第5話:地獄の顕現、魔女の釜にて、今宵舞う
―― 碑賀暁という【主人公】の序章 ――
暗い部屋を煌々と照らすのはおんぼろの安物ブラウン管テレビ。
いつも消そうとは思いつつ結局は消さずに二十四時間稼働させたままでいる。
ここは油臭くも芳しい香りのする四畳半程度の俺の副業をこなす工房であると同時にその際の生活空間。 そこに置かれた簡素な椅子同士を繋げたものが俺の寝床だ。
体をむくりと起こすと四肢がギシギシと軋む。
『誰か俺に油を注しておくれよゥ』と呻くブリキの案山子の如くに体が重い。
原因はこんなところで寝ていたというのもあるだろうが、それとは別に俺自身が自分ではまだ若いと思いつつも、実はそうではないという事実に思い至り溜息をつきたくなった。
――とは言え、今はまだ朝の六時。昨日朝の四時まで本職の仕事をしていたというのもあり、体が悲鳴を上げるのも仕方ないというもの。
故にこんな朝早くに俺が起きるのは自分で言うのも可笑しな話だが可笑しい。
――と、テレビ画面から上がる大音量が耳をつんざく。
ああこれの所為か。
そこに映るのは【主人公】のインタビュー映像。そこから聞こえる歓声が部屋中に反響していた。
画面の右上には小さな文字で『突如池袋に出現した巨大地震ナマズを退治したアイドル魔法少女【巫女っとにゃんこたん鹿目】の突撃インタビュー』――と、書かれている。
画面では猫耳巫女服姿の魔法少女が頬を赤らめながら記者からの質問に答えている。
彼女はある地球外生命体と契約して魔法少女となった女子中学生らしく、その力を使って日々人助けをしているらしい。最近世間で注目され始めた【ヒーローアイドル】だ。
その見た目故にコアなファンも多く、秋葉原には専用の応援グッズなるモノも売られている。
テレビでは彼女に対するありきたりな質疑応答が続き、しばらくしてインタビューは終わる。
『鹿目さん、本日はありがとうございました。では最後に鹿目さんへのエールと共にカメラをスタジオにお返ししたいと思います。それでは皆さん? 『アイラブ巫女っとぉ? にゃんこた――』』
俺は起き上がり様テレビの電源を切る。情景反射といってもいい。
俺はこういった報道があまり好きじゃない。
そして何故俺がこんな時間に目を覚ましたのかも納得した。要は昔の癖だ。
テレビとはいえ【主人公】を必要とする報道を耳にすると反射的に目が覚めてしまうのだ。
完全に眠気が飛んでいる。今から二度寝をする気にもなれず、俺は少し早いが出掛ける準備をする事にした。
工房から必要な道具を選び持ち出し、白衣をコートの様に羽織る。
今の季節が夏であるのにこの格好は何も知らない者からしたら異様に映るだろう。
だがこれは俺のスタイル。さらに赤いマフラーを首に巻き、手袋もした。
そして食事は向かう途中で済ませれば良いかと【カロリーメイト】を齧りながら玄関へ。
外に出た瞬間偶然にも人と鉢合わせた。
それは俺の家の隣に住む堕葉薫さんという今年で六十歳になるお婆さん。
「ああ、碑雅ちゃんか。おはよう、どっか出掛けるのかい?」
彼女は道路の掃き掃除でもしていたのか手に箒を持っている。そしてその手を止めて俺に微笑みかけてくれた。それは俺が子供の頃から好きな薫さんの笑顔。
「ちょっとね。副業で使う材料調達さ。……薫さんはどうしたの? こんな朝早くから。あっ、もしかして晩飯の余り物でも俺に食わす為に張ってたとか?」
「もう、嫌味かい? ただの掃除。本当に――昔からそういう所は変わらないねぇ。それとも本当に私の手料理を食べたくなったとか?」
彼女の手料理に関しては子供の頃から何度も食べた事があるが、正直その度に彼女は魔女か何かで地獄の釜の中身を食わされているのではと思う程に酷く、正直……あまり食べたくはなかった。
「いや、勘弁して……」
すると薫さんはまるで御伽噺の魔女がする様に声を殺して失笑する。
長い付き合いで彼女自身も自分の手料理が下手であると自覚し、ネタとして使っているのだ。
「ところで碑雅ちゃんは新聞を取ってなかったね?」
「――んっ、ぇ、なに新聞の勧誘? 洗剤でもくれるの?」
「違うよ。ほら、碑雅ちゃんはこれから秋葉原に材料探しに行くんだろ。先日あの近くで殺人事件があったじゃないか。どうやらその犯人が人間じゃなくてどこかの組織が作った人造人間らしくてね。それがかなり精巧な作りみたいで今も人間に紛れて潜伏している様なんだよ。今朝の新聞の特集になってた」
――と、差し出された朝刊を覗くと確かにそう書かれている。
ただ……特集組むほどの事か?
「碑雅ちゃん……今日はやめたらどうだい?」
人造人間…………か。
薫さんは俺の事を心配して言ってくれていると、苦そうな表情を見ればわかった。
それは素直にうれしいが――
「大丈夫。薫さんは魔女みたいな顔してるのにやさしいなぁ。子供に人気があるわけだよ。俺とは大違いだ。はははっ」
照れくささから笑いながら薫さんをからかってしまった。
対して薫さんは顔を『もぅ』――と、年寄りをからかうんじゃないよ、と言って何処に持っていたのか菓子パンをほおってよこす。
「【カロリーメイト】だけじゃ倒れちまうよ、さっさと行って早く帰ってきな」
長い付き合い故に俺の毎日の食生活は遠に彼女に知られている。これは彼女なりの気遣いだ。
「ありがとう。最近は三食こんな感じで――」
「なら特性カレーでも作って待ってあげようか?」
「んっ! ……それは勘弁してぇ」
「ははははは、今のも冗談さぁ〜……ひひひ」
「~~~」
薫さんは本当に魔女なのかもしれない。
そう思いつつ、俺は急いで自転車に跨り家を後にした。