サムライ・ウィズ・ダンジョン
燃えるような夕陽が地平の彼方へ隠れた頃。
男は、うら寂しい風を引き連れて村へやってきた。
深い紅色に染まった木綿の着流しに包まれた長身。
金と黒の刺繍が入った腰の革紐。
洒落た身なりだが、見れば着物の裾や襟には垢がこびりついている。
伸ばした黒髪は適当に後ろで束ねただけ。清潔感からはほど遠い。
だが、面構えは浮浪者のそれではない。
明瞭な意思が黒い瞳にこもっている。
歩き方ひとつ見てもそれが分かる。腰の重心を落とした独特のそれは、武芸の心得ある者に特有の歩法だ。
背に携えたるは、朱鞘に収まった長剣。
右肩には軽金属の黒い肩当てを装着している。かなり使い込んでいるのだろう。肩当てには無数の傷痕が刻まれている。
真っ黒な革靴を軽快に鳴らしながら、男は通りを歩き続ける。その足が、鉄造りの門の前でふと止まった。
男は軽く顎を引いて、その門を見上げた。
門には看板が備え付けられていた。
長いこと雨風に晒されたせいで、赤錆だらけだ。
それでも、辛うじて看板に刻印された字は認識できた。
直線的で角ばった字体の下に、楔形と黒点を規則的に組み合わせた字体が刻印されている。
前者は大陸公用のカーラ語で、後者は狼爪族の祖族言語。
どちらも、歓待の意を表現していた。
――辺境の楽園、ゴルジ村にようこそ!――
「さて、どうするかな」
欠伸を噛み殺しつつ、岩が転がるような声色でひとりごちる。
顎を覆う不精髭を右手で摩る。
渋味のある瞳を細めて、およそ五百聖息長先を見やる。
にやりと、笑みが零れた。
死線の先にあるのは、村の中央に威風堂々とそびえ立つ巨大な魔塔。
地面から段差をつけて、天上へ向かってすり鉢状に生えたそれこそ、塔迷宮と呼ばれる建造物に他ならない。
見るからに頑強そうな外壁が、蒼い月の照り返しを受けて白銀に輝いている。
美麗にして異様な光景だが、特に珍しいものでもない。
シュワルティア国内のあらゆる地域に、このような奇天烈な代物が屹立しているからだ。
塔迷宮の周辺には多くの人と物と金が集まり、賑わい、栄える。
そうやって、この国は隆盛を誇ってきた。
「とりあえず酒でも呑んで、これからのことを考えるとするか」
男は門を潜った。
等間隔に連なる街灯が照らす中、目ぼしい店を探しながら通りを歩く。
男の期待とは裏腹に、商店通りは死んだように静まり返っていた。
耳朶を震わせるのは夜風の囁きだけである。
あちこちの店の鎧戸は閉ざされっぱなしで、人の気配はまるでない。
「おかしいな」
裾口から懐中時計を取り出して確認する。
大小二本の石針は、十九の刻を指したばかりだった。
店を閉めるには早すぎる時間だ。
不思議に思いながらも先を行くと、通りの端に、ぼんやりと光るものが目についた。
近づいて確認する。
硝素看板だ。『酒盗ノ山賊亭』と刻まれている。使われている気素硝の純度が良くないのか、看板はおかしな明滅を繰り返していた。
「食酒場か」
それも商業協会の加盟店ではなく、個人でやっている店だった。
男はもう一度あたりを見回してみたが、他に営業している店はない。
引き戸を開けて、男は店内に一歩足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー!」
威勢の良い声が響いた。娘のものだった。
物騒な店名に似つかわず、顔に幼さが残っている。
年の頃は十五、六といったところか。
男は店内をざっと見渡した。
質素な装いであったが、壁という壁に、落書きがされてあった。
よく見ると、暖かみのある言葉ばかりが殴り書きされている。
常連客の手によるものだろう。
書き込みの多さから察するに、店はそれなりの年季を刻んでいるようだった。
「ここ、まだやってるか?」
男が訊くと、娘は右の頬に笑窪を作って応えた。
「ええ、うちは二十四の刻まで開いてます」
「そうか。じゃあ、とりあえず……そうだな」
男は懐に手を差し入れると、店台に全財産を惜しむこと無く投げ売った。ちゃりんちゃりんと、丸い金属が木の板を転がり叩く音がした。
「銀貨一枚に銅貨三枚ぽっちしかないが、適当な酒を一本つけてくれ。それと肴も」
「わかりました。どうぞ、空いている席にお座りください」
娘は銭を受け取ると前掛けの中にしまい、金色の髪を揺らして調理場へ戻っていった。
長剣を携えた人物がやってきたというのに、娘はうろたえたりはしなかった。それどころか、ずっと愛想よく振る舞っている。
別に不思議な事ではない。塔迷宮のある村に、武器の一つや二つを抱えてやってくる者など、珍しくもなんともない。
「この店、お嬢さん一人で切り盛りしてんのか?」
男は二人掛け卓子の片方に腰を下ろしながら問いかけた。
娘は酒の用意をしながら、てきぱきと答えた。
「そうですよ。といっても、もともとは私の父が開いた店だったんです。昨年の暮れに亡くなってからは、あたし一人で」
「そうか。良い親父さんだったんだろうな」
「なんでそんなこと分かるんです?」
手際よく肴を作りながら、娘は顔を上げて不思議そうに尋ねた。
