


 もう一度、音が鳴った。

 まるで「まだここにいるよ」と言うように。


 詩音は、後ずさりした。

 足元に、誰かの影が伸びているのに気づく。

 背後を振り返ると、廊下の奥、曲がり角のところで人影が動いた。


 それは、ほんの一瞬。

 制服の袖の影。

 そして、消えた。


 残ったのは、静かなリズムだけ。

 詩音の耳の奥で、再びメトロノームが鳴り出す。


 カチ、カチ、カチ――。


 一定の拍子。

 でも、そこに“言葉”が隠れている気がした。

 雨粒の点字のように。

 届かない言葉の、残響のように。


 詩音は、そっと呟いた。

 「届くまで、読むよ。だから、もう一度、教えて」


 放送室の扉は答えなかった。

 けれど――壁の中から、確かに息を吸う音がした。


 その夜、校舎の非常灯のひとつが、誰も触れていないのに、点いた。

 メトロノームの拍が止まる。

 空気が静まり返る。

 そして、廊下の奥のガラスに映った詩音の顔の横に――もうひとつ、影が並んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