第69話 ささやかに咲く
〈闇〉の〈魔術〉「隷属」は、"主"側の術者と"従"側の術者、双方の合意に基付いて発現する。
―――但し、術者の片方が精神を消耗させ、意力が著しく低下している状態であれば、ひとりの術者の魔力のみで〈魔術〉を発現させてしまう事も出来る。
「本当に、良く勉強している。"銀の悪魔"の事と言い、エリザベータ嬢の情報源は一体何処なのだろうね?アルヴァハイム侯爵閣下も全て把握しているのか……君を「隷属」させてから、ゆっくり聞かせて貰うとしよう」
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたしますわ。でもわたくし、毎日早寝早起きで今日も元気溌溂ですの。そのわたくしの精神を、そこまで消耗させる事など出来まして?……貴方如きに」
扇で口元を隠したままわたくしが鼻で嗤って見せると、流石にムカついたのかザイフリートの片眉がピクリと動く。
「エリザベータ嬢。君は賢く美しいのに、傲慢さを隠さぬ所が玉に瑕だ。もっと素直で慎ましやかに立ち振る舞っておけば、今頃は王太子殿下の寵を得る事も出来ていたかもしれないね……現在の"愛し子"の様に。そうであれば、君を〈隷属〉させる事で、王太子妃は無理でも、あの王太子殿下に対する強力な駒となったのに」
「クラウス様を陥れる材料にされるなんてまっぴらごめんよ!それにわたくしは自分を取り繕うつもりなんてないし、今で充分素直で慎ましやかですわっ!」
こうして話している間にも、ざわざわと迫り上がる様に、動かせない範囲が膝上にまで拡がって行く。一体何なのよ、この〈魔術〉は!
「この状況は非常にまずい」と思いながらも、わたくしはザイフリートを睨み続ける。
「酷い跳ねっ返りに育ったものだ。そういう所が傲慢だと言っているのだが……くくっ」
「何が可笑しいの!」
「ふっ…エリザベータ嬢は分かり易いなと思ってね。王太子殿下の話を出すとすぐに心が乱れる。本当の所、結構気にしているんだね」
「何を言って………貴方わたくしに何の〈魔術〉をかけたの!?」
ザイフリートの発言が、わたくしの体を縛る〈魔術〉を指しているのだと気付く。
やっぱり違った、「影縫い」なんかじゃあなかった!
「私が君にかけたのは「耗弱」という〈魔術〉だ」
「何よそれ……聞いた事がないわ」
「世の中には教本には載らない〈魔術〉が沢山有る。「耗弱」は精神を摩耗させる〈闇〉の〈魔術〉だよ。魔力の高い者にかけるのは困難で、相手の心に隙が無いと術が完成しない、使い勝手が悪く知る者も少ない〈魔術〉さ」
〈闇〉は精神や魔力に影響を及ぼす〈魔術〉で、身体に影響を及ぼすのは〈光〉の〈魔術〉だ。
「嘘おっしゃい!〈闇〉の〈魔術〉で何故体が動かなくなるのよ!」
「体の硬直はあくまで副次的な効果だよ。術の進度の目安にもなる」
ザイフリートが『従者の石』を手に、わたくしへと歩を進める。
「精神を摩耗させる」……?
それって、強制的に『従者の石』を受け入れさせられてしまうという事じゃないの!
自分の精神がどれだけ消耗してるかだなんて、目に見えないので良く分からないけれど、先刻からやたらと苛々するし、妙な倦怠感はあるし、何だか頭も痛くなって来た。この不快な諸症状が、目の前のこの男の〈魔術〉で引き起こされているというの?益々腹が立つわ!!
「君は魔力は低いが、警戒心が強く私に心を許してくれていないので、なかなか術が進まなくて焦ったが……王太子殿下の話を出してからは、あっと言う間だったね。そんなに殿下が好きかい?」
「貴方に関係ないでしょう!それ以上近付かないで!!」
「クラウス王太子殿下という男は冷酷な男だよ。君の事も『形式上の婚約者』としてしか見ていない。それに最近では茶会の時間も碌々設けず、婚約者である君よりも"愛し子"と過ごす時間の方が多い程だ。自尊心の高い君が斯様な扱いを受けるのは、さぞ屈辱だろう。いっそ、憎んでしまった方が楽なのでは?」
ほぼ目の前まで迫ったザイフリートに向かって「来ないでよ!」と振り回した―――つもりのマイ派手扇が、かつん、と音を立てて石畳に落ちた。
さっと血の気が引く。
いつの間にか、左半身までもが動かなくなっている。
ザイフリートの表情に嘲笑が浮かび、『従者の石』を持つ手とは反対側の左手が、ガッとわたくしの首元を鷲掴みにした。
「ぐっ……!」
「憎くないのか?あの王太子が。私に〈隷属〉すれば君の復讐に手を貸してあげるよ?」
復讐?冗談じゃあないわ。
わたくしは絶対に、クラウス様がアリスと結ばれて、ハッピーをゲットする姿を見届けるのよ!
