第33話:女神様――まもなく世界終焉シナリオのお時間ですよ
この世界はもうお終いかもしれない。
ある男がそんな言葉を口にした。
それは普段なら狂信者の戯言と流せたかもしれない。
だがそうと一蹴できぬ現象が――今日、この日起きた。
それは――早朝の渋谷の街で、新宿で、池袋で、同時多発的に――否、全てが一つの現象として広範囲に渡って起きた。
今――東京の空は節々で七色の光が瞬いている。
それは幻想的ではあるも、光源はこの世界のモノではない。
これはこの世ならざる世界からこちら側の世界を犯す為に現れた災禍の光。
それが見渡す限り何処までも続いている。
この街に元々あった空はもう何処にも存在しない。
皆空間の歪みに呑み込まれ、消えた。
そんな空間の歪みは空だけでなく、街中の至る所で裂け目として現れ、そこからこの世ならざる植物が街中へと蔦を伸ばしていく。
蔦は脈打ち蠢きながら路面や建物に次々と絡みついていった。
これは昨日秋葉原で起きた魔物の出現事件とはわけが違う。
それはまるで異世界そのものがこの世界に溢れ出してくるかの様な……。
押し寄せてくる異世界の気配と世界のあげる悲鳴を人々は感じ取った。
地震が絶えまなく続く。
するとひび割れた舗装から、奇妙な植物が顔を覗かせた。
それは空から差す怪光を浴びて急激な成長を遂げ、街灯に標識、信号に電柱、次々と薙ぎ倒し、街路樹を枯らしながら蔦を伸ばしていく。路上は数秒足らずして極彩色の植物に埋め尽くされた。
それを前にし、人々は逃げ惑うも、突如一人の男がその植物に覆いかぶされ――呑まれる。
その植物には口が付いていた。
それは人間を食べる魔の植物……。
人々の顔が凍りつく。
瞬間、植物は一斉に鎌首をもたげ、餌を啄ばむ鳥の様に目の前の人間を捕食し始めた。
蔦が蛇の様に路面を走る。
それらは渋滞する車に絡みつくと一瞬にして運転手諸共絞め殺し、血を啜った。
車を捨てて逃げ出す者もいたが、直ぐに捕まり、締め上げられた者が水風船の様に弾ける。
そんな植物が地を割いて現れた時点で、地下は既に異界に侵食されていた。
地下鉄の出入口からそれは現れる。
蜘蛛。青黒い甲殻に覆われた人間の膝高さ程はあるだろう巨大な蜘蛛が何十匹と地上へと這い出てくる。
奴らは糸を吐き、人々を絡めとっては引ずり込んで食らいついた。
一人の若者が糸に囚われ、引きずられる。
「やめろぉ!」
それを一人の男が救おうと前に出る。
男は超能力者であり、瞬間移動の能力で蜘蛛までの距離を一瞬で詰めた。
そして渾身の力で振るう拳で蜘蛛の甲殻を打ち砕く。
急いで糸を引き剥がすも、その若者は既に息絶えていた。
「…………くそ」
ここはまさしく地獄だった。
男の名は日下部徹。
嘗てここではない世界を救う為に異世界を旅した経験のある【主人公】。
だがこんな経験をしたのはこれが初めてだ。敵の数も規模も規格外過ぎる。
「全くついてねぇぜ。昨日は車を盗まれるし、今日はよくわからねぇ事件に巻き込まれる」
それもこれはかなりの大事件。例え己に瞬間移動能力に加えて一撃必殺の能力があったとしてもこの事件を犠牲者を出さずして鎮圧するのは不可能だ。
そうこうする内に、今度は絶叫とともに人々が空から降ってくる。
それは植物から逃げようと建物に避難した人々が今度は蜘蛛によって屋上に追い詰められ、とうとうビルの屋上から飛んだのだ。
しかし辿り着く先は地上ではない。そこで口を開けている植物の口の中。
例え歩道へ叩きつけられようと死体は残らず食べられ結末は変わらない。
その光景を前に落下中の女性が悲鳴をあげながら植物の口の中へと消えた。
そうした者がそこかしこに居る。
「キィ――――ヒィヒィヒィ――――ッ!」
その光源を見て笑う数匹の魔物。
背中に蝙蝠に似た黒い翼を生やし、異常に長い手足を有する赤毛猿の魔獣。
奴らは人々が悲鳴を上げて息絶えて行く光景を眺めながら、何処からか盗んできた食べ物を囲んで食事をしている。
「野郎ッ!」
男は歯噛みし猿共を蹴散らそうと試みるも、そこでふぅと気付く。
「あれは…………」
その内の一匹に見覚えがあった。
一匹の猿が擦り切れた学ランを羽織っていたのだ。
その学ランを前に男は嘗ての記憶が蘇る。
詰襟に付いたクラス章、校章バッジ。変色はしているも見間違えようがない。
その学ランは嘗て自分が通っていた中学の物。そして、当時のその持ち主は……。
「おい!」
「!?」
男は瞬間移動で学ラン猿の前へと移動し、顔面を鷲掴みにする。
「久しぶりだなぁ……」
「キヒィ!?」
猿は何故お前がここに? と言いたげに取り乱す。だが――
「やっと、やっとだァ。やっとお前にあの時の借りが返せるぜ」
男は一瞬の躊躇いさえなく、猿の顔面を腕力のみで握り潰す。
「キッ、ィィィィィィ――――――…………」
「キ――――ッ、キ――――ッ!!?」
周囲の猿が突然の仲間の死に錯乱する。
「る、せぇ!」
男は懐から常備する二本の【兜割り】を取り出すと二匹の猿の頭蓋を叩き割る。
