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白と黒の悪魔

「はっ……はっ……はっ……はっ」

 ずっと全力で走っているせいで、息が苦しい。喉が焼ける。お腹が痛い。足の感覚がない。

 こんな陽の光も差さない深い森の中じゃ、自分がどちらに向かって走っているのかわからなくなるけれど、それでも走るしかない。助かるためには走り続けるしかない。

 すぐ後ろに迫る沢山の黒い影を視界から振り払うように前だけを見て、助かることを信じて走る。


 ヤツらはこっちの体力が限界なのを知ってか、本気で追いかけるようなことをしない。わざと己の存在を見せ付けるようにして、獲物こっちが怯える姿を楽しんでいるみたいだった。


 手の中にあるものを握りしめる。

 ああ!せっかく光明が見えたと思ったのに!せっかく!!せっかくっ!!!

 

走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る


「──あっ」


 黙っていた足の感覚が突然悲鳴を上げて、体が地面に投げ出される。

 立ち上がろうとしても、うまく立ち上がれない。

「そっ、そんなっ!」

 転んだ拍子に怪我をしたのか、右足が言うことを聞いてくれなかった。


「グルルルルルゥウゥウ」

 おいかけっこはもう終わりか。そう言いたげな唸り声をあげる無数の黒い影に、ぐるりと辺りを囲まれた。

「神よお助けください。主よお助けください。神よお助けください。主よお助けください」

 目を閉じて偉大なる主と神々に祈りを捧げる。

 もう走れない。もう逃げられない。もう祈ることしか残されていない。

 ケダモノの息遣いを間近で感じて最期を悟る。


「ああ、主よ。マナの木よ。願わくは次なる輪廻も愛するみなと共にありますように。ああっ主よっ!」

 でも、そんな私の祈りは主に届かなかった。

 だって、私はこのケダモノたちに殺されなかったから。

 しかしそれは、救いではなく、さらなる恐怖の訪れだった。


 けたたましい叫び声が響く共に、キャインキャインと犬が泣き叫ぶような声が聞こえて、体に生暖かい液体がかかる。

 ハラワタを食い破られて、血が飛び散ったのかと思ったけれど、なんの痛みもないから違うらしい。

 もう死んでいるから全ての感覚が無くなっているという可能性もあるけれど、さっきからずっと犬のような悲鳴が聞こえることから、それも違うと思う。


 いつしか犬の悲鳴が止み、その代わりにおぞましい水音が聞こえてくる。

 ()()()をぐちゃぐちゃと混ぜているのか、切っているのか、こねているのか。その音を聞いていると、恐怖と共に涙がこみ上げて来た。

 目をつぶっていても、私を追っていたケダモノたちがすでに死んでいることが分かる。私にかかった生暖かいものが、あのケダモノたちが散らした血だということも、いまでは分かる。

 そしてこの水音を立てている存在は、私を追っていた存在よりももっとずっと強くて、真に脅威を備えた危険な存在ケダモノに違いない。

 もしもこれが人間で私を助けてくれたのなら、もう私に声をかけてくれているはず。それなのに、一向にそう言った気配が無いのはそういうこと。

 そこでふと気付く。

 いま私はヤツらに襲われていない。ということは、こっちに気がついていない?

 ああっ!主よ!神よ!ありがとうございます!

 これならば逃げられるかもしれない。声を出さずに主に祈り、意を決して目を開ける。


 だめだっ!耐えるんだ!耐えろ!耐えろ!耐えろ!


 目の前に広がるのは惨状。

 いくつもの狼の形を成したケダモノの首が転がり、おびただしいほどの赤が一面を埋めている。鼻を刺激する鉄のにおいが、全てをない交ぜにして吐き気を催させる。

 でも吐いたらだめだ。そうしたら目の前のヤツらに気付かれてしまう。耐えるんだ!


 目の前にいるヤツら。それはこの惨状を生み出した張本人たち。人の形をした白と黒のふたり。

 人の形をしたケダモノは、どれも人を害する存在で、特に悪魔という存在はかなり危険だとされている。ただ、悪魔は神話の中にしか出てこないから、普通は心配するようなことじゃない。でも私は、あのふたりが悪魔だと確信を持ててしまう。

