第4章:晴れ時々敵降る街
どうしてこんな事になったのだろう?
そもそも私は何故こんな処に居るのだろう?
わからない……。
私は今が夏休みだというのに、学校の制服を着て秋葉原の大通りの真ん中で立ち尽くしている。
今日は部活の日だったろうか? そもそも今日は何日だろう?
思い出せない……。
だが今はそんな事などどうでもよかった。
今、問題なのは私の目の前に転がる、この――大量の、死体。
「何、これ……?」
それは最早人間だった頃の原型など留めていなかった。
文字通りのバラバラ死体。飛び散る肉片、撒かれた鮮血によって私の視界は赤く染まる。
そんな死体が見渡しただけでも数十はあるだろうか。
辺りは血の海。
まさしく地獄絵図であり、普通なら気が狂い失神してもおかしくない状況。
だが私はそうはならなかった。何故なら――
「ぅ、そ。そんなッ……夢、だよ……こんなッッッ!」
私はある一点を見たことで意識を無理やり現実へと繋ぎ止められた。
私は見てしまった。それはバラバラ死体という事は当然の如く転がっているはずなのだ。こうゴロンと。人の首が、そして、最悪なことに、私はそのひとつに見覚えがあった。
それは――私の友達……。
それを見たことで、私は全てを思い出す。今日が何日で、私は何故こんな処に居るのかを。
同時にそれを思い出すという事は、この信じがたい光景が現実であると肯定する事に他ならなかった。
私はこの日――部活の練習の後、友達と秋葉原のアニメイトに買い物に来ていた。
それが今から数秒前、彼女と店を出た時、突然その子が目の前で四散するというありえない光景を前に、私はショックで今まで放心していたのだ。
そして何もない空間で突然人が爆ぜるはずもなく、当然その元凶となったモノが存在する。
その元凶は私から数メートル離れた先、視界の内に居た。
私の目はそこに居た三体のそれらに釘付けとなる。
それは一目見ただけで生理的嫌悪感を伴う醜悪な外観。おそらく万人が見ただけで、害あるモノと直感するだろう生物だった。
それは局部的に我々と通ずるものを有してはいるも、全容はとてもかけ離れている。
頭が二つあるモノ。腕が三本あるモノ。脚が四本あるモノ。
それらは人々から――魔物と呼ばれる類のモノ。
禍々しい姿を晒す奇形の獣。個体差はあるも、それらには共通した特徴も存在した。
体皮は黒炭の様に浅黒く、その身から漂う紫煙が全身を包み、その煙によって目の前の怪物がまるでそうした形状の穴や亀裂であるかの様に輪郭が曖昧となっている。
そしてその獣の顔にはおよそ目と鼻と呼べるものがなく、ただ巨大な口だけが空いていた。
それは人と比べて、有るものが無く、無いものが有るという光景。
その姿が、より一層この存在への忌避感に拍車をかける。
――と、背中から巨大な腕を一本生やした一体が此方を向く。
『…………グッルギぃ――ァアッッ』
その声につられ他の奇形獣たちも私を見た。
全身が粟立つ。
その奇形獣に対し、本能が逃げろと告げるも体がまったく動かない。恐怖に足が竦んでいた。
そして――最初に私を発見した一体が目の前へと歩み寄る。
私は悲鳴を上げる事も出来ず、その巨腕に頭を鷲掴みにされた。
脚が地を離れて宙吊りにされる。目の前に晒される獣の顔。
覗き込んだ口と思しき穴は吸い込まれそうなほどに暗く底が見えない。
そこから息を吸うかの様な音を耳にした瞬間、私の視界はぼやけ、虚脱感が体を襲った。
何か――私の中から少しずつ、生物として存在していく為に必要な何かが吸い取られていく様な感覚。
私は抵抗を試みるもそれを許そうとしない圧力に身を押さえつけられ、段々と頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回される感覚に嘔吐感さえ込み上げた。
「ぁ……ぁあ……ッ」
だめだ、死……っ。
私の中で失われていく光。視界が少しずつ乱れ、微かに聞こえる誰かの悲鳴、血の臭い、夏の暑さ、全てが曖昧となり、意識が遠ざかる。
そして苦しさと自分が自分でなくなる恐怖を抱いたまま私の意識が虚無に堕ちかけたその時――それは現れた。
閃光は一瞬。その後に訪れた落下の衝撃も一瞬だった。
私の視界が晴天から射す一筋の影を捉える。それは人影。
地に落ちた私が上体を起こした時、それはこちらに背を向けて立つ一人の男性だと気付いた。
未だ疲労感から視界が霞むも、その男が右手に持つサーベルからは滴る鮮血を見る。
それは奇形獣の血。
奇形獣は男を前に大きく飛び退いていたが、その背中より伸びる巨腕は肘と思しき関節から先を消失していた。
「――っ、せっかくだから首を刎ねとけば良かったか」
男はそう言ってサーベルの切っ先を晒し刀身の血を辺りに振り撒く。
そして峰を肩に添え首を指した。
段々と目が冴えてきて男の全容が明らかとなる。
