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バタフライ・エフェクト/Butterfly Effect  作者: 蒼春-Aoharu
第一章 時空を超えた出会い
1/5

序章 祓魔師の少年と日常に潜む影


 逢魔ヶ時。昼と夜が移り変わる時間。黄昏時や大禍時とも呼ばれるその時間帯は読んで字のごとく「魔に出逢う時」と書くように、魔物や災いに遭遇する時間帯のため昔から人々に恐れられていた。

 小さい頃は夜になったら魔物が出るぞと言われ、陽が落ちる前には必ず家に帰って来いとよく祖父から言い聞かされたのを覚えている。

 今にして思えばその忠告もただの脅しではなく、大事な孫の身を案じてのことだったのだろう。

 それの本当の意味を知るのはもう少し後になってからの話しだ。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」


 日は西に傾き、山の向こうへ沈む太陽が学校の校舎を茜色に染める。

 薄暮の空を赤々と照らすその夕陽は、まるで燃え盛る炎のようにも見えた。


 都会から少し離れた緑豊かな山間に建つ高校。そこはもう何年も前に廃校となってしまった場所。

 かつては活気も溢れて賑やかだったであろうそこは、今では肝試しで有名な心霊スポットになっていた。

 その――人気のない無人と化した校舎の廊下を、一人の少年が全速力で走っている。


「やばい、やばいやばいやばい!?」


 黒のTシャツの上に着た赤色のパーカーを靡かせ、この世の終わりみたいな顔で廊下を全力疾走する少年の名は――朝日奈龍三。

 ここは本来、人が寄り付くような場所ではない。にも関わらず、龍三が戦々恐々とした様子で校内を走り回っているのには訳があった。


 龍三が走りながら確認するように後ろを見る。

 振り返った視線の先には――誰もいない。

 夕焼けに当てられ、オレンジ色に染まる無人の廊下だけが真っ直ぐ広がっている。

 学生なら誰もが一度は見たことのある見慣れた日常の一風景。

 その、奥から――


「っ……!!」


 廊下に射し込む西日の光を避けるようにして、黒い何かが物凄い勢いでこちらに向かって迫ってくる。

 それは一見すると影のようにも見えるが、違う。その正体は壁や天井、床を縦横無尽に移動し追いかけてくる「異形の化物」だった。


 龍三の祖父はそれを『魔物』と呼んでいた。

 龍三が物心つく頃には祖父は既に亡くなっていたため、詳しいことは龍三もよく知らない。ただ、魔物は人間や動物とは異なる「霊的な存在」で、人に襲い掛かる習性があるという話しは耳にしていた。


 魔物は人が住まなくなった廃墟などを根城にし、夜になると活動を始める。例に漏れずこの魔物もこの廃校を縄張りにしているのだろう。こいつからすればここは獲物を狩る狩場なのだ。


 龍三が今いる場所は校舎の三階。

 廊下の端まで辿り着いた龍三は迷いなく突き当りを曲がり、流れるように階段を駆け下りていく。どのみちここを降りなければ逃げ場がない。

 こんな閉鎖空間であの化物と鬼ごっこを続けるなんて自殺行為だ。食ってくださいと言っているようなものである。

 しかし、追われる恐怖に怯えながら猛然と一階を目指していた、その矢先。


「……っ!?」


 龍三の足が一階に下りる直前で止まる。

 勢い余って前のめりに転びそうになるのをどうにか踏み留まり、たまらず一歩後ずさった。

 足を止めたのは他でもない。階段下から這うようにして上ってくるそれを見て、身体が危険信号を出したためだ。

 影の中から無数の手が伸びて龍三に掴みかかろうとする。


「――くそっ!」

 

 龍三は掴みかかってくる魔の手を紙一重で避けると、眼下の魔物を睨みつけながらその場で踵を返し、すぐさま階段を駆け上がって二階の廊下へ飛び出した。

 疲労困憊の身体に鞭打って、そのまま夕闇を斬るように無人の廊下を疾走する。


「何体いるんだよこいつら! まさか、他にもいたりしねぇよな!? 冗談きついって!」


 一体だけでも捌くのに手一杯なのに、それが複数……。龍三が気づいていなかっただけで、この学校は既に魔物の巣窟と化しているのかもしれない。

 とはいえ、今更弱音を吐いたところで追手が見逃してくれるはずもなく――闇の魔の手はゆっくりと、しかし確実に獲物を捉えんと龍三に迫る。


 直線の廊下で一気に距離を詰めてこないのは、廊下に差す陽光が進行の妨げになっているから……ではない。理由は単純、龍三を恐れているからだ。もっと正確に言えば、龍三が持っている「とある力」を魔物は恐れている。


 龍三の様子を伺いながら一定の距離を保ちつつ近づいているのが何よりの証拠だ。魔物にも知性があるのか知らないが、少数で襲い掛かると返り討ちに遭うかもしれないと警戒してのことだろう。


 そしてもう一つわかったことがある。この魔物、光を避けて日陰の中を移動しているところを見るに、どうやら光の下で生きられないらしい。

 ただ、わかったところで手の打ちようがないことも事実だった。魔物には体力という概念が存在しないため、結局、長引けば長引くほどこちらが不利になるという理不尽な構図は変わっていないし、加えて今は夕方だ。いつ太陽が落ちるかわからない。


 見れば、陽が翳り暗くなり始めている。日没も近い。

 龍三の焦りと緊張は、最早極限まで達していた。

 その時。龍三の前方――廊下の曲がり角から無数の手と共に影の魔物がぬっと姿を現した。


(回り込まれた!)


