最高スペックの御曹司、クラスの女子に告白されたと報告したら彼を愛するメイドたちに迫られる
「式様、起きて下さい」
「ん、んぅ……」
体を揺すられ、せせらぎのような綺麗な声がこの俺、遠神式に起床を促す。
俺はゆっくりと目を開けた。
そこにいたのは無表情なクールビューティーで肩まで伸ばした白髪が特徴的な俺のメイド、天霧那由他だ。
「あー……おはよう。那由他」
「おはようございます式様」
「じゃ、そういうことで」
「『そういうことで』ではございません。二度寝をしないで下さい」
「おぉう」
那由他に無理やり起こされる。
「本日は月曜日、学校に行く日でございます。ご準備を」
「那由他。世間一般の学生が休み明けの学校に行くのがどれだけ億劫か分かるか?」
「分かりません」
「そうか」
せめてもの抵抗で口論に挑もうとしたが、軽くあしらわれてしまった。
「仕方ない。では着替えるとするか」
そう言うと、俺は衣服を脱ぎ、クローゼットに入っているワイシャツと制服に身を身に纏った。
ちなみに那由他はというと俺の着替えを恥じること無く一心に見詰めている。正直子供の頃からのことなので俺も慣れてしまい、彼女の目があっても全く動じなくなった。
「頼む」
「承知しました」
俺は脱いだ服をかごに入れて渡すと、那由他はそれを受け取った。俺の衣服を洗濯するのも、彼女の役目の一つなのだ。
「さて、と。今日の俺はどうだ那由多?」
学校の制服に身を包み、鞄を持った俺は軽くポーズを決め、那由他に感想を求める。
「本日も大変似合っています。しかしそれも式様の容姿の素晴らしさがあってこそ。制服も式様に着られて大変喜んでいるでしょう」
「はは、よせ照れる!」
「申し訳ございません」
「冗談だ! 褒められるのは気分が良い。これからも俺に称賛を送り続けろ!」
「承知しました」
そう言って、那由他は軽く頭を下げる。
「では俺は食堂へ向かう。また後でな那由他」
「はい、また後ほど」
那由他は俺の服を浴室に運んでから食堂に向かう。彼女と一緒に食堂に向かわない俺は、そう言って部屋から出て行った。
◇
バタンと式が部屋のドアを閉め、彼の部屋には那由他一人になった。
「……」
那由他はかごから取り出した式の寝間着をじっと見つめる。そして、
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
彼の服に顔を埋めるようにして、鼻と口から深く息を吸い込んだ。
はぁ、式様式様式様式様式様……。かぐわしい香り、何時までもこうしていたい。
式の匂いをこれでもかというほど摂取しながら、那由他は物思いに耽る。
ようやく脳が覚醒してきました。あぁ、やはりこれをしないと一日が始まった気がいたしません。
「(クンカクンカクンカスンスンスン)」
式様、愛おしい私の主。貴方の目を盗み、このような行為に耽る私をどうかお許しください。
愛しています。愛しています式様……。
◇
自室を出て、俺は階段を降りて食堂までの廊下を歩く。すると俺は一人の掃除をしているメイドにばったりと遭遇した。
「おはよ。式」
「おはよう。龍子」
鳶垣龍子。金色の長髪に褐色肌、そして三白眼と男のような口調が特徴的。
那由他と同じように直接俺に仕えるメイドの一人だ。
「今日も眠そーだな」
「あぁ。鏡で自分の姿を見ていたら時間が経過していてな」
「いい加減そのナルシストっぷり止めた方がいいぜ」
「ナルシスト? ふ、何を言っているんだ。俺はただ事実を」
「あーはいはい。そんなだから学校で友達できないんだよ」
「何!? この俺の魅力が逆に周囲からの好感度を下げていると言うのか!?」
「だからそれを止めろっつってんだ!」
「……自重しろ、ということか。だがしかし俺はイケメンでスタイルは完璧、頭脳明晰で運動神経も抜群。おまけに大抵のことは容易くこなしてしまうセンスの持ち主だ。溢れ出るこの個性を抑えろというのは無理な話だぞ?」
「はぁ……ったく、まぁいいや。……そ、その方が女が近寄ってこなくて安心だし……」
「ん? おい龍子、今後半何と言った? あまりにも小さくて流石の俺でも聞き取れなかったんだが」
「うるさい! 早く行け!」
何故か龍子は顔を赤くしてそう言う。
龍子が俺のメイドになってから既に十年ほど経つが、度々こういうことがある。一体何なんだ?
