4 絶えない炎
ついに今日から、俺は世界平和エージェントPEACEの正社員となった。事務所への入り口がある一階の喫茶店は「Believe」という。Believeを抜けて、俺は事務所に入る。俺の社会人生活一日目は地下から始まる。
「本日からここで働かせていただきます、高岡聡志です。よろしくお願いします。」
俺の初出勤日には、津山さん、桝田さん、そしてこの会社の要である魔法少女たちと思われる少女たちがいた。その中にはもちろん穂村もいた。
「電話が来た時は断りの連絡と思ったが、嬉しい。今後もよろしく。」
「こちらこそよろしくね、高岡くん。君は絶対入社してくれると思ってたよ。」
桝田さんは相変わらず、無意識にZ世代を震わせる言葉を発する。津山さんが年齢の割に丁寧な対応をするだけに、顕著に表れる気がする。
そして俺がこれからサポートする魔法少女たちは、穂村を含め5名だ。全員学生で、土曜日である今日に入社を迎えたのも彼女たちに挨拶するためである。
「ねえ、あなたが明里がスカウトした新人さん?私は桃枝望愛!コードネームはHOPE!よろしくお願いしまーす!!」
桃枝はまさにアニメで見た主人公のようで、高めの位置のツインテールをした、はつらつとした調子の女の子だ。
「か、金元秀です…。コードネームは、ウォ、WANTS、です…。あの、金元でいいです。よろしくお願いします…。」
金元は肩まで伸びたセミロングヘアのおとなしそうな子だ。かけている眼鏡は変身すると取れるのだろうか。
「私は翠川歩未です。コードネームはROAD。明里と同級生で、学校ではハンドボール部に所属してます。よろしくお願いします。」
翠川は短い一つ結びのしっかりしてそうな、まさにスポーツ女子といった感じか。こんな子が就活で無双するのだろう。
「青島裕希です。コードネームはJUSTICE。よろしくお願いします。」
青島は一目でわかる美人だが、その完璧な顔に少し冷たさを感じる。話し方からしても端的である。
正直5人も一気に名前を覚えられるか不安ではあるが、本名はともかく、社員が業務上で使用するコードネームのおかげでなんとか頭に入りそうだ。ちなみに俺が穂村の源氏名と勘違いしていた「ファイア」こそ、穂村明里のコードネーム、FIREである。
「ようこそ、世界平和の仲間へ。緊張してる?まさか、本当に入ってくれるなんてね~。」
「うん、これもなにかの縁だしね。よろしく、穂村さん。」
「明里でいいよ。よろしくね。」
すると、急にサイレンのけたたましい音が鳴った。
「御寺町一丁目でバグダストが急増中している。直ちに現場に向かってくれ。」
事務所内に放送が入る。しかし、おかしい。今ここにいる人で全員のはずである。では、この声の主は一体誰だ。
「司のやつ、起きてたのか。」
桝田さんが慣れたように言う。司と呼ばれる人物の声が聞こえるや否や、魔法少女たちは急いで事務所を飛び出す。戸惑う俺に津山さんが補足する。
「初日から出動とは災難だな、高岡。まあ、勉強になるだろう。今日は司令官の司もいるしな。」
「司さんって、こないだ仮眠室で非番だったあの?」
「そうだ、せっかくだし見学させてもらえ。」
指令室に入ると、そこにはウルフカットの男がいた。寝起きなのか不機嫌な顔をしている。
「司、この子は新人の高岡君だ。今日が初勤務だから見学させてやってくれ。」
「本日から働かせていただきます、高岡です。よろしくお願いします。」
眠そうな目をこちらに向け、司さんはやっと喋り出した。
「…花守司。ここの司令官です。よろしく。」
本当に今起きたかのような口調だ。先ほどのメリハリのある放送の声と同一人物なのだろうか。
「下の名前は?」
「さ、聡志です。」
「おっけー聡志ね。今回のは雑魚だし、実際に指令出しながら説明する。質問あれば適宜聞く。答えれるかは戦況次第。把握よろ。」
早速、司さんはモニターに映った現場の状況を確認する。ここから御寺町までは車で15分かかるのだが、魔法少女たちはもう到着している。
