突然の死
――アースドラゴンとの戦いより6年前。
――×県△町にて。
それは専門学校への入学を来月に控えた、ある嵐の日の出来事だった。
俺はいつものように自転車の前カゴに新聞を詰め、百均で買ったペラペラの合羽を羽織って、早朝の配達に出かけた。
合羽の下に被った野球帽が、ボツボツと音を立てて大粒の雨を弾き続ける。
ジャージの下は、汗と湿気でぐっしょりだ。
見上げた空は淀んだ灰色。
道路の曲がり角を映し出すカーブミラーには、黒髪黒目で無精髭を生やした冴えない男の顔が映ってた。
「帰ったら熱いシャワーを浴びよう……」
学費を稼ぐためならたとえ火の中、嵐の中。貧乏暇なし。
労働環境がブラックなバイト戦士に、自主避難の四文字はなかった。
「かなり降ってきたな……」
町唯一のパチンコ店がある大通りに出たところで、自転車を止める。
昨晩から降り続いた雨は、今朝になって本降りとなった。
風も吹き荒れて、まさに嵐の様相。
天気予報では荒れる可能性は低いと言っていたけれど、フタを開けてみればご覧の有様だ。
「ルートを変えるか」
俺は突風が吹き荒れる危険な大通りを避け、小道に入った。
普段は使わないルートを使って住宅地を抜ける。
多少遠回りになるが、今は安全第一。
塀が風除けになるため移動が比較的容易だ。
天気予報を信じたクソ上司は、朝一番に出社した。
当然、営業を中止したりせず、すべての従業員に出社命令を下した。
曰く、『俺が出社できたんだからおまえらも来られるだろう』とのこと。
新聞と一緒に笑顔を届けるのが会社のモットーだが、従業員の顔は今日の空模様みたいに曇っていた。
「その分、給料はいいんだけどさっ!」
嵐で人通りがないことをこれ幸いと、俺は大声で愚痴りながら自転車を漕ぐ。
愚痴は出るものの、俺は今の生活に満足していた。
充実している、と言えばいいだろうか。
人に頼られるのは悪い気がしない。
俺なんかの頑張りで、誰かが笑顔になってくれるのなら嬉しい。
物心つく頃から高校を卒業するまで児童養護施設で生まれ育った俺には、本当の家族はいない。
身寄りのない俺を施設のみんなは、高校卒業まで面倒見てくれた。
おかげで心身ともに健康に育った。
だから恩返しがしたくて、福祉系の専門学校を卒業後の進路として選んだ。
施設のガキたちや施設長も応援してくれている。
人間、夢や目標があれば何処でだって頑張れる。なんだってやれる。
「元気ですかー! ってな!」
引退した大物プロレスラーの真似をして、大雨の中懸命に自転車を漕ぐ。
小道から車道へ出て、緩やかなカーブを曲がっていく。
新生活を始めたら気の合う仲間を探そう。
できれば、おっぱいが大きな彼女もほしい。
しっかりと勉強して資格を取って、施設のガキたちの成長を見守りたい。
そうだ。ここから俺の新しい人生が始まるんだ。
そう思っていたのだが――――
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――
「あ、れ――――」
気がつけば俺は、何もない空間で横になっていた。
正確に状況を描写するならば、星のような煌めきが遠くに瞬く闇の底……宇宙空間のような場所で、プカプカと宙に浮いていた。
「ここはいったい……?」
意識はしっかりしている。
声も出るようだ。手足も自由に動かせる。
俺は立ち泳ぎを行う要領で身体を起こす。
自分の身体を確認してみると、手足の先が半透明になっていた。向こう側が透けて見える。
両手で頬を触ってみたが、肌に触れる感覚はおろか体温すらも感じられなかった。
もしかして俺は――
「――――妙光院 静……」
どこからともなく自分の名前を呼ばれて、反射的に顔を上げる。
声が聞こえた方向へ視線を向けると、銀色の冠を頭にかぶった金髪の美人が姿を現した。
「――――目が覚めましたか?」
美人さんは右手に分厚い本。左手には荘厳な装飾が施された銀の槍を携えていた。
何より特徴的なのが、背中に生えた綺麗な白翼だ。
その姿はまるで宗教画に描かれた天使のようだった。
「俺はいったいどうなったんだ? あんたはいったい……?」
「アナタは不慮の事故に巻き込まれ、生命活動を終えました」
「不慮の事故? …………ぐぅっ!?」
事故の内容を思いだそうとしたら頭が痛み出した。
万力で側頭部を締め付けられたかのように、頭蓋骨が軋みをあげる。
だが、その痛みのおかげで自分の最期を思い出せた。
車道を自転車で走っていたら、カーブを曲がりきれなかったワゴン車がスリップ事故を起こして――
「死の瞬間は思い出さない方がよいでしょう。痛みと恐怖に耐えきれず、アナタの魂が消滅する恐れがあります」
「……そう、だな」
自分の死に際なんて、わざわざ思い出したくもない。
死因は理由はわかった。ここは素直に言葉に従おう。
「それであんたは……?」
「ワタシは魂の座の番人、太陽の女神スクルドと申します。以後、お見知りおきを」
「女神……? 魂がどうとか言ってたよな。もしかしてここは天国なのか?」
「似たようなものです。ここは彷徨える魂が集う死後の世界。生前に犯した罪を償うための浄罪の牢獄」
太陽の女神さまとやらは、そこで宙に浮かぶ星々を指差した。
「生けとし生きるすべての魂は、生前に何らかの罪を犯します。犯した罪の重さにより刑期は異なりますが、贖罪が済むまで魂の牢獄に閉じ込められます」
「魂の牢獄……」
警戒すべきだろうが、現状を知るための唯一の手がかりは目の前に浮かぶ光の球だけだ。
俺は光球に近づき、疑問の言葉を投げかける。
俺も頭上に浮かぶ夜空の星を見上げる。
あの星の瞬きは罪を犯した魂の輝きなのか……。
「贖罪を果たした魂は生前の記憶ごと浄化され、別の生命として転生が叶います。魂の転生先を決めるのも、太陽神であるワタシに課せられた大事な使命なのです」
「なるほど。俺もこれからお星さまの仲間入りってわけだ」
俺は己の運命を悟り、苦笑気味に肩をすくめる。
けれど、女神さまはそこで首を横に振った。
「いいえ。妙光院 静――――アナタには世界を救ってもらいます」