不思議に思いながらも、俺は食堂に向かい改めて歩き出した。
◇
俺は食堂に到着する。すると、
「おはよー!! シキ様!!」
「おっと」
一人のが俺に抱き着いてきた。
「今日も元気が良いな。千景」
「うん!」
そう言って満面の笑顔を見せるのは俺のメイド最後の一人、綿貫千景である。
小柄な体に、ぱっちりとした目と赤毛のポニーテールが特徴的だが、何よりも特筆すべきは、その明るさだ。もし俺が元気という言葉に新たに読み方を加えられるとしたら『ちかげ』にするだろう。
そんなことを考えていると、向こうから流麗な女性が歩いてきた。
「千景! 式様に無礼でしょう!!」
「構わないレイトセン」
俺はレイトセンを手で制止する。
レイトセン・クアンタム。父が海外から連れて来た外国人女性であり、遠神家の現メイド長を任されるほどの凄まじい手腕の持ち主だ。
「えへへー! シキ様優しい! 好き!」
「ははは! 俺が慈悲深いのは当然だ!」
千景の言葉に、俺は高らかに応えた。
「全く……式様は直属のメイドに甘すぎます。もう少し遠神家の次期当主である自覚を持っていただかないと」
那由他、龍子、千景は俺が選んだ者たちであり、その役割は俺の身の回りの世話係をする使用人。それに対しレイトセンなどは遠神家全体に奉仕する使用人である。
まぁ、前者も後者も遠神家に仕えていることに変わりは無い。那由他たちも屋敷の掃除をしたりと、他の業務に取り組んでいるしな。秩序や体裁を重んじようとするレイトセンの言うことも分かる。
特に俺はメイドの個性を尊重し、龍子などには言葉遣いの矯正などをさせていないしな。
「次期当主としての自覚なら当然持っているさ。安心してくれ」
「それならいいのですが……」
「さ、それよりも朝餉だ! 俺の舌を唸らせる食事はできているんだろうな?」
「まっかせてよ式様! 今日の当番は私! 頑張って作ったんだー!」
千景に手を引っ張られ、俺は席に着く。そうして食事に舌鼓を打った。
◇
千景の出してくれた食事を済また俺は、学校に向かうため玄関まで来た。
そこには一仕事を終えた那由他、龍子、千景を含め、十数名の使用人たちが俺の出発を見送るために待機していた。
「式様。やはりお車をご利用すべきでは?」
すると那由他がそんなことを言う。
「必要ない。郷に入っては『極力』郷に従うさ。それに、こういったことは学生時代では無いと経験できないことだから貴重だ」
「ですが、万一式様の身に何かあれば私は……」
「あのなー。お前気にし過ぎなんだよ那由他。式がああ言ってるんだからいいだろうが」
「黙りなさい単細胞女」
「あぁ?」
何故か、口を挟んだ龍子と那由他によるいざこざが始まろうとしている。
「あなたは式様のことを真に想っていないからそんなことが言えるのよ」
「はぁ!? アタシだって式のことちゃんとお、想ってるっての!!」
「今一瞬言い淀んだわね」
「ち、ちが今のは!! し、式が近くにいるからちょっと恥ずかしくって……」
「私は言えるわ。式様は私の全て、私が全てを尽くす人」
「あーもう!!」
またもや顔を赤面させている龍子。全く、一体どうしたというのだ。俺のことを主として尊敬しているのは当たり前なのだからそんな反応をする必要は無いと思うのだが……。
「式様。行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい式様!」
すると言い争っている二人を無視し、レイトセンと千景が頭を下げる。釣られるように他の使用人たちも頭を下げ、「行ってらっしゃいませ」と俺を送り出した。
「ふむ。那由他と龍子が少し心配だが、まぁあの二人なら問題無いか」
屋敷から出た俺はそう言いながら朝の空気を吸い、学校への道を歩き始めた。
◇
通行者が歩く音、友人同士が談笑する声、小鳥の鳴き声、車の排気音。
生活の上で切っても切れない音を耳に入れながら、俺は舗装された歩道を悠々と歩く。
しかしその間、俺は今朝龍子に言われたことを思い出していた。
『そんなだから学校で友達できないのよ』
――俺には一つ、してみたいことがある。
それは普通の高校生活を送りたいというものだ。無論それは、学校に通い、授業を受けるという意味では無い。
分かりやすく言えば、俺は青春を謳歌したい。学校生活を友人と満喫したい。
だが友達を作ろうとしても、誰も俺の周りに近寄ろうとしないのだ。
まぁ俺という崇高で偉大な存在に委縮してしまうのは分かるが、もう少し遠慮せずに来てほしいものである。
……いや、別に寂しいとかではないが、もっと皆アイツのように!!
そんなことを考えていると、
「よぉー式」
「む」
体が急に肩から背中に掛けて重くなる。
「斗真、急に体重を掛けるな。流石の俺も驚くだろう」
「ははっ、悪い悪い」
こいつの名は坂本斗真。人の良さそうな顔と気軽なフットワークで、唯一俺に話し掛ける希少な人間であり、先ほど言い掛けた『アイツ』の正体だ。
「……斗真よ。人類の半数くらいがお前のように無神経で図太ければいいんだがな」
「あれ、会って早々悪口か?」
「悪口だと? 何を言っている。俺はお前を褒めているんだぞ。俺に対しそうやって口を利けるのは学内でお前だけだ」
「あー、そういうこと」
斗真は納得したように声を漏らすと、「ならいいや」と言って俺と並ぶように歩き始める。
「なーなー式。後一か月もしない内に高二になって初の定期テストだろ? お前の力で何とかテスト廃止してくれねぇか?」
「それでは掲示板に貼られるテスト順位の一番上に俺の名前が載るのが見れないじゃないか。却下だ」
「廃止ができるのは否定しねぇのか……。流石は日本三大名家の一つ、遠神家のご子息様だな」
斗真はやれやれといった様子で俺を見た。
……ふむ。やはりここは、意見を求めるべきか。
そんな斗真の態度を見ながら、俺は彼に相談することを決意する。
「……斗真、お前に折り入って相談があるんだが」
「ん、どうした? お前が相談なんて初めてじゃねぇか? 天地でもひっくり返りそうだな」
斗真の言う通り、俺は第三者に相談をしたりしない。何故なら俺にとって大抵の悩みは俺自身の力で全て最良の結果が導き出せるからだ。
だが、今回ばかりはそうもいかない。
「単刀直入に聞く。どうやったら青春を謳歌できる?」