 それは目の前に広がる惨状が、神話に聞く地獄のようだから。


 白い方は見たものを恐怖に陥れるような笑みを顔に貼り付けて、楽しそうにケダモノの死体をぐちゃぐちゃとすりつぶしていく。

 黒い方はニコニコと白い牙を覗かせた口元で笑みを作って、集めたケダモノの死体をうれしそうに白いヤツの隣に積み上げていく。

 暗闇に浮かぶ赤に塗れたふたつの笑み。それはまるで、死体をもてあそぶのがとても楽しいのだと言わんばかりの満面の笑みだった。


 恐怖のために呼吸が荒くなるけれど、なんとかそれを抑える。

 やっぱりあのふたりは目の前の死体に夢中で、私に気がついてないみたい。これだったら、どうにか逃げられそう。きっと主へ祈りがきっと通じたに違いない。


 ああ、そうだ。

 この地獄から抜け出す前に、手の中にあるものを確認する。これこそ村を助けるために、危険を冒して手に入れたもの。これが無くては、いままでの苦労が意味をなさない。逃げる途中で落としていないか心配だったけれども、無事にあってよかった。

 手の中の物を腰袋に入れ直して、心の中で主への感謝を捧げる。そして、この先に挑む試練を潜り抜けられるよう、更なるご加護があるよう、改めて祈りを捧げる。

 息を殺して悪魔のふたりに気付かれないよう、ゆっくりゆっくり身をかがめて歩く。でも一歩一歩確実に前へ。

 痛めた右足が歩きたくないと駄々をこねるけれど、もう回復魔法を使う力も残っていないから、ムチをいれて無理やりにでも引き摺り必死に歩を進める。

 苦しくても足を止めず、それでいて息は荒げないよう、気合で呼吸を落ち着かせて前に。そして前に。


 ようやく身を隠せそうな深い茂みの前まで来れた。

 ここまで数メートルだというのに、ずいぶん時間がかかってしまったけれども、おかげで悪魔たちに気付かれていない。

 ああ!このままうまくいけば村に帰れる!

 

 パキリ。


 しかし、無慈悲な音が私の足元から響いた。

 音の元凶。足の下にあったのは、小さな木の枝。木の枝といえば主の印。

 それを踏んでしまったから、罰が与えられたのだろうか。


 はっとして顔をあげると、ぐるりと振り返ったふたつの顔が、私を見つめていた。

 暗闇の中にあっても、はっきりとした輪郭を浮かべる、赤に塗れたふたつの顔。その顔はさっきまでの笑みを捨てて、鋭い目で私を射抜いている。

 しかし、私という新しい獲物おもちゃを見つけたのがよっぽどうれしいのか、途端に目を見開き、口を横に裂いて、見るも恐ろしい笑みを、そのふたつの顔にまた浮かべた。

 

 次の瞬間、私の目の前に白と黒の悪魔が立っていた。

 私は恐怖で瞬きすらしていなかったのに!


 目の前に立つ白い悪魔が何かを言った。

 でもその内容は何を言っているのか分からない。まるでなにかサルの鳴き声のような、聞いたことのない言葉で喋っている。

 理解の及ばない言語で喋られるというのは、こんなにも怖いものなんだ。

 あれ?でもおかしい。

 私たちが使う言語は主から与えられた祝福のうちのひとつで、マナが生み出した世界の繋がりだから、全ての人は同じ言葉を話している。

 そして、悪魔も主の祝福をくすねているから、私達と同じ言語を使うはず。

 なら、サルの鳴き声のような、よく分からない言語を使うこのふたりは、もしかして悪魔ほど危険な存在じゃないのかもしれない。一部の亜人種のケダモノは、独自の言語を持っているというそうだから。

 まあ、目の前のふたりが、私を容易く殺せる力を持っているということに変わりはなくてなんの慰みにもならないんだけれども。

「ああ、主よ。マナの木よ。願わくは次なる輪廻も、愛するみなと共にありますように」

 本日二度目の辞世の祈り。

 私の祈りを聞いたふたりが驚いた顔をして、お互いに見合い、ケモノのような叫び声をあげる。

 もしかして、私の祈りを介して主の威光に怯えたのかもしれない。主に認められた者はそういったことができると聞くし、これでも私は真面目に主へ祈りを捧げていたからその成果か────もぉぉぉぉっ!?

 突然ふたりに体を抱きしめられて、痛いほどに体がきしむ。

 さっき白い方が狼たちをひき肉にしていたけれど、私には生きたままそれと同じ道をたどらせるつもりだろうか。やるなら一思いにしてほしかったのに。


「ひ、ひひ、ひひひひひひ、人だああああああっっ!!!!!!」


 突然聞こえる可愛らしい声。白い方は相変わらずよく分からないことを言っているけれど、黒い方からはちゃんと私達の使う言語と同じ言葉が聞こえていた。

 驚いて黒い方を見る。


 そこにはなんとも可愛らしい女の子の顔があった。

 ただ、あふれかえる涙と鼻水を拭えばだけれども。

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