第20話 エリザベータという女④
〈魔術〉の教室の大きな窓からは、壁を挟んで向こう側の演習場の様子が見える。
今日の授業は〈魔術〉制御の実演。ひとりずつ教員の前で〈魔術〉を披露するというものだ。
演習場では〈魔術〉で水柱を作り出す生徒を見ながら、アドルフ伯爵が片手に持った帳面に何やら書き込んでいる。
そしてそこから距離を空けてもう一組。
「おーっほっほっほ!如何かしら、わたくしの〈魔術〉は!?」
ウィルフリード様を相手に、エリザベータ様が〈魔術〉の実演をしていた。
教室の窓は〈魔術〉は通さないけど声は通すので、エリザベータ様の高笑いは教室側にもよく聞こえてくる。不思議。
部屋を暖める魔石といい、貴族の学院には平民の生活には馴染みのないものが沢山ある。
ウィルフリード様は〈魔術〉の成績では常に首席。
今日の様に個別に考査する授業になるとアドルフ伯爵ひとりでは手が回らないので補佐として呼ばれたみたい。
「凄い!炎をあんな複雑な形に」
「動きも忠実で…本物みたいだ。あれを維持するのはかなりの集中力が必要だろうな」
教室側から見学している貴族令息達から称賛が上がる一方、貴族令嬢達からは悲鳴が上がる。
エリザベータ様が〈魔術〉で生み出した炎は、蜘蛛を形作っていた。
〈魔術〉とは、『精霊文字』と呼ばれる古代言語で術式を綴り、魔力を発現させる事。
術式は実際に目に見えるものではなく、魔力で感じとらなければ分からない。初めの頃は、その感覚を掴むまでに苦労した。
更に『精霊文字』は魔力の種類によって言語が違うので、5種類の〈魔術〉の適性がある私は、5種類の言語の術式を覚えないといけない。
例えば〈風〉の魔力で〈水〉の術式を組み上げても〈魔術〉は発現しないなんて失敗も、あった。
ハンナからは「贅沢な悩みね」なんて言われてしまったけど、正直いっぱいいっぱいだ。
今、エリザベータ様が使っている術式は「炎を生み出す」ものと「炎を操る」もの。
精巧に象られた人の大きさ程もある炎の蜘蛛は、まるで生きているかの様に、エリザベータ様の傍らで足をわしゃわしゃと蠢かせている。
ウィルフリード様は無言のまま、手にした帳面に筆を走らせてから〈闇〉の〈魔術〉で炎の蜘蛛をサッと消した。「あぁー!」と非難の声を上げるエリザベータ様に向かって「あまり巫山戯ていると"不可"を付けますよ」と冷たく言い放っている。
笑ってない…いつもニコニコしてるウィルフリード様が。「蜘蛛が苦手」って言ってたもんね……多分エリザベータ様的には先刻の仕返しなんだと思う。
でも凄い。
私は火が苦手だ…というか、怖い。
でも、エリザベータ様が作った蜘蛛は炎の揺らめきまでもが細やかに統率され、鮮やかで、綺麗だと思えた。私は蜘蛛、苦手じゃないし。
エリザベータ様は「自分に魔力がないと分かってからは制御の方を頑張った」って言ってた。
形の安定しない炎であそこまで精密に蜘蛛を再現するには凄い集中力と技術力が要る筈だ。
〈礼節〉の授業でも、自分を抑えきれないのか高笑いが減点されて首席は逃しているけど、常に上位にいる。
きっと沢山努力したんだと思う。
それなのに………
「わたくしでは無理なのよ」
自分ではクラウス殿下の結婚相手にはなれないと言ったエリザベータ様の顔を思い出す。
同時に、クラウス殿下との〈武芸〉の個人指導での事も思い出した―――
〈武芸〉の演習場。
模擬剣を使ってクラウス殿下と手合わせをしていた時の事だ。
何度攻めても、殿下はなかなか隙を見せてくれない。
激しい打ち合いの最中、一瞬見つけた隙に、殿下の肩口に向けて上から模擬剣を振り下ろした―――のだが、剣が届く寸前で、下腹部への衝撃と共に私の体は後ろへ跳ね飛ばされた。
「うっ…げほっ!げほっ!」
「立て」
むせ返る私の上から、容赦のない声が降ってくる。
「俺の足が〈光〉の〈魔術〉で強化されていたなら今頃お前の腹には穴が空いている」
足……蹴りでやられたんだ。
体の痛みを堪えながら、のろのろと立ち上がる。
顔を上げると、クラウス殿下の藍色の瞳がこちらを向いていた。金糸雀色の金髪に縁取られた秀麗な顔は汗ひとつかいていない。
私が隙だと思ったのは、多分……誘導だった。
「攻撃の際には隙が出来る。お前も〈光〉の〈魔術〉は使えるだろう。防御するなり、反撃への手立ては考えておけ。王宮騎士団の者は皆そういう戦い方をする」
「はい…」
クラウス殿下の指導は厳しい。
