第24話 プライセル伯爵令嬢の度重なる受難
「わたくし共に頼っていただけて嬉しいですわ」
「いえ、こちらこそ。パウリーネ様は〈魔術〉に秀でていらっしゃいますし………わたくしも誰かに聞いて欲しかったんですの」
縦ロールことロジーネ・フォン・プライセルに向かい合って座るのは、薄桃色の髪のおっとりした雰囲気の女性、ゲゼル子爵家令嬢パウリーネだ。
〈魔術〉の成績は優秀で、その魔力の高さから王太子妃候補として名前が挙がった事も一度や二度ではないとか。
彼女の両隣には友人の子爵令嬢ふたりがそれぞれ座っている。
対する縦ロールはひとりだ。いつもの取り巻き子爵令嬢達を連れていないのは、彼女達にも聞かれたくない話なのだろう。
放課後、教室には彼女達4人の他には誰も居ない。
雪混じりの雨が窓をパチパチと叩く音だけが聞こえた。外は寒そうだ。
「アリス・アイメルトが〈魔術〉の授業中に〈火〉の〈魔術〉で怪我をしたらしいですわね。犯人を見つける為に王宮まで動く騒ぎになっているとか。人騒がせな方ですわ」
ゲゼル子爵令嬢の言葉に友人令嬢が「まったくよねぇ」と相槌を打った。
ゲゼル子爵令嬢の口調はおっとりしたものだが、言葉の端々からはアリスに対する嫌悪感の様なものが滲み出ている。
以前の縦ロールであれば彼女達と一緒にアリスの悪口大会でも始めそうなものだが、どうやら今はそれどころではないらしい。
「あの時、〈魔術〉の実演授業でアドルフ伯爵に〈火〉の〈魔術〉を見せようとしたんです。でもわたくしの術式ではなくアイメルトさんの所で炎が上がって……」
縦ロールの声はいつもよりも低く、思い詰めた様子だった。
「無意識に〈魔術〉で他人を攻撃してしまう事ってあるのでしょうか」
まさか。
ある訳ないでしょう。
〈魔術〉というものは術式を紡いで初めて発現するのよ。
ゲゼル子爵令嬢もわたくしと同じ事を思ったのだろうか口元をピクリと歪ませたが、直ぐに今まで通り慈愛の微笑みを取り繕った。
彼女がほんの一瞬浮かべた表情は―――嘲笑。
バカね、縦ロール!
不勉強はナメられるのよ!
俯いたままの縦ロールはそれに気付く事なく続ける。
「わたくしずっと、アイメルトさんに嫉妬してました。彼女は平民なのに、編入してすぐにわたくしの〈魔術〉の成績なんて抜いてしまって……この前の実演の時だって、比べられてしまうのではないかって、彼女の方ばかり気にしてたんです。……こんなわたくしの心がアイメルトさんを攻撃したんじゃないでしょうか。だって、まるで魔力が吸い寄せられる様にアイメルトさんの方に………」
そう言って縋る様に顔を上げた縦ロールに、ゲゼル子爵令嬢は優しい声音で静かに答えた。
「………心と魔力は密接に関係しています。そういった事が起こっても不思議ではありませんわ」
そういった事が起こったら歴史に残る大発見になるわよ。
当然その事も理解しているであろうゲゼル子爵令嬢だが、
「ああ、でもなんて事!原因はロジーネ様だったのですね!」
その表情は哀れむ様に心苦し気で、誰が見ても心を痛めているのだと思うだろう。
「わたくし、一体どうしたら……」
「大丈夫です、ロジーネ様に悪気はなかったんですもの。話せば分かってもらえますわ」
ゲゼル子爵令嬢は、泣きそうな声の縦ロールを慰める様に優しく手を取った。
「生徒会の方々に打ち明けましょう。大丈夫、わたくし達も付き添って差し上げますわ」
「パウリーネ様………」
縦ロールの声は震えている。もしかしたら泣いているのかもしれない。
「ロジーネ様、これをお貸ししますわ」
まるで今思い付いたかの様にゲゼル子爵令嬢が鞄から何かを取り出した。
「インク……?」
「王宮での聴取の際は、ご自身でインクを用意なさらなければならないと聞いた事があります。きっとこのまま王宮で聴取を受ける事になるでしょうから。……使いかけで申し訳ないのですけれど」
少し遠慮気味に、だが気遣う様にインクを握らせるゲゼル子爵令嬢に、縦ロールは感じ入った様に
「パウリーネ様……何から何まで、ありがとうございま」
「ちょぉーっと待ったぁーー!!」
バターン!とけたたましい音と共に突如出現したわたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイムに、その場に居た誰もが驚き立ち上がった。
「エリザベータ様!?」
こちらに背を向けて座っていた縦ロールもギョッとして振り返る。
ゲゼル子爵令嬢がほんの今まで癒し系で統一していた表情を一変させ、わたくしを鋭く睨み付けた。
「エリザベータ様、盗み聞きなんてはしたないですわ!」
「あーら、盗み聞きだなんて人聞きの悪いこと。わたくし偶々用があってここに居ただけですわ」
「侯爵令嬢が、どんな用があれば偶々用具入れの中に居るのよ!」
わたくしが潜んでいたのは教室に置かれた用具入れの中だった。
カルラから縦ロールがゲゼル子爵令嬢達に相談をする様だと報告を受けたわたくしは彼女達の学級の教室に先回りしたのだが、隠れられそうな所がここしかなかったのだ。
「偶々と言ったら偶々なのよ!………ゲゼル子爵令嬢、貴女だって、偶々持っていたのでしょう?そのインク」
用具入れの中に居た事をあまり突っ込まれたくなくて言った部分もあったが、わたくしの言葉を聞いたゲゼル子爵令嬢の顔からサッと表情が消えた。
