第39話 奉奠の夜③
朝、王宮を出発して一日かけて王都を廻る祭礼行列。
祭礼行列は年が明ける頃に大聖堂へと至り、そこで祭儀を執り行ない、奉奠祭の締めくくりとなる。
「まだ、祭礼行列は終わっていないのですよね?」
「ああ。近くを通ったから、途中で抜けて来た」
「ぬけてっ!?」
わたくしの疑問にクラウス様はこともなげに答えた。
こともなげに答えましたけれども、国を挙げた祭事中にそんな「ここ友達ん家の近くだからちょっと寄ってくンだわ」みたいなノリが許されるの?変な声が出ちゃったわよ。
「だ…大丈夫なのですか?」
「神輿の中は誰も覗かないからな。万が一気付かれた時の事はウィルに頼んである」
この口ぶり、完全に、コッソリ抜けて来ている。
「万が一気付かれた時」って、祭礼行列の最中に王太子殿下が姿を消したら間違いなく大事になるわよね!?
ウィル―――ウィルフリードに頼んだからといって、何とか出来る域を超えている気がする。
王太子殿下がいなくなったとなれば、誘拐とか暗殺とかを疑われて……ヒッ!暗殺ですって!?
……ちょっと、これ今、クラウス様、お一人で来てるっぽくない?
クラウス様を暗殺させない為に日々弛まぬ努力をしているわたくしとしては、この様な危険行動は差し控えていただきたいわ。切実に。
わたくしがウィルフリードの立場だったなら、クラウス様が戻るまでずっと胃がきりきりまいに違いない。わたくしはウィルフリードに同情した。
多分、生まれて初めてじゃあないかしら。あの男に同情するのは。
そして、神輿。
その神輿の中にはクラウス様の他に、国王陛下も乗っている訳で。
「ちょい抜けるンだわ」とか、国王陛下がお許しになる筈がないわ。
「あの、国王陛下は……」
「陛下には『少し出かけて来る』と言って来た」
お許しになっちゃったのね!?
「少し出かけて来る」って言って、出かけて来れちゃったのね!?
いいの?陛下!それでいいの!?ノリが軽すぎじゃあございませんこと?陛下!!
奉奠祭は精霊祭に次ぐ規模の祭祀じゃあありませんでしたっけ!?
「どうしてそこまでして……ここに?」
「別に」
「べつにっ!?」
そうまでしてここへ来たという事は、きっと何か重大な……"秘密のミッション"的なものを授けられるのでは、とちょっとワクワクしていたわたくしは、またしても素っ頓狂な声を上げてしまった。
「別に」って!「何となく来てみた!暇だったから」みたいな!なんなの、親子揃ってノリが軽いの!?
クラウス様。これまでずっと、真面目で規律を破る事は絶対にしない人だと思っていたけれど、認識を改めなければいけないかもしれない。案外おちゃめな所もあって可愛………じゃなくて。
うっかり逸れそうになった思考を軌道修正してクラウス様を見直すと、クラウス様はほんの少しきまりが悪そうに目を伏せた。
クラウス様にしては珍しい反応だ。
前髪がかかって瞳の藍色を隠す。
雪に濡れて艶めく金糸雀色に目を奪われている内に、クラウス様が視線をこちらに戻した。
不意に現れた深い藍色に、鼓動が跳ねる。
クラウス様は、真っ直ぐにわたくしを見つめたまま言った。
「別に………少し、顔が見たくなっただけだ」
「えっ……」
顔が、かお、………えっ顔が!?
顔が?見たく!?
顔ってわたくしの?
そうよね、わたくしに向かって言いましたものね、カルラやエマのではないわよね。
つまりこうかしら!?
わたくしがクラウス様に会いたくて会いたくて震えていた様に、クラウス様もわたくしに会いたくて、その為だけにここまで来てくれたと!
もしも震えていたとしたら、それは寒さの所為かもしれませんけれども。
あわわ、本当に?そん……そんな上手い話が?あっていいの?
