第17話 ヴァールブルク侯爵令息は嗤う
〈魔術〉の授業の為に別棟の演習場へ向かっている途中、ウィルフリードはにこやかな笑顔で話しかけて来た。
「演習場へ行かれるのですよね。今日は私もそちらの授業に参加させて頂きます。御一緒しても?」
「ええ、勿論ですわ」
わたくしもにこやかな笑顔で返す。
ウィルフリード・フォン・ヴァールブルクは、『イドニアの頭脳』と称されるヴァールブルク侯爵家の嫡男。
わたくしとは別学級だが、〈魔術〉の担当教員の補佐としてこちらの学級の授業に参加する事もある。
長い黒髪を後ろに束ね、学院の制服の胴着の上に上衣の代わりに羽織っているのは王宮魔術士団の黒の外套。
魔術学院の学生でありながら王宮魔術士団にも籍を置くウィルフリードは、魔術士の名門ヴァールブルク家の中でも傑出した〈魔術〉の才能を持ち、学院で学ぶ課程は入学時点で既にほぼ履修済みの為、王宮での職務がある際には授業の欠席も認められているという。
出来が良すぎて嫌味な男だ。
因みにクラウス様も学院で学ぶ範囲は王族教育の中で履修済みらしく、学院に居ない事が多い。
何でも出来るクラウス様、素敵。
「お二人は仲が良いのですか?最近よく一緒に居る所を見かけますけど」
ウィルフリードが問いかけた「お二人」とは、わたくしと、その隣を歩くアリスの事。
「エリザベータ様にはいつもお世話になってるんですよ。今日も行き先が同じだったのでご一緒させてもらってるんです」
「同じ学級なのだから行き先が同じなのは当然でしょう!」
「うふふ、そうでした」
何なのこの子。天然なの?
蜂蜜色の金髪をふわりと揺らしてアリスが微笑むと、ひんやり澄んだ冷たい冬の空気が、そこだけホンワカ暖かな春の陽気になる。
主人公は気温まで操るのかしら。末恐ろしいわ。
歓迎会のダンスの練習あたりから何故か懐かれてしまったらしく、アリスは何かとわたくしの側に居る。
「アリス様、言っておきますけれど。わたくし貴女と馴れ合うつもりなどなくてよ!」
わたくしが吊り上がった目尻を更に吊り上げ釘を刺すと、アリスは「ええっ…」としょんぼり悲しそうな顔になった。
やめてよ!その顔!捨てられた仔猫みたいな顔をされたらこれ以上突っ込めないじゃないのよ。
「ぐぬぬ」と唸るわたくしを見て、ウィルフリードはにこやかな笑顔を崩さぬまま言った。
「貴女方二人に関しては『仲が良い』という噂と『仲が悪い』という噂、どちらも聞きますからねぇ。まぁ皆さん、それだけ貴女方が気になるのでしょうね」
『仲が悪い』という噂なら知っている。
王宮の職務に追われなかなか学院に来られないクラウス様も、出席した日の放課後にはアリスの個人指導をしている。
対して婚約者の割に歯牙にもかけられないわたくし。
アリスが日に日に〈魔術〉の能力を伸ばしている事も相まって、最近では「アリス嬢は殿下の寵愛を受けている」「エリザベータ嬢よりもアリス嬢の方が殿下にはお似合いなのでは」という声も多く、それに嫉妬したわたくしがアリスを虐めていると、まことしやかに囁かれているのだ。概ね合っている。
本命わたくしに対して現れた対抗馬アリスという、王太子殿下を取り巻く恋愛事情の顛末に学生達は興味津々なのである。
まあわたくし、本命どころか当て馬なのですけれども。
「因みに『仲が悪い』という噂はエリザベータ嬢がアリス嬢を虐めているといった内容のものです」とウィルフリードが付け足した。でしょうね。
「ふんっ。そちらの噂の方が正しい様ね。わたくしアリス様を虐めていましてよ」
「ええっ!?そうだったんですか!?」
「貴女気付いていなかったの!?」
張本人のアリスが目をまん丸くして驚く姿に、わたくしの方が驚いてしまう。
「でも私、エリザベータ様に虐められた事なんて、ないですよ?」
「どれだけ鈍いのよ、この子は!」
「まぁまぁ落ち着いて、エリザベータ嬢」
ギーっとなるわたくしをウィルフリードが宥めた。
もしかしたらと思ってはいてもあまり考えない様にしていたのに、やっぱり気付いていなかったのね!