「それ、高二になってから言うか?」
斗真は半眼で俺を見る。
「正論を吐くな。俺は今の話をしている」
「はぁ……。まぁそうだな、その傲慢なナルシストっぷりを止めればいいんじゃねぇの?」
「龍子と同じことを言うんだな」
「お前に人が寄り付かねぇ原因は百パーソレだからな」
「他に方法は無いのか?」
「無いね。そこを変えなきゃお前に寄ってくんのは俺みたいな物好きだけだ」
「……それは困るな」
「おい俺って相談受けてやってる立場だよな? 今すぐ絶縁するぞコラ」
「他に方法はないか?」
「無視かよ!? ったく、ねぇよンなもん。今のお前じゃ青春謳歌なんて夢を通り越して理想郷だぜ。断言してやるよ。ぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇったい無理だ!」
……む。
そこまで言われ、俺は少しだけ反骨精神が浮き出た。
「無理じゃない」
「無理だ」
「無理じゃない!」
「無理だ!」
「無理じゃない!!」
「無理だ!!」
『無理』の応酬。周囲から奇異の目線が俺たちに向けられる。
だがそんなことお構いなしに俺は宣言した。
「いいだろう! ならば見せてやる!! 遠神家次期当主が本気を出せば、不可能は無いことをな!!」
「はっ、言ったな! だったら見せてもらおうじゃねぇか! もしできなかったら一階から四階まで逆立ちで上がってもらうぜ!!」
「いいだろう!! なら俺が成功したらお前が今の罰をやるんだぞ!」
「あぁ乗ったぜ! じゃあ具体的に何するか決めようじゃねぇか!」
「教室に入り、クラスの連中に朝の挨拶をして全員から返事をもらう!」
「ははっ! 一人二人ならまだしも全員とは大口叩きやがったな! いいぜ!」
そうして、俺と斗真の賭けが成立する。
◇
学校に着いた俺たちは、教室の前に立っていた。
「いいか。いくぞ」
「お、おう」
俺の目標を聞いた後、斗真は何とも言えない表情で事の成り行きを見守ろうとしていた。
全く、俺の一世一代の行動を前に緊張感の無い男だ。
そう思いながら、俺は教室のドアを開ける。
「おはよう皆!」
快活で透き通る俺の美声が教室内に響き渡る。
しかし、何故かクラス内の生徒はぽかんとした表情で俺に視線を向けるだけであった。
「えー、と。お、おはよう……」
「お、おはよう」
数秒後、ポツリポツリと挨拶が返って来る。だが教室内にいる全員にはほど遠い。加えてどこかぎこちない。
ふっ……まぁいい。本番はこれからだ。俺の真の実力を見せてやる。
「何やら俺に挨拶を返さない不届き者がいるな。一体どういう了見だ?」
『おはよう遠神君!』
俺がそう言うと、綺麗に揃った挨拶が返って来た。
「見たか斗真。これが俺の本気だ」
髪をかき上げ、俺は斗真を見る。
「いや脅迫じゃねぇか!!」
◇
式と斗真が教室前でやり取りをしている同時刻、それを物陰から観察する一人の少女がいた。
「ふぅ……よ、よし。頑張れ、私……!」
その視線は、式に注がれていた。
◇
「くそ……何故俺がこんなことを……」
その日の放課後、俺は斗真の要求に従い、逆立ちで一階から四階を昇っていた。
賭けの結果は俺が不正を行ったという理由から俺の負けとなった。
「というか奴め。予定があるからと言って先に帰りおって! 見届け人がいなければ俺がタダの阿呆に見えるでは無いか……!」
そう言いながら、俺は逆立ちでの階段上がりを続ける。
いや……だが約束は約束だ、筋を通さなければ。それが遠神家次期当主の責務。
現在は二階。途中他の生徒や教師が俺を見るが、特に何を言うまでも無く通り過ぎている。
「ふん!」
気合を入れ直し、俺は次の階段に手を掛けた。
◇
「ふぅ……中々に堪えたな」
四階まで到着し、俺はようやく人間のあるべき姿に直ると、息を吐き呼吸を整える。
遠神家の教育には抜かりが無い。当然身体能力の向上などもカリキュラムに入っており、俺は幼少期から体を鍛え続けてきた。
が、流石の俺もこの運動に関しては中々の難易度であった。
「さてと、帰るか」
斗真は帰った。そして斗真以外に俺と関わっている生徒はいない。
俺は自分の教室へ戻ろうとする。すると、
「あ、あの……遠神、君」
「ん?」
俺の苗字を呼ぶ声がする。
声のする方を振り返ると、そこには一人の女子生徒が緊張した様子で立っていた。
第一印象は、『普通』。それ以上でもそれ以外でも無い。
「誰だお前は?」
少女に対し全く覚えが無い俺は、率直な疑問を述べる。
「え、えーと。そ、そうだよね! ……っていやそうじゃなくて! あ、あの! ちょ、ちょっとだけお時間よろしいでひょうか! ご、ごめんなさい噛みました!」
一人でオロオロと喋り続ける女子生徒。中々に奇妙、それでいて愉快な光景だ。
対する俺の答えは……。
「ふむ。そこまで緊張しながらも俺に話し掛けようとするその気概、気に入った。いいだろう、乗ってやろうじゃないか。お前、名は?」
「あ、はい! 二年一組、楠優香です……!」
「なんと、同じクラスではないか! 楠優香だな、覚えたぞ。して、俺に話とはなんだ?」
「こ、ここじゃ人が来るかもしれないので……あ、あの……」
たどたどしい口調で、優香は四階の更に上、屋上へと繋がる階段を指差した。
◇
優香に案内されるように、俺は屋上へと足を運んだ。
吹き抜ける風と、沈んでいく夕日がとても美しい。今度これをバックにして那由他に写真を撮らせるか。
そんなことを考えていると、
「と、遠神君!」
意を決したように、優香が声を上げた。
未だに彼女は緊張し、かしこまった様子で言葉を紡ごうとしている。緊張をほぐそうと気を遣うのもやぶさかでは無いが、彼女がここまで一人で行動を起こしているのだ。俺が下手に介入するのは野暮というものだろう。
「……わ、私と!!」
言葉を続けようとする優香。
だが彼女はそこまで言って、パクパクと金魚のように口を開閉させ、目から涙を流し始める。
――大丈夫だ。今目の前にいる彼女の目には、覚悟の炎が灯っている。
俺は、次の言葉を待った。そんな刹那の時間が過ぎ、彼女の目ははっきりと俺を見据えた。
「私と!! 付き合ってください!!」
「……」
そうして繰り出された言葉を咀嚼するのに、俺は数秒の時間を要した。
……付き、合う?
