第一話 最初のデジャヴ
――星が降る。
青く輝く尾を引いて幾筋もの光跡を残しながらそれは、大気圏から地表に向かって雨のように降り注いでいた。
「そんな……」
空を覆い尽くす流星群、幾千万と地上に降り注ぐ星の雨、そして茫然と立ち尽くし、負傷している右腕を抑えながらその光景を力無く見つめる少年の姿が一つ。
時刻は昼を過ぎた頃だが、辺りはまるで夜のように薄暗い。空に浮かぶ太陽は月に隠れて陽の光を失い、水平線の彼方を見れば空と海の境目が夕焼けのように赤くなっている。
皆既日食――それはまるで世界が丸ごと影の中に沈み込んでしまったかのよう。
そんな黄昏の世界を彩るように、空一面を星が埋め尽くしていた。
光と闇。その狭間で立ち尽くす少年――朝日奈龍三は目の前で起こるその世紀末の光景に目を疑う。開いた口が塞がらず、ただただ呆然と黄昏に包まれた世界を眺めることしかできない。
「…………」
龍三は負傷している自分の右手を見た。
ボロボロに傷ついた右手。その手首には赤い紐のようなものが大切に結ばれていた。暫くそれを見つめた後、龍三はぎゅっと拳を握りしめ、そして……諦めの色を浮かべながらゆっくりと顔を上げる。
彼の視界に映るもう一つの異様な光景。それは宙に浮かぶ見慣れた少女の姿。
赤と白の巫女装束に七夕の織姫を思わせる羽衣を身に纏い、背中から光の粒子が集まって出来た巨大な蝶の翅を生やし、その足元には闇に染まる空とは対照的に晴天の青空を映し出す鏡のような水面が広がっている。腰まである長い黒髪は風に吹かれて靡き、海を想起させる水色の瞳は龍三を睨み付けるように鋭い眼光を放っていた。
龍三と少女が見つめ合うように視線を交差させる。
そうしている間にも流星群は際限なく地上に落ち続けている。
世界の終わりを告げる音が龍三の耳に届く。
徐々に龍三の視界が白くぼやけていく。意識が徐々に遠のいていくのがわかる。あまりの眩しさにたまらず目を細め、龍三は光の奥に消えていく少女の姿を静かに見据えながら負傷した右腕を前に伸ばす。
目の前の少女に手が届くはずもないのだが、それでも腕を伸ばして掴もうとする。
「こんなことになるなら、もっと早くに気づいて思いを伝えておけばよかった。○○、俺は――俺はお前を、愛して――」
愛する人の名前を口にし、伝えられなかった思いを伝えようとした次の瞬間――無情にも、龍三の意識はそこでぷつりと途絶えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……。
…………。
ドンッという鈍い音が鳴る。
直後、朝日奈龍三は背中に伝わる強い衝撃と共に、はっとそこで目を覚ました。
「…………痛てっ!」
ぼんやりとした意識の中、まず初めに感じたのは肌にまとわりつくようなジメっとした蒸し暑い空気。次に見慣れた白い天井。目だけを横にやると、そこには自分がさっきまで寝ていたであろうシングルベッドが置いてある。
ここは龍三の寝室。床の上で仰向けになっている自分の姿から察するに、どうやらベッドから転げ落ちたらしい。遅れて、床に落ちた龍三の後を追うように布団が上から覆いかぶさってくる。
「……夢か」
やけにリアルな夢だったな、と寝起きで漠然とした意識の中、龍三は思う。
龍三が夢の中で立っていた場所は恐らくどこかの港だろう。身体に吹き付ける潮風や磯の匂い、自分の発する声や目に映る光景など夢にも拘わらずどれもこれも妙に現実味を帯びていた。
まるで、実際にその場に居たかのような感覚。
目覚める直前に見たあの巫女さんも、不思議と昔何処かで会ったことがあるような気がしてならないのだった。
けれど、所詮夢は夢だ。半日もすれば直ぐに忘れて気にもしなくなるだろう。泡のように浮かんでは消え、いつしか忘れてしまう。思い出そうとしても思い出せない。夢というのはそういう儚くて切ないものだからこそ、変に杞憂するだけ無駄なのかもしれない。
「……」
龍三は自分の身体に覆いかぶさってきた布団を鬱陶しそうに払いのけ、まだ半分眠気に晒されながらもゆっくりと重い体を起こした。
部屋の中は音もなくしんとしていて、窓の外でせわしなく鳴いている蝉の鳴き声がよく聞こえる。
朝からおとぎの世界にいたような感覚に悩まされるが、そこでふと昨日の出来事を思い出す。
そういえば昨日はあの廃校で魔物と対峙した後、ドッと疲れが襲ってきて、家に帰るなりそのまま眠ってしまったのだった。
「……今何時だ?」
龍三はきしむ頭を押さえつつ、ふぁ、とあくびを零しながら枕元に置いてある自分のスマホを手に取り現在時刻を確認する。
スマホの待ち受け画面には三匹のタツノオトシゴのイラストをバックに七月一日、月曜日、七時五十分と表記されていた。
「げっ、もうこんな時間かよ……。眠ぃ……」
寝ぼけ眼を擦りながら悪態を吐く。
まさか平日の朝っぱらからこんな形で起きる羽目になろうとは。
自分の寝相の悪さに呆れてため息が出る。今までこんなこと一度もなかったのに、どうして今日に限ってこんなに寝相が悪かったのだろう? と内心疑問に思いながらも、まあ、たまたまだろう、と開き直り、再度スマホの画面に目をやる。
「ん?」
そこには一通のメールが届いていた。
相手は妹の桜華からだ。
メールの内容を要約すると「今日は部活で帰りが遅くなるから代わりに買い出しをお願い!」というものだった。
