第49話 ハッピーエンディング
古寂びた本の茶色く変色した頁を、傷つけない様に慎重にめくっていく。
「あったわ……」
その頁にあった概略図には、わたくしが前世に『エバラバ』で見たそのままの『主君の石』と『従者の石』が描かれていた。
そしてそれに刻まれている〈闇〉の〈魔術〉「隷属」の術式、その通釈も古語を交えた文章で詳細に記されている。
「『契約に因り従は主に隷し』……『番う主のオド』オド?魔力の事かしら、『主のオドを受けた従のオドが精神を強制的に』……命令する都度お互いの魔力が必要なのね」
図書館の個室の中、資料等も十分に広げられる大きさの卓子に向かい本に目を落とす。
カルラはわたくしの少し後ろに控え、ギルバートは休憩の為に用意された長椅子に座って紅茶などを飲んでいる。
「エリィちゃんって古語読めるんだ」
「古語は王妃教育で……って、学院の授業でも習ったでしょう」
「習ったけどさー、俺、それ半分も読めなかったぜ?」
「確かに授業で習う古語とは少し違うかもしれないわ。文法自体は現代とほぼ変わらないけれど、ところどころに古語の名残がある、多分変革期後半だった頃…200年程前のものではないのかしら」
「スゲー。そんな事まで分かるの?あ、その本、持って帰ってもいいよ。でも返さないといけないやつだから、なるべく早めに返してね」
「えっ!借りてもいいの?ありがとう!!………ところでギル、貴方この本、何処から借りて来たの?」
わたくしは一旦本を閉じてから、顔を上げてギルバートに目を向けた。
「……アンナちゃんから貸して貰ったんだよ?」
「アンナマリア嬢のクライネルト伯爵領は古くから続く魔石の産地よね。特に〈闇〉の魔石が豊富に採取される土地柄の様ですし、こういった文献が保存されていてもおかしくないかもしれないわ。でもこんな貴重なものを、振った男に貸したりするかしら」
「だから振られてねぇって」
寛いだ姿勢のままいつもの調子で返すギルバート。その赤褐色の瞳がほんの一瞬泳ぐのを、わたくしは見逃さなかった。
「これは重要文化財だわ。他の頁を見ても、禁術に触れているという理由だけではなく、歴史的にも学術的にも価値のある本だと分かる。そもそもアンナマリア嬢の一存で貸し出せる様なものとはとても思えないし、かと言ってクライネルト伯爵が何の理由もなく貴方に貸すとも考えられない」
「あ、えーと、それは……」
「クライネルト伯爵がこの本を外部の人間に貸し出すとしたら、そうね、王宮からの要請があった時くらいなのではないかしら。……ギル、貴方、冬季休暇中は生徒会の手伝いでクラウス様と一緒に居たと言っていたわよね」
「あーあはは…鋭いね、エリィちゃん……」
何故隠したがるのかは良く分からないが、誤魔化す様に笑っていたギルバートはわたくしの胡乱げな視線に観念した様に長椅子に座り直し、紅茶のカップをソーサーに置いた。
「そうだよ。正確に言うと王宮の要請っつーより、殿下が個人的にクライネルト伯爵家から借り受けたんだ」
「クラウス様が個人的に……」
「そう。エリィ、魔石の事調べてたろ?アンナちゃんから聞いてその本の存在は知ってたから、生徒会の手伝いの時にそれとなく借りたり出来ないのか聞いてみたんだよ。ほら、殿下とかウィル君とか、詳しそうだし?そしたら何でも王宮にもその本の写しは保管されてるらしいんだけどそっちの方は持ち出し禁止らしくて、原本はクライネルト伯爵個人の所有物だから、殿下が頼んだら貸してくれるんじゃないかってクライネルト伯爵領まで頼みに行ったんだ」
「クラウス様が?直接クライネルト伯爵領まで?まさかギル、貴方もそれに同行したの?」
「同行っつーか連れて行かれたっつーか………エリィちゃん、何で手巾出してんの?」