「あ…ハイ…かお……あの、どうも……」
意外な言葉に混乱してしどろもどろになってしまったわたくしはまともに答える事すらままならず、真っ直ぐすぎるクラウス様の視線を受け止めきれなくて瞳を忙しなく動かしてしまう。
今多分、目の動きがスッゴイ事になっていると思うし、みるみる熱を持ってくる顔を見られるのがいたたまれない。
耐えきれず顔を背けようとしたわたくしの頬に、クラウス様の右手が触れた。
「ふぁっ!?」
また変な声がでた。
輪郭をなぞる様に滑る筋張った手は大きくて、そのままわたくしの頬をすっぽりと包んでしまう。
それは決して強引ではないのだけれど、おろおろと狼狽える視線が外に逃げる事を許してくれない。
否が応でも視界に飛び込んで来る瞳の藍色があまりに深くて、まるで海の底に引きずり込まれる様に―――ちょっと言い方がアレね、吸い込まれる様に、わたくしは目を逸らす事が出来なくなってしまう。
外から来たばかりのクラウスの手は冷たくて、火照った頬に心地良い。
瞳の藍色がすごく優しくて、安心する。と同時にソワソワと落ち着かない気分になる。逃げたい。のに、ずっと見ていたい。どっちなのよ。自分でも分からないのよ。
熱に浮かされた様にふわふわした頭で考えが纏まる訳もなく、ただ茫然とクラウス様に見惚れる事しか出来ない。
そんなわたくしを見つめていたクラウス様が、ふと微笑んだ。
「……今日、俺がここに来た事は内密に。廊下の者達にもそう伝えておいてくれ」
「はい!いま笑っ…スクショを………え?廊下?」
言葉の意味を飲み込むまでにやや時間がかかったが、バッと勢いよく後ろを振り返ると、いつの間にか半開きになった自室の扉から部屋を覗く使用人達の影がいくつか、ササッと隠れた。
多分気付いていたであろうカルラは素知らぬ顔で明後日の方向を向いている。
み、見ていたわね!!
「では、また」
顔を真っ赤にしてワナワナと震えるわたくしが、その声に我に返って振り向くと、クラウス様は既にバルコニーの窓を開いていた。
あ、お帰りもそちらからなのですね。ここ2階ですけれど。
外へ出たクラウス様がバルコニーの手すりに手をかけ、ひょいと飛び越える。
ここ2階ですけれど!?
「クラウス様!?」
慌ててバルコニーに駆け出し手すりに手をかけ下を見ると、なんなく着地して去って行くクラウス様の後ろ姿が見えた。
クラウス様、忍者みたい!
「あっあの!お気をつけて!」
声をかけると、それに答える様にクラウス様が片手を上げた。
雪はいつの間にか止んでいる。
やがてその姿が見えなくなっても、わたくしは名残惜しい気持ちでその場に立ち尽くしていた。
「何しに来たんでしょうね」
「そうね……」
カルラから声がかけられても、わたくしはクラウス様が去って行った方をぼんやりと見つめたまま答える。
「少し普段に比べて雰囲気が柔らかくていらっしゃいましたね。もしかして、誰かが化けていたのでは」
「そうね……」
まだふわふわと夢見心地で、心地というか、本当に夢だったのではないだろうか。
「だとしたら、誰だったのかしら………悪役令嬢を頑張っているわたくしへ、神様からのプレゼント……?」
「……お嬢様、あの、すみません。冗談です。先程の方は間違い無く王太子殿下であらせられましたよ」
「それとも、サンタさんからのクリスマスプレゼントかしら…?うふふ、素敵なプレゼントね………」
「お嬢様!お気を確かに!誰ですかサンタサンとは!?………クッ!いけない!正気を失っている!!エマ!いつまでも衣装棚に入っていないで、急ぎお嬢様に気付け薬を!」
ぼんやりした頭のまま、そういえばエマはクラウス様が来た時に混乱のあまり「あ、後は若いおふたりで……」とか言いながらショールや膝掛けなどが入った衣装棚の中に入って行った気がするわ、と思い出す。
あの時はわたくしもいっぱいいっぱいだったしクラウス様もスルーしていたからわたくしもスルーしてしまっていたな、なんて事を考えながら、わたくしはバルコニーからクラウス様が去った方角を、その先の祭礼行列の灯りを、いつまでもいつまでも見つめていた。




