秘密を抱えた少女
それから俺たちは一緒に食卓を囲み、ミルクスープで腹を満たした。
甘い味付けは子供舌な二人に好評で、クロはおかわりをねだってきた。
食事が終わるとウトウトとし始めたので、ダイアナがクロを二階の寝室へ連れて行った。
しばらくして、ダイアナが二階から降りてくる。
手には白樺の杖を持ち、ネグリジェの上に羊毛で編んだストールを羽織っていた。
「クロは?」
「横になった途端、眠っちゃったわ」
「無理もない。腹も膨れて緊張の糸も切れたんだろう」
森から村までは強行軍だった。
広場であれこれと事情を訊かれた上に、慣れない家での食事だ。心身ともに疲れ切っていたはずだ。
俺は竈の残り火で湧かした麦茶をカップに注ぎ、テーブルに座ったダイアナの前に差し出した。
「夜はまだ冷えるな。あったかいものどうぞ」
「あったかいものありがとう」
「ダイアナの目から見てクロはどうだ?」
「う~ん……正直よくわからないのよね」
ダイアナは麦茶で喉の渇きを潤しながら、クロに関する所見を述べた。
「シスターが使った感知の奇跡とは別に、精霊を通してクロのマナを調べてみたのだけど……」
「その様子だと何もわからなかったわけか」
「シスターの言う通り、クロのマナにプロテクトが掛かってるみたい」
「ダイアナでも解除できなかったのか?」
「そうよ。天才精霊術士のダイアナさまでもね」
ダイアナはカップをテーブルに置いてから、虚空に向かって指を突き立てた。
「この世界には精霊があまねく存在するわ。竈の炎や、青葉を揺らす薫風、川のせせらぎや、荒々しい岩肌。金属にだって精霊は宿ってる」
そう説明するダイアナの指先に、小さなトカゲがまとわりついた。
尾っぽに炎が宿っている火の精霊、火蜥蜴だ。
小ぶりなサイズなので、茶を沸かす時に使った竈の残り火に宿っていた精霊だろう。
「それはこの地上で暮らす生命……人間や動物、植物や昆虫、魔物だって例外じゃない。出身地や種族、性格や身体的特徴によって、風火土金水の五大属性いずれかの精霊力を内側に宿すものなの」
ダイアナは人差し指を甘噛みする火蜥蜴を愛しそうに見つめながら、続きを話す。
生命に宿る精霊力は、種族や生まれた土地、育った環境に大きく依存する。
火山に生息する魔物は炎の精霊力を宿し、港町で生まれ育った漁師は水の精霊に愛される。
体に宿る精霊力の属性によって、種族や血統、大まかな出身地がわかるわけだ。
「だけど、クロはプロテクトのせいで精霊力を上手く読み取れない。黒髪だから南方の血が混ざってるとは思うけど、パヴァロフは人の出入りも激しいから」
「身体的な特徴だけでは身元を割り出すのは不可能、ってわけか」
「エルフみたいに長耳が生えているわけでもないし、ドワーフのような頑健な身体のつくりもしていない。それと……」
「魔石も見当たらなかった、か」
「疑いたくなかったけど、人間の姿をしている魔物もいるからね」
ダイアナは、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
ティアラ・ノーグには人間の他にも、エルフやドワーフといった亜人。
寓話に出てくる幻獣や神様も実在する。
そして、人型の魔物も……。
人の姿形をしているからと言って、ヒト族であるとは限らないのだ。
「クロはアースドラゴンの遺灰から見つかった。光の球で護られたみたいだけど、アースドラゴンがクロを体内に取り込んでいたのは事実よ」
「クロがアースドラゴンを操っていたのか? もしくはアースドラゴンそのものとか」
「クロが魔物だったならその可能性も考えられたけど、そういうわけでもない」
「マナにプロテクトが掛かっているから、これ以上はわからない……か」
「そういうこと。だから視点を変えましょう」
「視点を変える?」
「クロを見つけた場所――神殿を調べるの」
ダイアナはそう言うと琥珀の魔石をテーブルの中央に置いた。
夕方の戦いでアースドラゴンから採取した魔石だ。
「言い伝え通り、アースドラゴンは”竜の巣”――閉鎖された炭坑の奥で眠っていたのでしょう。ヨシュアくんが目撃した神殿跡に封じられていたんだと思う」
「ソイツが何らかの原因で目覚めたわけか。それってダイアナが感じてた精霊のざわめきと関係あるのか?」
「それを確かめるためにも神殿を調査する必要があるわ。神殿の謎を解き明かせば、クロが何者かわかるかも」
