第61話 狙われた悪役令嬢
今頃クラウス様は、聖水に魔力を込める為に精神統一でもしているのかしら。
『精霊の恵み』を作る為に魔力を使い果たしてしまう関係上、精霊祭の日、王太子であるクラウス様は公に姿を現さない。
なのでクラウス様の精霊祭の時の衣装はゲーム内でしか見た事がないのよね。
一度で良いので実物をこの目で拝んでみたいものだわ。ゲームよりも格好良いに決まっているもの。間違いない。
クラウス様が聖水に魔力を込め、"霊風花"が降るのはちょうど正午。
そしてテオバルトが現れるのも、恐らくその頃だ。
「そろそろね」
フィーにそう言い、持っていたグラスを給仕に返そうとしたその時。
「お嬢様」
背後からカルラの声がした。
び、吃驚した。
ある程度の距離を保って立っていたカルラが、いつの間にか真後ろにいる。
カルラと同じ様に離れて控えていた筈のカミラも、フィーの直ぐ近くにまで移動して来ていた。
「どうしたの、カルラ。そろそろ行こうと……」
「不審な男がいます。テオバルトではありませんが」
周りを見渡したくなる気持ちをこらえ、わたくしとフィーはカルラの声に耳を傾ける。
ていうかカルラ、テオバルトの事を「標的」と呼ぶのね?確かにこれからとっ捕まえようとしてはいるのですけれど。
「左斜め前方、薄茶色の礼服を着た砂色の髪の男です」
フィーとの会話を装いながら、さりげなくそちらに目をやると、グラス片手に談笑する貴族達の中、確かにカルラの言う通りの男が立っている。
注意して見ないと分からない程度ではあるが、身に付けている貴族の礼服が微妙に馴染んでいない。動きもどこかぎこちなく―――恐らくあの男は貴族ではない。
その男は誰かと話す様子もなく、人だかりを避ける風でいて、少しずつこちらとの距離を詰めている様に見えた。
「目的がこちらかどうかはまだ分かりかねますが、害意は確実にあります。恐らく素人でしょう、殺気を隠し切れていません」
殺気があるとかないとかはわたくしには分からないけれど、カルラがあると言うのならばあるのでしょう。ところで「素人」って、何の?
「排除しますか?」
「駄目よ。騒ぎになると不味いわ」
あと、気軽に「排除」とか言わないで、怖いから。
カルラの口ぶりから考えると排除……いえいえ、男の身柄を拘束する事は可能な様だが、今はそんな事をしている時間の余裕はないのだ。
正午までは、もう間もない。
男を騎士団に突き出して、状況を説明して―――標的がわたくしだったなら、保護されて身動きが取れなくなってしまう可能性だってあり得る。
もう、何でこんな時に!
もたもたしていたら、テオバルトがクラウス様の暗殺に動き出してしまうのよ。
余計な事をしている場合ではないのに!
どうしよう、どう対処すべき?
楽し気な貴族達のさざめきにすら焦燥感を掻き立てられ、考えが纏まらない。
わたくしが迷っている間に、男は互いの顔がはっきりと確認出来る距離にまで迫っていた―――目が合った。この場には不釣り合いな仄暗い瞳。
それと同時に、男は真っ直ぐこちらへと向かって歩き出す。
やはり狙いはわたくし、それともフィーか。
「申し訳ありませんが動かせて頂きます。あの男、武器を持っている」
「カルラ、待って―――」
カルラがわたくしの前に出るのと、懐に差し込んだ男の手に短剣が握られているのが見えたのと―――その声が響いたのは、ほぼ同時だった。
「エリザベータ様!!」
はっとして声の方を見ると、男の背後に立っている縦ロールとゼッフェルン子爵令息の姿が目に飛び込んで来た。
ふたりは青竹の様に真っ直ぐに並び立ち、ゼッフェルン子爵令息は右手を縦ロールの背に添え、縦ロールは左手をゼッフェルン子爵令息の腕に、握り合った反対側の手をこちらへ向けている。
「え?」
「え?」
まるでこれからダンスでも始めるかの様な縦ロール達の姿勢に、わたくしの口から疑問の呟きが漏れた。
え?な、なに?