男は長剣を背から下ろして近くの壁に立てかけると、しみじみと言った。
「ここの壁の落書きをみりゃあ、店が長いこと愛されていたってのが分かる。それはつまり、店主が愛されていたってことにも繋がる。違うかい?」
男の指摘を耳にして、娘は満足そうにうなずいた。心が少しばかり浮足立ったようで、注文の品を載せた盆を運ぶ動作に、それが見え隠れしていた。
「ありがとうございます。ささ、出来上がりましたよ。オルサームルの果実酒に、極彩鳥のから揚げと、当店名物の漬物になります」
「オルサームル……?」
目の前に置かれた品々のうち、先端部が細く括れた白い酒瓶に目を向けながら、男が訊いた。
「お客さん、東青人でしょ? 顔つきを見れば分かりますよ。だから、お口に合うかなと思って。ちょっとしたサービスですから、気にしないでください」
「そうか。じゃ、ありがたく」
男は硝子杯に無色透明の酒を注ぐと、一息に飲み干した。
熱ぼったい息を零すと同時、軽やかな熱が体の奥に沁み込むのを感じる。
舌の上に、ほんの少しだけ柑橘の香りが残った。やさしい口当たりの酒だった。
「美味い。いやぁ、美味いな」
おもわず口元が緩む。男の反応に満足して、娘は空になった盆を手に調理場へ戻っていった。
気前の良い娘店主。酒も肴も申し分ない。だからこそ、男は疑問に感じた。これで客足が寄り付かないとはどういうことだろうか。
男は適当に酒をやりながら、それとなくもう一度、店内へ視線を巡らせた。それで気がついた。ここには、電視台はおろか、無電箱すらない。食酒場にしては、奇妙なほどに質素だ。
「しかし、このゴルジ村ってところは、結構変わっているな」
男の口調には、若干の興味と好奇心の響きがあった。探りを入れようというのだ。
「まだ十九の刻を過ぎたばかりだってのに、どこもかしこも閑古鳥とはなぁ」
「……以前は、こうじゃなかったんですけどね」
調理場で洗い物をしながらぼやく娘店主の声に、鬱とした響きが混じっているのを、男は聞き逃さなかった。
「村の中央にさかしまのダンジョンが生えているんだ。商隊の一つや二つ常駐していて当然のはずだが、ここにはそういうのも無いようだな」
たとえ塔迷宮が忌まわしき魔王の残した遺物であろうと、そこに数々の財宝が眠っていると噂され、実際に数多の金塊や宝石の類が発見されたとなれば、当然、我先にと群がる輩が後を絶たない。
「昔は、この村も活気づいていたんです。父もあの頃はとても元気で……この店も、探索者や商隊の方々が毎晩集まって、賑やかで、楽しかったなぁ……」
探索者――野望と名誉と生活のために塔迷宮へ果敢に潜っていく、血気盛んな命知らずの猛者たち。彼らの熱気が渦巻くところに金と物流が集約されていくのが、世の常識である。
ダンジョン探索に必要な装備品や道具を取り揃える商業協会傘下の万代店。探索者達の寝食の世話をする休憩館。パーティ編成や私的交流、情報共有の場として機能する組合所。これらの施設に品物を収めるために商隊が常駐していてもおかしくない。いや、むしろ常駐していてしかるべきなのだが、ゴルジ村にはそれもない。
「事の始まりは三年前ですよ」
洗い物をする手を止めて、娘は滔々と話し始めた。人恋しさの現れなのか、単に話し相手が欲しいだけのことか。おそらくは、その両方だ。
「この村は元々、霧雨に打たれしティロスが率いる侠博會が仕切っていたんです」
「侠博會? なんでそんな奴らが。村爵は何をしているんだ」
「その村爵が、他ならぬティロスだったんです」
「村の長が兇賊ということか」
男は酒をやる手を止めると、渋い表情を浮かべた。
稀に耳にする話ではあるのだ。人の道理を外れた兇賊が、地域社会に隠然とした影響力を与えるレベルまで肥大化するという話は。
そうなる理由は様々にあるが、最たる原因はやはり、ならず者達が集まりやすい風土のせいだと言えるだろう。
必要以上に殺傷能力の高い武器や、恐怖心を和らげて精神を昂揚させる中毒性の高い錠剤薬。そういった品物を兇賊たちは仕入れ、協会の目を盗んで地下の闇市で捌き、私腹を肥やして表舞台に乗り出してくる。塔迷宮という火種を抱える地域には、そのような負の面もつきものである。
「でも、霧雨に打たれしティロスは……まぁ優しい人ではなかったですけれど、しっかり村のことを考えていたんですよ。人だろうと獣人だろうと、有能な人材は積極的に取り立てて、迷宮で収穫される財宝の分配比率も決めて、その一部を市井に還元してくれていたんです。迷宮塔への潜入時間もチームごとにきっかりと決めて、探索者たちから不満の声が出ないようにして。乱暴者ではありましたし、奥さんを何人もとっかえひっかえするようなだらしない性格でしたけど、村には必要な人だったんです」
「政治能力に長けた兇賊かぁ。厄介な野郎だなぁ」
「その霧雨に打たれしティロスが流行り病で亡くなった三年前から、この村はおかしくなっちゃって……後継者争いが全ての発端だったんです」
「後継者争いってことは、ティロスには子供がいなかったのか?」
