第57.5話
2LDKの賃貸アパートの、さほど広くもないリビング。
ベランダへ続く掃き出し窓には水色のカーテン、その手前にはローテーブルをはさんで、テレビと2人掛けのソファが向かい合っている。
「そろそろメシ作るから、そのへん片付けろよー」
「んー」
ルームウェア姿でソファに座ってスマートフォンを眺める妹に呼びかけても、返ってくるのは生返事だ。
彼は「聞ーてんのかー?」と言いながら妹に歩み寄った。
ローテーブルの上には、先ほどまで妹がプレイしていたであろうゲームソフトのケースが置いてある。
「また『エバラバ』やってたの? 好きだねー」
「んー」
手に取ったゲームソフトのパッケージには、蜂蜜色の金髪の少女を取りまく4人の男性のイラストと、『evergreen lovers』というゲームのタイトルが印刷されている。
「なんて名前だっけ、このチャラ男。かわいい妹が、ゲームのやりすぎでこーいう男に引っかからないか、お兄ちゃんは心配だよ」
「私、ギルバートは別に好みじゃないし。キャラとしては好きだけど」
スマートフォンに目を向けたまま答える妹に「へー」と軽く返し、ケースをテーブルの上に戻す。
彼は知らない。
自分が来世で「こーいう男」に生まれ変わるということを。
「お前は『クラウス様』一筋だもんな。でもさー、ギルバートルート? やってないんだろ? そー言う奴に限って、クリアした途端コロッと好みが変わったりするんだよな」
「……ふっ」
「えぇー……どうして鼻で笑うのぉ……?」
彼は知らない。
妹がすでに全キャラクターの全ルートをクリアした後、クラウスルートをひたすら周回する廃プレイをしていることを。
ローテーブルの上、ゲームソフトのケースのかたわらに、見慣れない本があった。
書店のブックカバーがかけられた、厚みのある本だ。
「なんだこれ。こんな本持ってたっけ。買ったの?」
「あー! ダメダメ!」
少しかがんで手を伸ばした彼が触れるよりも早く、スマートフォンをソファに放り投げた妹が勢いよく飛びつき、奪い取るようにして本を確保した。
「なんだよー」
「お兄ぃは本の扱い雑なんだから! 読みかけの本、開いたまま伏せて置いたりするでしょ!」
「だったらしまっとけばいいじゃねえか……」
彼は知らない――ブックカバーで隠れた本の表紙には、ゲームのパッケージと同じイラストが描かれている――その本が、『evergreen lovers 公式ガイドブック』であることを。
妹はそのままゲームのケースも手に取って立ち上がる。
彼は頭をかきながら、本とゲームソフトを片付けるために自分の部屋へ向かう妹の背中に声をかけた。
「お前さあ、推薦の話、断ったんだって?」
「……なんでお兄ぃが知ってるの」
妹の足が止まる。
「担任の先生から電話がきてたんだよ。お前の成績で大学に進学しないのはもったいないって。心配してくれてたぞ。いー先生じゃん」
「就職するって、前にも言ったでしょ」
妹は振り向きもせずにそっけなく言うと、また自分の部屋へと歩きだした。
さっさと行ってしまう妹に届くように、彼は声のトーンを少し上げる。
「大学に行きたかったから、あんだけ勉強してたんだろ? ウチは親はいないけど俺だって働いてんだし、金のことなら大丈夫だって」
彼は知らない。
「聞ーてんのか?」
自分が近い将来、妹をたったひとり残して、事故でこの世を去ることを。
「なあ、エリ」
そこで夢から覚めた。
ビクッと体を震わせて、右手からずり落ちた顔を上げる。
寝ぼけた頭が働き始めるにつれ、彼は、ここがイドニア王国立魔術学院であり、生徒会執務室の長椅子でうたた寝をしていた自分が、夢の中でみずから「チャラ男」と称したギルバート・フォン・ミュラー本人であることを、思い出すように理解していった。
自分の膝に頬杖をついた姿勢から上体を上げ、あくびまじりに伸びをしたところで、ウィルフリードと目が合った。
低卓子をはさんで向かいの長椅子に腰かける彼は、読みかけの魔導書を手に持ったまま、怪訝そうに、または興味深げに、榛色の瞳をギルバートに向けている。
「……ウィル君。もしかして俺、なんか言ってた?」
魔導書を閉じながら、ウィルフリードは微笑んだ。
やわらかい微笑み。しかしどこか、からかいの色が含まれている。
「大丈夫です。寝言でまでエリザベータ嬢を愛称で呼んでいたことは、殿下には秘密にしておきますから。いやぁ、この部屋にいるのが私だけでよかったですね」
「ちっ違う! 『エリィ』じゃなくて妹の名前……あ、いや」
「妹? ミュラー伯爵家にはたしか、貴方の下にご令嬢が3人いらっしゃいましたね。……でも、そんな名前でしたっけ?」
