第一話 宣戦布告のこと
前世の記憶を取り戻した次の日のこと。
俺はひとまず自分のことで分かっていることを書き出していた。
・この世界の貴族は魔力を持っているのがステータス。
・ラッツインガー侯爵家は屋敷の規模と質からして中堅どころは固い。
・現ラッツインガー侯爵の義父上は文官。義母上は武官で騎士団のえらいひと。
・学校には10歳から通うらしい。
・義姉上は魔力を扱うのが苦手で剣を使う方が得意。俺はその反対。
とりあえず分かるところとしては、こんなところで。
跡取りとしてここに来て、義弟として扱ってもらうのはいいんだけど、男としてはやっぱり、そうやっぱり義姉上と直接の血のつながりはないわけだし、出来たら恋人になりたい。ていうか結婚したい。
うむ。大目標はこれだな。
そしたら、あんまり良い反応はしてくれていなかった義母上に話をしなくてはならないと思う。五歳児の言うことだし、真剣に聞いてはくれないかもしれないけど、言ってなかった場合と言ってあった場合では心証が違うだろう。イチかバチかという言葉もある。
俺はメイドさんに頼んで、義母上に会えるかどうかを聞いてもらうことにした。
午後の三時のお茶の時間。
義母上は俺と会ってくれる席を設けてくれた。
「いらっしゃい。ヴィリバルト」
硬質な声。ちょっと吊り目がちなところはマルガレーテ義姉上とよく似ている。金色の髪は頭の後ろで結い上げられてまとめらていて、えんじ色をしたシンプルなデザインのドレスからは上質さと動きやすさが見てとれる。口元はこれまたシンプルな扇で覆っている。淑女のたしなみってやつかな?
「わたくしにどうしても話したいことがあると聞いたのだけれど、どんなお話なのかしら?」
しょうもない話だったら承知しないという気配がビンビンに感じられるようなささくれだった言葉に、俺は緊張でガチガチになっている拳をさらに握りしめて言おうと決めてきた言葉を放った。
「ひとつ、提案があるのです」
「ほう」
ねめつけられるような視線は本当に怖い。ていうか五歳児に向ける表情じゃあないでしょ、これ。メイドたちが義母上は遠縁の男子を跡取りに据えることには反対してたって聞いていた。敵対している目だよ、これは。
「ぼくは義姉上の力になりたいのです」
「ふぅん? それで」
「ぼくは義姉上の方が侯爵家の跡取りには相応しいと思います。だからぼくは義姉上の力になりたい。出来るなら伴侶となって義姉上を支えたいんです」
……五歳児が言うには無理があったか? きょとんとした顔をした義母上は、その言葉に笑いもせずにまっすぐに俺を見てくる。
「池に落ちてからだいぶ様子が変わったとは聞いていたけれど、本当に人が変わったようになったのですね」
ぎくーっ!!!
鋭いところを突かれると本当に困る。ていうか怖い。ほんと怖い。
「伴侶となる、と言いましたか。大きく出ましたね」
うひー、怖い。ほんっと怖い。なんかじりじり追い詰められてる気になってきた。でも目は逸らさない。多分ここで目を逸らしたら終わりだと本能が告げている。ここで逃げたら、もう俺に後はない。
「ならばその覚悟、形で示してごらんなさい」
「かたち、ですか」
「あと三年したらマルガレーテは王立学園に入学します。その時に、飛び級で王立学園への入学試験に合格できたら、ひとまず伴侶になる可能性の価値はあるものと見なしましょう。いかがです?」
くす、と笑った気配がした。悪寒が背筋を這い上がる。
肉食獣に睨まれている小動物の気分だ。
でも、ちょっとだけ突破口が見えた。逃げ出すためのではなくて、立ち向かうための。
「いいんですか?」
「マルガレーテといっしょに家庭教師の授業を受けることも許します。けれど、それが出来なかったら分かっていますね?」
伴侶になる道は他にない。義姉上といっしょにいられる時間が少しでも増えるというのなら、それも幸せだ。
「絶対、やって見せます」
俺なりの啖呵を切る。
絶対と言い切るのは怖かったけど、男は度胸だ。
そしたら扇越しの義母上の目がふんわりと細められた。どこかうれしそうに。
「楽しみにしてますよ、ヴィリバルト・フォルクハルト。さぁ、お茶が冷めてしまうわ。おいしいお菓子も用意させたのですから、この母に少しだけ付き合ってちょうだい」
何度かまばたきをして、それから俺は大きくうなずいた。
怖くて怖くて仕方なかった義母上だけど、ほんの少し、ほんの数ミリかもしれないけど、距離が縮まった気がした。
「小さくても男の子なのね」
ラッツインガー侯爵夫人、マリアンネ・ヴィクトーリア・フォン・ラッツィンガーは窓越しに子どもたちを見つめながら小さく呟いた。
夫が遠縁の子どもを跡取りに据える話を持ち出した時は、本当に怒髪天を衝く勢いで怒ったものだ。
跡取りになるために頑張っていた娘の努力を、すべてなかったことにするつもりなのかと。
それが跡取りに据えるはずの子どもから、まさかの申し出を受けることになるとは思ってもみなかった。小さいけれど年相応ではなく少し大人びた子ども。最初に会った時の印象は変わらなかったけれど、マルガレーテと共にある時だけは彼は年相応の顔をした。
「ふたりでラッツインガー家の名を知らしめてくれたら、これ以上の幸せはないわ」
足りないものを補い合うのは大事なことだ。自分と夫のように。
侯爵夫人の視線を真っ向から受け止めたあの少年には、芯の強さを感じた。彼ならばもしかしたら、本当にマルガレーテを女侯爵にしてしまうかもしれないと思えた。
自分には出来なかったことを、彼らが成し遂げるなら。
「楽しみね」
ふふ、と笑って、夫人は窓辺から踵を返した。
彼女の思惑を子どもたちはまだ、知らない。
五歳児とは思えない発言をしたヴィーですが、義母はそれを受け止めて課題を出しました。
さてさて、どうなりますことやら。
幼少期はあと一話だけ続きます。