いまはこれが精一杯
一歩走るたびに、俺のケツから激しい衝撃と共に、凄まじい爆発音が響いてくる。
もちろんそれは、俺が屁をコいているからではない
「わああああああ!頑張って!!頑張ってください!!!」
俺にお姫様抱っこで抱えられている女神様が叫ぶ。
「こ、これ以上、む、無理っすよぉぉぉぉ!?」
「グガアアアァァ!!!」
「ひいいいいいいっっ!」「ひゃあああああっっ!」
女神様の魔法を受けて、高速道路の制限速度オーバーは出している俺の後ろを、同じ速度でつける存在がいる。
いや、あの巨体を巨木にぶつけて粉にするたび速度を落としていると言うのに、すぐに俺との差を埋めるのだから、俺よりも早く走る存在か。
その存在とは、ボンッ!ボンッ!と俺のケツから爆発音をたてる元凶。
そう、赤兜だ。
赤兜が凄まじい勢いで俺のケツに噛み付こうとして空振るたび、デカイ音が俺のケツを揺さぶる。
どうあがいても勝てないと、創造主様からもお墨付きをいただいている、サイコーにヤベーやつらより少し劣った、メチャヤベーやつ。
それが赤兜。
あんなのに噛み付かれたら、お尻がよっつに割れてまうっっっ!!!
どうにかして赤兜から逃げ切りたいが、この状況はどう考えても先は短い。
何かいい案はないものか。
「そっ、そうだ!もう一度魔法をかけていただいたら、更に速くなったりは!?」
「ざ、残念ですが、これ以上は意味がなくってっ、いまはこれが精一杯!」
魔法を重ねることで、更なる効果を期待したのだけれども、ダメなようだ。
しかたないから逃げ切ることではなく、赤兜に差をつけることだけを考えよう。
「うひゃああああっ!」
この凄まじい速度で走っていると、その辺の木々の枝葉ですら凶器になりかねない。もちろん女神様も自身の体を魔法で強くしているだろうが、それでも何かにぶつかるたびに、女神様が声を上げる。
俺はなるべく木々の密集した細いところを走りぬけ、赤兜が木にぶつかるように誘導して速度を落とさせている。しかし、俺の体の横幅からはみ出るように女神様をお姫様抱っこしているものだから、木々の間をくぐり抜ける際に、俺は女神様が木にぶつかるのを防ぐため、ほんの一瞬だけ走る速度を落としていた。
このままではせっかく赤兜の速度を落とせても、ヤツに差をつけることが出来ない。こうなったら女神様が大変になるが、俺に正面からしがみついてもらわなくては。
「ちょ、女神様、体、縦にっ!」
「は、はいっ!」
息が上がっていてうまく言葉に出来ないが、どうやら女神様は俺の意思を汲んでくれたようで、俺の正面からだっこちゃんのようにガッチリと抱きついてくれた。
少し走りにくくなるかと思ったが、魔法で強化された俺の体は、女神様の重さなどに全く影響されず、変わらない速さで走ることが出来たので、このままでよさそうだ。
木々の隙間を潜り抜けるたび、ほんの少しだけ赤兜との距離が開く。しかし、木々が薄くなっている場所などで、ちょっとでも赤兜を満足に走らせてしまうと、その差は一瞬で埋められてしまう。
いたちごっこを繰り返し、何度も俺の尻が爆音上げる。
これがもしギャグ漫画の世界で、本当に俺が屁をコいたら、クマがその臭いで苦しみ悶えて気絶して、助かるかもしれない。うふふ。
なんてことを思い、何度か屁をコこうとチャレンジしてみたが、残念ながら恐怖でケツ穴が縮こまって出やしない。
だいたいこの世界はリアルだと、創造主様にクギを刺されたのだから、屁ひとつで状況が変わるわけもなし。だから結局、必死に走るのみ。
「あっ、ああっ!」
必死に走る俺の耳を、必死な女神様の声が貫く。
「ど、どし、た!?」
「こ、コレ見てください!」
慌てた様子でそういうと、女神様は俺の首の後ろをごそごそと漁って、何かを手にした。
どうやら漁っていたのはバッグだったようだが、そこから女神様が取り出したものは、真っ白でふわふわな意外なものだった。
「ほら、まだ“うさたろう”が残ってました」
うさくろうじゃないんかい!というツッコミと、まだ入ってたんかい!というツッコミを、荒い息の溶けた唾液と共に、のどの奥へと飲み込む。
さっきからずっと必死に走っている俺には、もうまともな会話など出来ない。
返事もせずに走り続ける。
そこでひとつ、走りながらも気になることが。それは、女神様の抱いている“うさたろう”が妙にぐったりとしていることだ。
もしかしてバッグの中で激しく揺られたせいで、死にそうになっているのではないだろうか。
白くてもふもふのお腹が上下しているから息はしているだろうが、この衰弱具合はただ事ではない。
「グガアアアアッッ!!!」
叫び声と共にくまたろうが俺のケツへと食いついてくる。そこで俺はほんの少しだけ足に力を入れ、加速して紙一重で回避する。何度か修羅場を越えたおかげで、逃げるコツがつかめてきたようだ。
しかし、コツがつかめたといっても、変わらず大ピンチなこの状況で、“うさたろう”の容態のために、足を止めることなどできなかった。
恨むなら恨んでくれ!どうせ足を止めたらお前も死ぬんだ!俺は女神様の為に走るぞ!