「あー……ごめん、忘れてくれ」
首をかしげてギルバートの"現世での"妹たちの名前を思い出そうとしていたウィルフリードだったが、突き詰めるつもりはないらしい。
安堵の気持ちで長椅子に座り直し、もはや手の届かない過去に思いを馳せる――余裕も与えられず、けたたましい音を立てて執務室のドアが開いた。
「今日もはりきってまいりますわよ、おーっほっほっほ!」
鮮烈なまでの紅色の髪をなびかせ、エリザベータが意気揚々と姿を現す。
そのうしろからは、「頑張りましょー!」とアリスがひょっこりと顔を出した。
「ちょっと、あなたがた! 怠けていないで手を動かしなさい! 公務で来られないクラウス様のご負担を減らすため、今日ですべてを終わらせますのよ!」
エリザベータが吊り上がった目をいっそう吊り上げ、のんびりムードの男性ふたりに檄を飛ばす。燃えるような紅い瞳。ちょっとあつくるしい。
イドニア王国魔術学院の生徒会は、学院の体制改善のため、忙しい毎日を過ごしていた。
王宮内に新しく官職を設け、現状生徒会が担っている管理業務の大部分をそちらへ移す作業があるので、例年よりも仕事が多いのだ。
あくまで生徒会の「手伝い」だったはずの彼女だが、なぜかその場を仕切っていた。
「『今日で』は無理だろ、ふつーに」
ギルバートの突っ込みはスルーして、エリザベータはツカツカと文書が収納されている戸棚の前まで行くと、中から必要な書類を抜き出した。
トコトコと後を付いていったアリスがそれを受け取り、文面にさっと目を走らせると、ギルバートの前に「どうぞ!」と置く。
与えられた書類は昨日途中で切り上げた試算書の続きのもののようだった。一応ギルバートの話は聞いていたのか、量は常識の範囲内だ。
同じように、エリザベータが選びだした書類をアリスが受け取り、今度はウィルフリードに配る。
「すごいなぁ。おふたりとも、息ぴったりだ。クラウス殿下が妬きそうです」
ウィルフリードの言葉に「えー? えへへ」とはにかんで笑うアリスとは対照的に、「そうね……」とつぶやいたエリザベータの表情がわずかに陰った。
(多分、また勘違いしてんだろーな)
渡された書類に目を落としつつ、ギルバートはそんなことを考えていた。
エリザベータに付き従って部屋の入口の前で控えていたカロリーナから、「お嬢様、扉は静かに開けてくださいね」と追い打ちのように苦言を呈され、エリザベータは重ねてしょんぼりしていた。
結果、テンションが均されたエリザベータは、「ちょうどいいくらいに落ち着きましたね。仕事がしやすくて助かります」と嫌味を言うウィルフリードに「あなたの自慢の黒髪、わたくしの魔術でチリチリにしてさしあげてよ」と応戦しながらも、比較的おとなしくギルバートの隣に座り、持ってきた書類を広げたのであった。
はす向かい、ウィルフリードの隣に座ったアリスも、ふと目が合ったギルバートに小さくにこりと笑ってから、自分の仕事に取り掛かかり始めた。
ギルバートも笑顔を返すと万年筆を手に取り、書類に目を落とす。
(かわいーね。さすがはヒロイン)
絹糸を思わせるなめらかな蜂蜜色の金髪に、美しいエメラルドグリーンの瞳。
柔和でどこか儚げな雰囲気を持つアリスには、「可憐」という言葉がよく似合う。
ゲームの『ギルバート』が惹かれた気持ちもわかるのだが、はじめは警戒心をもって接していた現実のギルバートは、彼女を異性として意識したことがない。
彼は本来、色気あふれる大人のお姉さんタイプが好みなのである。
それをふまえると、はでやかであでやか、エリザベータがまさしくそれに該当するのだが、なぜだか彼女に不埒な気持ちを向ける気にはなれなかった。
もちろん「彼女に絡むと王太子が怖い」というのも理由のひとつではあるが、それでへこたれる彼ではない。
彼の掲げる女の子へのあくなき情熱、探究心は、いかな逆境のなかでも、決してついえることはないのである。
でもやっぱり命は惜しいので、王太子には逆らわない。
心当たりはあった。
(似てるんだよなー、エリに……)
なんとなく放っておけなかった。
自分と同じ境遇の人間と、話がしてみたかった。
彼女に近付いた理由は、どれも他愛のないものだ。
見た目も性格も違うのに、彼女に協力しているうち、ふとした仕草、表情に、見出していたのは誰だったか。
(前世ではなにもしてやれなかったぶん、今世では――なんて、俺の勝手な自己満足なんだけどね)
自分本位な投影を、伝えるつもりなど毛頭ない。
彼はただ、見守るだけだ。
58話→
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