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おれ死亡説

作者: 雉白書屋
掲載日:2025/08/10

「ん、おう、佐藤。おは――」


「お、おおおお……」


「ははは、何だよ、そのノリは」


 朝、会社の前で顔を合わせた同僚の佐藤が、突然目を見開き、肩を小刻みに震わせ始めた。その突拍子もない反応に、おれは思わず笑った。まるで幽霊でも見たような――


「お、お、お前、死んだはずじゃ……」


「……は? 何言ってんだよ」


 佐藤は顔面蒼白になり、おれを指さしながら声を震わせた。おれはその指を軽く手で払い、苦笑した。


「趣味が悪いぞ……」


「い、いや、冗談じゃなくて……。ほんとにお前、死んだって聞いたぞ……あ、なあ、みんな!」

「え、きゃあ!」

「うおっ」

「あれ!?」


 佐藤が大声を上げると、周囲にいた通勤途中の社員たちが一斉に足を止め、ざわつき始めた。皆、おれを見て目を丸くし、ある者は一歩後ずさりし、またある者は口を開いたまま呆然としていた。

 その異様な空気は、社内に入っても続いた。


「幽霊……?」

「いや、それにしては顔色が……どうなんだろ……」

「でも確かに、死んだって聞いたけど」

「ああ、俺なんか昨日、香典袋を買いに行ったよ……」


 おれはもはや、ぴくりとも笑えなかった。どうやら冗談や悪ふざけではなさそうだ。混乱する周囲を見回しながら、おれは佐藤の腕をぐっと掴んで問い詰めた。


「おい、どういうことだよ、これは」


「いや、俺に聞かれてもわかんねえって……どうなってんだよ……」


「どうって、おれが死んだって噂を誰かが流したんだろ。悪趣味にも程があるぞ」


 おれはニヤついてる奴がいないか、あたりを見渡しながら言った。


「で、お前は誰から聞いたんだ?」


「いや、誰からっていうか……あれ……?」

「自然と……だよね」


 同僚の橋本さんが静かに近づいてきて、ぽつりとそう言った。彼女は眉間に深く皺を寄せ、おれをチラチラと見ては目を逸らした。おれが本当に生きているのか疑うような、怯えと混乱が滲んでいる。

 おれは彼女にも訊ねた。


「誰かから連絡があったわけじゃないのか?」


「連絡……ううん、気づいたら、そう思ってたの。あなたが死んだって」

「俺もだ……なんでだろうな……」

「ああ、不思議だなあ」

「な。ははは……」


 皆、へらへらと笑い出した。どうやら理解が追いつかず、無意識に事態を軽く処理、つまり笑い話にしようとしているようだった。

 だが、おれにとっては笑って済ませられる話のわけがない。

 始業時間が訪れ、渋々と仕事に取りかかり始めたものの、誰もがしきりにおれのほうを盗み見てくる。死人を見たかのように、顔を歪ませていた。

 その薄気味悪い沈黙と視線に耐えきれず、おれは席を立ち、上司のデスクへ向かった。


「あの……」


「ひっ、何かな……?」


「早退したいんですが……」


「あ、ああ、それがいい。うん、顔色も悪いしな。うん、うん」


 上司はすぐに了承した。その言葉を待っていたとばかりに頬を緩め、明らかな安堵の色を滲ませた。

 おれがオフィスから出た瞬間、背後からどっと歓声にも似たざわめきが聞こえた。おれは振り返らなかった。

 それにしても、奇妙な話だ。昨日は日曜で会社は休みだった。その前も別段、変わったことはなかったはず。つまり、昨日のうちに“おれが死んだ”ことにされたのだろう。

 だが、いったい誰だ。誰がそんな根も葉もない死亡説なんてものを流したのだ。

 皆、誰かが連絡してきたわけではないというが、どうも信用ならない。そもそも、まず当人に確認するはずだろう……いや、死んだ相手にわざわざ連絡するやつはいないか。むしろ避けそうだ。電話に出られでもしたら、怖いしな。

 芸能人の死亡説がネットで勝手に広まることがあるが、これもその類だろうか。だが、おれのような一般人にそんなことが起こるなんて……。

 おれはスマートフォンを取り出し、一応自分の名前で検索してみた。けれど、ヒットする情報は何もない。

 身近な人間たちだけが揃いも揃って勘違いしているようだ。おれは少し安心した。


 ――あ、そうだ。


 おれは念のため、実家に電話をかけてみた。数コールの後、母親が電話に出た。その瞬間、ぞくりと嫌な感覚が背筋から這ってきた。電話口から聞こえてきたその声は掠れていて、どこか震えていた。まるで、泣いたあとのようだったのだ。

 おれは胸騒ぎを覚えながらも、努めて明るく言った。


「あの、おれだけどさ。ああ、詐欺じゃなくて」


『あ、あ、あんた! え、嘘でしょ!? なんで!?』


 母親の声が裏返った。やはり、母親もおれが死んだと思っていたらしい。今、まさに遺影に使う写真を探していたところだったという。アルバムを開き、思い出に浸っているうちに涙が出てきたのだと。