でも「教え方が上手い」とエリザベータ様が言っていた通り的確で、いつも私に足りないものを教えてくれる。
クラウス殿下からの個別指導に〈武芸〉が加わってからというもの、私の〈武芸〉の成績は伸び、今では授業での対戦で負ける事も滅多になくなった。……学級が違うので授業で対戦する事のないクラウス殿下からすると「まだまだ」らしいけど。
「学院での生活に支障が出るだろう」と言って、見える所への攻撃はしないでいてくれているが、服で隠れた所は青痣だらけだ。……気遣いの仕方がなんか怖い。
個別指導に〈武芸〉が加わったきっかけは、私が「将来は王宮騎士団に入って王妃殿下の近衛兵になりたい」と言った事だった。
魔力がないと王妃にはなれないなんて知らなかった私は、きっと将来はクラウス殿下の婚約者であるエリザベータ様がこの国の王妃になると思ってたから。
エリザベータ様には「鈍い」なんて言われちゃって少し自信がなくなったけど、私は他人の気持ちには敏感な方だと思う。
特に―――悪意なんかには。
この学院に編入して、初めて沢山の貴族の人達と触れ合った。みんな表向きは優しいけど、笑顔の裏から伝わって来るのは……ほとんどが反感や蔑み。時には嫌がらせも受けて、挫けそうになった事は今まで何度でもあった。
エリザベータ様の事も初めは怖くて苦手だったんだけど………
何度か話す内に(ハンナ的には「絡まれている」らしいけど)私の考えは変わった。
エリザベータ様からは、悪意を感じなかったから。
「好き」にも「嫌い」にも真っ直ぐで、「平民の癖に」と言いながらも分け隔てなく接してくれる。
歓迎会のダンスの練習だって、誰に頼まれた訳でもないのに真剣に付き合ってくれて……
ハンナやエリザベータ様に出会えたから、「貴族」を嫌いにならずにいられた。
エリザベータ様みたいな人を守りたいと思ったから、王妃殿下の近衛兵を目指そうと思ったのだ。
それを話したら、クラウス殿下は少し考えた後に「俺とお前は利害が一致しているのかもしれない」と言って、「王宮騎士団に入るのならば〈武芸〉を磨く必要がある」と、個別指導に〈武芸〉が追加されたのだった。
私の気持ちを分かった上で提案してくれたと思ってたんだけど……違ったんだろうか。
クラウス殿下から悪意は感じられない。かと言って好意を感じる訳でもないし、いつも涼しい顔で、いまいち真意が分からない。
歓迎会でエリザベータ様の話をした時に見た笑顔は凄く優しくて、悪い人ではないと思ったんだけど―――
「アリス・アイメルト」
ウィルフリード様から名前を呼ばれてハッと我に返った。
エリザベータ様の次は私だったらしい。
急いで〈魔術〉の教本を手に、窓の脇の扉から演習場に入る。
アドルフ伯爵の方も終わったらしく、次に呼ばれたプライセル様と鉢合わせたけど「…ふんっ」と顔を逸らされてしまった。
初めは悪意しかなかったプライセル様。今でも態度はそっけないけど、前の様な悪意はもう感じない。
これもエリザベータ様のおかげだと思う。
ウィルフリード様の前に立つと、何故かエリザベータ様もまだいた。
ウィルフリード様から少し離れた所で、扇を拡げて、何処から持ってきたのだろうか椅子に足を組んで座っている。
「ふふん。アリス様。お手並み拝見させて頂きますわ」
「…エリザベータ嬢。貴女の番は終わりましたので教室へ戻って下さい。あとその座り方は貴族の御令嬢として如何なものかと」
ウィルフリード様に注意されて、エリザベータ様は足を組むのはやめたけど、結局その場に留まった。
私の番だ。
上手く出来るかな…私の場合5種類見せないといけないから、時間がかかるかもしれない。
なんて思っていたら。
「熱っ!?」
〈魔術〉の教本を持つ手が熱くて、思わず教本から手を離す。
突然だった。教本が大きな炎を上げて燃え出したのだ。
本から立ち上がった炎に体が竦んだ。
私は火が怖い―――7年前に王都を襲った大火で、私から家族を奪ったから。
炎の中から私を呼ぶ両親の声が脳裏に蘇り、グラリと視界が揺れる。
離れないと。
頭では分かっているのに足が動いてくれない。
炎はそのまま勢い良く燃え上がり、私に襲いかかってきた。
「アリス!!」
声と共に、裂ける様に炎が割れ、散り消えて―――代わりに見えたのは、必死な顔をしたエリザベータ様だった。
「エリザベータ様……」
「助けてくれたんですね」という言葉は声にならないまま………私は意識を手放した。




