第71話 心慌意乱の悪役令嬢
クラウス様暗殺の企みを暴かれたアロイジウスは捕らえられ、兵士達に連行されて行った。
緊急事態発生につきダンスパーティーは中止。関係のない貴族達は王宮からの退出を促され、大広間から聞こえていた楽団の演奏もいつの間にか止んでいたが、普段は人気のない旧聖堂裏は今も兵士達が慌ただしく動いている。
兵士達に指示を出すクラウス様を「キビキビしていて素敵」と眺めながら、わたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイムは、クラウス様の護衛騎士に付き添われつつ、我が家の使用人が迎えに来るのを待っていた。
「災難でしたね、エリザベータ嬢」
「あら、ウィルフリード様もいらしたの」
にこにこと、いつもの調子で胡散臭い笑顔を顔に湛えて現れたウィルフリードは、学院では制服の上に羽織っている王宮魔術士団の黒い外套の下に今日はきちんと魔術士の法衣を身に着けている。
涼しい顔をしているが、暑くはないのだろうか。
わたくしへの聞き取り調査は後日改めて行われるので今日はもう帰って良いとは聞いていたが、ウィルフリードは補足として、わたくしとフィーを襲った男の身柄は王宮が引き取る事、同じく王宮に引き渡されるテオバルトは、「隷属」の〈魔術〉の支配下にあり、加えて実際には行動を起こしていない為に刑罰の対象には抵らないが、「暗部」の仕事は退職を余儀なくされるであろう事などを手短に教えてくれた。
「アロイジウスには以前から王室へ―――特にクラウス殿下への背信の疑いがありました。彼が精霊祭、つまり今日ですね、王太子暗殺に動くと、ある筋から情報を得ていましたので、彼の動きは注視していたのです」
「そうだったのね……お陰で助かりましたわ」
「おや?今日はいつになく素直ですね。普段からそうしてくれていれば、無駄な手間が省けて助かるのですが」
はい、ムッカー。
今日も今日とて、嫌味な男ね!
この男、日常的に「耗弱」の〈魔術〉を使っているのではないのかしら?
「貴方がそうして挑発して来るから、無駄な言い争いが生まれるのではなくて?」
「いやぁ、貴女があまりに簡単に乗って来てくれるものだから、ついつい揶揄うのが楽しくなってしまうのですよねぇ」
「はぁ!?ちょっと、ウィル!」
「あ。懐かしいなぁ、その呼び方。最近では呼んでくれなくなりましたね」
「はぁあー!?元はと言えば、『もう我々も成年です。不要な誤解を招かぬ様、愛称で呼ぶのは控えて頂けますか。私もこれからはエリザベータ嬢と呼びますので(キリッ』とか言い出したのは、貴方の方でしょう!?」
「あぁ、それは殿下が」
「ウィル」
護衛騎士ふたりがオロオロする前で普段の通りに喧嘩に発展しそうになったわたくしとウィルフリードの言い合いを遮ったのは、クラウス様の声だった。
クラウス様の精霊祭の衣装。
外套の下は、外套と同じく金糸の刺繍を施した白地の礼服。
華美すぎず装飾の少ないシンプルなデザインが、クラウス様の凛々しさを引き立てていて、何度見ても…その…お似合いになっていると思います……素敵です」
「それは先刻も聞いた」
「なっ何故わたくしの心を!?」
「声に出ていたが」
「またやってしまった!!」
恥ずかしさのあまり頭を抱えるわたくしを見て、クラウス様はふっと微笑んで、持っていた扇をわたくしに手渡した。
あっこれ先刻落としたやつ。
「兵士が拾っていた。リーゼの物だろう」
「あ、ありがとうございます……」
受け取った派手扇を早速広げ、恥で火照った顔を隠す。
後ろで護衛騎士達が「おい、見たか?殿下が…」「笑った……?」と動揺しているが、ウィルフリードはあまり気にしていない様子だった。
「それよりも殿下、先程の様な単独行動は今後は控えて下さいよ」
「たっ単独行動!?」
ギョッとしてウィルフリードの方を見ると、ウィルフリードは「そうですよ」と話を続けた。
「アロイジウスがエリザベータ嬢に接触したと"影"から報告を受けた途端に一人で居なくなって……私のほうでも使い魔を付けてアロイジウスの居場所は把握していたから良かったものの、もっと御自分の立場を自覚して下さい」
「つっ使い魔!?」
「……エリザベータ嬢、少し煩いんですけど」
だだ…だって、ウィルフリードの使い魔といったら"アレ"よね、わたくしの大嫌いな……
その時、叢からカサリと音がして、白く細長いものがスルスルと回廊の石畳に上がって来る。
「―――ッ……!!!」
そのままウィルフリードの体を登り、外套の衣嚢に滑り込むソレを―――わたくしの大嫌いな蛇を見て、悲鳴を上げ―――そうになった所を、クラウス様にガッシと口を塞がれた。
「騒ぐな。自分の弱みを喧伝する事になる」
「それはそうですけど!」
「……ウィル」
クラウス様はわたくしの口を塞いだまま、ウィルフリードに視線を向けた。
「衣嚢に入れておいても駄目そうですか?見慣れると可愛いものなのですが……仕方無いですねぇ。私は証拠品の押収と検証に向かいます。あ、殿下には未だ言いたい事もあるんですからね」
「分かっている。後で聞く」
ウィルフリードが去って暫く、わたくしが少し落ち着いた頃、わたくしの口を塞いでいた手を離して、クラウス様が口を開いた。
「宮中伯の謀反で暫く慌ただしくなるが、一月もあれば片が付く。これが落ち着いたら、リーゼに改めて話がある」
「わたくしに……クラウス様から話、ですか?」
「そうだ」
片が付く…落ち着いたら…
そうだ。
わたくしは思い出した。
全て終わったんだ。
わたくしが出来る事も、全て。
脳裏に「婚約解消」の文字が浮かび、サッと青褪めたわたくしを見て、クラウス様が「違う」と言った。
え、な、なに?「そうだ」?「違う」?どっち???
「リーゼにとっても悪い話ではない、筈だ、というよりも、そうであって欲しい、というか、いや、大丈夫だ……多分」
ク、ク、ク、クラウス様が………!
クラウス様がめちゃくちゃ歯切れ悪い!!!
そんな……そんな!アロイジウスに颯爽と裁きを下した先刻までの滑舌を一体何処へやってしまったのですか!?
あと「大丈夫」って何!どうしてご自分に言い聞かせる様に言うの!そんなの全然大丈夫じゃあなさそうなんですけれど!?どう考えたって「悪い話」じゃあないの!!
「兎も角だ。……逃げるなよ、リーゼ」
「わわわわたくし逃げも隠れもいたしませんわ」
逃亡の虞があると看做されたのだろうか。念を押す様に言うクラウス様に、わたくしは震え上がりながら答えた。
正直逃げない自信はない。
近くに居た兵士達が「…決闘……?」「…果たし合いだ……」とザワついている。
や、やめて。よしてよ。決闘の可能性までをも視野に入れなければならないというの?勝てる訳ないでしょう。
―――それから間もなく到着したアルヴァハイムの迎えは、カルラではなくカミラだった。
今回の騒動の顛末を聞いたカルラが「有事の際にお側に居ない護衛に存在価値などございません!!」と地べたに這いつくばって大泣きするのを―――わたくしはカルラが泣くのを初めて見た。「わたくしが思っている以上に大切に想われている」というアロイジウスの言葉は案外、的外れでもなかったのかもしれない―――家族総出で宥めるという仕事が残っている事を、この時のわたくしは未だ知らない。