「いえ、一人だけいます。知悉のイサクという人です。でも全然、ティロスの子供とは思えないくらいの臆病者で、ずーっと家に引きこもっているらしくて」
「跡継ぎには相応しくないと、旧来からの子分たちが憤ったわけだ」
「全員ではないですけどね。でも、一部ではそんな意見が出たみたいで……イサクの後見人を務めている計り妙場のカグランという人は、なんとかしてイサクを頭目に押し上げたくて躍起になっているんですが、そのカグランと敵対する人達がいて、それが『三牙狼』って呼ばれている札付きの三兄弟……とんでもない悪人ですよ」
苦虫を噛み潰すように言うと、娘は目を伏せた。
悪人。華奢な娘が口にするには、随分と思い切った表現のように男には思えた。それだけ鬱憤が溜まっていることの証左であろう。
「どっちが侠博會を仕切るかで揉めて、組織は二分。それからはずーっと小競り合いで、私たちの暮らしなんて、考えてもくれやしない。ほとんど毎日誰かが亡くなって、治安はみるみる悪化して、景気もどん底。悪評が広まったせいで、商隊もめっきりここを通らなくなってしまって……」
「それでこの有様か。しかし跡目争いほど無益なものもない。その計り妙場のカグランと三牙狼とやらは、どうやって決着をつけるつもりでいるんだ」
「お客さん、『一なる財宝』って、耳にしたことあります?」
「ん、あぁ……塔迷宮の最上層にあると言われている幻の宝か」
「それを手に入れた側が、村を支配すると……そういう話になっているみたいです」
「……んくっ、くっくっくっ……」
何杯目かになる硝子杯の中身を飲み干すと、男は息を殺して嗤った。つられて、娘店主も相貌を崩した。
塔迷宮を塔迷宮たらしめる根源の象徴。
手に入れた者を万物の頂点へ押し上げる秘宝。
この世の真理が隠された神秘の結晶。
さまざまな噂によって語られる魅惑の宝たる『一なる財宝』を、しかし、手にしたという話はおろか、目撃したという報告例すら、風の噂に乗ったことはない。
少なくとも、娘の知る限りでは。
「あるかどうかも分からない宝を手に入れたら、村を支配する権利を持つだなんて、ずいぶんとふざけた話だと思いません?」
「……そうだなぁ」
酔いにかまけていた男の眼に力強い光芒が宿った。
「なぁ、ひとつ訊くが、その三牙狼ってのは強いのか?」
「え?」
娘は不覚を取られたように声を上げた。
自分が一方的に喋っている流れが続いていたから、男の方から声をかけてくるとは思ってもみなかったのだろう。
と同時に、質問の意図を掴みかねて、軽く混乱したようでもある。
「どうなんだ? 強いのか? 強いんだろうな。なにせ三牙狼なんて呼ばれるくらいだもんな」
娘は、こちらを向いて執拗に尋ねてくる男の容貌を改めて観察した。
体つきは細身だが、しっかりとした筋肉がついているのが着物越しでも見て取れる。
顔つきからして、年齢は三十の後半と見て良いだろう。
まったく奇妙な風体の男である。
真っ黒い不精髭のせいで、精悍な印象からはほど遠い。
紅色の着物にしても、襟や裾に垢がこびりついているし、所々がほつれている。
そこだけ取り上げれば、うだつの上がらない探索者と思い込んでしまいそうである。
だがそうではないと、男が持つある逸品を視界に収めた刹那、娘は本能的に理解した。
壁に立てかけられた男の得物――娘の目から見て、それは長剣のように映った。
食酒場の娘という身分ゆえに、探索者の武器を、彼女はこれまで幾度となく目にしてきた。
邪龍・千空のガガルティアの牙を研いで成形した短刀。
険阻で知られるギジャン山岳の谷底にのみ生える、メガロシダーから加工された弩弓。
南橙人の島々に眠っていた、古の素材から作られたとされる飛投刃。
過去に店を訪れた探索者たちが自慢げに披露していた一級の武具。
それらを脳裡に思い出してなお、比肩できぬほどの強力な圧が、あの赤い鞘の内部で蠢いている。
そう娘は感じた。それは決して、錯覚などではなかった。
娘は――柏ぎ腕のエレナは、特にこれといった武術を収めてはいないし、鑑定士としての技能を有している訳でもない。
それでも同年代の少女たちに比べれば、数多くの武器を間近で観察し、時に触れてきた。
その経験のおかげで、男が当然のように手にしている長剣が、あまりにも逸脱した存在感を発揮しているという事実を、いま、この瞬間にようやく、現実のものとして認識できた。
「なぁ、どうなんだい? 教えてくれたっていいだろ? 減るもんじゃないんだし」
「……強い、と思いますよ。特に次男の懺牙のガフイは、かなり腕の立つ軽剣士だって評判ですから」
「懺牙? 人がつけるにしちゃあ、どこか奇妙な響きの痣名だな」
「洗礼名じゃないんですよ。あの人達……三牙狼は獣人種ですから、異名のようなものですね」
「ふぅん。懺牙のガフイ……軽剣士ね」
男はギラギラと脂っこい眼差しを浮かべながら、硝子杯を口に運んだ。
もう残り大分少なくなっている。肴にはあまり手をつけてない。
この男、どうやら酒だけ呑めれば、それで良いらしい。
