第三話 時空を超えた出会い
体感的に、この時だけ全ての時間の流れが龍三には遅く感じた。
自分は今、夢でも見ているのだろうか……虚空から音もなく突然現れ、空から降ってきた謎の少女。
緋袴の下から足袋が見え隠れしているが、よく見ると草履のような履物も履いていない。鳥居の上から飛び降りてきた……というわけでもなさそうである。
そう、本当に信じられないが、この巫女さんは確かに鳥居の中から忽然と姿を現したのだった。
ありえない事がこの一瞬の間に色々起こりすぎて、脳の処理が追い付かない。
ここにきて遂に疲れがピークに達して幻覚でも見えてしまったか? などと龍三の思考が現実逃避を始めるが……しかし、どんなに頭の中で否定しても見えている光景は変わらない。
そうこうしている間にも、少女は目を瞑ったままゆっくりと重力に身を任せて倒れ込んでくる。
暫く茫然として、龍三がハッと我に返る。
何が起きているのかさっぱりだが、今は余計なことを考えている暇はない。龍三は戸惑いながらも自分の胸に飛び込んでくる少女を優しく抱き留めた。
「うお……っ!?」
女の子の身体は想像していたよりも軽く、華奢な見た目も相まって、まるでふわふわの羽毛布団を抱き締めているような不思議な感触だった。
不意を突かれたこともあってか、龍三は少女を抱えたまま背中から地面に倒れ込んでしまう。
(あっぶねぇ!? 死ぬ!)
すぐ後ろには石段が続いている。あと数メートルずれていればそのまま転げ落ちていたかもしれないと思うと背筋がゾッとした
冷や汗を流しながらも、すぐに少女の方へ向き直る。
「お、おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
龍三は身を起こし、少女の肩を抱きながら安否確認のため身体を揺らして声を掛ける。だが、どんなに身体を揺さぶっても少女が起きる気配はない。
龍三の胸にしなだれ掛かるようにして眠る少女は、完全に意識を失っているみたいだった。
「駄目だ、全然起きねぇ……」
龍三が困り果てたように肩を落とす。
そして、再び腕の中で眠る少女を見た。
「……つか、やっぱり巫女さんだよな? どう見ても……」
見間違いでも、幻でもない。正真正銘、本物の巫女さんだ。
突然の事で気が動転していたこともあり、ちゃんとよく見ていなかったが、改めて見ると女の子はとても綺麗な顔立ちをしていた。
歳は十二か、十三歳くらい。多分、妹の桜華と同じくらいではないだろうか。十六歳の龍三から見てもその年齢は幼く見える。
少女の服装は白衣に緋袴と、典型的な紅白で身を包んだ神社でよく見る巫女さんのそれだ。雪化粧でも施したような真っ白な肌に、腰まである純銀を溶かし流したような銀色の髪。その先には髪を一房に束ねるようにして赤い髪紐が蝶々結びで結ばれていて、首には翡翠の勾玉の首飾りがかけられている。
目を瞑り、腕の中で静かに寝息を立てているその姿はさながら、おとぎ話に出てくる毒リンゴを食べて永遠の眠りについてしまった白雪姫のようである。
少女の浮世離れしたその美貌に龍三は不覚にも見惚れてしまう。一応、誤解が生まれそうなので訂正しておくが龍三は別にロリコンではない。
ただ、この時だけは不思議と少女の顔から目が離せなかった。というのも、龍三はこの女の子と初対面のはずなのに何故か初めて会った気がせず、巫女さんの顔立ちにもどこか懐かしさを感じていたのである。
「この子、何処かで――」
心なしか夢に出てきた少女と似ているような気もする。朝に見た夢の内容なんてもうほとんど思い出せないが、そんな不思議な縁を思わせる体験に龍三は困惑の色を隠せないでいた。
と、その時――
「ん……、うぅん……」
「!?」
微かに少女の口から声が聞こえ、驚いた龍三が反射的に身体を強張らせる。
息を呑み、少女の顔をじっと覗き見ていると、眠り姫のごとく目を瞑っていた少女の瞼がピクンと動いた。
そして再び「んっ」と可愛らしい声が漏れ、そのままゆっくりと開かれる。
薄く目を開いた少女の瞳は透き通った海のように青い――紺碧の瞳。
思わず吸い込まれそうになる妖艶なその双眸が、顔を覗き込んでいた龍三を捉え、お互いの視線が音もなく交差する。不覚にも少女に見つめられて、龍三は内心ドキッとしてしまった。
まだ目覚めたばかりで寝ぼけているのか、その目は心なしかとろんとしている。やがて、巫女さんの意識が徐々に覚醒していくと共に、その瞳が少しずつ見開かれていき――
次の瞬間、完全に目が合った。
「…………」
それはもうばっちりと。龍三と少女の間に一瞬の静寂が訪れる。
巫女さんがパチパチと目を瞬かせ、龍三も思わず言葉を詰まらせる。
「えぇっと……」
――そして。
「ぶ、無礼者ぉ!!」
「――!?」
巫女さんが龍三の姿を認識した途端、自分の両掌を龍三の顔面へ突き出してくる。
――かと思えば次の瞬間、バチンッという乾いた音と共に、龍三の身体が勢いよく後方へ弾き飛ばされた。
何が起こったかわからなかった。身体を押されたわけではない。どちらかというと、まるで何か見えない力によって弾かれたような、そんな感覚だった。
視界の両端に映る緑の景色が激流のように流れる。龍三がさっきまでいた場所も既に遠くに見え、そこで初めて自分が石段の下へ向かって吹き飛ばされたことを理解した。
次の瞬間、龍三は背中から勢いよく石段を転がり落ちていく。
「ぎゃあああああ――――っ!?」
龍三の視界が激しく振れ、全身に絶え間なく痛みが襲い掛かる。暫くそれが続いた後、平らな場所にでも落ちたのかようやく止まった。
(俺が、何したってんだよ……)
そんな、自分でもよくわからないことを心の中で呟きながら鳥居の方に目をやる。
遠のいていく意識の中、石段の上から少女がこちらに向かって慌てた様子で駆け下りてくる姿を最後に、龍三の視界はそこで暗転した。