54「涙」
「……殺してやる」
どす黒いモノが心臓から全身に送られ全身が沸騰する。それでいて頭は冷たく冴えている。そんな奇妙な感覚が俺の中にあった。
絶対に許さない。
こっちはハモの骨切りどころじゃ済まさない。
塵ひとつ残さず消し去ってやる。
これは決定事項だ。
俺が――
「ていっ」
「いてっ」
ムニスが床に手をついている俺の頭頂部にチョップを叩き込んできた。
「なにすんだムニス!」
顔を上げると目の前に膝を折ったムニスの顔があった。
ムニスは俺の目を見て、一瞬表情を曇らせ、
「我が主よ、殺意を持つなとは言わぬ。おぬしの心はおぬしのものゆえな」
俺の頭を華奢な両腕で抱きしめてくれた。
さらり、と俺の頬に長い金髪が触れる。
金色のカーテンに包まれているような視界。
「じゃが、今は泣いてよいからの。誰も見ておらん。この部屋におるのはおぬしだけじゃ。思う存分泣くがよかろ」
耳元でムニスの声がする。
泣いていいとか言うなよ。
決意が鈍るじゃねえか。
涙腺が緩むじゃねえか。
それに、
「ムニスがいるじゃねえか」
鼻水混じりに俺は抗議する。
「我は神剣。人間ではないからの。いないも同じよ」
「俺はムニスのことを俺たちと同じだと思ってるよ」
「それは……なんとも光栄じゃの」
「茶化すなよ」
「ならば猶の事、我俺の仲ではないか。我のことは気にせずとも良いから、の?」
それ以上は何も言わず、ムニスは抱きしめた俺の頭を撫でてくれた。
もう無理だった。
俺は、
神剣で、
幼女で、
相棒であるムニスの胸に抱かれたまま、
声を押し殺し、泣いた。
――翌朝。
泣き腫らした上に寝不足の俺を見るなりムニスは、
「ひどい顔じゃの、主殿」
と言った。
「じっとしておれ」
ムニスは懐から魔結晶をひとつ取り出し齧る。
「こんなこともあろうかとレンドルフ殿から少々くすねて――、もとい拝借しておったのよ」
俺の顔に触れるか触れないかの位置にムニスの両手がかざされ、柔らかな光が放たれる。優しい温もりが俺の顔から体に沁みていく。
「回復系は不得手での。この程度じゃが、赦せ主殿」
「昨日も今日もすまない」
俺が頭を下げると、ムニスはくふ、といつものように笑った。
「主殿よ、こういう時の言葉は『すまん』ではなかろ?」
「あー、うん。ありがとなムニス」
「うむ。少しは落ち着いたようじゃの」
「ああ……」
「殺意に囚われるのは分かる。が、あの女神めが何と約したか覚えておるかの?」
忘れるわけがない。
「この世界を正せば、真那を救う」
あのクソ女神はそう言った。真那の心と体を治す、と。
「口約束といえばそうじゃがの。あの女神自身と我が名において交わした契約じゃ。なかったことにはさせぬ」
「世界を正せ、か。まさしく勇者のお仕事だな。くそっ」
「でもやるのじゃろ?」
「けどさ、何もかも全部忘れてムニスとのんびり暮らすって手もあるよな」
へらっ、とおどけてみせても全知の神剣には全てお見通し。
「我は全知。おためごかしはせずともよい。我は主の決定に寄り添うものぞ」
「ああ。頼むムニス、力を貸してくれ。俺は真那を救うためにこの世界を救う」
こんな利己的な勇者がいていいのだろうか。まあ、知ったこっちゃないが。
「承った。我が力を使うがよい、存分にの!」
以下、次回! 大陸横断して、ようやく俺はスタートを切ることになったわけだ。




