第15話 ザイフリート宮中伯の来訪
イドニア王国立魔術学院。
『王国立』の名を冠する通り王国によって運営されているので、守衛も王宮騎士団や王宮魔術士団から配属された腕の立つ者ばかり。
在籍するのはその殆どが貴族で、関係者以外の立ち入りは極力排除されており、生徒の安全を保障する為、また自律自助の観点から、通学する際にも使用人が学院の敷地内に入る事は許されず、この学院生活で初めて『自分の荷物を自分で持つ』という経験をする生徒も少なくない。
例外的に王太子殿下であらせられるクラウス様には護衛騎士が付いているし、使用人の立ち入りが認められている生徒もいる。
わたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイムもその中のひとり。
ポイントとなるのはそう………権力。
わたくしの侍女のカルラは学院への立ち入りを許可されているので、一日の授業が終わると馬車の到着を確認して教室までわたくしを迎えに来る。
今日もいつも通り帰宅の準備を終え、迎えに来たカルラにコートを着せてもらい、冷んやりした冬の空気を感じながら馬車へと向かう。
「カルラ、ちょっと待って!」
学院の門へと続く道から並木を挟んで向こう側に鮮やかな金糸雀色の金髪を見つけたわたくしは、素早く銀杏の木の幹に身を隠した。
「クラウス様………今日も素敵」
「あんな遠くに…しかも後頭部しか見えませんけど」
そう言いつつも、一緒に木の陰に隠れてくれるカルラ。
護衛を伴い歩いて行くクラウス様の後ろ姿は、すっと伸びた背筋も迷いのない足の運びも、所作のひとつひとつが凜然として美しい。
後頭部すらかっこいいのがクラウス様なのよ。
「あちらの方角は〈武芸〉の演習場…放課後にまで鍛錬なさるのかしら…ストイックで素敵」
落葉が終わり枝ばかりになった銀杏の木にコートの茶色が迷彩色となって見つかる事はないだろう。クラウス様の後ろ姿を見放題だ。わたくしの紅い髪は目立つが、この距離ならば季節外れの紅葉だとでも思う事だろう。
「思わないと思いますけどね」
何て事。
今わたくし声に出していなかったわよね。
主人の心の声まで読み取るなんて、わたくしの侍女は優秀が過ぎるわ。
「なあ前から思ってたんだけどさ。話しかければいいじゃん。王太子殿下に」
「ギャッ!びっくりした!」
突然の第三者の声に驚き振り向くと、すぐそこに立っていたのは背の高い焦茶色の髪の男、ギルバートだった。
「いつの間にいたのよ!いきなり背後に立たないでくださる!?」
「少し前からいらっしゃいましたよ」
至って冷静なカルラの隣で、帰宅途中だろうか片手に鞄を提げたギルバートは「駄目だろー侯爵令嬢が『ギャッ!』なんて言っちゃあ」などと言いながら笑っている。
わたくしは常に携帯するマストアイテム、派手っ派手な扇をバシッと音を立てて広げた。
「『話しかければいい』ですって?クラウス様に?ふっ…愚問ですわ。わたくしからクラウス様に声をかけるだなんてそんな事、はっ…はっ………」
「はっはっ?」
突然トーンダウンしたわたくしを見て、ギルバートが訝しげに眉根を寄せた。
「はっ……恥ずかしくて…出来るわけないじゃない………」
湯気が立ちそうな程に赤らんでいく顔を扇で隠しながら、最後は蚊の鳴くようなか細い声になってしまった。
だってそうでしょう!?
遠くに見つけたからって!用もないのに!
「クラウス様〜!」とか言いながら?
駆け寄る!だなんて!
そんなこっ…恋人みたいな事!
いや婚約者なんですけれども!
「どうしよう、エリィちゃんが可愛い」
「お嬢様は色恋には慎み深いお方なのでございます」
「あの見た目で?」
「はい」
カルラとギルバートがこそこそと何か話しているが、それどころでないわたくしは火照った顔を扇でパタパタと煽ぐ。
「しかしなあ〜。エリィちゃんはさ。アリスちゃんを王太子殿下ルートに進ませる為に『エバラバ』の『エリザベータ』を演じるって言ってたよな?じゃあゲームの通りにアリスちゃんの前で『クラウス殿下〜』とか言いながら王太子殿下と腕組んだりするんだろ?楽しみだな〜俺見に行っちゃお」
「ほう」
ニヤーっと笑いながら言うギルバートに、何やら興味深げなカルラ。
…ふたりとも面白がっていない?
「いや、それは…。『エバラバ』のエリザベータとわたくしは全く同じ性格という訳ではありませんし?別にそこまでしなくても…」
誤魔化す様に明後日の方角に目を向けるわたくしに向かって、カルラが一歩踏み寄って来た。
わたくしの鞄を持ちながらも姿勢良く手を前で組む姿はいつも通りの侍女然としたものだが、胡桃色の瞳が真剣味を帯び鋭く光っている。
「それは序列を重んじるリーゼお嬢様らしからぬお言葉。きちんとした手順を踏まなければお嬢様の言う『イベント』とやらが正しく発生しない可能性があります。御不安でしたら今からでも予行練習がてらクラウス殿下の元へ行かれては如何ですか。腕を組みに。わたくしめもお供致しますので。さあ!」
どうしてカルラはどんどん前のめりになってくるの!?
侯爵令嬢の侍女ならば『はしたない行為はお控え下さい』とか言って窘めるべき所よ?これ絶対に興味本位で言っているわよね?「見たい見たい!」って副音声が聞こえる気がするもの!
