第14話 エリザベータという女③
信じられない速度で走る乗り物が道を行き交い、城みたいに高い建物が空を隠す程に建ち並ぶ。
不思議に思う事もない、それが当たり前の世界に居た。
集合住宅の様な建物の中に部屋を借りて妹とふたりで住み、多少の兄妹喧嘩はありつつも、まぁそこそこ仲良く暮らしていたと思う。
両親を事故で亡くしたので、まだ学生の妹は俺が養っていかないといけない。
妹は「高校を出たら働く」なんて言ってるが、大学位には行かせてやりたい―――
―――『ギルバート・フォン・ミュラー』として生まれた俺には、ある筈のない記憶があった。
誰もが持つ記憶なのだろうかと幼い頃には誰かに話した事もあったが、周囲の反応は皆一様に「夢でも見たのだろう」といったもので、いつしか自分でも夢と現実が混同しているのだと思う様になり人に話す事はなくなった。
しかしそれでも、その記憶は寂寥感の入り混じった懐かしさと共にいつも胸の内にあった。
ミュラー伯爵家は由緒ある騎士の家系だ。
跡継ぎの兄貴は何かと大変そうだが次男の俺は気楽なもので、秀でた能力がある訳でもない代わりに見た目に恵まれたお陰で女の子から優しくしてもらう事も多く、まあまあ楽しく過ごして来た。
貴族の家に生まれた者は16歳になる年にイドニア王国立魔術学院に入学する。御多分に漏れず俺もその中のひとりだ。
『evergreen lovers』―――前世で妹が『エバラバ』と呼んでいた―――ゲームの事を思い出したのはその時だった。
来た事もないのに見た事のある建物。会った事もないのに知っている人間。
王太子殿下の姿や名前に既視感を覚えた事は過去にあったが、まさかそれが乙女ゲームだったなんて。
見た目に恵まれた?
そりゃそうだろう。
俺も乙女ゲームの『攻略対象』の内のひとりなんだから。
正直頭がおかしくなったのかと思ったが、それ程までに、何もかもがゲームの世界そのままだったのだ。
そして、その最たる例がエリィだった。
「おーっほっほっほ!」
………まじかよ。
俺は思った。
あんな笑い方する女、貴族にもそうそう居ねえ。
後から本人に聞いた所、『悪役令嬢』を演じてる訳でもなく素の笑い方らしい。ますます意味が分からねえ。
『エリザベータ・フォン・アルヴァハイム』
ゲームじゃあ主役のアリスの当て馬役だったか?
背が高くスタイルも良く、何よりあの鮮やかな紅いウェーブがかったロングヘアーは遠くからでも目立つ。かなりの美人ではあるが険のある顔立ちで、漫画とかに出て来そうな、いかにもといった感じの高飛車お嬢様だ。
いかにもではあるんだが、実際に目にすると何と言うか…
『イドニアの盾』と称されるアルヴァハイム侯爵家の令嬢があんなんでいいのか?
王太子殿下もだ。婚約者あんなんだけどいいのか?
この国の将来に不安を抱きつつも学院生活を過ごしていた俺だったが、徐々に『エリザベータ』に対して違和感を覚える様になった。
どうも、ゲームとはイメージが違う。
学級は同じだったが、向こうは俺を避けている様な節があったし、俺からも積極的に関わる事はなかった。
ただ『エバラバ』の登場人物という事で、見かけた時には何となく観察してみたりはしていた。
エリザベータは王太子殿下の婚約者だ。
『エバラバ』では、アリスが王太子殿下に近づく事に嫉妬して嫌味を言ったり、これ見よがしに王太子殿下にひっついて牽制したりする。ゲーム中じゃあまあ面倒臭い女だ。
ので、さぞ王太子殿下に纏わり付いて歩いてるんだろうと思ったがそうでもない。
そもそも学院内で一緒に居るところを殆ど見かけない。不仲説が噂される程だ。
エリザベータが王太子殿下を見つけると、さっと木の陰に隠れて遠くから見つめている。頬を染めながら。
乙女か。片思いか。
何で婚約者のお前が王太子殿下に憧れる一般女子生徒みたいな行動をしているんだ。
俺はツッコミたい気持ちをぐっと抑えた。
王太子殿下は王太子殿下で絶対気付いてると思うんだが無反応。
ゲーム同様エリザベータを疎ましく思ってるんだろうか。表情が変わらないのでよく分からない。
本人の挙動もおかしかったが、エリザベータ関連でゲームと決定的に違うことがある。
キャラクターがひとり足りないのだ。
『エバラバ』で〈武芸〉の授業の担当教員として出てきた筈の―――脇役にしてはやけに気合の入った見た目で登場場面も多かったので覚えている―――カーティス・フォン・アルヴァハイム。
エリザベータの兄だ。
そんな訳で「エリザベータ本人か、もしくはその近くの人間が、俺と同様『エバラバ』の記憶があるのでは」という疑いは入学当初から持っていた。
入学から一年経ち、『エバラバ』の主人公アリスが、ゲームのその通りに編入して来た。
平民の『愛し子』で、顔も可愛い。
編入当初から王太子殿下やその周囲の者に目をかけられ、王太子殿下に憧れる女生徒からはやっかみを受けていた。ゲームの通りに。
仲の良い女生徒から聞く所によると陰でいやがらせじみた事もされているらしい。女子の世界も大変だね。
普段の俺であれば下心も込みで助けてあげようと思った所だっただろうが、アリスが『エバラバ』の主人公だと知っていたので必要以上に関わる事はしなかった。
会話は何回かしてみたが性格も可愛らしい。あれは何も知らなければ口説いてたね。
しかし恐らく彼女にゲームの記憶はない。
目に付くのは、やはりエリザベータの行動だ。
事あるごとにアリスに嫌味を言うのはゲームの通りなんだが、歓迎会の為にダンスを教えるなんてゲームにはなかった筈だ。
歓迎会の日に王太子殿下仕様の衣装で現れたアリスに話を聞いて、エリザベータにゲームの記憶があると確信を持った。
エリザベータがどういうつもりでアリスに王太子殿下ルートを進めさせるのか興味はあったし、前世の同じゲームの記憶を持つ者同士話してみたい気持ちもあったが―――正直『エバラバ』の知識を使って何かをどうこうするつもりはない。
俺は基本的に、平穏無事に生きていきたいだけだ。
いざこざに巻き込まれでもしたら面倒だし、エリザベータに関わるつもりもなかったのだが。
歓迎会でアリスが王太子殿下と踊るのを見て、エリザベータは自分の目論見通りに事が進んでいると満足気な顔をしているのだろう。
そう思って見た彼女の顔は、想像とは違っていた。
ふたりを見るエリザベータの横顔はいつも通りの、傲慢さすら感じられる高雅なものだったが、何故かひどく頼りなげで、今にも泣き出しそうに見えて―――気付いたら声をかけていた。
結局関わってしまい、王太子殿下暗殺の阻止なんて最高に面倒な事に巻き込まれた訳だ。
とは言え、将来的に王宮騎士団に入るであろう俺にとっても王太子殿下の暗殺は見過ごせる話ではない。
何よりあんな顔した女の子を放ってはおけないしな。
しかし………
全ての事が上手く進んで、ゲームのハッピーエンド通りにアリスと王太子殿下が結ばれたとして、エリィはどうなるんだろう。
本人はそれでいいと言うが、その辺は無理してると思うんだよなー。王太子殿下大好きだし。
好奇心も手伝って、俺はエリィに協力する事にしたのだった。