よっぽど!
「創造主様が言うことには、100年間頑張ってくださいとのことでした」
「さようですか。ではこれから100年よろしくお願いいたします」
女神様が三つ指を突いてお辞儀をする。
「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」
俺もそれに返すように、頭を下げた。
ふと創造主様からの最後のメッセージが頭をよぎるが、その内容を女神様に伝えはしない。
だいたい、女神様が死ぬってことを伝えられるわけが無いんだ。それに、世界を救って、女神様を守れば万事解決だろう?そんなことは言われなくてもやってやる。
だからあのことについては、俺もこれ以上深くは考えないことにする。精々、常に心の隅にでも置いておいて、用心だけしていればいい。
いま考えるべきことは、今後の展望だ。
「さて、それではこの森から出たいのですが、どっちへ向かえばいいのでしょう?」
あたりまえだが、土地勘が1mmたりとも無い場所だから、女神様に頼るしかない。
「それでしたら簡単です。向こうに輪廻の木が見えていますので、そちらとは反対に行けば一番早く出られます。ここはあの木を中心に真円を描いた樹海ですから」
「なるほどなるほど。それと、この樹海の中に人が住んでいるような場所はありますでしょうか?」
「いえ、残念ながらそういった場所はありません。まっすぐ円の外へと向かうのがよいでしょう」
「わかりました。では、せわしないですが、早速発つとしましょうか」
いったいどれくらいの広さの樹海なのか分からないが、上空から見るに何日もサバイバルしなくてはいけないような広さがあった。
いまの俺達の手持ちには、ちゃんとした飯も水も無い。だから、ライフラインを確保するため、一刻でも早く出立するべきだ。
「す、少しだけ待ってください。ちょっと準備をしちゃいますので」
急いている俺に女神様はそう言うと、近くにいたウサギたちをひっつかまえて、俺のバッグにグイグイと押し込み始める。
一体このお方は何をしているのか。そりゃあ、ある程度の予測はつきますが、一応お聞きしなくては。
グッグッとバッグごと背中を押される感覚に戸惑いながら、女神様に問う。
「あの……女神様。そのウサギって……」
俺の質問に女神様はきょとんとする。まるで、何言ってんだろ?って顔だ。
そうですか、質問するほどのことではありませんでしたか。だっていまから俺たちはサバイバルするんですもんね。ってことは、このウサギちゃんたちは、これからの俺たちの食りょ──。
「えっと、可愛いらしいので連れて行こうかと思いまして」
「で、ですよねー!」
ああ、よかったー!こんな可愛らしい見た目のウサギちゃんたちを、非常食として見ている、蛮族チックな女神様はいなかったんだ!
でも、残念。そのウサギちゃんは連れて行けません。
「ですが、女神様。残念ながらいまの俺達には、飯はまだしも十分な飲料水すら無いのです。ということはウサギを養う余裕もありませんから、その子たちは放してあげてください」
「あっ、ああっ!そうでした!人になったのですから、私達にはゴハンが必要なんですよね。失念しておりました」
俺の言葉に酷いショックを受けたような顔をして、両肩を落とす女神様。
そうか、神という存在だった時は、飯を食うということを必要としていなかったのか。だから飼う余裕も無いのに、ウサギを愛玩動物として連れて行こうと思ったワケね。
世間知らずではないが、人間知らずなんだなと、ひとり納得する俺の前で、女神様は俺のバッグからウサギちゃんたちを放っていく。
「それでは、うさいちろう、うさじろう、うささぶろうに、うさしろう。うさごろうと、うさろくろう、うさしちろうに、うさはちろう。どうか達者に暮らすんですよ」
やっぱり神様は名前に頓着しないんだなという思いと、いったい何匹捕まえてたんだという言葉を飲み込んで、俺のバッグからずらずらと出てきた、カラフルなウサギたちを見送る。
「で、では改めて出立したいのですが、女神様はここから樹海の外へと出るのに、徒歩でどれくらいかかるのか、ご存知ですか?」