それでも悪酔いをするたぐいの者ではないようだ。
依然として崩れぬ姿勢は、律儀さを感じさせるよりも、戦士としての風格を匂わせている。
まだ洗い物が多少残っているが、エレナの手が皿や水桶へ伸びることはなかった。
あの長剣の存在に気づいてから、この男のことが気になって仕方ない。
いったい、何用でこんな大陸辺境の村へやってきたか。
考えられる理由は、エレナには一つしか思い当たらなかった。
「あの、お客さん」
「ん?」
「失礼ですが、探索者の方ですか? そうですよね?」
恐る恐る尋ねると、男は顎髭を弄りながら、どこか面倒臭そうに答えた。
「まぁ、そんなところだな」
「あの、もし塔迷宮に潜るつもりなら、止めておいたほうが無難ですよ。」
それは、はっきりと親切心から出た言葉であった。
だが同時に、この村に厄介事を持ち込んできてほしくはないという意図もあった。
いくら男が探索者であろうと……いや、探索者であるからこそ、この静かに死んでいくだけの村に一波乱を巻き起こすのではないか。
そうして、男が呼び込んだ波乱が、最悪、村の命脈を突然に絶つ事態になりでもしたら。
どうしてだか、そんなことを想像せずにはいられなかった。
「さっきも言いましたけど、計り妙場のカグランと三牙狼が衝突しているせいで、塔迷宮には入宮制限がかけられているんです。無断で探索しようものなら、大目玉を食らいますよ」
「それはつまり、あれか? カグランと三牙狼、どっちかの陣営に入れば、塔迷宮に潜入できる機会に恵まれるってことかい?」
「う……」
エレナは思わず口ごもった。男の好奇心を落ち着かせようとしたのに、逆に火を点けてしまったことに内心で焦る。
「いや、でも、それでもですよ?」
慌てて言葉を続けようとした時だった。
乱暴に店の引き戸が開け放たれ、ぞろぞろと客が入ってきた。
「よう、今日も繁盛しているようだな、エレナ」
出し抜けに皮肉を口にするのは、つい今しがた話題に上っていた、招かれざる客たちである。
「ガフイ……!」
エレナの双眸が、驚きと恐怖で見開かれた。
忌み嫌う者の名を呆然と口にするだけで、二の句が継げなかった。
「なんだ、そんなにビビリ腐って。こちとら客だぜ? それ相応の貞淑な態度ってのを見せてくれねぇと困るなぁ」
軽剣士に特有の、身軽さを意識した武装の獣面男。
エルゴ大陸に生息する十二獣人種が一つ、狼爪族に連なる獣人。
見るからにしなやかそうな健脚。
襟や裾から覗く、針金のような硬さの灰毛。
尖った牙に鋭い爪。
相手の心に怖気を植え付けるような金色の瞳。
「おい娘、約束の刻限がきたぜぇ」
「カネ、ちゃあんと用意できてんだろうなぁ」
ガフイの脇に控えていた二人の獣人が、粗雑な口ぶりで訊いてくる。
くすんだ桃色の皮膚と、濡れた丸い鼻が特徴の豚鈍族のデンボと、全身が黄毛に覆われ、糸のように細い目をした狐天族のベスペスである。
二人はニタニタと笑いながら、調理場に立つ若き女店主へにじり寄った。
それぞれの手には物騒な代物が握り締められていた。
デンボは棘付きの棍棒、ベスペスは棘付きの鞭である。
「水の三月に入ってから、てめぇまだ一回も払ってねぇじゃねぇか。こっちもよぉ、我慢の限界って奴なんだよなぁ」
生え揃った牙の隙間から長い舌を覗かせて、ガフイは金色の瞳を愉しげに細めた。
「ま、待って、待ってください」
エレナは生唾を呑み込むと、必死になって呼吸を整えた。
「お、お金……お金って、場所代のことです、よね……? あ、あの、もう少し待っていただけないでしょうか……こ、今月は生活が結構、苦しくて……」
「あぁ? 舐めてんのかこのガキィ!」
短気を絵に描いたように、デンボがでっぷりとした腹を揺らしながら、店台の端目がけて躊躇なく棍棒を振り下ろした。
そのたった一撃で、木板がいともたやすく削り取られた。置いてあった調味料入りの瓶たちが、がらがらと音を立てて転がり落ちる。
「ガフイの兄貴が払えと言ったら払うんだよぉ! それがこの村の流儀じゃねぇのかよぉ! えぇ!? てめぇいい年になって礼儀の一つも知らねぇのかよゴラァ!」
粘つく唾を吐き散らして、デンボが吠える。威嚇にしては十分過ぎる迫力だ。
エレナはその場に尻餅を付きそうになるのを、洗い場の縁に手をかけることでなんとか堪えるので精一杯だった。
「兄貴に恥かかせようってのかぁ? それが何を意味しているか、分からねぇ年頃でもねぇだろうによぉ」
陰険さそのものといった顔立ちのベスペスが舌なめずりしながら、腰に下げ佩いた鞭に手を伸ばそうとする。それを、さっと手を挙げてガフイが制した。
「まぁ待ておめぇら……そう怒鳴り散らすこともねぇ」
「へい兄貴!」
「へい兄貴!」
血気にはやる子分たちを言い宥めてから、人狼はエレナへ獰猛な視線を向けた。
「なぁエレナ。おめぇ、一体誰のおかげで生きていると思っていやがる? 言うまでもねぇさ。俺をはじめとする狼爪族の兄弟が、この村を新たに仕切って、それで今日も飯を食っていられるってんだ。ティロスが死んで、カグランの野郎がなにやら息巻いているが、そんなこたぁ関係ねぇ」