「そうだな……」
クロとアースドラゴンは切っても切り離せない関係にある。
クロに過去の記憶がなく、アースドラゴンも倒したとなれば残りは神殿を調べるしかない。
「明日は早いわ。今日はもう寝ましょう」
「ギルドより先に調査に向かうわけか」
「そういうこと」
ダイアナは竈に向かって手を差し伸べた。
すると、ダイアナの指にまとわりついていた火蜥蜴が風に溶けるように姿を消した。途端に部屋の空気がグッと冷え込む。
「調査の結果、クロと魔物に関わりがあったとわかれば厳しい処罰を受けるわ。最悪……」
「それ以上は言わなくていい」
魔物は人間に害を為す存在だ。
事情を知る村のギルドなら恩情をかけてくれるだろうが、ギルド本部は聞く耳をもたない。
近隣の村を治める領主も黙っていないはずだ。手下の騎士を引き連れて、クロを捕まえにくるかもしれない。
「明日は朝一番に市場に出かけて食料を買い込みましょう。教会で調べ物もしたいから、クロを預かってもらえるようシスターにお願いしてみるわね」
「了解だ。寝る前にトイレに行っておけよ。お茶を飲んだまま眠ると、おねしょしちゃうからな」
「子供扱いしないでちょうだい。昔とは違うんだからね!」
「あはは。悪かったって」
俺は笑い声をあげながら二人分のカップを回収した。
料理当番だけでなく洗い物も俺が担当だ。
ダイアナは致命的に家事が下手なので、彼女の下着も洗っている。ダイアナの恥ずかしいところはすべて知り尽くしている。
「ダイアナも今年で18だ。立派な大人のレディーだもんな」
「その通り!」
「だったら一人でクロを寝かしつけられるよな」
「え?」
「ウチのベッドは二人用だろ? 三人で寝るには狭い。俺は床に毛布を敷いて寝るから、クロに添い寝してやれ」
「添い寝するのはいいけど……大丈夫かしら。夜泣きとかされたら、どうしたらいいかわからないわ」
「そこまで子供じゃないから」
大丈夫、と言いかけて俺は言葉を止めた。
大丈夫なわけがない。記憶を失って家族と離ればなれになったんだ。
明るく振る舞っているが、内心では心細いに違いない。
俺は首を横に振って、ダイアナに微笑みかける。
「こういう時のために母親のぬくもりが必要なんだよ。…………たぶん」
俺も母親のぬくもりを知らずに育ったから、確かなことは言えない。
だからこそ、不意に寂しくなった時に誰かが傍にいてくれることの心強さを知っている。
「俺が代わってもいいけど、それだとダイアナが独りぼっちになるだろ? それこそ夜泣きをされたら困る」
「誰が泣くもんですか!」
ダイアナは目を吊り上げて怒る。
けれど、すぐに目尻を下げてモジモジと体を揺らし始めた。
「でもまあ……寂しいのは本当かも」
ダイアナはそう口にすると、俺に近づいて上着の裾をぎゅっと握り締めてきた。
「だからパパとも一緒に寝たいな、……なんて」
「パパ…………」
上目遣いでそういうことを言うのはやめてくれ。俺に効く。
「ワタシもクロも小柄だから詰めれば三人いっしょに眠れるわよ。だから、ね? おねがい」
「…………」
「ダメかな……。ダイアナ、パパとおねんねしたい」
「ダメなもんか! パパ、いくらでも添い寝しちゃうぞ!」
「えへへ。やったぁ♪」
俺は勢い余ってダイアナを抱き締める。
ダイアナも心から嬉しそうな笑顔を浮かべて、抱き締め返してくれた。
「今すぐおまえを本当のママにしてやろうかっ! オレサマ、オマエ、マルハダカ!」
「きゃ~~~♪」
「んゅぅ…………パパ、ママ……」
「クロ……!?」「クロ……!?」
俺とダイアナが合体の儀式を始めようとしたら、クロが二階から降りてきた。
クロはショボショボと霞んだ目を手で擦りながら、内股になってモジモジしている。
「おしっこ…………」
「あ~、はいはい。厠は外よ。夜は危ないから一緒に行きましょうか」
「うぃ……」
ダイアナは慌ててクロに駆け寄り、その手を握り締める。
やっぱり杞憂だった。ダイアナはきちんとママをしている。
「先に行ってベッドを温めておくよ」
俺は苦笑を浮かべて二人を見送る。この調子だと合体の儀式は当分の間お預けだろう。
クロが何者で、何処から来たかなんて関係ない。
俺はクロを護ると誓いを立てた。だから何があっても信じ抜く。
俺は大切な人の笑顔を護るために戦ってきた。
魂に刻んだ誓いは、これからも違えることはないだろう。