 龍三の足が再び急ブレーキをかける。立ち止まり、前後を交互に見回す。


(くそ、追いつかれる……!)


 僅か数秒という時間。龍三はすぐ隣の教室の戸が開いているのに気づき、迷わず開けて中に入った。そのまま引き戸を閉めて、近くにあった机や椅子を扉の前に置いてバリケードを作る。

 気休めだが、無いよりはましだろう。龍三は教室の中を軽く一瞥した後、奥の窓際を見た。窓の外は陽が翳って薄暗くなっており、もうほとんど夜だ。

 そしてそれは同時に、タイムリミットの終わりを意味していた。


「……っ!? まずい、太陽が……!?」


 太陽が山の向こうへ完全に沈む。山の稜線を残照がほのかに赤く染め、宵の始まりを告げるように夜の帳が辺り一帯を包み込む。次の瞬間、さながら汚れのシミがじんわりと浮かび上がってくるかのように床や天井、壁の中から影の魔物がうじゃうじゃと這い出てきた。


 やがて教室は光が閉ざされた完全な闇一色の空間に染められて――暗闇の中から一つの目玉が見開いたのを皮切りに、ボコボコと大量の目玉が浮かび上がる。

 壁や天井に蠢く無数の目玉はギョロギョロとあちらこちらに視線を向け、音はないのに騒がしく、龍三にはそれが教室に一人取り残された自分を嘲笑っているようにも、餌を前にして歓喜に震えているようにも見えた。


「……」


 龍三が神妙な面持ちで自分の両手を見る。そして何かを決意したようにぎゅっと両手を握り締めると、今度は左手で自分の右手首を徐に掴んだ。


 次の瞬間、爬虫類のような縦長の瞳孔が龍三に狙いを定める。それを合図に影の魔物は追い詰めた獲物に向かって容赦なく牙を剥いた。

 天井、壁、床に広がる黒い影から出現した魔手が、龍三目掛けて一斉に襲い掛かる。

 その数を前に、龍三も逃げることが出来ない。元より、龍三の足は大量の手に絡みつかれて動けない。教室の中は完全な袋小路となっており、周りは影の化物に包囲されている。


 誰がどう見ても助からない。万事休すだ。

 しかし龍三は、こんな絶望的な状況下にも関わらず、どこか冷静だった。

 瘴気にまみれた闇の魔の手が龍三に迫る。迫る。瞬きする暇もなく、あっという間にその距離は縮まって――そして、龍三の全身に突き刺さる――次の瞬間。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 龍三の視界が青一色に染まる。

 その時、陽が完全に落ちて暗闇となった教室からパッパッと青い光が明滅した。

 ……。

 …………。

 教室の後ろの引き戸の鍵を開け、龍三が勢いよく廊下に飛び出る。

 手が震えて鍵を開けるのに手間取ったが、外に出てしまえばこっちのものだ。


「はぁ、はぁ、死ぬ……本当に、死ぬ!」


 壁にもたれかかり、ズルズルと床に滑り落ちる。

 そして息を切らしながら改めて自分の両手を見た。


 破魔の焔。


 それは一見するとただの火のように見える。だが実際にはそれ自体に熱はなく、水につけても消えない上に、紙切れ一枚燃やせないという異質な能力。

 更にどういうわけかこの焔。先のような魔物には効果覿面らしく、ひとたびこの焔を振るえば、たちまち全てを焼き尽くす灼熱の業火と化し、魔物が生み出す様々な『霊的事象』も問答無用で全て燃やして打ち消すことができてしまう。

 影の魔物が龍三を恐れていたのは他でもない。この焔の存在だろう。


 ――異能を燃やす異能。

 ――魔物を焼き祓う焔。


 それこそが、龍三が幼い頃、川で溺れて生死の境を彷徨った時に手に入れた力だった。

 とはいえ、人知を超えたこの力も世間的に見ればやはりあり得ない代物で、持ち主である龍三もこの力がどういったものなのか未だによくわかっていない。

 加えて、この焔は龍三以外の人間には見えないため誰かに相談することなんてできず、大きくなった今でも龍三しか知り得ない秘密となっている。


「……」


 一秒でも早くこの場を去りたかった龍三は、両手をぎゅっと握り締めると、自らが出てきた教室の奥に目をやりながら足早に廃校を後にした。

 教室の中にはさっきまで龍三を追いかけ回していた影の魔物が、青い焔に焼き尽くされていく光景が広がっていた。


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