ガフイの右指。その鋭く尖った爪先が、ピシリと音を立てるかのように、冷や汗を垂らすエレナの額を指差した。
「いいか、おめぇが従うべき法律は、この俺であり、三牙狼であり、俺の兄貴が新たに設立したギルギス會だ。それを理解してんなら、さっさと場所代を払いな。安いもんだぜ。金を払ってくれりゃあ、てめぇの安全を俺達が保証するってんだからよ。こっちは慈善事業をやってるような心持ちなんだよ」
「も、もう電視台も無電箱も売ってしまって……お金になるものなんて、ウチにはなにも……」
「なぁに寝ぼけたこと言ってやがる。あるじゃねぇか。まだ金になるモノが」
長い舌で器用に牙の先を突っつきながら、ガフイは娘の身体を舐め回すように凝視した。
その意味ありげな仕草を目にして、エレナの背筋に悪寒がはしった。
「ま、まさか……」
「察しがいいじゃねぇか。その通りよ。おめぇ、もう十五だろ? だったら男を相手に働くには十分な年頃だ。すぐにラデン通りに連れていってやる」
「い、嫌……やめて、お願い、それだけは……それだけは嫌です! お願いします! 他になんでもしますから!」
「あんな楽な仕事、他にはねぇぜ? こーんなしょぼっくれた店を切り盛りして稼げる金なんてたかが知れてるだろうが……よし、決まりだ。連れて行け」
「へい兄貴!」
「へい兄貴!」
下知を飛ばされて、二人の子分が動く。
しかし動きを見せたのは、怖じ気づいていたはずのエレナも同じだった。
洗い場に置かれていた包丁を咄嗟に手に取ると、その切っ先を招かれざる客たちへ向けた。
「お、お願い! 来ないで! やだ! 連れていかないで!」
「このクソアマァ……舐めた態度取ってんじゃねぇぞくぉらぁ!」
「兄貴のご命令だ! おら! 来るんだよ! 騒ぐんじゃねぇ!」
「やだ! 離して! お願いだから離してください!」
二人がかりで動きを封じ込めようとする。
しかし死に物狂いで抵抗するエレナは、なかなかしぶとかった。
暴れる度に、棚に陳列された食器類が散乱した。
包丁の先が洗い場の縁や酒瓶に当たって、耳障りな金属音を鳴らした。
三人とも躍起になっていた。
その時である。
「いちいちうるせぇなぁ」
憮然とした野太い一声が店内に轟いた。
「酒くらい静かに呑ませろ。ここは食酒場なんだぜ? 揉め事を持ち込んでくる場所じゃねぇ」
手に持った硝子杯の中身。透き通った色味の酒へ、視線を落としながら。蚊帳の外に放り出されていた男が、心底迷惑そうに言い放った。
「……なんだぁ? おめぇ」
途端に場が白けて、代わりに剣呑な雰囲気が店内を包み込む。
否が応にも、ガフイの興味の矛先は、エレナから男へと移った。
「余所者だな。しかもその髪の色に顔の骨格……珍しい。東青人か」
ガフイは男の目の前に立つと、喉奥から獰猛な唸り声を低く発した。空気に膜を張るような奇音。ある種の癖のようなものだ。それでいて獣性の発露でもある。普通の人間なら緊張のあまり萎縮してしまいかねないだろう。
しかし男は、平然と硝子杯を傾けるだけだった。
ガフイと眼を合わせようともしない。質問に答えようともしない。
まったく意識に留めていない。最初から相手にしていないかのように。
沈黙を貫く男の姿勢を、怯えの現れであると読み違えたか。
デンボとベスペスが、意気揚々と武器を手に近づいてくる。
「おい、おい、おいぃ……テメェ誰に対してモノを言ってんだぁ!? んだこらぁ!!?」
「こちとら仕事中なんだわ。テメェみたいな三下が口を出せるような状況じゃあねぇんだよなぁ」
「お前さん、狼爪族だろ。違うか?」
喚く二人の獣人を無視して、男はようやく、ガフイに対して口を開いた。
それでもまだ、男の視線は硝子杯へ向けられたままだった。
「だったらどうした」
素っ気なく応じると、男は硝子杯をその場に静かに置いて、乾きつつある酒瓶の口をつまんで持ち上げ、ぷらぷらと弄びながら言い放った。
「狼爪族ってのは、獣人の中でも気高き種族だと聞いている。実際に、俺もそういう奴らに会ったことがある。それが……こんな、いかにも頭の悪そうな子分二人引き連れて、恥ずかしくねぇのか。てめぇの格を、てめぇで下げているようなもんじゃねぇのか?」
その存外な物言いは、言うまでもなく、デンボとベスペスにとっては致命的な一語に匹敵した。
「んだとゴラァ!?」
「やんのかボケェ!?」
膨れ上がる怒気。自慢の得物を構え、今にも飛び掛からんと息巻く二人の獣人。
だが、そんな好戦的な姿勢も長くは続かない。
「止めねぇかおめぇら!」
「へい兄貴!」
「へい兄貴!」
兄貴分の叱責を受けて、聞き分けの良い返事をするに終わった。
「(この男……)」
弟分たちをコケにされた以上、黙って引き下がる訳にはいかない。
舐められたままとあっては、兇賊としての沽券に関わる。
それに、流れの者に馬鹿にされたと噂になり、それが計り妙場のカグランの耳にでも入ったら、たまったものではない。