俺は自分の額に手を当て、オレンジ色の空を見上げる。更に鼻から深く息を吸った。
「……何ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!??」
そして叫んだ。
「だ、大丈夫遠神君!?」
「い、いやいやいやいやいや! 問題ない! 問題無いさ!! ははははは!」
先ほどまで緊張と不安に満ち溢れていた優香は、俺の様子を見て心配そうに声を掛けてくる。
俺はなるべく冷静を装いつつ、動揺を隠した。
待て待て待て待て待て!? 流石の俺もこれは大気圏突破し得るほどの想定外だぞ……!?
付き合う……、それはつまり恋仲になるということだ。
くっ、青春を謳歌するために友人を欲していたが、まさか友人を飛び越えして恋人になりたい奴が出て来るとは……!!
――いや、逆に考えればこれはチャンスなのでは無いか? だってそうだろう。恋人とは高校生の青春を彩る最高のスパイスだ。
俺はチラリと優香の方に目をやる。彼女は未だ心配そうに俺を見つめていた。
「ご、ごほん!」
わざとらしく咳ばらいをしながら、俺は手で彼女を制す。
ここで精神的優位を崩すわけにはいかない。断固とした意思で、返事をするんだ俺。
そこまで思考して、次の問題が俺に襲い掛かる。
この告白を受けるか否か、その問題が。
くそっ! いつもの毅然とした態度はどうした俺!? 目の前にいるのはザ・普通の女子高生。名家の人間でも無ければ、全ての能力が俺よりも劣っているのは間違いない!!
なのになぜ、ここまで心を搔き乱されている!? いや、理由は分かる。『初めて』だからだ! こうして告白をされるのが……!
俺という人間の優秀さに委縮し、告白をしてきた女子生徒は今まで存在しない。故に、俺は告白の返事をしたことが無い。
……いや、落ち着け俺。俺は誰だ。決まっている……遠神式、遠神家の次期当主にして全てにおいて秀でている人類の宝。
初めての事象程度、俺に掛かれば……!!
優香のように、俺も覚悟を決め、目を見開く。
「楠優香!」
「ふぇ!? は、はい!」
急に名を呼ばれた優香は驚いたように姿勢を正した。
「お前の想い、確かに受け取った。今から俺の答えを返す」
「う、うん……」
俺の宣言に、優香は緊張した面持ちで体を強張らせる。そんな彼女を前に、俺は言った。
「俺はまだお前のことを良く知らない! よって、まずはお互いのことを知る期間が必要だと思うのだが、どうだろう!?」
情けない……! 断るでもなく受け入れるでもなく、まさか自ら保留という選択を取るとは……! それでも遠神家の次期当主か俺は!?