その為に、今日これまで、貴方の様な障害を排除して来たというのに………あと、少しなのに!!
わたくしは侯爵令嬢なもので華奢なもので、この細い首もザイフリートの骨太な掌中にすっぽりと収まってしまっている。もしも彼が本気で力を込めたら、簡単に骨が砕けてしまうだろう。
微かに動く右手を必死の思いで持ち上げ、わたくしの首を締め上げるザイフリートの左袖を力なく掴む。右半身の動きも怪しくなって来た。
「クラウス様に…手出しはさせない………!」
「君の懸想は健気を通り越して哀れにすら感じるよ」
多分その言葉は本心なのだろう、『従者の石』をわたくしに近付けながら、至近距離にあるザイフリートの瞳に哀れみの色が浮かび、しかしそれは直ぐに―――一瞬落とした視線が、もうほぼ動かせなくなったわたくしの右手の中の薄紫色の小石を―――『主君の石』を捉えて、驚愕に変わった。
力が緩み、ザイフリートの手がわたくしの首から離れる。
余程驚いたのだろう、「耗弱」が解け、体を縛り付けていた不快感が消えて行く。
未だ感覚のない足でよたよたと蹌踉めきながらザイフリートを見ると、彼は信じられないといった表情でわたくしの手にある魔石を見つめ、次に自分の左胸の衣嚢に目を落とす。胸衣嚢はその形に沿って、綺麗に焼け切れ捲れていた。
どうよ、このわたくしの、正確無比な〈火〉の〈魔術〉は!
胸元が焼かれているのに、熱すら感じなかったでしょう!!
手袋や装飾布以外を入れる目的で胸衣嚢を使う貴族はこの国では貴方以外には知らないけれど、貴方が昔から衣嚢に大切な物を忍ばせているのは知っている。
わたくしは不敵に嗤った。
「胸衣嚢に大切な物をしまっておく癖は相変わらずですのね、おじさま?」
―――『主君の石』と『従者の石』は、相反する性質をいくつか持つ。
『従者の石』を破壊するには膨大な魔力が必要だが、『主君の石』を破壊するのに必要な魔力は、ほんの僅か。
『従者の石』を破壊しても『主君の石』は破壊されないが、
『主君の石』を破壊すれば、『従者の石』も破壊される。
「やめ………!!」
ザイフリートが言い終わる前に、『主君の石』はわたくしの手の中で砂となって崩れて消えて―――同時に、彼の手の中の『従者の石』も崩れ去った。
暫し茫然とわたくしを見ていたザイフリートの顔が、みるみる怒りに歪む。
苦労して手に入れた魔石を壊されたのだもの。当たり前よね。
ずーっと余裕の表情でしたものね。でも、わたくしが見たかったのはその表情よ。おーっほっほっほ!!
「貴様………!!!」
ザイフリートは怒りのまま、わたくしに向かって拳を振り上げた。
「強化」の〈魔術〉が拳にかけられるのを視て、わたくしの喉まで出かかった高笑いが引っ込む。
真剣殴り!?
わたくしがそんなものをくらったら首が吹き飛ぶのでは!?
容赦なく振り下ろされるその拳は、ザイフリートとは違って戦場経験もない、戦わない侯爵令嬢のわたくしには受けるどころか避ける事すら出来ない。
―――時間にすると僅か一瞬の事だった。
頭の中に、過去の様々な光景がフラッシュバックする。
魔術学院の入学パーティー。
一緒にダンスを踊るクラウス様は格好良かった。
魔力の査定を受けたあの日。
クラウス様とは結婚出来ない事を悟って、わたくしは泣いた。
麗かな春の日差し。
王宮の庭園の隅にある、薺の花畑。
ヤバいヤバいヤバい。
これ、走馬灯ってやつじゃあないの。
しゃがみ込んで薺の花を摘むわたくし。
向かい側には黙々と薺の花と根とを選り分けるクラウス様。その表情は凛々しいながらも、まだあどけなさを残している。
―――わたくし、これからたくさん勉強するのです!
―――そうか
熱心に話すわたくしにクラウス様が淡々と返事をするのは、今とそう変わらない。
―――そうして、将来は立派なしゅくじょになって、
あぁ、懐かしいな。
―――クラウス様のお嫁さんになりますわ!
―――そうか
あの頃、未来はカラフルで、希望に満ちていた。
夢から醒めたのはいつだったろう。
自分に魔力がないと知った時か。
それとも、主人公の存在を目の当たりにした時?
花を摘み終えたわたくしが立ち上がると、同じ様にしてクラウス様も立ち上がった。
ドレスに付いた草を手で払い、にっこり笑って顔を上げると、今では見上げる高さになった藍色の瞳が真っ直ぐ前にある。
春風にそよぎ、陽の光に燦めく金の髪。
世界で一番綺麗な金糸雀色。
薺の小さな花束を手に、幼いクラウス様がふと微笑んだ。
―――そうだな
追加分69.1話→
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