第57.1話
57話→
https://ncode.syosetu.com/n7010ge/57/
7年前、王都を襲った大火で家と両親を失って以来、アリス・アイメルトは教会の空き部屋の一室を借りて生活していた。
大火で焼け落ちた元の堂舎を煉瓦造りで建て直した、小さな教会だ。
起床後、自分の部屋と講堂内の掃除を済ませると、別棟に住む司祭夫婦と朝の食卓を囲み、再び教会に戻って、精霊に祈りを捧げる。
これがアリスの朝の日課だった。
祭壇の前に跪き、祈りを終えたアリスはゆっくりと瞼を開く。
見上げれば祭壇の向こう、高窓からは、ステンドグラスを通した朝日が色とりどりに降り注いでくる。
ステンドグラスに描かれているのは法衣をまとった美しい女性の姿。
右手を掲げ天を仰ぐその女性は、初代の精霊王であるとも、また、精霊そのものの姿であるとも伝えられている。諸説はありつつも、この国ではそこかしこの教会で"聖母"と呼ばれ親しまれているモチーフだ。
アリスが自分に魔術の才能があると知ったのも、この教会、この祭壇の前だった。
"聖母"の見守るもと、司祭はアリスに言った。
「通常であれば魔術の適性はひとりにひとつ。人より多くの加護を受ける貴女は"愛し子"と呼ばれる選ばれた存在なのです。5つもの魔術に対して適性があること、これほどの魔力が16歳と遅くに発現したこと、どちらも異例のことですが、幼くしてご両親を亡くし苦難も多くあったなか、嘆かず、恨まず、道を外れず正しい心で生きてきた貴女に精霊が慈悲を与えたのかもしれません。感謝の気持ちを忘れず励むのですよ」
「はい、司祭さま」
司教の言葉にアリスは頷く。
(正しい心……)
ぼんやりと"聖母"を見上げながら、アリスはその時のことを思い返していた。
(がっかりされちゃうかもって思ったら、言えなかったな)
死者数こそ少なかったものの、大火は平民の居住地域を中心に、王都に甚大な被害を及ぼした。
灰燼に帰した町を前に誰もが復旧に追われる最中、孤児となったアリスに住む場所を与え、生活の面倒を見たのが、この司祭夫妻だった。
ともに齢は五十を越えていたが子はおらず、善良な人柄で、我が子のようにアリスに接した。
幼馴染のヨハンも共に学院へ行くことを強く望んだアリスのために学院へ掛け合ってくれたのもこのふたりだ。
アリスは心からふたりに感謝していたし、また尊敬もしていた。信心深い彼らに、不信心な自分の言動を見せたくはないと思っていた。
(司祭さま、ごめんなさい。私、本当は、ずっと嘆いてるし、恨んでる)
この国で"愛し子"は優遇される。
貴族でなければ就学困難な王国立魔術学院で学ぶこともできるし、望めば爵位すら手に入るという。
アリスが"愛し子"だと判明すると、司祭夫婦はとても喜んだ。
彼らはアリスを養子にしたわけではないので、"愛し子"の家族に与えられる援助を受けることはできない。
「アリスの将来に道が開けた」と純粋に喜んでくれていることが、アリスには嬉しかった。
ヨハンと共に入学することを望んだのは、彼が平民であったために「王宮の官職になりたい」という夢を諦め、実家の製菓店を継ぐと決めたことを知っていたからだ。
学院を出ることができれば、たとえ平民であってもその夢は現実になりうる。
(みんなが喜んでくれるのは、嬉しい。でも私は、私自身は……)
イドニア王国は精霊信仰の国だ。
すべてのものに精霊が宿り、自然現象から人の運命に至るまで、すべて精霊が定めるものであると信じられている。
(すべては精霊のお導き、なのだとしたら、どうして……)
"聖母"を見上げるエメラルドの瞳に、仄暗い影が差す。
かつては両親や周囲の人々同様にアリスも抱いていた、精霊に対する敬慕の情。しかしそれは7年前の大火を境に、別のものに形を変えていた。
(どうして父さんや母さんは、死ななければならなかったの?)