自身でも分かるほどにあまりにも『逃げ』な言葉に、珍しく俺は自己嫌悪に駆られそうになる。
「そ、それって……まだ、チャンスがあるってこと……?」
「え……? い、いやまぁ……そういうことだな! って何を泣いている!?」
「ご、ごめんなさい……。う、嬉しくて……きっと断られると思ってたから……だから」
「お、おい泣くな! 全く、これを使え」
俺はポケットから高級ハンカチを取り出し、優香に渡した。
「こ、こんな高そうなの使えないよ!」
「構わん。替えはいくらでもあるからな」
そう言って、俺は無理やりハンカチを優香に使用させる。
◇
数分後、優香は泣き止み、落ち着きを取り戻した。
「ハ、ハンカチありがとう。ちゃんと洗って返すから」
「別に構わんぞ」
「ちゃんとか、返すよ! 絶対!」
「そ、そうか……」
強い意志を見せる優香に、思わず面食らう。
「だ、だからさ遠神君! 連絡先、交換しない……?」
「連絡先?」
「う、うん。ハンカチとか返す時に連絡取れると便利だし、それに……えっと……」
「そうか。良く分からんが、連絡先を交換した方が良いというのならいいだろう」
俺はスマホを取り出し、LINEのQRコードを表示する。優香も同様にスマホを取り出し、俺たちは連絡先の交換を済ませた。
「……」
LINEの友だち一覧を見る。十人だったLINEの友だちが一人増え、十一人となった。
次いで、優香の方を見る。彼女は嬉しそうにスマホの画面を見続けていた。
◇
優香の告白を受け、帰路へ着いた俺はどこか放心状態のまま部屋に戻り、着替え、食堂に降りて、夕食を食べていた。この一連の動きがルーティン化されていなかったならば、恐らく部屋から動けていなかっただろう。
今日の放課後の出来事、あれは夢……なわけがないよな。
動きながら、常に思い起こすのは、橘優香によるあの告白だった。
「シキ様ー?」
「どうした式、全然食べてないじゃねぇか」
「まさかどこか具合が悪いのですか? それでしたら……」
すると夕食を食べている俺に対し、心配するように那由他たちが三者三様の反応を見せる。
「あぁいや、心配には及ばない。安心してくれ」
そう言って、俺は誤魔化すように流麗な所作を保ちつつも、食事のペースを早めた。
◇
遠神家には二つの浴場がある。俺を含めた遠神の血を引く者専用の浴場と、使用人専用の浴場だ。
どちらも一般家庭と比較すれば比較にならないほどに巨大である。加えてサウナやジェットバス、露天風呂と種類も豊富だ。
「ふぅ……」
俺はそんな浴場にて、湯船につかりながら息を吐く。
一体どうしたものか……。
今までどんな問題に直面しても、この俺の手腕を以て制してきた。だが、今回ばかりはそうもいかない。
悔しいが、それが現実だった。
互いを理解する期間を設けたはいいが、そこからどうすれば良いのか。全く分からない。
目を瞑り、思い出すのは放課後俺に告白をしてきた楠優香の顔だった。
……よし、決めたぞ。ひとまずは那由他たちに今日のことを報告し、その上でどうすれば良いかを聞くとしよう。
那由他たちも優香と同じ女子だ。建設的な助言が聞けるかもしれん。
方針を決めた俺は、勢いよく立ち上がった。
◇
「何の御用でしょうか式様」
「お前が呼ぶなんて珍しいな」
「シキ様が呼んでくれるなんて嬉しー!」
風呂から上がり、シルク製のジャージに着替えた俺は自室に那由他と龍子と千景を呼び出した。
「うむ。よく来てくれた三人とも」
俺は執務用の椅子に座りながら、彼女たちに向かい合う。
「実は、お前たちに折り入って報告したいことがある」
「報告、ですか?」
「あぁ」
聞き返す那由他に、俺は首肯する。
「私たちだけを呼び出して報告ってことは内密な話ってことか?」
「そうだ。お前たちを見込んで、ここだけの話に済ませたい」
こんな相談、あまり大っぴらにしたくないからな。
「へ、へー。式がそんなこと言うなんて珍しいな……」
ポリポリと頬を掻きながら、照れるように龍子は言う。
「やったー! シキ様と私だけの秘密秘密ー!」
「何を言っているのです千景。『私たち』の秘密です。勝手に除外しないで下さい」
対して千景ははしゃぎ、それに権利を主張するように那由他が異議を唱えていた。
……本題へ進むとしよう。
「お前たちにしたい報告というのは、今日の放課後の出来事だ」
「放課後……ということは学内で何か?」
「あぁ、単刀直入に言うと……同じクラスの女子から告白をされた」
『……』
――ん?
どうしたことだろうか。場の空気が一瞬にして凍り付いた。
「こ、告白……ですか?」
「告、白……」
「ふぅーん。シキ様告白されたんだー……」
那由他と龍子は平静を装うとしているが明らかに動揺している。そして千景は雰囲気こそ変わらないが、その笑みの奥にはどこか締め付けられそうな冷気が秘められているような錯覚に陥った。
彼女たちの反応は俺にとって予想外だった。女子から告白されたと言えば少なくも那由他は祝してくれるものだと思っていたんだが……まぁいい。
俺は話を進めることにした。
「相手は同じクラスの楠優香。印象としてはどこにでもいる平凡な女子高生という印象だ。これといって大きな特徴は無い」
淡々と優香についての説明をする。