アリスは鈍い。
鈍いのは乙女ゲームの主人公としては定型の様なものだが、悪意に対してまで鈍いのは如何なものか。
わたくしの今までの苦労を返して欲しい。
ここは「キーッ!」と言いながら手巾を噛みたいところだが、手巾が傷んでしまうので出来ない。悔しくて手巾を噛むって、何だか悪役令嬢っぽいわよね。これは早急に噛む用の手巾をカルラに用意してもらわなければ。
「だいたいアリス様貴女、最近は前の様ないやがらせはされていないのでしょう。わたくしの周りに纏わりついていないで、他の方と仲良くしたらどうなの?」
「はい、前と変わらず接してくれるのはエリザベータ様だけです!あっあとハンナも」
「貴女は人の話を聞きなさいよ!」
そもそもアリスは『愛し子』だ。平民という身分から蔑んだりいやがらせをしていた層もアリスの学院での成績や性格を見て態度を改めだしている。別にわたくしにくっついて歩く必要は無い筈だ。
主人公が悪役令嬢の取り巻きになってどうするのよ。
そう言っているのに話が噛み合わない。
この子、あんまり人の話を聞かないのよね。
「落ち着いて下さい、エリザベータ嬢」とウィルフリードが再度宥める。澄まし顔が癪に障るわ。
「あまり興奮されては、足元のものを踏んでしまいますよ」
「え?足元?」
自分の足元に視線を移すと、そこに居たのは。
にょろりと蠢く細長い体に、縦に通る黒い縞。
さっと顔から血の気が引くのを感じる。
「ぎゃあああ!!」
頭が真っ白になって飛び上がると、驚いたのは"それ"も同じだった様で、するすると冬草の陰に逃げて行った。
真っ青な顔のまま肩で息をするわたくしを見て、アリスはきょとんとして言った。
「エリザベータ様、蛇が苦手なんですか?」
「言わないで、その名前を!」
聞きたくないわ!固有名詞すら聞きたくない!
「貴方………」
わたくしは、口元を手で隠し肩を震わせて笑っているウィルフリードを睨みつけた。
「くくく………すみません、あまりに見事な驚き様で……」
いつまで笑ってるの、この男は!
「貴方でしょう!仕掛けたわね!?何故こんな寒い時期にへ…『アレ』が出るのよ!冬眠中の筈よ!」
「いやぁ、何の事だか」
しらばっくれているが、先程ほんの少しこの男から〈魔術〉の残滓を感じたのをわたくしは見逃さなかった。隠したつもりでもわたくしの目は欺けなくてよ。
ウィルフリードは〈闇〉の〈魔術〉を使う。
精神や魔力に干渉する〈闇〉の〈魔術〉は、小動物程度ならば行動を操る事が出来るのだ。
因みに、人間は精神に干渉するのに莫大な魔力が必要らしく操る事は出来ない。ウィルフリード程の魔力があれば可能なのかもしれないが、そもそも『禁術』なので使用を認められていない。
この男は昔からこうだ。
歳の近いクラウス様の遊び相手として王宮に通っていた頃から、度々〈魔術〉を使って蛇をわたくしにけしかけては大喜びする様な、性格の悪い男なのだ。
ヴァールブルク侯爵家はアルヴァハイム侯爵家と並び立つ権力を持つ。
攻略ルートを潰そうにも、ヨハンの時の様に権力でのゴリ押しは使えないし、ヴァールブルク侯爵家は優秀な『影』を雇っているというので下手に裏から手を回すと感付かれる危険がある。
側近の為クラウス様の側に居る事が多い分アリスと接触する機会も多いウィルフリードは、アリスをクラウス様ルートへ導くにあたっての一番の難敵―――そう考えたわたくしは、策略を練った。
その策略とは―――
「いい、アリス様?あの男はああいう男よ。あの作り笑顔に騙されては駄目。土の下で安らかに眠っている生物を、嫌がらせの為だけに〈魔術〉を使って寒空の下に引きずり出す様な、そんな血も涙もない男なのよ」
―――悪口!
「過去を知っている」という強みを生かして、ウィルフリードの性格がどんなに悪いのかを、アリスに吹き込む!
するとどうか。
「えーウィルフリード様って性格わるーい」と、アリスはウィルフリードに幻滅する!
何という綿密に練られた策略。わたくし、自分の才能が怖いわ。
例え攻略対象の好感度が高かろうが、主人公に攻略させる気を起こさなければこちらのもの。
せいぜい、自分の性格の悪さを悔やむ事ね!
「ひどいなぁ。蛇はちゃんと土中に返しましたよ」
「認めたわね、自分が犯人だと!あとその名前を言わないで頂戴!」
犯行を認めたからといって、わたくしは攻撃の手は緩めない。
「いい、アリス様?あの男はね、ああやって人を嘲笑っていますけれど、蜘蛛が苦手なのよ」
「はあ…」
アリスはぽかんとしたまま「蜘蛛、ですか」と続けた。
「それは子供の頃の話でしょう。もういい大人なのですから、虫ごときで大騒ぎしたりしませんよ。どこかの誰かさんとは違って」
嫌味で返してくるとは、やはり性格の悪い男ね。
しかし。
取り澄ました顔をしているけれど、「蜘蛛」の言葉に一瞬顔が引きつったのを、わたくしは見逃さなくてよ!
「まあ、『蜘蛛が服に付いた』と泣きついて来て、わたくしに取って貰った恩を忘れたのかしら?」
「それこそ子供の頃の話でしょう!」
ウィルフリードが動揺している。胡散臭い作り笑顔が引きつっているもの。効いてる効いてる。
追い打ちをかける様に「あの男は恩知らずよ」と耳打ちすると、アリスは大きなエメラルドの様な瞳をぱちりと瞬かせてから、ふわりと微笑んだ。
「おふたり共、仲が良いんですね」
「「全然!?」」
わたくしは忌々しげに、ウィルフリードは顔に笑顔を貼り付けたまま、間髪を入れずに声を揃えて言った。