桜華は龍三の三つ下の妹で、今年中学生になったばかりの十三歳の女の子だ。世話焼きで天真爛漫。母親譲りのコミュ力お化けである。龍三は今年の四月にとある理由で一人暮らしを始めたのだが、その時たまたま引っ越し先が桜華の通う学校の近くだったこともあり、桜華が両親と龍三に無理を言って一緒に住むことになったのだ。
そのため今は両親が家にいないので龍三と交代制で家事をやっている。
了解と返信した後、スマホを閉じ、うんと伸びをする。そのまま立ち上がってリビングに向かった。
再びあくびを零しながら寝室を出ると飼い猫のクロ(雌)が寝室から出てきた龍三を見ていそいそとこちらに近寄ってくる。
にゃあと鳴きながら己の足に頭をこすりつけたり、足元でごろんと仰向けになって甘えてくる姿は本当に愛らしい。仰向けになったまま龍三の目をジッと見つめてくる。まるで早く撫でろと言わんばかりのふてぶてしさである。
「はいはい、仰せのままに~」
お望み通り、その場にしゃがみ込んで真っ黒な毛で覆われたお腹をわしゃわしゃと撫でさすってやる。
しばらく愛でた後、立ち上がってリビングを見た。部屋を出てすぐ目の前にはL字型のソファが置いてあり、その奥のテーブルには桜華が作ってくれたであろう朝ごはんがラップをかけられた状態で用意されていた。
龍三はソファに座って桜華が作ってくれた朝ごはんにありつくことにする。静かな空間で一人寂しくご飯を食べるのも忍びないのでテレビを付けると、丁度朝のニュース番組がやっていた。
『皆さん、ついに来週ですね! 七月に入り、いよいよ七夕の日が近づいてきました。しかも今年の七夕はこれまでとは一味も二味も違います。なんと七月七日の七夕の日に皆既日食がこの日本で見られるんです! 七夕と言えば天の川を隔てて彦星と織姫が――』
見ての通り、ここ最近のニュースは何処もこの話題でもちきりだ。特に七月が近づくに連れてほぼ毎日のように七夕と皆既日食の話題が上がる。
七夕の日。それは古くから日本人に親しまれ、短冊に願い事を書いて笹の葉に飾ったり、彦星と織姫が天の川を渡って一年に一度だけ会うことが叶うと言われている七夕伝説で有名な年中行事の一つ。
運命の相手。離れ離れになってしまった愛し合う二人の男女。一年に一度だけ会うことを許された特別な日。ロマンチックなこのイベントは世のカップルにはピッタリなイベントと言えるだろう。
加えてその七夕の日に皆既日食が見られると言うのだから盛り上がってしまうのは当然のことと言える。既にこの件に関しては日本だけでなく他国のメディアも注目しており、奇跡のような巡り合わせから日本神話に出てくる天岩戸伝説になぞらえて、日本が終わってしまうなどという陰謀論者まで出てくる始末だ。
「ふーん。七夕ねぇ……まあ、俺には縁がない話しだから関係ねぇや……」
そんな朝のニュースを龍三は心底興味なさそうにご飯を食べながら眺めていた――その時。
「――!?」
突然、龍三の全身を強烈な既視感が襲う。
リビングのソファに座って朝ごはんを食べている今の状況は、龍三にとっていつもの光景である。違いがあるとすればここに桜華がいるかいないかくらいの差しかない。でも、龍三は何故か不思議と、前にも一度この光景を見たことがあるような気がしたのだ。
それこそ、過去に同じ体験をしたことがあるような、どこか懐かしさを覚えるような不思議な感覚――
『――続いてのニュースです。日本各地で相次いで確認されている人が石化する怪奇現象――通称「石化事件」ですが、本日未明、籠目市内でも発見されました。警察の調査によりますと現場には――』
――今のって……デジャヴ?
心の中で呟きながら眉根を潜める。突然襲い掛かってきた謎の既視感に、龍三も思わずご飯を食べていた手を止め困惑の色を浮かべる。TVのニュースも頭に入ってこない。
しかしそれも、直ぐに気のせいだろうと思い返し、龍三は何事もなかったかのように食事を再開した。
昨日の夜、魔物と死闘を繰り広げたこともあり、それと照らし合わせた結果、多分自分は今疲れているのだろうと結論付ける。
眠気が浅いと変な夢を見ることもあるらしく、デジャヴも疲れやストレスなどから生じる脳のバグみたいなものだと言われていたりするので、きっと朝起きる時に見た夢も先ほどの既視感もそれらと同じ類のものなのだろうと一人納得した。
ご飯を食べ終え、学校に行く支度をする。
玄関を出る頃には、もうすっかり朝の内容は頭から抜けていた。部屋のドアを閉めた後、徐にドアノブを持っていた自分の手を見る。
次の瞬間、龍三の手を覆うように青い焔が出現する。
破魔の焔。
龍三が幼い頃、とある事故をきっかけに手に入れた異能の力。今となっては小さい頃からの付き合いなので当たり前の存在になってしまったが。結局これの正体が何なのかはわからず仕舞いだ。
龍三以外の人には見えないし、紙切れ一枚燃やせない。一応、魔物に対する有効打として機能してくれてはいるが……。
「……こんな力を持ったところで、一体なんの役に立つってんだ?」
悪態を吐き、ぎゅっと拳を握り締める。すると手を覆っていた焔はまるで空気に溶けていくように消えていった。
気を取り直して後ろを振り向く。
龍三は住宅街に佇むマンションの四階に住んでいる。目の前には代り映えのないよく見る街並みが広がっていて、見上げた空にはギラリと照り付ける太陽が昇っていた。