ていうか謎の男も今「え?」って言っていなかった?
ふたりはそのままダンスのステップで2歩、3歩とこちらへと向かって前進する。
呆気に取られた男は、カミラがじわじわと近付いて来ている事に気付かない。無理もない。今はダンスの時間ではない。
「いくよ、ロージィ!」
「えぇ、フリッツ!」
掛け声と共に、ゼッフェルン子爵令息が掬い上げる様に縦ロールの体を抱きかかえ、縦ロールは地面とほぼ水平な角度で、ゼッフェルン子爵令息を軸に一回転する。
まるで重さを感じさせない動きではあるが「くるり」といった生易しい勢いではない。「ブォン!」と風切り音を上げながら二回転目に突入した。
風圧がわたくしの髪をふわりと揺らす。
それは、竜巻の如く。
遠心力が働きすぎて、縦ロールの縦ロールがすごいことになっている。
"夜会荒らし"―――彼女の異名が自ずと頭に浮かんだ。
縦ロールはますます勢力を強め、三回転目、その真っ直ぐに伸ばした足が男の右手を払った。
眼前で繰り広げられる光景になす術もなく立ち尽くしていた男の手が、懐から取り出そうとしていた短剣から離れる。
追う四回転目。縦ロールのかかとが男の顎にヒットした。
それはヒールが僅かにかすめた程度だったが、しかし的確に顎先を捉え、脳を揺らして男の意識を刈り取った。「見事…」カルラが唸る。
壊れた人形の様に膝から崩れ落ちた男の体を、近付いていたカミラが支えた。
そのままずっと回転し続けるかに思えた縦ロールだったが、するりと着地するとゼッフェルン子爵令息と手を取り合って、優雅に一礼する。
大広間の向こう端、遠く楽団が「もう演奏の時間だったろうか」と戸惑っているのが見えた。
よく分からないままに拍手する者、「何故踊ったのか」とザワつく者、周りの視線はこちらに集中するものの、誰も男の事には気付いていない。
カミラはカルラに目で合図してから、貴族達が縦ロールとゼッフェルン子爵令息に注目している隙に男を連行して行った。
〈光〉の〈魔術〉で腕力を強化し、歩いているかの如く男の体を巧みに操るその後ろ姿は、あたかも腹話術師とその人形の様だ。
目まぐるしい展開に「あわ、あわわ…」と狼狽えるフィーと、すっかりいつもの様子を取り戻してわたくしの後ろに下がるカルラ。
「エリザベータ様!ご無事でして!?」
縦ロールがわたくし達の元へと駆け寄って来た。
「え、ええ…少し驚いたけれど、貴女がたのおかげで、大丈夫よ。よくあの男に気付いたわね」
「あの男が短剣を持っているのをフリッツが見つけたので、それからずっと警戒して見張っていたのですわ。そしたらエリザベータ様の方へ向かって行ったので…」
「御無事で何よりです、エリザベータ嬢!」
ゼッフェルン子爵令息が爽やかに微笑むと、白い歯がキラーッと光る。
今日は非番の様だが、ゼッフェルン子爵令息は騎士団の所属だ。
騎士団というものは、剣で戦うものではなかったかしら。縦ロールは武器ではないのよ?
しかし、彼の様な有能な者がいるならば、この王国の騎士団も安泰かもしれない。
「ありがとう、本当に助かったわ。訳あって騒ぎを起こしたくはなかったの」
「まあ!お役に立てたのなら光栄ですわ!そういう事でしたら、あの男の事はアルヴァハイム侯爵家にお任せしますわね」
「後で改めてお礼をさせていただくわ。でも、今はもう行かないと」
「えっ?『行く』って、霊風花はもうすぐ……」
「こ、こ、こ、こんな所で何をしておるのだー!!」
切羽詰まった叫び声の方を見ると、縦ロールの父親のプライセル伯爵が血相を変えて、人波をかき分けこちらへと走って来る。
「素晴らしいアクロバティックリフトでしたわ」
プライセル伯爵が辿り着くのを待たず、わたくしはふたりにそう言い残してその場を後にしたのだった。




