海のもくずとあぶくとなって
もし私が死んだら焼かずに海に還してね、と恋人に告げたらすこぶる嫌な顔をされた。馬鹿にしたように顔を歪めるものだから腕を小突いてやる。彼が手にしていたグラスが揺れて、入っていた酒が少しこぼれた。
「何をする」
「あんたが変な顔をしたから」
「おまえのせいだろうが」
むくれ顔をして、残りをあおる恋人。私も同じように少なくなっていたグラスの中身を呑み干した。ここのカクテルはやっぱり美味しい。ぽわっとしたアルコールの香りが自分たちにまとわりついている。頬もほんのりと熱い。浮遊するような感覚に溺れたくなる。
「……何故突然そんなことを言う」
「考えておくべきことかなって。いつ何時どうなるかなんてわからないわけだし」
「今がそのタイミングだと?」
「うん。いい雰囲気だったでしょ」
「どこがだ……。せっかくの酔いが醒めてしまった」
「あはは、お酒の力を借りるのもひとつの知恵じゃん。まだまだ呑もうよ」
笑って追加を頼んだ。バーテンダーはただ静かに微笑みを浮かべながら、シェイカーを振る。
自分としてはずっと前から思っていたことだし、頼めるのは恋人くらいなものだろうと確信を持っての告白だったのだけれど。彼は興が削がれたと苦虫を噛み潰したような、何とも言えない表情をしている。
話を続けてもいいだろうか?
「私の骨に魚たちが住んでるとしたら面白いかなとか」
「……鯨骨生物群衆じゃあるまいし」
「おお、やっぱり知ってた。私、あれにちょっとした憧れがあったりするんだ」
他の人も知りたかったら調べてみてほしい。生命のサイクル。神秘的で面白くてドキドキする光景。動画で何回見たか知れない。
「賑やかじゃないか。私が起点となって形作られるものがあると思うとワクワクする。でもまあ、人間の死骸で独自の生態系が出来上がることはないとだろうけど」
「少なくとも食物連鎖の輪には加われるだろう」
「……最終的にはそれでいいんだよ。私は燃えて灰になるより海の藻屑になりたい」
そうして海の一部になってたゆたっていたい。プランクトンがマリンスノーとなるように、降りしきることが叶うのならば。
それが私の最後のお願い。やっぱり海が好きなんだ。
「だからさ、忘れないでいて」
もう一度念を押すように口にする。
「私が死んだらどうか海へ。もしあんたさえよかったら、命日にその海が見える岬で歌でも歌ってよ」
「……なら、リクエストはあるか」
「うーん……あんたの声なら何でもいいよ」
よく聴こえそうだし、よく眠れそうだ。
頃合いを見計らったのか、バーテンダーが出来上がったカクテルを差し出してきた。頼んでいないのに恋人にも同じものを。きれいな青色、まるで海。
海はいいよ、大好きだ。
そして目の前にいる彼のことも、私は大好きだ。
でもこの気持ちは本人には全部伝わらないまま虚しく、いつか海に溶けるのだろう。他でもない君の手を以て、文字通り。
「ほら、約束の乾杯」
「……そうだな、おまえの強かさに」
グラス同士がぶつかる音。軽く澄んだ音が反響してレクイエムのように、深海に似た夜の闇に吸い込まれていった。