獲物を狙う猛禽類を思わせる目で半ばわたくしに詰め寄る勢いだったカルラが、突如わたくしから距離を取り姿勢良く控えた。一瞬だ。そこにあるのは完璧な侍女の姿で、明らかな珍しいもの見たさで主人に迫っていた面影は既に微塵もない。凄い。
わたくし達の様子をヘラヘラしながら見ていたギルバートも、表情を引き締め姿勢を正し、右拳を胸に当て騎士の礼の形を取る。
学院の門からこちらにやって来る人物に気付いたからだ。
数人の護衛を従え現れたのはがっしりとした体格の壮年の男性。動作や衣装からは身分の高さが窺える。それもその筈、左半身を覆う外套に飾られた肩章が指し示す彼の階級は『宮中伯』だ。
「やあ、エリザベータ嬢。相変わらず元気そうだね」
そう言って微笑む口元には白髪混じりの顎髭が品良く整えられている。
淑女の礼から顔を上げたわたくしも微笑みで応じた。
「ご無沙汰しております。この様な場所でお会い出来るとは思いませんでしたわ、おじさま」
アロイジウス・フォン・ザイフリート。
王宮で政治を執り行う宮中伯のひとり。
平民出身でありながら魔力と政治能力の高さで宮中伯にまで登り詰めた彼は大成者として名高い。
普段は王宮内で執務にあたる宮中伯が学院に現れるのは珍しい事だ。
「殿下に用向きがあってね。なに、急を要するものではないのだが、王宮に籠もってばかりでは気が滅入ってしまうので気晴らしも兼ねて来てみたのだよ。手続きが多くて面倒であったが、こうして久々にエリザベータ嬢の顔も見れるとは嬉しい事だ」
「その様に言っていただけるなんて光栄ですわ。……ふふっ」
彼の外套の陰から覗く左胸の衣嚢を見てくすくすと笑みを零すわたくしに、ザイフリート宮中伯は不思議そうな顔をした。
「胸衣嚢に大切な物をしまっておく癖は相変わらずですのね、おじさま?今日の宝物は奥様からの贈り物のブローチか何かかしら」
「エリザベータ嬢には敵わないな。大した慧眼だ」
「はっはっは!」と豪快に笑うザイフリート宮中伯の胸衣嚢には、よく見ると小さな膨らみがある。
貴族の殆どは胸衣嚢を手袋や装飾布を入れる用途としてしか使わないので、平民出身故の癖だろうか衣嚢を衣嚢として使うザイフリート宮中伯は貴族の中では珍しい部類に入る。
そんな感じで世間話をしていると、突如視界が金糸雀色の金髪に遮られた。
「クラウス様」
「これはこれは。殿下自ら出迎えて下さるとは、恐縮で御座いますな」
わたくしとザイフリート宮中伯との間にするりと割り込む様な形で現れたのはクラウス様だった。
あら?〈武芸〉の演習場に行ったものとばかり思っていたけれど。一緒に居た筈の護衛騎士の姿も見えない。演習場に置いてきたのかしら。
しかしクラウス様の金髪ってツヤツヤでサラサラで…どんなお手入れをしたらこんな風になるのかしら…
「ザイフリート。俺に用があるのだろう。こちらへ」
クラウス様はそう言って、わたくしには一瞥もせずザイフリート宮中伯と連れ立って行ってしまった。
この場に残ったのはわたくしとカルラとギルバートだけだ。
「エリィちゃんは宮中伯と親しかったんだ」
「宮中伯様はお嬢様が幼い頃には旦那様を訪ねてよくアルヴァハイムの屋敷にいらっしゃっておいででした」
クラウス様とザイフリート宮中伯が去り、すっかりいつもの調子に戻っているカルラとギルバート。
「しっかし王太子殿下はいつもあんな感じなの?婚約者だってのにエリィちゃんに見向きもしないでさ」
「悪役令嬢の扱いなんてこんなものよ」
「お、おう…。…エリィちゃんの心臓は鋼で出来てるのか?」
引き気味に戸惑っていたギルバートだったが、思い出した様に「所でさ…」と呟いた。
「俺、王太子殿下に何かしたかな?去り際に睨まれたような気がするんだよな」
「気のせいじゃないの?クラウス様は精悍なお顔立ちだから、睨まれたと勘違いする人はたまにいるわ」
「だって目の色が…」
「白ばんでいたの?」
ギルバートが頷いた。
イドニア王国を代々治めるフォンシュルツェブルク家。代々受け継がれるその特徴は瞳に現れる。
『怒り』によって白味を帯び色を変えるその瞳は、今よりも精霊の加護が強かった古代の名残を色濃く残しているとされ敬い尊ばれており、高い魔力を持つ者ほどその特徴は顕著に現れる。魔力の高いクラウス様などは怒りの度合いによっては藍色の瞳が薄藍色にまで白ばむのではと言われているが、それにはクラウス様をブチギレさせなければならず、そもそもクラウス様があまり怒らない人なのでそこまでの色に変わる所は誰も見た事がないらしい。見てみたい。
「…この場合考えられる理由はひとつね。クラウス様は真面目な方だから、ギルバートの様に見るからに軽そうなチャラ男は存在自体に怒りを感じるのだわ」
「俺傷付くよ!?」
「そうとしか考えられないわ」
「ひでえ!」と騒ぐギルバートをスルーしつつ、わたくし達は帰宅の途についたのだった。