「も、勿論……断ったんだよな?」
すると焦るように龍子が口を挟んだ。
「いや、一先ず互いのことを理解しようということになった。いわゆる『告白の保留』という奴
だ」
「……」
俺がそう言うと、龍子はこの世の終わりのような顔をする。
「お前たちを呼んだ理由はそこにある。互いのことを理解する期間と言っても、具体的に何をすれば良いのか分からない。そして何かやるにしても、こちらからアプローチを掛けるべきなのかどうかも判断が難しい。というわけで、お前たち女子の意見を聞かせほしいんだが」
『……』
尋ねる。が、三人は誰一人として言葉を返さない。
皆、自分の世界に入り込んでしまったように、俺の言葉が届いていないようであった。
「おいどうしたお前たち」
見かねた俺は、三人に問い掛ける。
瞬間、
「っ!!」
「ん?」
どこからともなく那由他が出した紐によって、俺は椅子に縛り付けられた。
「何の真似だ那由他」
「……式様」
俺の問い掛けを無視……否、耳に入っていないであろう那由他は俺に顔を近付ける。
そして言った。
「その売女は式様に相応しくありません。即刻関係を断って下さい」
「何?」
俺は訝し気な目を向ける。すると更に龍子と千景も俺に顔を近付けた。
「今回ばかりは那由他に同意だぜ。式」
「シキ様ー、今の嘘だよね? きっと私をからかってるんでしょー?」
三人のメイドの眼が至近距離で俺を捉える。それだけならばまだいい。問題なのはその三人の目が完全に光を失っていることだった。
「おいおい……落ち着けお前たち。とりあえず、この紐を解くんだ」
諭そうとそう言葉を掛けるが、三人は一向に様子が変わらない。
それどころか俺の言葉などお構いなしというように話し始める。
「式様。その楠優香という女の目的は貴方に取り入り、遠神家の財産と実権を握ることです。私は貴方の……ひいては遠神家の使用人として、断固それを阻止しなければなりません」
「いや、優香はそんな大それたことを考えているようには見えなかったが」
「女というのは狡猾でどこまでも面の皮を厚くできるもの。式様が真に信用しても問題ない女は私だけです」
「おい那由他。何でしれっと一人だけ抜け駆けしようとしてんだ。ぶち殺すぞ」
「そーだよナユタ! ズルいズルい!」
ふむ、どうやら那由他たちはただ俺のことを心配してくれているだけのようだ。そしてその思いが強かったためにこうして俺を椅子に縛り付けてまで話をしたのだろう。
目の前で起こるメイドたちのやり取りを見ながら、俺は彼女たちの真意を理解する。
「お前たちの言い分は理解出来た。ここまで俺のことを考えてくれる使用人を持って、主の《あるじ》の俺は鼻が高いぞ」
「式様……」
「だがな、俺はこの機会を逃したくはないんだ」
「ど、どうしてですか……!?」
「そんなの、決まっているだろう……!!」
今日の俺は少しだけ、調子が悪い。恐らく、いや間違いなく、先の告白が原因だ。
だからだろう。那由他の疑問に俺は拳を握り締め、言った。
「クラスの女子から告白されるなどという青春謳歌のための一大イベントが、今後俺の高校生活であるか怪しいからだ!!」
『……』
通常であれば間違いなく吐くわけの無い純然たる本心を告げると、那由他たちはジト目で俺を見た。
「おい式なんだよその理由はよぉ!! それでも遠神家の次期当主かてめぇは!?」
「ええい五月蠅い!! 例え俺の身分がどれほどのものであろうと、女子からの告白が嬉しくない男などいないワケが無かろうが!!」
「……じゃ、じゃあ! もし私がてめぇに告白したらソイツの告白は断んのか!?」
「何?」
「ほ、ほら! アタシならアンタと十年以上の付き合いだし、それなりに信用できんだろ……?」
龍子は何故か両手の人差し指を接触させながら、恥じらうように言う。
「待ちなさい龍子。それであれば私も条件を満たしています。式様、女子からの告白が御所望であればこの那由他、即座に実行いたしましょう」
「えー! リューコもナユタもずるーい! じゃ私も告白するー!」
「お前たち……」
三人の献身的な様子に、俺は感動する。
くっ、俺は何をしているんだ……!
那由他、龍子、千景の三人は十年前俺が拾い上げ、俺の使用人として雇った。そこから今日に至るまで、俺たちは主と使用人という間柄でありながらも、家族のように良好な関係を築けている。
そんな彼女たちは俺に気を遣い、恋愛感情など微塵も無いにも関わらず、告白をしようとしてくれているのだ。
全く……、使用人に心配を掛けるなど、遠神家次期当主としての恥だな。
俺は自身の心が穏やかになっていくのを感じる。調子が、元に戻るのを感じる。
ふっ、これ以上失態を晒すわけにはいかないな……。一先ず、三人にはしっかりと伝えねば。
そう思い、口を開く。
「那由他、龍子、千景」
彼女たちの名を呼ぶと、三人は俺の方を見た。
「いくらお前たちが俺に仕える使用人であろうと、恋愛感情の無い者に告白をするのは辛いだろう。だからお前たちが無理をする必要は無い。無駄に気遣いをさせてしまい、すまなかった」
『……』
「む?」
しかし思っていた反応は得られず、またもや俺はジト目で見られた。
――一体どうしたというのだろう?
