絶望の淵-SIDE:ダイアナ
鉄の槍を前方に構えて、ゴブリンに突撃攻撃をしかけるヨシュアくん。
ゴブリンたちは回避行動を取ろうとするが……。
「泥よ、彼の者らの足を捕らえよ! 土小鬼と波乙女の喧噪!」
ワタシは地面を一瞬で泥沼に変化させて、ゴブリンたちの動きを止めた。
ヨシュアくんはその隙を見逃さず、必殺の一撃を見舞う。
「てりゃぁぁぁぁ!」
「グギィッ!?」
哀れ。ゴブリンたちはヨシュアくんの槍の餌食となった。
「大丈夫ッスか!?」
ゴブリンを退治したヨシュアくんは槍を構えたまま、ワタシの方へ駆け寄ってくる。
「ありがとう。おかげで助かったわ。でも、よくゴブリンがいるってわかったわね」
「実は今朝からシスターの姿が見えないって子供たちが騒いでまして、村を見回ってたんス。そうしたら怪しい馬車がダイアナさんちに向かうのが見えて」
「そうだったの……」
スプリガンはシスタークレアの名前を知っていた。
今朝から姿が見えないということは、おそらく……。
「悪い方に考えちゃダメっ!」
ワタシは頭を振って、ヨシュアくんにクロを任せることにした。
「クロをお願い。村人と一緒にできるだけ遠くへ逃げて。魔王軍の残党が襲ってきたわ」
「魔王軍がっ? あわわわわっ!」
ヨシュアくんは慌てた様子でその場で二回転したあと、パシンっと自らの頬を叩いた。
「しっかりするッス! 村を護ると自分自身に誓ったはず!」
ヨシュアくんは気合いを入れ直すと、両腕でクロを抱きかかえた。
「クロちゃんはオレが護るッス!」
「頼むわね」
ヨシュアくんはやれば出来る子だ。
日頃から鍛錬を欠かしておらず、足も速い。
風の精霊術でサポートすれば、安全に遠くまで――
「おやおや。大事な魔力炉を何処に運ぼうとしているのですか?」
「早く行って! 飛しょ――」
後ろを振り返るまでもない。
スプリガンが追ってきたのがわかる。
ワタシは短縮詠唱術で高速移動用の精霊術をかけようとして――――
「石化」
短縮詠唱術を唱え終えるより先に、スプリガンが指を鳴らした。
次の瞬間、ヨシュアくんの下半身が灰色に染まる。
「う、うわぁっ! なんすかこれっ! 足が動かない……ッ!」
「無理に動いちゃダメっ! 石化の魔術よ!」
「ふむ。石化したのは下半身だけですか。魔術の制御が甘くなっていますね。忌々しい」
浮遊の術を使っているのか、姿を現したスプリガンは音もなくヨシュアくんの背後に回った。
「この状態で少年の背中を押したらどうなるでしょうか」
「やめて!」
石化の魔術はヨシュアくんの足下にも広がっていた。
下半身が地面と一体化しているようなもので、まったく身動きが取れずにいる。
けれど、逆にそれでよかった。
体だけが石化した状態で地面に倒れたら、ヨシュアくんは粉々に砕け散っていただろう。
「ううぅ……すんません。オレ、オレ……っ!」
「いいのよ。ヨシュアくんは全力を尽くしてくれたわ」
「フフフッ。向こうの連中とは違い、聞き分けがいい人間たちですね」
ヨシュアくんを人質に取られ、ワタシも身動きが取れずにいた。
抵抗する意志がないことを確認すると、スプリガンはヨシュアくんからクロを奪った。
「それでは儀式の続きといきますか」
スプリガンは浮遊の術を使い、クロの身体を空中に浮かび上がらせた。
すると、クロの体を中心にして儀式陣が展開。赤黒い瘴気が周囲に立ち上った。
見たことのない血の色の神聖文字が描かれているが、場の精霊力の乱れで直感的に理解する。
自然の象徴でもある精霊力を穢す、闇の精霊術だ。
「まずは前菜といきましょう」
スプリガンが指を鳴らす。
次の瞬間、黒い稲光がワタシの体を包み込んだ。
「きゃあぁぁぁ……っ!」
「フフッ。さすがは霊王の娘。良質なマナをお持ちだ」
「うっ……意識が…………」
力が抜けていく……ワタシの精霊力が吸われている……っ。
「見えますか神の子よ。アナタのママが苦しんでますよ?」
「まま…………」
「クロ…………」
スプリガンの呼びかけにより、クロが目覚める。
意識がまだ朦朧としているのだろう。
クロはうわごとのようにワタシの名前を呟き、ゆっくりと手を伸ばして――
「苦痛に歪むママの顔、もっとよく見なさいっ!」
「ぐぅぅぅっ!」
「ママっ! ママッ!」
ワタシは歯を食いしばって痛みに耐える。
クロはそんなワタシへ必死に手を伸ばし、目に大粒の涙を溜めた。
「待ってて! ママはクロが護るから……!」
クロの叫びと共に、周囲に漂う瘴気の濃度が上がった。
より強い魔力が儀式陣の中心部に集まっていく。
「素晴らしき親子愛ですねぇ。ワタクシ、涙で前が見えません」
「……っ! ダメよ、クロ。いま力を使ったら……!」
目の前でワタシを苦しめ、クロに魔力を使わせるのがスプリガンの狙いだ。