しかしながら、まずは一旦、暴れかけた心を鎮める必要がある、とガフイは考えた。なぜそう思ったか。理由は明白だった。視界の端に、それを偶然にも捉えたせいだ。
「おい」
「なんだ」
「おめぇ……それ、どこで手に入れた」
壁に無造作に立てかけられた、朱鞘に収まった長剣。
その存在に気づいた以上は、むやみに喧嘩を吹っ掛けるのは愚策である。
持ち前の勘と知識を働かせて瞬間的にそう判断したのだ。
「相当な値打ち物だろ、その刀」
「ほう」
刀――ガフイがそう指摘した直後、初めて男が顔を上げた。
嬉しそうに口角を歪めている。
「(なんだ、コイツ……)」
見下ろす男の顔立ちはどこからどこまで、平均的な東青人のそれである。
厚めの唇に太めの眉。彫りは浅く、頭のふくらみも小さい。
しかしその瞳に、種族特有であるとされる気の優しさや、大人し気な雰囲気というのは絶無であった。
口は笑っているが、目元には言い知れぬ凄みがあった。
迂闊に触れたが最後、鉄だろうが何だろうが、容赦なく斬り伏せる。そんな危うさに近い圧を放射している。
異様にして威容の風格。ガフイはたまらず息を呑んだ。
あれほどまでに粗暴であった子分二人も、男の無言の迫力にすっかり気圧されたか。互いに顔を見合っては、手持ち無沙汰に得物を弄び、どうしてよいか分からず困惑している。
「こいつを剣じゃなく刀と呼んだってことは、お前さん、なかなか目が利いてるな」
「そういった代物に目がねぇんだ。刀と剣の違いくらい、一目で分からぁ」
「そうか。獣人もまた、見た目で判断するものじゃないということだな。勉強になった」
「……あんた、名前は」
「名前?」
「俺は慚牙のガフイ。この村を新たに仕切る侠博會……ギルギス會の副頭目よ」
「そっちからご挨拶とは律義なこった。俺の名前は……そうだな」
男は一息に硝子杯をあおると、熱ぼったい息を零しながら切り出した。
「ジュウシロウ。化堕物殺しのジュウシロウ。この刀は、知り合いから譲ってもらったものだ」
化堕物殺し。
ずいぶんと大層な痣名であると、その場にいる全員が思った。
だからと言って、似合わぬ二つ名だと嘲笑する者は、誰一人としていなかった。
「そうか。化堕物殺しのジュウシロウ……か。見たところ、探索者のようだが?」
「まぁ、そんなところだ」
「やっぱりな。気に入ったぜ。もし塔迷宮に入りたきゃ、俺んところに声をかけな。商店通りを抜けた先、カカ通りの五番地にある屋敷に来い。俺の名を出しゃ、門兵が口を利いてくれるはずだぜ……おい、おめぇら、今日はもう帰ぇるぞ」
「へ、へい兄貴!」
「へ、へい兄貴!」
戸惑いつつも大人しく従う子分二人を引き連れて店を出て行こうとしたガフイだったが、不意に、その灰毛の両耳をピンと立たせて足を止めた。
ちらりとジュウシロウの方へ意味ありげな視線を向けてから、調理場の奥で身を縮こまらせたままのエレナへ向けて、不敵な笑みをこぼす。
「今日はそこの客人に免じて勘弁してやるがよ、いずれ場所代はしっかり払って貰うからな」
そう念入りに釘を刺して、招かれざる客たちは去っていった。
「あれが、慚牙のガフイか」
ジュウシロウは刀を手に取って立ち上がった。
ゆっくりとした足取りで店台へ近づき、椅子の背もたれに手を置いた。
危難が去って胸を撫で下ろすエレナへ向かい、どこか好戦的な笑みを浮かべて話を投げる。
「たしかにお嬢さんの言う通り、ありゃあ中々の腕があると見た」
「え? あ、ああ……」
「気に入ったぞ。しばらくここに滞在させてもらう。酒も美味いしな」
「あぁ、はぁ……え!?」
ジュウシロウが口にした内容に、エレナは心底仰天した。
「気に入った!? こんな村が!?」
どういう論理でそんな結論を導き出したか分からない。
だが、ジュウシロウが冗談で言ったとも思えない。
ジュウシロウは店台から離れると、店の二階へと続く階段へ目を向けた。
「ここ、家の造りから察するに、二階が宿になっているだろ。しばらく泊めさせてくれ。俺がここにいるとなれば、アイツらもそう簡単に手出しはできんだろ。お嬢さんにとっても、悪い話じゃないと思うが」
ほとんど一方的な物言いだったが、エレナは黙って頷くことで提案を了承した。
この得体の知れぬ探索者を泊めることに、一抹の不安がないわけではない。
しかし結果だけを見れば、この男は……化堕物殺しのジュウシロウは、ガフイに拉致されそうになった自分を救ってくれた。見方によっては恩人である。
恩人からの頼み事を無下にするような礼儀知らずであってはならない。
今は亡き父の教えだ。その教えに背く真似など、できようはずもない。
「か、構いませんよ。あたしとしても、ガフイたちに絡まれるのは御免被りたいですから。二階に上がって突き当りを左に曲がった部屋がいいと思います。そこはちゃんと片付いてますから」
「よし決まりだ……あぁ、そうそう」
階段に一歩足をかけたところで、ジュウシロウは若干の間を置いてから振り返った。
「金は後払いにしてくれねぇか。悪いが、さっきの支払いで『聖霊様への分け前』も無くなっちまってな」