◇
結局その後流れ的に解散の運びとなり、式は拘束を解かれ、那由他たちは部屋を退出した。
そんな彼女たちは今、那由他の部屋に集合していた。
「おいどうすんだよ式の奴」
「そうね。これは可及的速やかに対処しなければならない問題だわ。それも私たちだけで」
「こんなこと他の人には言えないもんねー」
風呂に入り、寝間着を着ている三人はそれぞれベッドや椅子に座りながら話し始める。
「一先ず現状を整理しましょう。まず今日、式様が楠優香というクラスの女子から告白をされた。それに対し式様は『保留』という形の返事をした」
「んで、アタシたちにそっからどうすりゃいいかを聞いてきたんだよな」
「えぇ……。そして会話の中で、式様が女子からの告白をとても貴重に思っていることが判明した。そこに貴方が抜け駆けをしようとして未遂に終わった」
「うるせぇ、てめぇだって似たようなもんだろうが」
「そして、分かったことはもう一つ」
那由他は一呼吸置く。
「……まさか式様があのような考えを抱いていたなんて……」
彼女が言っているのは式が女子からの告白されたことを貴重だと思っていることである。
「まぁ、あのナルシストが初めて告白されたんだ。無理もねぇ……」
龍子は溜息を吐くことも無く、遠い目をする。
「けど、問題はそこじゃない。問題なのは……式様が私を家族のようにしか思っていないということよ……!!」
那由他は頭を抱えた。
「ンなもん仕方ねぇだろ。アタシらは使用人で、式は遠神家の次期当主なんだから」
「なら貴方はそれで納得できるの龍子?」
「……いや、できねぇけど」
気まずそうに龍子は顔を背けた。
那由他も龍子も、式に対し恋愛感情を抱いている。無論、使用人と主という間柄な以上、それが身を結ばないことも、意味の無い感情であることも彼女たちは理解している。
だが、そんな正論で伏せられるほど、彼女たちの式に対する思いは弱くないし消せるモノでもない。
だからこそ式が告白されたと聞いた時は動揺したし、その顔も知らない楠優香に対し、激しい嫉妬心を募らせ、式に彼女との関係を断つように迫ったのだ。
「とにかく、何か策を考えないといけないわ……。このままでは式様が優香とかいう女と付き合う可能性がある……。何か考えはある?」
那由他は龍子と千景の方を見る。
端を発するように手を挙げたのは千景だった。
「あるあるー! それならあるよー!」
「本当、千景?」
「うん! 要するにシキ様には私たちがいるよって分からせればいいんだよね?」
「えぇ、まぁそうね」
「だったらさー!」
ニコニコとしながら、千景は話し始めた。
◇
「式様、起きて下さい」
「ん、んぅ……」
体を揺すられ、せせらぎのような綺麗な声がこの俺、遠神式に起床を促す。
声の主は間違いなく那由他だろう。だが、今日はどこか違和感がある。
何か、いつもより声が近いような……。
そう思いながら、俺はゆっくりと目を開けた。
「おはようございます。式様」
「……」
那由他と目が合う。だが、その場所がおかしい。
――俺と那由他は『ベッドの中』で目が合っていた。
「那由他、何故俺のベッドの中にいる」
「寒の戻りがありましたので式様が寒さに震えることが無いよう、不肖ながらこの那由他、添い寝をすることで式様の体を温めておりました」
「そうか。それは大義だな。褒めて遣わそう。では……」
言いながら、俺はベッドから出ようとするが、
「……」
「……那由他」
「何でしょう?」
「離してくれないか? 起きられないんだが」
俺の体は那由他によってがっしりと拘束され微塵も動けなかった。
「式様」
「な、なんだ? 様子が変だぞ那由他」
「私を見て、何も感じませんか?」
「何……?」
ベッドの中、顔面と顔面の距離が十センチを切る状況で那由他が俺にそう問い掛ける。
「そう言われても、様子を除けばいつものお前だと思うが」
「言い方を変えます。同じ年の男女がこうして同じベッドの中で至近距離にいるのです。何か、こう……いつもと違う感情を抱きませんか?」
「……」
一体、那由他は何を言っているのだろうか……。
再度説明を受けても、俺の『?』は全く変わらなかった。
「感情と言ってもな。いつも通り、愛い奴と思っているぞ」
「え……」
瞬間、何故か那由他の頬が朱色に染まる。
「ほ、本当ですか……?」
「あぁ。献身的に俺に仕えるその姿勢と流麗な所作。加えて容姿は俺のように美しく品がある。まさに俺のメイドに相応しい……常にそう思っているが……て、那由他?」
那由他は頭から煙を出し、気絶していた。
それにより俺の拘束は解かれ、体が自由に動かせるようになる。
気絶するとは……那由他の奴、どうやら疲れているらしい。無闇に起こさず、ここで休ませておくか。
そう判断した俺は、着替えをして部屋を出た。
◇
自室を出て、俺は階段を降りて食堂までの廊下を歩く。すると、
「おー……おはよ式」
「おはよう龍子」
龍子と遭遇しいつものように挨拶を交わす。いつもであればここで通り掛けざまに他愛の無い雑談に花を咲かすのだが、
「おぉっとー」
ばっしゃーん!!