スプリガンは呪文を唱え、場に溜まった魔力目がけて指輪を掲げる。
「時は来た! いと慈悲深き神の一柱。月と死の番人、偶然と変化、罪と過去を司る運命の女神ウルドよ。影の国より現れ出でて裏返れ。不浄なる泥の澱みで世界を満たし給え――――冥界門!」
スプリガンの呪詛により、儀式陣から黒い雷光が迸る。
雷光は消えることなく、まるで薔薇の茨のようにクロの体にまとわりついた。
「うぐっ、ああぁぁっ!」
「クロっ!」
次の瞬間、クロの体から黒い雷光が迸った。
雷光は消えることなく、まるで薔薇の茨のようにクロの体にまとわりつく。
クロは魔神の力を受け止めるための触媒だ。強すぎる魔力はクロの身体と精神を蝕む。
だが、指輪の力で魔力を横から掠め取るスプリガンは、涼しい顔で笑顔を浮かべているだけだ。
「はははっ! 素晴らしい。指輪を通じて流れてきますよ。大いなる神の力が!」
「このゲスが……っ!」
「はははははっ! いいですよぉ。その顔。小生意気な小娘が絶望と屈辱にまみれる、その顔が見たかった!」
「うぅぅ…………っ! ママぁ……っ!」
「幼い子供が泣き叫ぶ姿も実に愉快ですねぇ! もっと私を恨みなさい。アナタが怒り、嘆き、悲しむほどに魔神の力はより強さを増すのです!」
クロの悲痛な叫びが広場に木霊する。
地獄のような光景の中、スプリガンは拍手をしながら悦に浸っていた。
まただ。
ワタシの目の前で、また大事な家族が失われようとしている。
運命の女神さまは、どうしてワタシから家族を奪うのか。
「両親を殺めたのは早計でしたね。人間は絆とやらを大事にする。神子を追いこみ、負の感情を高めるには家族を嬲るのが一番です。弱い者を虐めるのは私も愉しい。愉しいは正義! 何物にも代えがたい至高の道楽! オォ、神よ! 世界は美しい!」
スプリガンの演説は最高潮を迎える。舞すら踊ってみせた。
もはや自分に敵はいない。そう勘違いしているからこその歓喜の舞だった。
「そうだ! こんなところで終わってたまるか! 私はゴブリンキング、スプリガンさまだ! 魔神の力を手に入れ、この世のすべての財を奪い尽くしてやる! 私が今日から新たな魔王だ! 祝え! 魔王スプリガンの誕生をッ!」
スプリガンは小気味よいリズムで指を何度も鳴らす。
すると周囲を漂っていた瘴気が人の形へと姿を変え、ワタシの首に手を伸ばしてきた。
「ぐぅ……!」
「どうですか? 神子が生み出した影法師の魔物を真似てみました。褒めてくださいよ。初めての生物錬成にしては上出来でしょう?」
「誰が……っ! 借り物の力で猿真似をしてるだけじゃない」
ワタシは影法師の魔物に首を掴まれながら、それでも啖呵を切ってみせる。
「ドロウプニルの指輪だって、城が落ちた時に宝物庫から持ち出したものでしょ。戦いにも参加せず火事場泥棒に精を出していたなんて、魔王軍の幹部も地に落ちたものね」
満身創痍。マナ喰いの影響もあり、指先も動かせない。
けれど口は動く。頭もよく回る。
「そっか。能なしの臆病者だから前線に出させてもらえなかったのね。本当、生きているだけで残念賞だわ。存在するだけで空気がもったいない。その汚い口を閉じて窒息してくれないかしら。葬式なら任せて。その醜く肥えた脂ぎった体を跡形もなく燃やしてあげるから」
「この期に及んで強がりとは……」
スプリガンは眉間に皺を寄せ、口元を引きつらせながらワタシに詰め寄ってくる。
「いいでしょう。それならお望み通り、私の手でくびり殺してさしあげますよ!」
「ぐうぅ……っ!」
激昂したスプリガンは影法師の魔物を消滅させたあと、自らの手でワタシの首を絞めてきた。
ああ、そうだ。あの時と同じだ。
嘆いていても何も始まらない。
とっくの昔に、弱い自分とは決別したんだ。
諦めなければ、信じていれば希望はきっと訪れる。
ワタシは心の内側の魂を燃やし、スプリガンを睨み付けた。
「くたばるのはアンタの方よ!」
刹那。民家の屋根の上から銀の閃光が急降下。
「流星銀光脚――――――――ッ!!」
「なに――――グアアアアアアァァァァァッ!!!!」
背後を振り返る余裕すらない。
急降下キックを食らったスプリガンは、背中から黒い血をまき散らして断末魔の叫びをあげた。
本当にあの時と同じだ。
違いがあるとしたら――
「シズ――――っ!」
「待たせたな!」
信じる信じないではない。
彼が――――ヒーローが助けに来てくれるのは確定事項。
ワタシの勇者さまは、いつだって、どこだって、ワタシの笑顔を護るために駆けつけてくれるのだから。
ダイアナ視点はここまで。ヒーローは遅れてやってくる! 次回からシズのターンです。
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