そして続け様、残りの猿共も屠ろうとするも、その矢先動きが止まった。
それは振り返った先に居たはずの猿、その全てが既に息絶えていたからだ。
「?」
代わりに三メートルは有るだろう巨漢がそこに立っている。
巨漢は雌猿の面を被ったスキンヘッドで色黒マッチョのブーメランパンツを履いた変人。
その男の巨腕によって、猿共は首をへし折られていた。
普通ならその光景に息を飲むところだろうが、徹は特に驚いた風でもなく兜割りを懐にしまい、呆れた風に溜息をつく。
彼はこの巨漢が敵でない事を知っていた。
そればかりか――
「相変わらず変態的な格好してんなぁ、お前は」
「あら辛口ねぇ徹君。久しぶり♪」
巨漢は男を徹と呼んだ。二人は知り合いであり、高校時代の同級生。嘗て学園を守る為共に戦った事もある戦友であった。
そしてその巨漢こそ、昨夜――晴彦と燈華を黒須玲から救った仮面ナース。
「何だよこれ。たった数分で街がこんな有様に。一体どうなってやがる!?」
「街どころの騒ぎじゃないわ。このままじゃ【世界終焉シナリオ】にも発展しかねない大事件よ」
「応援は呼べないのか!?」
「無駄よ。東京中がこの有様じゃあ、どうせ皆既に何処かで戦ってるわ! その上でこの有様なのよ」
「くそっ!」
視線彷徨わせる。するとここから見えるだけでも魔法少女が、アンドロイドが、戦隊ヒーローに学生、老人が魔物達と戦っている。
【聖なる鎖】の【主人公】だとか、そんな事は関係ない。戦える者は皆戦っていた。
でも悪夢は終わらない。
今もこの瞬間には東京中で沢山の人々が死んでいる。
徹は拳を硬く握り締め、再び兜割りを引き抜く。
「ふざけやがって!」
――瞬間移動。
長い八本の脚で街中を蹂躙する人食い蜘蛛。その一匹の甲殻を兜割りで打ち砕く。
何匹かが彼に対し糸を吐き掛けるも全て瞬間移動で潜り抜け、接近と同時に振り下ろした打突で黙らせた。
そして仮面ナースも瞬間移動は使えずとも長身を生かした歩幅で爆走する。
「オオオオオオオォォォォッ! マシュマロパンチ!」
ネーミングはともかく、仮面ナースは強固な蜘蛛の甲殻をまるでマシュマロでも引き裂く様に拳で切り裂いた。
両者の無双でこの場だけでの戦況は覆りかける。
だがその時、上空から黒い影が降下する。
人ではない。黒過ぎる影だ。
それに気付けたのは徹だけ。
仮面ナースは仮面の所為で視界が狭く、他の【主人公】はそれに気付ける余裕がない。
故に彼だけがそれを知れた。影が向かう先――それは仮面ナース。
「危なぃ!」
徹が叫び、消える。
次に現れた時、仮面ナースを連れて近くない場所に立っていた。
同時に今まで仮面ナースの居た場所で爆発が起こる。
例の黒い影が激突したのだ。
足下から伝わる重音が臓へと響く。
立ち込める砂煙に震源地は視認する事は出来ないが、そこで確かに何かが蠢いた。
「何よ、何なのよぅ!」
仮面ナースは度重なる状況の変化に困惑して叫ぶ。
――と、更なる重音が地を揺らした。
それは獣の咆哮。その音波にビルの窓は湾曲し、砕けたガラスが雹の様に降り注ぐ。
「まさか……」
その声に徹は戦慄した。
あの学ランを着た猿を見た時から薄々は感付いていたが、今この世界を侵食している世界は己が中学時代に数年間彷徨ったあの異世界なのだ。
そしてそうであるのなら、当然あれらも居るはずだった。
当時己が苦戦した上位種の魔物の数々が……。
「ヤバい……」
徹が呟く。
「どうしたの?」
「ヤバい奴が来た……」
「知ってるの?」
「ああ、あの魔物とは過去二回戦った事がある……」
「それで!?」
「中学時代の俺が一人じゃ絶対に倒せなかった怪物だよ」
「――冗談でしょ!?」
「…………来るッ!」
瞬間砂埃が拡散する。
現れたのは四メートルはあろうかという漆黒の人狼。
「最悪だ。今までの中で一番でかい…………」
そしてその魔物が地を踏み締め、巨体では考えられない速度でこちらに向かってくる。
徹と仮面ナースが反射的に身構えるも、しかし戦闘は起こらなかった。何故なら――
「Hyahaaaaaaaa――――ッ!」
突如爆音を奏でながら一台の重機――バイクが乱入してくる。
操るのは一人の男。どういう改造をしているのかその速度は尋常ではない。
そしてそのバイクは人狼の前を通過するなり、人狼は――その首を切断される。
男は手にハルバートを持っていた。
そして首が地に落ちると男はバイクから飛び降り人狼の頭部を踏み付ける。
そのまま力の限り踏み抜くと、魔物の息の根を止めた。
「――――な!?」
徹と仮面ナースは目の前で起きた突然の強敵の死に驚愕する。
すると男は人狼の首を刎ねたハルバートを担ぎ不敵に笑った。
「大丈夫だったかぁい? ダンディーな御二方」
それは白蠟の様な白い肌を持つ金髪の男。
顔の右半分が髑髏の刺青に覆われ、全身がやたら棘の多い黒革の服に包んでいた。
その姿はまるで何処ぞの世紀末の悪役風の【主人公】。
男はそうしてあらぬ方を向くと、こう叫んだ。
「どうよ? 俺ちゃん♪ ワイルドだろーゥ?」