ウサギがいるのだから近くにありそうな水場をまず探し出したいが、先に計画を立てるためにも、外までの距離を知っておきたい。
「それでしたら、えーっと。ここは樹海ですし、えーっと、あまり歩く速度と時間を取れないとして、一日平均30kmくらい進めるとして、少し迷ったりすることも加味すれば、えーっと」
ブツブツと呟きながら、両手を使い一生懸命に計算をする女神様。ようやく計算が終わったのか、顔を跳ね上げ、はじき出された答えが口から飛び出す。
「大体4ヶ月くらいです」
「 そ ん な に 」
さっき女神様は、なんて言いながら計算していた?一日平均30kmって言ったよな?それを4ヶ月の120かけてたら3600だろ?迷うとかなんとか言っていたから、そこから適当に1/3程引いて……。
「えっと、もしかして2,000kmちょいくらいですか?」
「ええ、まさにそれくらいです」
「 そ ん な に 」
「この樹海の中心である輪廻の木から、半径の半分の長さで円を描いたところが地獄になってまして、残りの部分が普通の樹海となっているんですよ」
「ってことは、半径が4,000kmちょいの樹海ってことですよね?ってことは?」
「そうですねぇ。分かりやすく言いますと、大体貴方の世界で一番大きな大陸と同程度ってところでしょうか」
「 そ ん な に 」
そのあまりにもあんまりな面積を聞いて、茫然自失になってしまう。
そんな俺の様子を見て、女神様は慌てて何かを考え、こう言った。
「そっそうだ!ですが、ご安心ください。この情報は私がこの世界にまだいたころのお話ですから、大体一万年前の話なんですよ!ですからその間に、人々が樹海の中に村落を作り上げているかもしれませんし、樹海自体を切り拓いて、その面積を減らしているかもしれませんよ!」
示される一筋の光明。
1万年つったら、古代文明から近代文明まで余裕で発展できる時間じゃないか。人類史を考えるとあまりにも短い時間だが、神話を聞く限り、類人猿からスタートという感じでもなかったし、どうにかなっているのではなかろうか。
「まあ、この樹海は信仰の対象なので、人々が手をつけず、逆に広がっている可能性もありますが」
そして立ち消える光明。
ああ、目指す方向だけ聞いて、そのまま旅立てばよかったなと思いつつ、顔を上げ……そして、目に入る。
「あの、女神様。いっっっつも質問ばかりで申し訳ないのですが」
「ええ、ええ。いいんです、いいんですよ。わからないことばかりでしょうし、知りたいことはどんどん聞いて頂いた方が、私としてもうれしいですから」
「そうですか、でしたら……体高は5mくらい?」
「えっと、なにがです?」
「片目が潰れていたりする?」
「ですから、何がでしょうか?20個の質問のうちに答えを当てるゲームですか?」
「頭が血に塗れていて、そこからツノが生えてるから、赤い兜をかぶっているようにみえちゃったりする?」
「ああ、わかりました!もしかして、赤兜の特徴ですね?そうですね、警戒するためにその外見を知っておくべきかもしれませんが、先ほども申しましたように、よっぽどのことが無い限り、出会うことなんてありませんから、気になさらなくても、平気ですよ!」
「それでしたら、70kgくらいの重さのものが、時速100kmで硬いものにぶつかって、轟音を轟かせることは、そのよっぽどのことに入りますか?」
「うーん。どうでしょうか? 赤兜は目も、耳も、鼻も全部よく利きますから、もしかしたら、入るかもしれま……」
途端に黙る。女神様もようやく気がついたようだ。
「もしかしたら、じゃあありませんね。間違いなく、よっぽどのことに入るみたいです」
ギギギギと、油の切れた機械のように、俺が見つめている方向へと女神様の首が回っていく。
その女神様が向いた先。俺がさっきから釘付けな視線の先にある木々のあいだ。
そこには、5mはあろうかという体高と、ひとつだけの鋭い眼光を持ち、そして、その名の由来になったであろう、禍々しい血塗れのツノを冠した赤い頭の大熊がいた。
一瞬の沈黙の後、となりからボソリとした呟きが耳をかすめる。
「おぅ …… まーい …… ごっど」
か、神はアンタなんだよなぁ。