心の中でうさたろうに許しを得て、決心を改めて固めていると、念仏が聞こえて光が溢れた。
「ほら、これでもう大丈夫。よかったね」
もちろんその念仏と光の源は、女神様の魔法の詠唱だ。
一瞬のうちにうさたろうが元気になり、耳を元気にピコピコと動かしている。しかし、またこの速度で上下に揺すられたら、小さな命は再びピンチに陥ってしまうのではなかろうか。
「大丈夫。うさたろうにも体を強くする魔法をかけましたから、気にせず走ってください」
そうか、うさたろうにも魔法をかければ、もう平気なのか。ならば!気にせず全力疾走を……。
そこでひとつの閃きが訪れた。そうだ!そうだよ!うまくすれば助かるかもしれない!
魔法ってやつは、勝手にかけることができるんだから!
「め、がみさっ、あ……はや、……まほ、か、かけっ……」
女神様、足の速くなる魔法をかけてください。
息が上がった状態では、そんなこともうまく言えない。
「え、足の速くなる魔法ですか?」
しかし、女神様は俺の言葉を容易く読み解く。
「あ…、た…、も…一度……かけ………」
ああ、頼む、もう一度だけかけてくれ。
「で、でも、先ほども申したとおり、これ以上かけても効果は、ひゃああああっ!!」
ああっクソッ!!
女神様に話しかけるのに一瞬気をとられたせいで、紙一重での回避を失敗してしまった。
紙一重の回避が失敗したということは、紙一枚分かじられたということ。紙一枚分をかじられたということは、俺のおケツがむき出しになったと言うこと。
足を動かすたびに、下半身がスースーする。が、思ったよりケツにぶつかる風が優しい。
こっ、この感じ!まだパンツはイカれてないぞ!セーフ!って、いまはそんなことどうでもいい!
「そ…じゃな…て、……つ…、た…む」
「え!?そんなことしたら、逃げられませんよ!」
「だ、…ら、おれ、……タ…ミ……で、…のむ」
「ううっ、し、信じてますからね!?」
ああ、このままじゃあジリ貧だからな、この一手にかけるしかないんだ。
「ええ」
呟きと共に女神様の手が、ぐっと強く俺の肩を握り締める。
俺が心の中で覚悟を決めたと同時に、どうやら女神様も覚悟を決めたようだ。
辺りを見回し、めぼしい位置へと全力で走りこむ。この辺りには木がなく、少しだけ開けている。木がないということは、障害物に阻まれなくなった赤兜が、全力で走れるということ。赤兜が全力で走れるということは、あっという間に追いつかれるということ!
後ろを振り返る余裕なんてないが、そんなことをしなくても、猛威が俺のすぐ背後まで迫っていることがわかる。
さあ!いざ、勝負の時!
「いまだああっっっ!!」
合図をすると共に、全力でジャンプをする。もちろんそのジャンプをするために、女神様に魔法をかけていただいたワケじゃない。
かけてもらったのは足の速くなる魔法。そしてその対象は俺ではなく、アイツだ。
赤兜が俺の下をすっ飛んでいく。
その速度はいままでの速さとは比にならない。
この辺りには木々がなく、少しだけ開けている。木がないのに少しだけしか開けていないということは、その代わりに何かがあるということだ。
「グガオオオオアアアアア」
激しい爆発音と共に赤兜の絶叫が響き渡り、大きな岩が砕け、石のつぶてと砂煙が飛び散った。
そう、木の代わりにあったのは、小さな山ともいえるほどの大きな岩だった。
「ど、どうだっ、いきなり魔法をっ、かけられると、体がついてっ、いかねーだろ」
女神様を降ろし地面にへたり込んで、息も絶え絶えに啖呵を切る。
魔法は本人に了承を得ずともかけられてしまう。そして、合図もなくいきなり体を強化する魔法をかけられると、いったいどうなるのか。その結果を俺は体にしみてよく分かっている。そう、意識が体についていくことができず、暴走するのだ。
俺の場合は数倍の効果が出てようやく暴走したけれど、それは元の速度が大したことないから。いまの俺たちは100キロオーバーの高速で走っていたから、2、3割の上昇量でも十分に暴走させることができる。俺はそう踏んで賭けに出たけれども、それはどうやら正解だったようだ。
俺のときは、丈夫になる魔法もかけられていたので無傷で済んだが、いまの赤兜には足の速くなる魔法しかかけていない。それなら、ただじゃいられないだろう。
しかし、俺は勝利の宣言なんてしない。だって、いまも砂煙が舞っていて、赤兜の死体を確認できていないからね。もしそこで、やったぁ!なんて言った日には、フラグになるからね。だから俺は絶対に言わないよ。
「やた!やった!やったあぁぁ!!!倒せた!倒せちゃった!あの赤兜を倒せちゃいましたよぉっ!」
ああ、そうだな!やっちまったな
歓喜の声と共に、うさたろうを抱いた女神様が、俺の胸元に飛び込んでくる。
そして、その喜びをかき消すような怒りに満ち満ちた唸り声も、砂煙の中から聞こえていた。
このフラグ回収が一番早いと思います。