「いや、なんでおれが死んだって思ったんだよ……」


『ええ? さあ、どうだったかしら……とにかく、びっくりしたのよ。あ、ほら! 今もニュースでやってるわよ!』


「え、ニュース?」


 おれはすぐに電話を切り、スマホでニュースサイトを開いた。

 そこには、確かにこう書かれていた。


【死亡したのは千葉県にお住いの会社員――さん。――歳】


 記事の文面だけではない。掲載されていた顔写真は、おれ自身のものだった。数年前に免許証用に撮った、少し硬い表情で気に入ってないやつだ。間違いない。

 しかも、それは一つのニュースサイトだけではなかった。再度、実名で検索をかけると、いくつもの大手メディアが同様の内容を報じていた。


「ほら、やっぱり死んでるぞ!」

「そうよ、死んでるじゃないの!」

「写真付きでニュースに出てるもん!」

「ああ、間違いない!」


 突然、頭上から声が降ってきた。会社のビルを振り返ると、オフィスの窓から同僚たちが顔を出していた。どうやら、おれの様子をずっと見ていたらしい。


「馬鹿な、ありえない……おれはこうして生きているじゃないか! 生きているぞ!」


 おれは全力で叫んだ。だが、その声に誰一人として応じなかった。ただ沈んだ目でこちらを見つめているだけだった。

 通りを歩いていた人々も、騒ぎを耳にして立ち止まった。スマホを覗き、ニュース画面とおれの顔を見比べると、「あの人、死んでる……」と怯えたように呟いて、距離を取った。


 ――さんは死んだ。

 ――は死んだ。

 ――死んだ。


 誰も彼もが、死人を見るような目でおれを見てくる。その無言の圧力は、死刑宣告を突きつけられたかのように感じた。

 おれは逃げるように走り出した。駅まで駆け、電車に飛び乗った。誰とも目を合わさず、うつむき加減で歩いて自宅のアパートへ戻った。

 ようやく人心地つける。そう思った瞬間、おれは足を止めた。ドアの横に、白い菊の花束が手向けられていたのだ。

 おれは戸惑いながらそれを足先で遠くに押しやり、ドアに鍵を差し込んだ。すると、妙な感触がした。どうやら鍵がかかっていなかったらしい。だが、朝、家を出たときには確かに閉めたはずだ。

 おれはゆっくりとドアを開けた。

 中には大家がいた。部屋の中央に立っている。大家は振り返り、おれを見ると、びくっとして背筋を伸ばし、硬直した。


「うお、あんた、死んだんだろ……?」


「だから、こうして生きてんだろ! あんたこそ、何してんだよ!」


 無意識に声が大きくなる。混乱と怒り、そして恐怖で、感情はぐちゃぐちゃだった。

 大家は目を伏せ、ちらちらおれを見ながら絞り出すように言った。


「部屋の確認だよ……。お母さんから連絡があってね。荷物を引き取ってもらうことになったから……」


「いや、だから、こうしておれはちゃんと生きてるじゃないか!」


 おれは詰め寄るように歩み寄った。大家は一歩、二歩と後ずさりし、ついには虫にでも触れたような顔で、おれの手を振り払うと、そそくさと出ていった。

 その目には、確かにおれが『この世のものではない何か』として映っていたようだった。

 一人残されたおれは、部屋の中央に座り込んだ。

 おれは生きてるんだ……確かに、こうしてここで息をしているのに……。

 胸に手を当てると、目元が熱くなり、涙が出そうになった。

 心臓は静かに、でも確かに動いていた。


 けれど、誰も認めてくれなかった。

 結局、おれは部屋を追い出され、実家にも戻れなかった。なぜか両親も完全におれを死んだ人間として扱ったのだ。目の前にいるのに、怯えるだけで受け入れようとはしなかった。

 おれは、たださまよい続けた。どこへ行っても、周囲の視線は冷たかった。あからさまに距離を取り、ときには「ブサイク」や「キモ」などと中傷した。

 そんなおれを唯一受け入れてくれたのは、ホームレスたちだった。

 最初は屈辱だった。社会に否定され、ここまで落ちぶれてしまったのだと、激しい絶望感に打ちのめされた。しかし、不思議なもので慣れてみると案外心地よかった。

 もちろん蔑まれてはいただろうが、それほど気にならなかった。誰からも期待されないというのは気楽だ。それに、まるでサバイバルでもしているようで、少し楽しかった。

 夜、河川敷で焚火を囲みながら、おれは彼らに訊ねた。


「なあ、あんたたちはどうして、おれを受け入れてくれたんだ?」


 彼らは一瞬顔を見合わせ、そして笑った。やがて、一人の男が言った。


「おれたちも、もう“死んだ”ようなもんだからな。案外いるんだよ。あんたみたいなやつ、他にもな」


「そうなのか……」


 男は黙って頷き、夜空を見上げた。おれもそれに倣い、顔を上げる。

 瞬く星々。あの中には、何万年も前に寿命を迎えている星もあると聞いたことがある。ただ、その光だけがまだ地球に届き続けているだけで星そのものは、もう存在していない。

 それと比べたら、人間の生き死になんて、ただの誤差みたいなものではないだろうか。

 眺めているとそんなふうに思えて、少しだけ心が落ち着いた。


「そうそう。ほれ、電話かけてみるか? これ、使えるから」


「……えっ、電話?」


 男はポケットから使い古された携帯電話を取り出し、おれに手渡した。


「そう、テレビ局とか新聞社にかけるんだよ。“○○さんが死亡した”ってな」

「適当な名前でいいのさ。ネカフェでネットに書くのもいいぞお。あそこはポテト無料だしなあ」

「みんなでやると、本当に死んだみたいな気がするんだよな。おもしれえよ」


 ホームレスたちは笑った。

 その声は、墓場に吹き抜ける風の音のようだった。

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