見たところ私と同じか少し歳上――十七、八といったところの青年。
彼が私を救ってくれたのは容易に理解できるも、その佇まいや呑気な口調など、こんな状況でもない限り、身に纏う雰囲気といい何処にでもいる高校生と大差ない。
ただ彼は今が八月だと言うのに、何故か丈の長い白衣をコートの様に羽織り、首には赤いマフラーを巻いている。また両手には手袋を嵌め、極限まで露出を排除していた。
その事が一見普通そうに見える彼を先程の剣撃も含め普通ではない存在であると理解させる。
一体彼は何者なのか……。と――
「も~ゥっ、美女がピンチだといつもより早く動けるわけぇ?」
突然背後――それも頭上に近い方向からそんな陽気な声が降りてくる。
見上げた先には――
「大丈夫だった? もう安心だよ♪」
見たところ私より二回りも歳が離れているだろう十歳前後の少女が宙に浮いていた。
そんな奇行を行使する少女がただの人間であるはずがない。彼女もまた私とは生きる理が違う存在なのだと直感する。
彼女は外套付きの青いローブを羽織っており、その丈が長く足先まで覆う姿は青年同様見るからに暑そうに映るも、その装いが放つ青白い輝きが炎天の下、風に揺れて色彩を変える光景に私は目を奪われた。
その服は見る角度によって青から紺へ、藍色に変わったと思えば、今度は瑠璃色となり、また青に戻る。まるで水面の波紋の如くその色は能動的に変化した。
「別にそんなんじゃねぇよ」
そんな不思議な装いの少女に青年は対等に返す。
「そう? 私は別にそれでも――」
「おい……」
少女の可憐な言葉に男は堅い声音で遮る。
「?」
男の声は微かに怒を孕んで聞こえるも、少女はその態度を崩さない。
そもそも青年の言葉は少女に向けられたものではなく、彼女もそれがわかっていた。
「無粋ねぇ。男女の会話中に……」
二人が視線を向けた先、そこには頭を二つ持つ奇形獣がその口を大きく開け、咢から覗く深淵を瞬かせて青い焔を宿していた。
その光を見て私は青ざめる。それは数秒前友達が浴びた破壊の妖光。
「――――!」
続く言葉は出なかった。
奇形獣の口から放たれる光弾。同時に青年と少女は動いていた。
青年は一瞬にして私の背後へ。私を抱いて跳躍――先程まで自分達の居た場所を俯瞰する。
その突然の視点変更に私は出かけた悲鳴を呑み込んだ。
対して少女はまるで水中を泳ぐ様に、人魚の如く宙を舞い獣目指して飛翔する。
連射される光弾は一発たりとも彼女には当たらない。
決して彼女の動きが速いわけではない。
ただ彼女の縦横無尽の動きがこの世の重力、慣性、空気抵抗、自然法則さえ凌駕するかの如く可憐で、まるで光弾と戯れるかの様に優雅にその隙間を潜り抜けるのだ。
そのまま彼女は獣の頭上へと踊り出る。
「はぁ~ぃ♪」
そしてそこに見えない寝具でもあるかの様に宙に寝そべり右手を振って天真爛漫に微笑む。
その姿は完全に重力の楔を無視していた。
続けて獣に対して右掌を伸ばし……。
瞬間――私は体を襲った寒気に全身が総毛立つ。
それは実際に肌が感じた気温の変化。
少女の右手の袖から蒼銀に輝く冷気が放たれる。
その冷気は大気を揺るがし、近くない場所に居る私の所まで影響を与えた。
その正体――それは極寒を思わせる氷塊を含む風。
少女を中心に広がる暴風の波は周囲の物体を容赦なく巻き上げては吹き飛ばす。
しかしその直射を受ける奇形獣だけは空気の放流に押し潰される様に地へと伏していた。
私の耳に聞こえるのは吹き荒れる轟音と獣の鳴き叫ぶ声だけ。
次第にアスファルトに亀裂が走り獣の体が沈んでいく。
それを待っていたとばかりに少女は空中で後転。今度は椅子に座るかの様に膝を曲げ背中を深く沈めた姿勢をとるとそのまま獣の周囲を旋回。冷風が獣を四方から包み込んだ。
それは最早相手の弱点など関係ない圧倒的質量での圧殺にも等しき攻撃。
冷風が大気中の水分を凍結させ、徐々にその場に尖塔の如き氷塊を作り上げていく。
獣は数秒経たずして、その中に沈む彫像と化した。
最後に空中で錐もみ状に舞った少女は体を折りたたみ急停止。はためくローブの裾を左手で抑え、満面の笑みをこちらに向ける。
「どやぁ♪」
「上出来だ」
――と、私を抱く青年が少女の前まで瞬間移動。
私は再びの視点変更に瞠目するも、最早混乱する暇さえない。
私は降ろされ地に足が着く。地面は未だその冷気を保ち、まるで氷土に降り立ったかの様だ。
青年はサーベルを団扇の様に仰ぎつつ氷塊に埋まる奇形獣の前に近づく。
そしてその心臓と思われる箇所にサーベルを突き刺した。
「……一応、念のためな」
「心配性ねぇ。――で、そっちは?」
「仕留めた」
青年は左手に持つ【それ】を掲げて見せる。
「ぇ!?」
私は思わず声を漏らす。
それは先ほど私を殺そうとした三本腕を宿した奇形獣の首。
仕留めたと言ったが。一体何時……?