「こいつらがもうついてるのはもちろん魔法の力。飛んで急行してるからどんなパトカーよりも速く着く。JUSTICE裕希ちゃん、ぱっと見、現場のバグダストは何個くらい?」
司さんは画面の向こうに話しかけると、答えが返ってきた。
「20くらいですね。っていうか、なんで今日は本名で呼ぶんですか?」
「今、新人の聡志が見学中だから、わかりやすく呼んでる。お前ら変身してるしコードネームで呼んでもわかんないでしょ。」
司さんは司令官なだけあって説明するのがとても上手い。すべての言葉に無駄がなく、すっと頭に入ってくる。こういう人が津山さんの言っていた技量のある人材なのだろう。JUSTICE裕希ちゃんは最後に挨拶した青島裕希だ。俺自身もさっき会った学生姿の彼女たちと変身した彼女たちが合致しなかったため、こういう気遣いは正直とても助かる。
「ちょっと、司さんっ…。『JUSTICE裕希』ってなんかお笑い芸人みたいでウケる。」
「うるさいぞ、HOPE望愛。」
「ぎゃははははっ!私、HOPE望愛だって!しんどいって笑笑」
確かに言われてみれば芸人っぽいかもしれない。それにHOPE、桃枝望愛の笑いにつられて俺まで司さんの指令の度にツボにはまってしまいそうだ。気を紛らわすために俺は質問をした。
「あの、さっきから言ってる、この埃みたいな『バグダスト』ってなんですか?」
「ああ、『バグダスト』は人の気を惑わす物質だよ。主に悪い気を起こさせることが多いから、人に作用して事件が起きる前にこいつら魔法少女が退治する。人に作用してしまったら、そこからは大体が警察の仕事だね。」
なるほど、このバグダストを破壊することで、町の治安を守るのか。それにしても、人の気を惑わせるとは恐ろしいモノだ。こんなものが社会に出回っていないことが何より怖い。
「さ、お前ら一人5個目安でパパっとやっつけろー。ROADあゆみん、最終確認したら報告して。」
緑色のコスチュームに身を包んだ翠川歩実がこちらにオッケーサインを送る。
すると、魔法少女たちは一瞬でバグダストを消した。バグダストとは厄介なものであるが、案外倒すのは彼女たちにとって簡単らしい。
「司さん、全滅を確認しました。WANTSが2倍くらいやっつけて、HOPEの仕事奪ってたけど。」
「WANTS秀ちゃん、凄いねえ。さすがだよ。」
司さんの賞賛に黄色のコスチュームをした金元秀が恥ずかしがる。
「えっ、私はそんなつもりじゃっ…あ、ありがとうございます…。」
すると突然ROAD、翠川歩未から報告が入る。
「司さん、バグダストが既に人に作用にしています!」
「現着前に作用していたか。憑りつかれた対象の様子は?」
「あれはライター…!寺院に火をつけるつもり?!」
こちらの映像では鮮明に見えないが、そうだとしたら大変である。御寺町は木造の建物が多い上に、一本道で逃げ道が少ない。火が付けば一瞬で町中が燃え上がる。しかし、俺がこの思考にたどり着く倍の速さで司さんは指令を出す。
「FIRE明里!お前が止めろ。」
「了解!」
明里は猛スピードでライターを持った人に向かうと、叫びながら躊躇なく拳を腹にお見舞いした。
「永遠の炎」
そして、口から出てきたバグダストをFIRE明里は瞬殺した。まるで、少年漫画みたいだ。FIREはパワー系なのかもしれない。バグダストが抜けた人は正気を取り戻し、自分がまさに今放火をしようとしていたことに震えている。明里は駆け寄り、その人に話しかけた。
「俺…今、火を…」
「あなたは何も悪くない。悪いのはこの心を汚したモノよ。でも気を強く持って、心の火を燃やすの。そうすればあなたの心を邪魔するものなんていないんだから。」
「でも…そんなこと…」
「できる!だって生きてるだけで、人は命を燃やしているの。あとは少しずつ強くするだけ。あなたの火をつけてくれる吹き風がいつか現れるわ。」