学院で使う〈魔術〉の教本には「魔力不感知」の他にも様々な〈魔術〉が施されており、上書きするのにも魔力の込もった特殊なインクが要る。
ゲゼル子爵令嬢が縦ロールに渡したインクがそれだ。
「エリザベータ様……?」
まだ状況を飲み込めていない縦ロールは、手にしたインクとわたくしの顔を交互に見比べながら戸惑っている。
「縦ローール!貴女も貴女よ!」
「ひゃいっ!?」
わたくしの怒号に縦ロールの身体が跳ねた。
その弾みで縦ロールの手から飛び出した証拠品のインクを、わたくしが空中キャッチする。
「聴取にインク持参だなんて、そんな訳ないでしょう!何でもホイホイ信じるんじゃないの!」
「すっすみません!!」
勢い良く捲し立てると縦ロールが震え上がる。
わたくし達のやり取りを黙り込んで見ていたゲゼル子爵令嬢だったが、やがて不敵に笑顔を作り上げ口を開いた。
「………インクが、何だと言うんですか?アイメルトの教本は燃えてしまったんでしょう。インクがあったからって」
「アリスの教本でしたら、クラウス様の〈魔術〉で元通り復元されましたわ。あら、『アリスの』といった表現は間違いでしたかしら」
教本がなければそれに上書きしたインクも突き止められないだろうとゲゼル子爵令嬢は考えた様だが、教本は既に修復済みだ。
やっぱりクラウス様は凄い。
燃えカスの灰しかない状態から欠損ひとつなく元通り修復できるなんて普通に考えるとありえない事なのだが、深くは聞かなかった。多分その〈魔術〉は国家機密だ。
クラウス様マジ半端ないという事だけ理解していれば良い。
それでもインクを渡したのは、やはり縦ロールに罪を着せようと考えたのだろう。
「聴取」がどうとか言っていたが、王宮の所有物である教本を改竄した犯人が「私がやりました」と証拠品を携えてのこのこ現れたら、恐らくは話も聞かれず即牢獄行きだ。
「教本……?」
ぽかんとした顔の縦ロールの呟きに、かろうじて作り上げていたらしいゲゼル子爵令嬢の笑顔が消えた。
この子は余裕がなくなると表情もなくなるのだろうか。
ゆるふわ系の人間が突然無表情になると何だかコワい。
授業中にアリスが〈魔術〉で怪我を負った事は今や生徒達の間に知れ渡っているが、教本に上書きされた術式によって〈魔術〉が発現した事は公表されていない。
アリスと同じ演習場内に居た縦ロールすら知らない事なのに、ゲゼル子爵令嬢はうっかり口を滑らせてしまった様ね。
「浅はかですこと」
わたくしは、無表情のままのゲゼル子爵令嬢と、青ざめた顔の友人令嬢ふたりの顔を順に見ながら続けた。
「その様子では、王宮から配布された教本の全てに識別の〈魔術〉が施されている事もご存知ないようね。アリスの教本を復元したところ、アリスが持っていた教本は彼女の物ではありませんでした。……あれ程沢山の術式に上書きしたのですもの、アリスがいない隙にこっそりと書き加えるには時間がかかりすぎるからと教本ごとすり替えたのでしょうね。アリスが持っていた教本の元の持ち主はゲゼル子爵令嬢、貴女ですわ」
ウィルフリードの言っていた通り、教本に上書きされていた術式は〈火〉の〈魔術〉のものだけではなかった。
近くに居る人間―――アリスに矛先が向き、同時に教本も破損する様、術式を選んで上書きしていた様だ。
「直ここへ守衛が来ます。プライセル様に罪を着せようと思われた様ですが……残念でしたわね」
最早逃げ場はないと悟ったのかがっくりと項垂れたゲゼル子爵令嬢から縦ロールへと視線を移すと、彼女はまだ何が何だか分からないといった表情をしていた。無理もない。
感情任せに怒鳴り付けてしまって、普段からわたくしを恐れている彼女を更に怖がらせてしまい何だか申し訳ない気持ちになってきた。
「先程は怒ってしまってごめんなさい。でも……相談するならわたくしにして欲しかったですわ。わたくしこれでも貴女の事……その………お、お友達だと思っていますのよ」
言っている内にだんだんと恥ずかしくなってきて、縦ロールから視線を逸らしてしまう。
「エリザベータ様………!」
「何時もつい『縦ロール』だなんて変な呼び方をしてしまって……プライセル様―――ロジーネ様と、お呼びしてもよろしいかしら」
少し顔が熱いのを感じながらちらりと視線を戻すと、縦ロール……いや、ロジーネは、目を輝かせ感極まった顔をしていた。
「エリザベータ様、嬉しい……!いいえ、いいえ、わたくしの事は今まで通り『縦ロール』とお呼び下さい!」
「え?」
………正気?
今「縦ロールって呼んで」って言った?
いえ、元はと言えば呼んでいたのはわたくしですけれども。
でもわたくしだって「紅天パ」とか呼ばれるのは、例えクラウス様からだったとしても、嫌よ?
嬉しそうに照れ笑うロジーネの、揺れる縦ロールを愕然と見つめていると―――わたくしの視線の外から、地の底から湧き上がる様な声が低く響いた。
「何よ、あんたなんて……!」
「復元魔法は極秘事項なのでは?国家機密めっちゃ喋ってます」とのご指摘がありました。
国家機密は魔術の術式部分で、今話でのみなさんは「はぇー復元、一般公開されてないけどそんな魔術があるのね」くらいの認識ですので、セーフです。
分かりづらくて申し訳ありません。