彼と密着し状況を共有していた私は、にも拘らずその瞬間を知らない。
彼は何時獣の首を切り落としたのか?
少女は優雅に獣の全身を彫像に変え、青年は刹那の内に獣の首を刎ねる。
どちらも凡庸のなせる業ではない。
だが獣は三体居た。では最後の一体はどうしたのか?
――と、私たちの頭上に影が差す。それは上空より襲いかかる最後の一体。
私は襲い来る四脚の鉤爪を前に恐怖して尻餅をつくも――二人は動じない。
「どうして一体残したの?」
「頭数揃ってるだろ?」
「ふぅ~ん」
それどころか何かする気配もなかった。何故なら――
「ゥィ――ひぃ――ッッ!」
襲い来る奇形獣に交差する白銀の煌めき。耳を劈く男の奇声。
――彼らもまた三人居たからだ。
その光の軌跡に撃ち抜かれた獣は地面に激突。衝撃を殺し切れなかった獣は地面に平伏す。
そして振動が地を伝い座り込む私の体から頭上へと抜けた。
「よぉ!」
獣の上には一人の男が立っていた。
それはこの場に居る誰よりも年長者といった風で二〇代半ばの男性。
着ている服は他の二人と比べて一般的であるも、男はその容貌からして既に奇怪だった。
白蝋を思わせる白い膚に金色の髪。左半願を覆う黒髑髏の入れ墨。男が不敵に笑うとその口からは焔が溢れ出る。
彼は獣の背中に身の丈を超すハルバートを突き立てていた。
その男の登場によってこの場の空気は一変する。
滞る冷気は一瞬にして霧散し、代わりにこの場を以前にも増した熱気が支配した。
熱源は間違いなくこの男。男の周囲はその熱量によって空間が歪んで見える。
そして男が纏う服はこの街なら何処でも見かける何の変哲のない品であるも、その襟や袖、裾からは絶えず炎が噴出し、まるでファーでも巻いているかの様に風に舞う。
「Let’s!」
男は指先で重量を誇るハルバートを操る。
それは尋常でない腕力の成せる技。
同時に鼓膜を揺さぶる異音。それはハルバートが奇形獣の頭蓋を砕く音だ。
「ジャッチメ――ンッ、トッ!」
男が吠えた瞬間、ハルバートは朱を纏い、紅蓮色の幻影を放つ。
その幻影は不定形で揺らぐ炎。それが周囲に灼熱をばら撒き、その熱気に彼の足元のアスファルトは溶解。獣の体は炎上しコールタールの海に沈む。
獣の生死は最早確認するまでもなかった。
まさに瞬殺、彼ら三人を前に奇形獣三体はあっという間に駆逐される。
それは刹那の駆け引きもない一方的な討伐。そして――
「これでもう大丈夫だ。君はこの道を真っ直ぐ進むといい」
青年が指さす先には先程の三体の様な歪な肉体を持つ奇形獣の死体が何体も転がっている。
一体何時の間に……。
「それじゃあ――」
「またね♪」
「…………グッドらァ――く」
三人はそれぞれの送り言葉と共に次なる獲物を求めて歩き出す。
私はその人達が何者であるかは知らない。だがその存在が何であるかは知っていた。
「【主人公】……【聖なる鎖】……」
その言葉が自然と私の口から洩れる。
【主人公】――それはこの世界に存在する数多の戦士を指す総称。
そして【聖なる鎖】とは、それらの多くが所属する巨大組織の名称であった。
◇ ◇ ◇
この世に数多く存在する【悪】と、それと戦う【主人公】。
その中でもさらに秀でた者たちで構成された世界最高位の防衛機関――【聖なる鎖】という組織。
その組織の存在で、この世に起きる災厄の芽は直ぐに鎮圧していた。
それはこの組織の誕生で、これまでは一つの悪に対してその悪と最も因縁のある【主人公】が対処に当たるのが定石であったのが、より効率的な解決を行えるようになったからである。
例えるなら、巨大怪獣を相手にするのに、ウルトラマン的な存在が出て戦うより、あらゆる生物を洗脳し意のままに操れる魔法使いを呼んで、その怪獣を自害させてもらった方が効率は良く、また巨大ロボを相手にするのに、あらゆる素材を意のままに操れる超能力者が居るのなら、その者に無理やりロボットを分解、大気圏の外に放り出してもらった方が早い。
いささか拍子抜けする解決方法に思えるだろうが、これがフィクションやエンターテイメントでなく人類の存亡をかけた戦いであるのなら、この戦術は最も望ましく被害の少ない解決方法であるのは自明の理で、
そしてそんな【主人公】たちの集う――【聖なる鎖】があったからこそ、この五十年間――人類は生存の道を歩んでこられた。
彼らは人類の希望で、いつかこの世に平和をもたらしてくれる存在だと信じられている。