「え、えぇ……?」
あっけらかんとした告白に、思わず眉を顰めるエレナ。
だが、ジュウシロウはどこ吹く風という具合に、穏やかに笑って言った。
「なぁに、そう心配するな。塔迷宮でひと稼ぎしたら、まとめて払うさ。ツケで構わんから、毎晩あの酒を呑ませてくれれば、それでいい……あれ、美味かったぞ。ありがとうよ」
話は済んだとばかりに、ジュウシロウはのっそりとした動きで、階段を上がっていった。
「(この人……いったい何を考えてるの……?)」
二階へ上る得体の知れぬ探索者。その大きな背中を、ぼんやり見つめる。
「(もしかして……タダ酒飲みたいだけ? あぁ、また大損じゃない……)」
上手いこと言いくるめられてしまった自分に軽い嫌悪感を覚えながら、エレナは肩を落として店を閉める準備に入るのだった。
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「あ、兄貴ぃ、一体どういう風の吹き回しですかぁ? あんな奴のことを気に入ったなんて……何かの間違いっすよねぇ?」
「今日は何がなんでもふんだくるんだって、息巻いていたじゃないっすかぁ」
商店通りを抜けて屋敷への帰路に着く最中。
両腕を組んで何事かを思案しながら先を行く慚牙のガフイの耳に、子分二人の戸惑いがちな声が響く。
「……お前らなぁ」
ガフイは足を止めて振り返ると、狼爪族自慢の鋭い五指のうち、人差し指でデンボとベスペスの額を。
「ピギィ!」
「ギャン!」
素早く軽く小突いた。
「このアホども。あの客人の得物を見て、何も感じなかったのか?」
「え、えぇ……? あ、あの剣みたいな武器のことですかい?」
「そんなの分かりっこねぇですよ。俺ら兄貴と違って、学がねぇんだから」
痛みの残る額をそれぞれ庇いながら、しょんぼり顔になるデンボとベスペス。
この二人はティロスが健在だった頃から子分として色々と面倒を見ているが、いまいち機微の捉え方がなっていないし、物事を単純に解決したがる傾向が強い。
ガフイが苛立ち紛れに手を出してしまうのも、仕方のない話だ。
それでも、出来の悪い子分ほど可愛い、という奴だろうか。
塔迷宮の十階層あたりで、思い切って二人を取り残してやれば、彼らも探索者だ。根性と知恵を振り絞って、ガフイも目を見張るほどの成長をして帰還するかもしれない。
だが、己がそんな酷い仕打ちを身内に強いる性格ではないことは、他ならぬガフイ自身が良く知っている。
我が子を千尋の谷に突き落とす――獅岩族にはそんな物騒な諺があると、昔、ガフイは耳にしたことがあった。
文化や価値観の違いがあるとはいえ、率直なところ、なんてひどい話だと感じたものだ。
他人に対してなら、いくらでも冷酷になれる自信はある。
なぜなら他人だからだ。
見ず知らずの者を傷つけても心は痛まない。
だが身内が相手となると、話は別だ。
情を寄せた相手に、惨いことなど出来ようはずもない。
「なぁ、おめぇら、刀って武器は知ってるか?」
「か、刀……ですか?」
「あ、聞いた事ありますぜ。剣みたいなかたちのやつだ!」
ベスペスが細っこい腕を挙げて得意げに答えた。
幼稚に過ぎる知識を自信満々に披露する子分に内心で呆れつつも、ガフイは話を続けた。
「刀ってのはな、大陸の東の果ての果てに浮かぶ島……魔王が健在だったころにあった、トゥーア帝国ってところで造られた白兵戦用の武器だ」
いま、このエルゴ大陸には、ただ一つの国家しか存在しない。
その名をシュワルティア国。
大勢の魔族を率いて大陸を手中に収めんとした魔王・懼れる貌のデルスウザーラが討伐された百年前をきっかけに、人類国家と獣人国家が統一を果たした末に誕生した、大陸ゆいいつにして最大の立憲君主制国家である。
しかし、昔は違った。
魔王が人界の脅威として君臨していた頃は、世界各地に大小様々な国々が乱立していたのだ。
ガフイが口にしたトゥーア帝国もその一つであり、悠久の時の彼方に消えていった小さな国家であった。
「トゥーアは東青人しか住むことを許されなかった国で、皇帝護衛を任務とする士業って職業があったらしい。奴らは刀を手に、大陸の奴らが扱うのとは、また異なる剣術を身に着けていたらしいな」
「まさか兄貴、あのいけすかねぇ客人が、その士業だって言うんですかい?」
「馬鹿言うんじゃねぇよ、もうずいぶんと昔に滅んだ国だぞ。俺が言いてぇのはな、刀なんてのを得物にしている時点で、そんじょそこらの探索者と比べて、腕に覚えはあるに違ぇねぇってことだ……いいか、おめぇら」
言うと、ガフイは革紐で腰に固定していた幅広の剣を、慣れた手つきで抜き放った。
ブロードソード。軽剣士にとっては、ごく一般的な武器である。
「剣ってのは見ての通り、真っ直ぐなかたちをしている。両刃って造りだな。こうして、手首と腕の力だけで魔物やムカつく野郎を叩き斬れるから、扱いやすいのさ。だから、女の味も知らねぇウブな野郎から、俺みたいな手慣れた探索者にまで、幅広く好まれる」
ぶんぶんと虚空を斬るガフイの剣。