わたくしが懐から静かに手巾を取り出す様をギルバートが不思議そうに眺める中、わたくしはその手巾を噛み締め、叫んだ。
「キーッ!!いつの間にクラウス様とそんなに仲良くなっているのよ!わたくしだって、公務以外で『一緒にお出かけ』なんてした事ないのにーーッ!!」
「おっおい!手巾噛むなって!」
「ご安心を、ミュラー様。手巾はその用途の為に用意したものでございます」
「カルラちゃん!?俺それ聞いて、何を安心すればいーの!?」
突然の奇行に狼狽えながらも、ギルバートはティーポットを手にわたくしの前までやって来て、卓子にカップを置いて少し冷めてしまった紅茶を注いだ。
「まーまー。これでも飲んで落ち着いて?」
「うう…羨ましい……妬ましい……」
紅茶を飲んで少し落ち着いても尚恨みがましい目つきを向けるわたくしを見て、ギルバートが困った様に微笑う。
「本っ当殿下の事好きだよな」
「なっ…!によ、いきなり……」
「王太子殿下ルートのハッピーエンドを目指してるって言ってたけどさ。……今は状況的に無理だとして、もしも自分が王太子妃になれるとしたら、殿下とアリスちゃんの事、邪魔しようとか思ったりしないの?」
「現実味のない例え話は好きではないわ」
「いーから。だって『エバラバ』の知識があるエリィなら、王太子暗殺だけ阻止して、そっからバッドエンドまで持ってく事だって出来るだろ?」
前世で妹に何度も見せられたというギルバートは、『エバラバ』のクラウス様ルートに関しては知識がある。
『エバラバ』ではアリスが精霊祭でクラウス様の暗殺を阻止する事でクラウス様ルートが確定。その後は好感度と選択肢でエンディングが分岐するのだが、バッドエンドではふたりは結ばれないのだ。
そして実際に「自分が一番クラウス様を好きなのだから、自分が一番クラウス様を幸せに出来る」という謎の自信に満ち溢れていた幼い頃のわたくしがギルバートの言う様な考えを持った事は一度や二度ではない。
でも―――
「そんな事しないわ。……クラウス様にあんな表情、させたくないもの」
クラウス様ルートのバッドエンド、去り際アリスに「お前は精霊王、俺は王太子として、別々の道を歩もう」と伝えるクラウス様は、いつも通りの表情の様に見えて、藍の瞳に深い哀しみを湛えていた。
わたくしが現世でクラウス様のあんな表情を見たのは、幼い頃に前王妃が崩御された時の唯一度きり。
わたくしは紅茶のカップを置き、立ち上がってギルバートと向き合った。
「それに、貴方だって知っているでしょう。クラウス様ルートのハッピーエンド」
ハッピーエンドはノーマルエンドと内容はほぼ同じだが、スチルに多少の差異がある他に、エンドロールの前にふたりのその後が文章で表示され、それは最後に『ふたりは末長く幸せに暮らしました』で結ばれる。
「運命に確約された未来がある様なものよ。それを知らせず、隠したままで………どんな顔をして、クラウス様の隣に立ったらいいのよ」
知らず握りしめていた手が震えている。
俯くわたくしの頭上に、ギルバートのばつの悪そうな声が降って来た。
「悪い……ごめん、エリィ。泣くなって」
「泣いてなんていませんけれど!?」
「泣いてるでしょ……」
「はぁー!?何を根拠にその様な事を仰るのかしらね!?この男の目は節穴かしら!?」
「じゃーその扇どかして顔見せてみろよ!顔全部覆って、前全然見えてねーだろ!」
「はぁーー!?見えてますけれど!?シースルー素材で視界も良好ですから、どかす必要なんてないのですけれど!?」
「それのどこがシースルーだ!ゴテゴテ装飾付けやがって!」
「はぁーーー!!?ゴテゴテですってぇ!?」
いつの間にかわーわーと言い合いになってしまったわたくしとギルバート。
カルラはその様子を溜息を吐きつつ見守っていた。