アリスは、爵位が欲しいわけでも、王宮に勤めたいわけでもない。
ものごころつく前から当たり前にそこにあった、父と母と暮らすささやかな毎日。
彼女が望んでいたのはそれだけだった。
(もしもこの魔力が、司祭様の言うとおり"精霊の慈悲"だったとしたのなら……こんなもの、私はぜんぜん嬉しくない)
魔力を尊び、魔術の才能ある者に身分を与える。そうした歴史を繰り返してきたこの国の貴族の魔力は総じて高い。
しかし、それを凌駕する魔力が平民であるアリスに発現したことを面白く思わない貴族も多いらしい。
編入の際に王太子が直々に学院の案内を行ったことも相まって、周囲の生徒からーーとりわけ女生徒からーー向けられる、妬みと蔑みの入り混じった視線を、アリスは敏感に感じ取っていた。
アリスにしてみれば、アリスを哀れに思った精霊が与えたものは、望みもしない5種もの魔力と、憂鬱な学院生活、ただそれだけだったのだ。
恨みがましく睨め上げたところで、こちらの気持ちなどどこ吹く風、"聖母"は涼しい顔で天を仰ぐ。
(……なんて、こんなのただのやつ当たりだよね)
ふうっ、とひと息ついて立ち上がる。
今日もこれから学院へ行かなければならないのだ。
(あ、でも昨日は)
準備のために自分の部屋へと向かう足取りは重く、しかしその足がふと止まった。
(かばってくれたひとが、いたんだった)
授業を終えて帰り支度の途中、5人の女生徒に取り囲まれた。
うち4人は、アリスに対して見下した態度を隠そうともしない。
「婚約者のいる殿方にあまり馴れ馴れしくなさらないことね」
王太子に学院を案内されたことを指して言っているのだろうか。
王太子からは義務感のほかに特別な感情は何も感じなかったし、王族からの申し出を平民のアリスが断ることなどできるはずもない。
「本当にそんな大層な魔力を持っているのかどうか怪しいものですわ」
同級生とはいえ、相手は貴族の令嬢だ。
下手に反抗してしまえば後々大変なことになるかもしれない。司祭夫婦やヨハンにまで迷惑がかかる結果になるのではないかと、アリスは懸念していた。
亡くなった母親が娼婦であったという根も葉もない噂まで持ち出され、心に込み上げたのは屈辱か怒りか、悲しいのか悔しいのか、自分でもわからなくなりながらもーーきっとその全部だったーー言い返せないアリスに代わって、反論したのはもうひとりの令嬢だった。
アルヴァハイム侯爵令嬢エリザベータ 。
明らかに敵対的な4人の令嬢と共に現れたかと思えば、突如として彼女たちに反論し始める。
状況が飲み込めず混乱しているのはアリスだけではなく、4人の令嬢たちもまた、想定の範囲外からの反撃に驚き、かといって言い返すこともできず戸惑っている。
当然だ。エリザベータはこの中で、いや、現在この学院に通う令嬢たちの中で最も身分が高い。
彼女の不興を買ってはただで済まないという点において、アリスも4人の令嬢たちも、立場に変わりはないのだ。
結局、エリザベータに話の腰を折られ続けて心も折られた令嬢たちは逃げるように去り、エリザベータもまた、優雅に挨拶をすると迎えの侍女とともに帰っていった。
一体、何をしに来たのだろうか。
ただ単に、編入したばかりのアリスに挨拶に来ただけだったのかもしれない。
4人の令嬢たちに反論したのにも深い意味はなく、アリスを擁護する意図などなかったのかもしれない。
だとしてもーーその出来事が、学院へ向かうアリスの足取りを、ほんの少し軽くしたことだけは確かだった。