逸品ではないが、刃毀れが全くない。
しっかりと手入れをしていることの証である。
「一方で、刀は片刃造り。剣と比べて刀身がやや反り返っている。そして運動の作用が剣とは全く違う。手首、腕、肩、腰。それらを連動させて相手を斬る。それも叩き斬るんじゃねぇぜ。引いて斬るんだ。たった一振りで尋常じゃねぇほどの体力が持っていかれる」
「ほへー」
「ほへー」
「しかも塔迷宮で魔物を相手取るとなると、相応の技量が求められる。おめぇらには縁のない、上級者向けの武器だわな。それを、あのジュウシロウって野郎は持っていやがった」
「そ、それじゃあアイツ、相当な腕の探索者ってことじゃねぇですか!?」
「バカ言えデンボ。兄貴以上の探索者なんて、いるわけねぇだろーが」
「まぁ、俺にも切り札があるからな……あんな得体の知れねぇ野郎に負ける気はしねぇさ。ただしだ、利用できるものは物だろうが人だろうが、とことん利用するべきだと、俺は思うんだよな……グルッフッフッフッフッ」
長い舌を垂らして、ガフイは獰猛に笑った。
それでもまだデンボとベスペスは、自信家な兄貴分の言葉の意味が掴めず、ぽかんと間抜けに口を開けるだけだ。
「あぁ……もう、おめぇらときたら……いいか? あのジュウシロウって野郎は、まぁ俺には及ばないとしても、相当な腕の探索者だ。奴をこっちの陣営に引き込んでやりさえすればよ……」
そこまで口にしたところで、ようやく愚鈍な彼らも、ガフイの言わんとしていることを察したようだった。
デンボの丸っこい瞳と、ベスペスの糸のように細い瞳に、賢しい光が宿る。
「塔迷宮を攻略して『一なる財宝』を手にするのも、夢じゃねぇってことですかい!?」
「計り妙場のカグランの鼻の穴を、空かしてやれるってことですね!?」
「おうよ。だからわざわざ口利きしてやったのよ」
満足そうにガフイは頷いた。
「ティロスのお頭が死んでから、もう三年だ。カグランの野郎とは、もうそろそろ決着をつけてもいい時期だとは思わねぇか? で、全ての事が片付いたら……」
ガフイの金色の瞳が、禍々しさに歪む。
「ジュウシロウは殺す!」
「殺す!?」
「こ、殺してどうするんですかい!?」
「もちろん、あの刀を奪うのよ!」
勢い込んで宣誓しながら脳裡に思い描くは、ジュウシロウの傍らにあった、あの赤い鞘に収まった刀である。
これまで多くの財宝や得物を奪ってきたガフイだからこそ直感した。
あれは普通の刀ではない。
これといった確証は無いが、鞘の内部でうごめく、凄まじい威圧感を察知したのは確かだ。
ほんの一瞬のことだったが、あの感覚は今でもはっきりと思い出せる。
余人には明かせぬ、特別な機密を抱えた逸品ではないのか。
だとしたら欲しい。どんな手を使っても。
根っからの兇賊性分が、次第に鎌首をもたげてくる。
「とにかくこうしちゃいられねぇ。さっそくギルギスの兄貴に報告――【泰流】!」
意気揚々としたガフイの声は、咄嗟に聖術の詠唱へと変貌した。
路地へ向かって突き出した左腕を中心に空間が歪み、瞬く間に大気が流動。
ガフイの灰毛が渦巻く風に撫でられた刹那、路地の向こうから奔る銀閃。
目視にして総数十六本の短刀が、夜風を切り裂いて飛来。
ひとたまりもない凶刃の嵐である。
しかし、ガフイは無傷であった。
彼の手元で流動し続ける空気の渦が、襲い来る短刀をひとつ残らず弾き、逸らし、受け流し、次々に地面へ叩き落としていったからだ。
「うぉう!?」
「ひぎぃ!?」
強襲に慌てるデンボとベスペス。
聖術の心得を持たぬ二人は、慌ててガフイの背後に回ることしかできない。
そうこうしているうちに、仕手不明の乱撃は、あっさりと止んだ。
「むぅ……」
二撃目がないと見て、ガフイはゆっくりと腕を下ろし、術を解いた。
しかし、警戒を解いたわけではない。
「誰だ!? カグランの手の者か!?」
ガフイは、闇の蔓延る路地に向かって大声で威嚇しつつ、耳を限界まで緊張させた。
自慢の聴覚を周囲に張り巡らせるが、足音一つとして聞こえはしなかった。
「ふん、逃げ足の速ぇ野郎だ」
足下に転がった十六本の短刀。そのうちの一本を、それとなく拾い上げる。
なんてことはない、商会が取り扱う既製品のそれに見えた。
だがガフイが手にした途端、短刀はまるで砂のように、さらさらと彼の手の中で形を崩していった。後には、細い針金だけが残った。散らばった他の短刀も、同じ有様だった。
「【象氣破斬術】……火と風の複合聖術だと……?」
釈然としない表情で、ガフイは、しばらく闇の向こうを睨みつけていた。
中途半端なところで終わってしまって、マジですいません。
この短編は連載予定の作品のプロローグ部分のみを収録したものになります。連載時期は来年(2021年)を予定しております。
色々と物足りないところがあると思いますが、この短編を読んで少しでも「おもしろそう」と感じましたら、色々とコメントくださると、飛び上がるくらい喜びます。
よーするに、反響が知りたいのです。ダメなところがあったら、それも教えてくださると助かります。