それは龍子の行動によって妨げられる。
「大丈夫か龍子?」
俺は清掃に使用しているであろうバケツの水をひっくり返し、頭から被った龍子に駆け寄る。
「あー、だいじょぶだいじょぶ。あ、ははー……やっちまったなー。アタシドジだなー」
どこか棒読みなのが気になるが、今はそんなことを気に掛けている場合ではない。龍子の身を案じるのが最優先だ。
「珍しいな。お前ほどの者がミスをするとは……先ほどの那由他と言い、お前も疲れているのか?」
「い、いや別に疲れてないぜー。これはただアタシがドジなだけ。『ドジっ子』メイドなだけだぜー。可愛げがあっていいだろー?」
「『ドジっ子』か。だがそれは自分で言っては意味が無いんじゃないか?」
「あー! あー! メイド服がびしょびしょだー」
俺の指摘に対し、龍子はまるで誤魔化すように声量を上げた。
確かに龍子の言う通り、水を被ったことで龍子の服は濡れていた。
……そして、それにより服が透け、肌や下着が微かに視認できるようになった。
「うわー恥ずかしいー。式ー、あんま見るなよー」
何だろうか。見るなという割にはやたらと胸を強調しているし、ニュアンス的には『見ろ』と言っているように錯覚してしまう。
――が、俺は勘違いをすることは無い。何故なら俺は頭脳明晰、IQ百億を持つ御曹司だからだ。
「龍子、これを」
「え……」
俺は制服の上着を龍子に羽織らせた。
「お、おい……」
「替えならば後で別の者に取りに行かせるから問題ない。それよりも、そんな恰好でいては風を引いてしまうぞ。……それに、主として使用人であるお前の肌を、あまり他の者に見せたくはない」
主と使用人は、使用人が主に尽くす一方的な関係ではない。主にもまた、使用人を守る責務がある。
龍子に好きな男ができるまで、龍子が自分を曝け出せる男と出会うまでは……主としてこの俺が龍子を守る。
そんな意思を持って、俺は発言した。
「ふぇ……? あ、ありがとう……」
いつもは気が強く荒っぽい性格の龍子だが、どこか可愛らしい乙女のように顔を綻ばせる。
「そのまま洗面所に向かえ。バケツをひっくり返したことは俺が他の使用人に言っておこう」
「う、うん……ふ、ふへへ……」
何やら変な笑い声を上げながら、龍子はフラフラとした足取りで洗面所へ歩いて行った。
◇
「千景」
「なぁーにシキ様?」
「何故俺の膝の上に座るんだ?」
食堂にて、俺は自身の膝の上に座る千景にそう問い掛ける。
「えへへー! 今日からここが私の定位置! それでシキ様に私がご飯食べさせてあげるの!」
満面の笑みで笑う千景。しかし、
「こら千景! 式様の食事の邪魔になるでしょう!!」
流石にこればかりは看過できなかったのか、いつもは見過ごしていたレイトセンによって千景は俺の膝の上から摘まみ上げられた。
「うへぇーやだー!! シキ様に私がいると助かって嬉しいって思ってもらうの!!」
駄々をこねるように千景はバタバタと暴れる。
何だ、そんなことを考えていたのか千景は。全く、仕方の無い奴だ。
「千景。俺は既に十分過ぎるほどお前に感謝しているぞ。それこそ、感謝しても仕切れないほどにな」
「ほ、本当……? け、けど私……他のみんなよりも家事できないし……」
「確かにそうかもしれない。だがお前は使用人の中で誰よりも頑張り屋だ! 失敗をしても挫けず、問題と向き合って一歩一歩前へと進む……その真っすぐさに心を動かされている者も多い! それに、他の使用人よりも家事ができないという欠点を余りが出るほどに補う長所が、お前にはある!」
「え、そんなのある……?」
「ある。それは、笑顔だ!」
俺は真っすぐに千景を指差した。
「他者がどれだけ落ち込んでいてても、気持ちを穏やかにさせるような温かさが、お前の笑顔にはある。現に、俺は何度お前の笑顔に助けられたか分からん!」
「そ、そうなの!?」
「あぁ。だからお前は十分……いや、俺の期待以上に俺を助けている。それは誇るべきことだ!」
「う、うん! 分かった! 私もっと自分を誇る! それでもっと頑張って、いつか家事全部でシキ様を助ける!」
「あぁ、精進しろ。楽しみにしているぞ!」
「え、えへへー!」
はにかむように笑う千景。
うむ、やはり千景の笑顔は癒されるな。
千景が膝から降ろされたことで一人になった俺は、朝餉を食べ始めた。
◇
式は学校へ行き、今は使用人の休憩時間。
那由他たち三人は休憩室にいた。
彼女たちの作戦は、いわゆる『誘惑作戦』と呼べるものである。
目的は、式には『那由他、龍子、千景の三人がいるから他の女性はいらない』と思わせることだった。
が、ベッドに潜入した那由他も、ドジっ子メイドで可愛さをアピールし服を透けさせた龍子も、献身的に自分をアピールして他の女性が入り込む余地を無くそうとした千景も、全員ことごとく式の振る舞いに完敗した。
そして現在の三人はというと、
「はぁ……式様にあそこまでお褒めの言葉を頂けるなんて……」
那由他は恍惚そうな表情で今朝の出来事に思いを馳せ、
「ふ、ふへへ……。式、カッコよかったなぁ。また水掛けたらあぁして優しくしてくれるかな~?」
龍子は乙女の顔で恥ずかしそうにブツブツと呟き、
「えへへ~、シキ様~」
千景は今にも溶けだしそうな表情で机の上に顎を乗せていた。
「全く……本当に貴方たちは……」
メイド長のレイトセンは、そんな三人の様子を見ながら「はぁ」と溜息を吐いた。
◇
「さて、結局昨日は那由他たちに相談できなかったな」
昼休み、いつものように優雅に昼食を取っていた俺は今後のことを考える。
……だが、答えは出ない。
どうしたものかと思っていると、ポケットに入れていたスマホが振動した。
何事かと思い取り出すと、昨日LINEを交換したばかりの楠優香からの連絡だった。
メッセージの内容は、
『こんにちは。昨日のハンカチを返したいのですが、都合の良い時間はありますか?』
俺という存在に緊張しているのか、その文面はどこか堅苦しいものだ。
しかし、それを見て俺は思わず苦笑してしまう。
「全く、何を難しく考えていたんだ。俺は」
こちらからアプローチを掛けるかどうかなど、そんな些末なことは一般人が考えることだ。
俺は遠神式。日本三大名家の一つ、遠神家の次期当主。
常に堂々と、常に悠々と構えていればよい。それこそが、俺の取るべき最良で最善、最高の選択だ。
改めて自分という高貴な存在を自覚した俺は、優香に連絡を返した。
◇
その後、ハンカチの件で放課後会うことになった式と優香は、話の流れで週末一緒に出掛けることになった。
――が、それを聞いた那由他たちが式たちを尾行し、騒動に発展するのだが、それはまた別のお話。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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