すごい、明里扮するFIREはバグダストの被害者のメンタルケアも怠らない。これが光属性のパワーか。
しかし、現場での状況を実際に見ると、その壮絶さと緊迫した空気感に押しつぶされそうになる。こんなことをまだ子どもがやっているというのか。明里のさっきの言葉だって十数年しか生きてない人間の発するものじゃない。これが世界平和を現実にしようとする者たちの圧倒的実力なのだ。果たして俺なんかに、この人たちと共に働く価値はあるのか。
夕方になり退勤すると、数時間ぶりに太陽を見る。オフィス見学に来た時もそういえば夕日が先に目に入った。あの時もこの会社に自分が入社するに値するか、なんて考えてたっけ。そんなことを考えていると、後ろから俺を呼びかける声がした。振り返るとコーヒー缶を持った明里がいた。
「初出勤お疲れ様、ちょっとそこの公園で休憩しよ。」
明里の言った「そこの公園」までは1時間も歩いた。これでは休憩せざるを得ない。時刻は20時を回り、持っていたアイスコーヒーはぬるくなっていた。
「あのさ、初出勤日に遠足させるなんて社会人にとって拷問だからね?」
「ごめんってー。だっていつも魔法でとんでもない速さで現場向かってると、つい現実の距離感バグっちゃうんだよね。」
明里はぬるいオレンジジュースを口にして、ベンチの隣に座るよう指す。
「私、ここからの漁火の景色が好きなんだ。だからどうしても高岡さんと見たかったの。ほら、綺麗でしょ?」
明里の言う通り、宵闇の海に浮かぶ船の灯はとても綺麗に見えた。夏だからかなり遅い時間にならないと見れないのはネックだが、それが逆に美しさを際立てているのかもしれない。
「今日、指令室から見てたけどすごかったよ。特に最後の必殺技みたいなやつ。あんな危険なこともやるんだね。」
「まあ、私の一瞬の痛みは当の本人の痛みに比べたら全然だし。ほら放火って結構厳しめの刑罰になること多いじゃん、被害も大きいしさ。だから、あの人に過ちを犯させてはいけないって強く思うと自然とあの動きになるんだよ。実は高岡さんの時も一緒。通りかかったら高岡さんにバグダストが入ってくのを見たの。」
「え、そうだったの?!」
知らなかった、確かにそういえば急に負の感情が湧いていた気がする。俺もいつのまにかバグダストの犠牲になるところだったのか。全く他人ごとではなかった。
「でも、今もなにか悩んでる顔してる。」
明里が俺の頬を両手で潰して尋ねる。漁火が照らす水平線が二人の背景を彩る。
「私にはバレバレなんだから」
まっすぐな明里の瞳に火の光が燈る。今になって津山さんの言葉を思い出す。明里は本当に魔法少女の適正がある。どんな弱い者も見逃さない。火が小さくなると自分の火を分ける。そうやって人々の心の灯を絶やさず、世界を照らすのだろう。
「その、今日のみんなの戦いを見て、俺がこんなすごい人たちと一緒にやってけるのかなって…」
「そんなこと、考えてたの?そんなの、やってみないとわかんないじゃん!司さんだって、最初はただの幼卒無職乞食ホームレスからあんな有能司令官に成長したんだから。」
「え、そうなの?てか、幼卒ってなに?!」確かに、物乞いをする司さんは余裕で想像できるが、成長過程、特に幼卒のあたりは気になる。
「それに、少なくとも私の目に狂いはないよ。初めて会った時から君がこの仕事に向いてるってね。でも私よりここに入社を決めた君自身が一番わかってるんじゃないかな。高岡さんがうちで働きたいと感じた時の気持ちが全てだよ。」
そうだ、思い出せ。目を閉じて視界を暗闇にする。そこには一つのか細い炎。そう、俺はそもそも誰も成し遂げたことのない無謀な夢に向かっているんだ。一人で完遂できるわけがない。だからこの会社についていきたいと決めたのだろう。むしろ頼もしい仲間がいることは喜ぶべきことのはずだ。自分と比べて落ち込むものではない。あの自由帳に書かれた思いを絶やしてはいけない。
目を開くと、明里は胸に拳を突き立てて言った。
「それが、情熱だよ。」